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非常識高校生の非勇者生活  作者: kiara
第一章 始まりの物語
99/100

エピローグ3


 一冊の本を四人が顔を突き合わせて覗き込んではいるが、読もうとする意志が強すぎるせいか、突き合わせている頭は陣取り合戦をし始めている。そして、その光景はどこでも貴族らしさを求められている身からしてみれば羨ましい限りであった。


 一枚一枚めくるのではなく、ぱらぱらと高速でページをめくって本に目を通した雅紀たちの口からは、


「なるほどなぁ」


という言葉が漏れている。


 何かを考えるように目を瞑って唸っているのを見て、本に書かれていた内容を理解してくれたことを分かったカナックは、考え事を中断させることに申し訳なさを感じながら話し始める。


「読んでみてもらって分かったとは思うが、その本にはいろいろな商品、特に化粧品について書かれている。エミールはこれを読んで再現しただけだと考えている」


「これまでのよりもきれいになる化粧品、か。しかも、これまでのものが有害と来れば、大量の顧客を抱えられるだろうな」


「鉛白が有毒だということを貴族階級の集まるアカデミーで公表して禁止するだけでなく、代用品までもたらすとなれば、救世主扱いされただろう」


 本で読んだことを実践してみただけで億万長者になれるとは、運に恵まれたのだと、その幸運を羨ましく思ってしまう。ただ、気になることも出てくる。


「この本はデーニッツ家の書庫に合って、一族のものならば誰にも読めたんだよな?」


「ああ、その通りだ」


「カナックはやらなかったのか?」


 本に書いてあることを真似るだけならば、エミールよりも先に読んでいたカナック、ひいてはその両親。それ以上にいるだろう先祖は試してみようとは思わなかったのだろうか。そういった疑問が出てくるが、やはりただ書かれているだけの知識を眉唾物として受け入れなかったのだろうか、とも考える。


「ふむ。どうやらバレていないようで、なによりだ」


「と言うと?」


「やっていないわけがないだろう?」


 そんな儲け話に飛びつかない人間が商人の上に立てるものか、と苦笑いするカナック。


 その答えに納得する雅紀たち。蛇の道は蛇。権力も金も勢いもある商人たちをまとめる人間は、やはり更なる権力と金と勢いがなければならないようだ。


「エミールはカナックのことを”脳筋”扱いしてたんだが」


「はて?”脳筋”とは聞いたことないな」


「っと、悪い。俺たちの生まれた地方で、頭を使うことが苦手な人のことを指す言葉だ」


 裏に変な意味を込められてるかもしれない、とは流石に次期領主に向かっては言えないので、当たり障りのない言葉で繕って、あとは曖昧な笑みで誤魔化しておく。やっちまったかと雅紀が内心で汗をだらだらと流していると、カナックは「ならば、獣人は”脳筋”が多い、ということになるのだな」と零している。


「衛兵として現場で剣を振るう方が得意であることは確かだがな、ただ我武者羅に突っ込んでもどうしようもないことは知っているし、頭を使わねばどうしようもないこともある。頭を使う場面をあいつが見たことがなかっただけで、別に使えないというわけでもない。現にエミールは当主と次期当主だけが関わることのできる商売があることに気が付けていなかったようだしな」


 体に有害だとわかったのに、どうして王家に教えないだろうか。教えた上でこっそりと商品を流せばいい。公表するということは、出回っている化粧品の流通が消滅し、他の商会の参入を許すことになる。利益を狙うならば、一時よりも長期間で見積もった方が適当である。


 などなど、商売の心得を話し出すということは誤魔化せたようで何よりだが、獣人が考えていた通りの種族だったようで関わり合いになるのは遠慮したい気分に襲われる。


 そんな雅紀たちだが、頭の中には気になることとして二つのことが挙がっていた。


 一つは、カナックとエミールの違い。


 それは…


「なあ、カナックの兄弟は見た感じでは大違いだが、裏にある信条は同じだと思っていいんだよな」


「ああ、書いてあっただろう?」


「いや、だってなあ。この世界で目の当たりにするとは思えなかったんだよ……」


 ケモナーに。


 最後の言葉は口には出されなかったものの、カナックには伝わったようで、ハンナの肩を抱きしめてラブラブしている。


 あああああ、と無償に叫びたい衝動に駆られる現代日本文化の中で育ってきた一同。変態小説家からは世の中にはケモナーというモフモフを愛好する人種がいるとは聞いていた。その際、ケモナーとケモミミフェチは違うだの、同じケモナーでも求めているものは違うだのと語られた記憶はあるのだが、内容に関しての記憶は全く残っていない。しかし残念なことに、何故か、幼女という属性と獣という属性の掛け算に我は興奮する、と熱弁していた変態作家がいたことだけは覚えていた。これが初対面で口が滑った理由である。


 本に書かれていた獣人のすばらしさを読み、カナックはケモナーの道へと足を踏み入れたのだが、エミールは残念ながら明後日の方向へと足を踏み入れた挙句に踏み外しまくってしまっていた。素晴らしさを知ったところまではいいのだが、それに商業的な価値を見出してしまったことが、何よりも許しがたい間違いだったといってもいいのだろう。


 エミールはこの本で表の商品、裏の商品、そして、それを可能とする力をこの本一冊から手に入れたのである。


「この本がなければ、このような事件が起きなかったのだろうが、これがなければハンナとも会えなかったに違いない」

「領主一族としては、前者を優先しなければならないのだろうが、私個人は何よりも後者の方が大事なのだ」


「あなた…、大丈夫ですよ。何があろうと私はあなたと出会うに決まっています。なんと言っても、私たちは運命の赤い糸で結ばれているのですから」


 貴族らしさを求められる立場なのだろうが、雅紀たちと司祭の前ではありのままを見せている。顔を赤く染めながらカナックとハンナが二人だけの世界が作り上げられ、貴族としてのあれこれ故か、そのまま劇にしてもいいのではないかという話が目の前で繰り広げられている。そんな雅紀たちの内心はというと……


((もしかして、俺たちもこう見えてるのか……。控えるか?いや、これがこの世界では当然なのかもしれない。ならば、これくらいしておかないと周知することはできないのか?いや、とりあえずの手は打ったし、どうしたものか))


((わあ、ロマンティック。周りにこんなことを言う人はいなかったなあ。やっぱり夫婦だからかな?これくらいになるんだったら、もっと積極的にいかないとだよね))


 見事なまでに性別の壁というものを映し出していた。


 そんなことを考えていたわけだが、それでももう一つ何よりも気がかりなことが頭の中でぐるぐる回っている。


「それと、もう一つ。これを書いたのは誰だ」


「残念ながらもうこの世にはいらっしゃらない。表紙に名前が書かれているが、王都の資料室で過去の貴族のことを見返していると同じ名前を見つけた。それで、歴史に詳しい人に聞いてみたんだが、どうやらこの領地が我が一族に任される前の貴族だったらしい」


 そのときから商人の街として栄えていたが、その人物が登場してからはさらにそれが加速していたこと。次々に新しいものが現れる街として注目されていたらしいが、一部商人が利益に目がくらんで暴走して抗争に発展して直系の一族がいなくなってしまい、商人は合議制にしろとごねる一方で貴族は税収目当てで自薦し始め、収拾がつかなくなったところに国王の鶴の一言でデーニッツ家に白羽の矢が刺さったのだとか。


「幸いなことに、初代デーニッツ家当主の妻が、祖父に今話しているこの本の著者を持っていたようで、統治の正当性が国王と血統の両面から認められたらしい。俺たちがこの魔法陣を起動させることができたのは、その人の血を引いてるからだろう」


 一族の歴史を語るカナックは、一族が一つ前の家ともつながっていて由緒ある家だと言えることに誇りを持っているらしい。しかし、残念ながら、はっきりと言って雅紀たちは歴史になど興味の欠片もなかった。何処の街でも引継ぎでは問題が起こっているのか、くらいの感覚しか持ち合わせず、本を書いた人がどういった人物かさえ分かればそれでよかったのだから。


 雅紀たちが本に手を掛けたときから、頭にビシバシと衝撃を与え、思考に潜るのを妨げていること。それは、本の余白に細々と書かれているメモ書き。それはミミズ文字で一見しただけではとても文字だとは思えず、この本を手にする人は誰も気にしないだろう。だが、手に取る人が一族以外にまで広がるとそれは変わってくる。


 雅紀たち日本人でも完璧に使いこなしているとは言えない言葉、日本語がそこには書かれていた。





 神様たちの言葉の通りであれば、ここ長い間では人を召喚するということは行われていなかったはずなので、召喚ではなく魂だけの移動の転生ということなのだろう。一族の次男として生まれたということなので、そのままの姿での転移ということはあり得ない。


 転生ということは、地球での生を全うしてこちらの世界に来たのだろうが、こちらの世界に骨をうずめるということをどう思っていたのか詳しく聞いてみたい、と雅紀たちは考える。召喚という形で、行き帰りの道が辛うじて残っている雅紀たちとは違って、そんなものは欠片も存在しないこと、そもそも戻れるということが頭にないので、あくまで参考にしかならないが気にならないとは言えなかった。


 その人がどうやって生きていたのか、確かめるようにしてページをめくる。こちらの世界に来る前は何をやっていたのかは、そこまで読み込まずとも、書かれているのが化粧品ばかりだということから、化粧品メーカーの研究分野にでも所属していたのだろう。他には、生活家電のようなものしか書かれていない。


 本の前半には、前世での経験を生かした知識、後半にはこの世界に来て初めて触れた魔法についての知識が書かれている。やはり。研究職としての性格なのか、あれこれと試しまくったようで、実験結果をそのまま書き記したような部分は、解読という言葉が正しい状態である。


 ところどころの余白には、誰にも読まれないと思ったのか心中を書いていた。人の日記を読むような真似はしたくはなかったが、どう生きたのかを知るため、と盗み見させてもらう。



 書かれているのが余白故に少なかったが、それでもどれもこの世界での新しいせいを楽しんでいたことが読み取れる。貴族階級に生を受け、前の世界での知識のおかげで金にも困らず、何よりも前の世界では縁のなかった結婚に辿り着けたことに何よりの喜びを感じていることが分かる。結婚願望がものすごく強かったことがよくわかる書き込みがあちこちにあった。


 途中には惚気だけの部分もあったが、結婚してからは商売から手を引いて研究生活にはまり始めたこと、呆れられはしたもののいい夫婦生活を送れたことへの喜びがあちこちから滲みだしている。その後には、子供や孫のことが書かれているのだから、いい人生を送れただろうことは読み取れた。


 これに目を通した雅紀たちは、同胞がこちらの世界に馴染んで人生を全うできたことに安心するが、どうしてもその思いだけにはなれない。安心するのだが、同時に責めたくもなる。


 どうして、ケモナーという生き方を布教してしまったんだ、と。


 自分だけが読める部分に書いて満足してくれればよかったのだが、それだけでは満足できなかったようでこの世界の言葉で書き直してある。それも、商品知識という皆が読むだろうとところの間に突然に書かれている。そこまでして広げたいかと呆れ果て、カナックに布教できてよかったね、とはとてもではないが言えない。


「…まあ、幸せならそれでいいか」


「どうした?」


 洗礼を受けたカナックを見て、素直に思ったことが口から出てしまっていたようで、話の文脈が分からない本人からは質問されるも誤魔化し、遺伝情報等は何も繋がってはいないが同じ日本人の子孫として祝福を送っておく一同。


「それで、どうするんだ。加害者側にはほかにも人がいたし、被害者側は教会にお任せとはいかないだろう」


「加害者と言っても、ほとんどが我が領地の法を犯しているのでな、処刑以外の道はないだろう。ごく一部には、何の事情も知らされずにボディガードをしているのがいたが、逆に抱え込んでやったのでな。あそこまでの練度を持つ奴はなかなかいないからな、いい買い物だったよ」


「ああ、あいつね。確かに、何も知らなさそうだったな。他のボディガードたちはどう見てもやらかしている雰囲気はあったが」


「康太たちが地下で見たの以外にも、教会に手を出してきた人とかスラム街で幅利かせてた人とかもいたよね?」


 あの腕前で消してしまうのはもったいない、とその選択を悪くないと康太が頷く対面で、ハンナがそれほどならば手元に置こうかしら、と興味を持つ。この人たちは戦えればそれでいいのか、と別世界の人を見るようにして、静が他の連中に焦点を当てる。


「それについては安心してもらって問題ない、と言っておく。どうやら新入りが調子に乗って暴れていただけのようで、元締めは変わらないがな」


「元締めが獣人を?ふうん、それだけで安心できるの?」


「スラム街に広がっているのは獣人のコミュニティだからな。シズカが処理した奴らの身柄の確保も手伝ってもらったのに加えて、独自のルートで獣人を保護していたのも確認している。それを表に出すわけにはいかなかっただけらしい」


 それだけではとてもでは安心できるわけもなく、カナックには疑わしいものを見る目を向けられるが、まだ話の途中だったようで続ける。


「エミールに協力した奴らは、抜けなく捕まえたので安心した貰いたいのだが」


 まだ時間が経っていないから、今はこれで満足してもらいたいという内心が分かる表情をしている。これからもこれ以上に手を回すので勘弁してくれ、とも言っている。


「本当に、それで全員か?」


「そこは、我が一族に伝わる魔道具を信用してもらうしかないな。おっと、流石にこれは見せるわけにはいかないから諦めてくれ」


「大丈夫ですよ、嘘を見抜くという能力を持つ部下が太鼓判を押していますから」


 魔道具に興味を持つ姿をこれでもかと見せつけられたカナックは予防線を張る。静が嘘を見抜くことが出来るので不要なものではあるが、言い方からして嘘が分かるというだけではなく、隠し事のありなしの判断やその隠し事を引き出すこともできると考えると、指がうねうねと動き出す。


「まあ、いいか。俺たちはあくまで目に入った範囲で人を助けられればそれでいいからな。助けられた人がいるなら、今回はうまくいったということで。これからのことは、ここで暮らす人にお任せということで」


「本来ならば、我々がその視界を広く持っておかなければならないのだがな。大丈夫だ、今回の件でエミールが持っていたものをすべて吸収するということに成功したから、これまで以上に目を光らせられる。今回の件については、教会と協力して事に当たらせてもらう」


 ここで初めて話を振られた司祭は、ニコニコとお茶を飲んでいる。ここで、教会の話が出てきたところで、もう一組、この件に深くかかわっていたというのには触れられてこなかった奴らに意識が向く。


「それで、あの宗教はどうなったのか聞かせてくれ。いくら他国の使節団とはいえ、とんでもな犯罪に手を出したともなれば追及できるだろう?」


「そうなのだが、他国との兼ね合いが出てくるため王都に送って対応を任せるしかない。だから今は待つしかない」


「こいつらもその魔道具を使えばいろいろと出てくると思うぞ。犯罪者への対処だと言い張れば、聖王国の情報がいろいろ手に入りそうだな。その情報を持って行けば、このご時勢でうまく生きていけるんじゃないか?(……必要な情報は対峙した時に引っこ抜いたからいいんだがな)」


 最後にボソッと何かをこぼしているのが聞こえはしないが、口が動いているのが見えたのか不思議そうに顔を向けてくるが、雅紀はすまし顔でやり過ごす。これ以上、聖王国に現れた勇者との関係に辿り着く人間が増えても困るのである。


 使節団の人間にもこの国での法律を照らし合わせてエミール以下諸共に罰を下すという確証を得られれば、この街でやり残したことは思い当たらない。商人の街に来たのは、食料をはじめいろいろを手に入れることが主な目的であった。他に同じような街があれば、迷宮に向かう途中にあればどこでもよかったのだから、特にこの街である必要性もなかった。


 やり残しが無くなった以上、この街に留まるという選択を取る必要はなくなる。エリンエルの爺さんから迷宮から早めに帰ってきてほしいと言われているので、迷宮をさっさと片付けるにしても前倒しするに限る。そもそも、元の世界に帰るにしても、神様から聞いたところでは迷宮に目的のものがあるとのことだから、早く行きたいところであった。


 康太が出したものもなくなり、タイミングよく全員のお茶が切れたところで上がるそぶりを見せる。


「まあ、大丈夫そうだから、あとは任せるわ。これからの予定が詰まっているのにこの街にだいぶ長居したからな、次に行かせてもらうわ」


 助け出した人への補助も問題なく、いざとなれば雅紀たちが拡張した畑を利用すれば十数人程度はどうにでもなる。司祭にいろいろと念を押すようにして視線を送れば、しっかりと受け取ってくれたことはわかる。そのうちにまた顔を合わせることになりそうな気分がしたため、挨拶もそこそこにに席を立とうとする康太たち。


「最後に一つだけ言わせてくれ。ごほん、この度は我が領地の窮地を救ってくださったこと、心より感謝する。こちらの落ち度と言わざるを得ない状況、要求があれば何なりと」


 雅紀たちがこの街を後にすることが分かったのだろう、感謝を告げてその恩返しということでこの先助けが必要になった時は助けるということをはっきりと伝える。頭を下げるカナックの横で、ハンナだけでなく司祭も頭を下げている。そのあらかじめ話が付いていたような対応に、「やはり、関係者だったか」と口にする。


「私の祖父だ。前当主でもある」


 この世界は結婚が早く、二世代の間は四十年ちょっとしか間はなく、孫がいる人でも現役で働いている人が多い。カナックとハンナの間柄を考えれば、もしかしたらひ孫もいるのかもしれない。世代についての感覚がだいぶ違うことをわかっていたつもりでまだまだだったと知るが、そこまで交友関係を広げるつもりがないので後回しにされる。


 ちっともそれらしいものを感じさせなかった司祭に一杯食わされた、と頭を掻いていた康太の手が持ち上げられ、それにつられてカナックたちも挨拶をするために身体を動かす。


「餞別な」


豪ッ


シュッ


 重いものが振りぬかれた音と何かを突くように動かした音がする。


 カタカタと風に煽られたように揺れる茶器。別れの挨拶をしようと手を上げかけたままの態勢で倒れるように後退るカナック。その額には大粒の珠が浮いている。無造作に腕を振りぬいた康太。鋭い爪を揃えて腕を伸ばし切ったハンナと、その手首を掴んでいる朱莉。


 雅紀と静は何をしようとしているのかを知っているようで特に反応を見せてはいなかったが、ハンナとともにやってきた護衛やらメイドは何があったのか把握しておらず反応が遅れている。司祭は相変わらず考えていることが読めない。


 ハンナがさらに力を入れるように動いたことで、反応が遅れていた人たちも動き出すが、両者の間にはハンナが乗っている無傷の机があるので距離を詰めなければならないのだが、雅紀が手を振り、朱莉は本を呼び出す。手が振られてから動きが急激にのろくなり、ハンナだけが動く状況となる。


「何をするのですかっ!!」


「それはこちらの言葉ですよ。要求を何なりと呑まれるのでしょう?」


「それは社会的な後ろ盾になるという意味で、殺されてもいいというわけではないっ!!」


 仰向けに倒れかけたカナックを見ての反応のようで、先ほどまでのおっとりとした振る舞いは消えている。爪を届かせようとさらに力を入れているようで、ハンナの腕が令嬢らしいそれから毛でおおわれて筋肉の形が見える獣のそれへと移り変わっていくが、それを抑えている朱莉はビクともしない。押しても引いても横に振ろうともビクともしない。周りが見えていないハンナをどうしたものかと、本のページがめくられていく。


 瞳にまで変化が出て光彩が細くなる。これが獣人の中でも一部しか使えない獣化という能力か、と短時間での強化具合を見て感心するが、その様子が気に入らないようで低いうなり声が聞こえる。手を放しても冷静さを取りも出してくれるとは思えないので本に手をかけ、それに呼応するようにハンナが声を出す。獣化というものはかなりの情報量を持つようで観察に回っている雅紀は手を出すつもりはなく、静は変わらず動く気配もない。


 本から頭を見せた柄に手をかけようかというところで、慌てたように止める声がする。


「止まれっ!!私は何ともない」


 その声は何とか踏みとどまったカナックが出したようだが、頭に手を当てている様子からして何もなかったようには見えない。それはハンナにも同じだったようで、その言葉に素直に従う様子を見せない。更に強化倍率を上げようとしているのが感じ取れるが、隣に戻せば落ち着くだろうと掴んだ手首を捻るようにして投げ飛ばす。


 無事を確かめるも舐められたことにお怒りのようで、朱莉に向かおうとする。カナックに手を出した康太ではなく舐めた対応をしてくれた朱莉に向かうあたり、プライドの高い脳筋と称されてもどうしようもない。再び突撃をかまそうとするハンナだが、手首を掴まれたことで振り返る。そこには、大量の汗をかいているが真剣な目をしているカナックがいる。その目で正面から見つめられ、うっ、と漏らして隣まで戻される。


 カナックが止めてくれることを期待していたようで、投げ飛ばした側は満足そうにしているが手を出したことは変わらないので睨まれる。睨みながらカナックを心配そうに気遣い、そこで両者揃って何か違いを感じたようで今度は疑わし気に睨まれることになる。


 違いに気が付いてからも疑わしげに見てくることは変わらない。何をしたのかということは変わらず不明ではあるが、どうなったかを理解したようである。


「だから、餞別だといったよな」


「これが…。どうやって……」


「さあ、秘密だ。真似したら死にかねん、とは言っておく」


 攻撃したようにしか見えない挙動だが、餞別だとはどういうことか。


 カナックの変化は、魔力の増加だった。


 康太がしたことは纏った魔力で殴りつけただけである。康太たちの余りある魔力をその身で受けたのだから衝撃は大きいが、得られたものも大きい。魔力枯渇を繰り返すことで徐々に伸ばす方法が基本となる中、外部から無理やり魔力を叩きこむことで魔力量を増やす。一歩間違えれば体が破裂しかねない方法だが、お互いの身体で試した康太たちには問題ない。


「見たところエミールよりも魔力少ない感じだったからな。これくらいに増やしとけば、今より魔道具使えるようになるはずだ。どう使うかはあなた次第、ということで」


「……更なる恩を重ねられるとは、これを返し切るには苦労しそうだ」


 あなた次第と口にしているが、どうあってもその裏に込められた意味を取り違えようがない。強くしてやったんだ、誰にも好きにさせるな、ということだろう。カナックがもとより持っていた分に加えてエミールが持っていた魔道具、雅紀が弄って取り出した分、合わせて使えば誰にも止められなさそうな装備である。


 予防ということよりも実力行使ができるように準備し、本当にすることがなくなったので部屋を後にすると、扉のすぐ裏で待っていた子供がいた。今回深くまで関わることになった発端であるスーとメイ、クゥリである。体を洗浄した結果、他の獣人とは違う色の毛並みが映えているが、これが今回襲われてた原因だとすれば好ましくないだろう。


 扉を開けてすぐにいたことに驚くが、ここで止まってしまえば盗み聞きしていたことがばれてしまって後で起こられるかもしれないので、何もなかったかのように振る舞って連れて歩き出す。


「ここでどうしたんだ。盗み聞きしたかったわけではないだろ?」


「いえ、お昼にこの街を離れるみたいなことを言っていたので、その前に改めてお礼をと思いまして」


 恥ずかしそうにメイの後ろに隠れようとするクゥリの背中を押すようにしてメイが答える。背中を押されたクゥリがおずおずと「ありがとう」と答える。小さな子供からしてみれば高校生は大人なのだろうが、未成年なのに親戚のおじさんのように対応されていることに苦笑いではあるが。これからの生活を応援の代わりとして、子供たちの頭を撫でておく。


 それだけのことだが、親に優しくされるというごく当たり前のことをされたことがなかったのか、物凄く気持ちよさそうに目を細めている。


「そ、それで、皆さんこの後はどちらへ行かれるんですか?べ、べつに気になるわけではないんですが」


 目を細めたまま、メイが何かを隠すように微妙に声を上ずらせながら尋ねてくる。


「迷宮都市に行こうと思っているのよ。頼まれてることもあるからね」


 神様からの伝言を言いふらすわけにも行かないので、自分たちの目的を前面に押し出して答える静だが、それを聞いて絶望したかのような表情を返されてしまう。いきなりの変化に慌ててしまう。今見せたやり取りから、もしかして、ということもあるが、それを受け入れられない。


「……しようもないけど、付いて行けばどうにかなるかも。でも、それだと……」


 絶望したような表情を一変させて、頭を突き合わせてこそこそと話し出す。話すといってもクゥリはよくわからずにきょとんとし、シーは口を閉じたまま頭をぶんぶんと頭を振るだけであり、独り言を言っているようにも見える。隠し事で独り言。外から見るとそう見える。しかし、雅紀たちの聴力を前にして言葉にする以上は隠し事にもならず、それを聞いてもしかしてで切り捨てられていたことを拾い上げる。


 どうしてここまで懐かれるかが分からないが、受けるわけもない。根無し草の生活をしているのに連れまわすつもりはない。そのうち拠点を構えるかもしれないが、何時になるかは考えもつかない。そのときに考え直せばいい、と後回しにしているだけとも言う。


「はいはい、気持ちだけ受け取っておくよ。これから行くところに子供連れて行くわけにはいかないからね、今は我慢してね。それに、しばらくここで過ごしてみると楽しいかもしれないから」


 何とかしようとしていたことを、何をしてもどうしようもしないと先にくぎを刺されてしまい、残念そうな顔を隠さない。懐かれるのはうれしいものの、別れのたびにこう悲しまれては純粋には喜べない。今を諦めてもらうための飴を与えておく。


「わかったわかった、また戻って来るから。そのときになっても私たちが好きだったら、ね?」


「”また”っていつ?」


「二か月でどう?って、ここでの生活に馴染めるようにするんだよ?」


 迷宮帰りにもう一度顔を見せると伝えて宥めるも、どうにもついてくる気満々な気がするので釘を刺しておく。エリンエルに戻ったら拠点を手に入れることになるが、領主に働きかければそこはどうにでもなるような気もする。


 疑わしげな眼を向け続けられるが、撫で続けることでようやく許してもらう。やけにアクティブな行動に耐性を付けなければと改めて思ったとところで、司祭が廊下に出てきて慌てたようにスーとメイがクゥリを連れて逃げ出す。


「これじゃあ訂正のしようもないな。しょうがない、帰りにもう一度寄ろうか」


 勝ち逃げされた気分になりながら、廊下に出てきた司祭とカナックたちに挨拶をして教会を離れる。


 仲睦まじげに手を繋いで街へ出て行く四人を見送りながら、カナックとハンナは微笑ましいものを見ている。静と朱莉が羨ましそうに見つめてきていたのには気が付いていたが、どうしてそれほどまでに見つめられているのか、会得が行かなかった。寧ろ、逆にまぶしいものを見せられているような気分であった。


 貴族の結婚というのは、何処まで行ってもしがらみが絡んでくるものであって、政略結婚は言うまでもなく、恋愛結婚でさえもいろいろと面倒なことが覆いかぶさってくる。どれだけ心が通じ合っていても伝統がどうとかで、外に居ようと家に居ようとなかなかゆっくりできないのだから、そう言ったものがなく、若いうちからずっと隣に寄り添っていられるということの、どれだけ羨ましいことか。


 今回の件で貴族がどういったものかと改めて実感したことで、貴族に煩わされないように力を求めるのだろうが、またその力を求めて貴族が寄ってくるという悪循環になってしまいそうなものだったが、カナックとハンナはそうはならないだろうという確信が持って、恩人たちを見送る。




 雅紀たちはこの街では欲しいものが手に入ったが、同時にストレスも仕入れることになった。


 どの世界でも社会的地位が必要となる場面はあるが、この世界はある一定ラインがあってそれを超えるかどうかですべてが変わってくる。貴族扱いを受けられるかどうかですべてが変わってくる。


 貴族の中には階級差があるが、どれだけ差があろうと同じ貴族階級であれば一方的に要求を呑む必要性もなくなる。流石に王と騎士爵ではどうしようもないのかもしれないが、王を相手にすれば誰でもそうなる。貴族扱いを受ければ、今回のような扱いを受けた際の対応が違ったのかもしれない。貴族が言うことならば、と衛兵は動いたのだろうが、その捕まえる相手が同じく貴族であるならば生半可な理由では手が出せない。


 迷宮都市は迷宮を産業の主軸にしているようで、バッサバッサと魔物を切り捨てるだけで街に貢献したことになるだけでなく、冒険者のランクも上がるらしい。冒険者ランクが上がれば、低くはあるが貴族扱いを受けられるという制度は今まさに雅紀たちが求めているものである。魔物に八つ当たりしてストレス発散するだけでそれだけのものが手に入るというのだから、行かないという選択肢はない。


 そして、もう一つ。誰にも立ち入らせない関係を築いておけばいいのである。エミールが、貴族が首を突っ込んで来ようと切られない間柄になっておけばいいのである。貴族と誰であろうと切れない関係というのは、彼らの影響を受けない存在に保証してもらうことで力を持つ。そして、これにぴったし当てはまる存在に当てがある雅紀たち。


 この世の誰よりも高いところに位置し、信仰を集めている存在に保証してもらうのである。お互いに協力関係にあるのだから、物事を順調に進めるためのお墨付きの一つや二つくらい簡単に出してくれるだろう。教会に認められた関係に口に出すという行為は、教会との関係に亀裂を入れることになるのだから容易に行えるはずもない。


 これ以上にない対貴族のお守りとなる。


 数日前に首から掛けていたネックレスは姿を消し、雅紀たちの手にはいつの間にか指輪が輝いているのだった。


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