嵐の前の大しけ
残念ながら、食堂でのバイト初日は昼過ぎから風が吹き始めたかと思えば強い雨が降り出してしまい、孤児院に顔を出すのを中止せざるを得なかった。この世界で初めての雨ということもあって、強い雨で濡れてしまうという普段なら嫌がりそうなことも楽しんだようだった。
この世界には気象衛星が存在するわけもなく天気予報というと、日本ではおばあちゃんの知恵袋といわれていたような、夕日の見えた翌日は晴れ、つばめが低く飛ぶ日は雨、白雲糸引けば暴風、といった予報が一般的であり、天気予報が出回るわけもない。聞かずとも、その程度のことならば個人でも見分けられる。
雨宿りするためか客が多いが回転が良いわけでもなく手持ち無沙汰になってしまって、横殴りで吹き付ける雨を入り口から眺め、これは孤児院は延期だな、と思っていると、コック長と話していたリシィが声を掛けてくる。
どうやら戻ってくる予定だった本来の従業員がこの大雨のせいで今日中に戻ってこれる気がしないため、明日もここで手伝いをしてくれないかとのことだった。時間は今日と同じでいいというのだから、終わってから孤児院に顔を出すのに問題はないので、その依頼を受ける。
そして翌日、夜のうちに雨が止んでさわやかな朝が迎えられたというのに、昼過ぎに再び雨雲が街の空を覆う。それはそれはこれでもかというほどの雨が降り注ぎ、いつもは途切れることなく馬車や人が行き交う大通りも少し低いせいか水浸しになってしまう。その中を衛兵が走り回っている。店の入り口が滝と化しているのを目の当たりにし、この日も断腸の思いで訪問を諦める。そして、昨日同様に仕事の延期を頼まれる。
翌日も朝はとてもさわやかなものだった。今日こそは、と思っているとその心を読んだかのように風が雲を運んでくる。日の光が遮られて暗くなったのを見て、通りに店を構える人たちがいそいそと動き始める。
それを見て、いいよね、と聞けば、いいよ、やっちまえ、構いません、と返ってくる。
風が強まる。
その日も雨が桶をひっくり返したように降ったが、一瞬でそれは通り過ぎて行き、街は午前と変わらずに賑わいを取り戻す。こうしてようやく日の光を拝むことにできる午後を確保した雅紀たちは孤児院に顔を出せることになった。
教会に向かった四人は、裏に併設されている孤児院の庭に水たまりが残っていることで心配になったが、薬草を植えるために作った畑をわかりやすいように一段盛っていたのが功を制して水びだしになるという結末を避けられたことにホッと一息つく。元気に青々とした葉をつけている薬草の逞しさに安心する。
窓から中を見てみると、子供たちが机に向って手を動かしている。子供たちは庭に背を向けるように作業しているせいか覗き込んでいる雅紀たちには気付かないが、子供たちに教えるために対面に立っていたシスターとは目が合う。軽く頭を下げ、司祭に話を聞こうと教会に入ろうとしたところで、司祭の方が扉を開けて出てくる。
雅紀たちを見て顔を綻ばせながら、話しかけてくる。
「お久しぶりです。先日は非常にお世話になりました」
「いえ、私たちがお願いしたことですから。それで、どうですか。うまくいきそうですか?」
「予想以上、ですな」
「と、いうと?」
「あなた方の下さった畑で育てた薬草はとんでもない効能でしてな。孤児院も拡張できるほどですな」
「そうですか、それを聞けてホッとしました。それで、お願いしていたことは…?」
「そこはご心配なく、既に十人ほどの子供を保護しました。保護したと言いましても私たちに心を開いてくれているとは言い難いのですが、それはここからです。来ていただいたのに立ち話だけというのもなんです、こちらへどうぞ」
そういう司祭に連れられて孤児院の中へと通される。中を通ると外からは見えなかった部屋も覗くことができ、子供たちがすやすやと寝ているのが見える。その反対の部屋が外から覗くことのできた部屋のようで、子供たちが真剣中をして手を動かしている。
邪魔しては悪いと、司祭に案内された部屋で座るまでは声を出さない。司祭も案内したその足で隣の部屋に入り、ティーポットとカップを盆にのせて戻ってくる。
「どうぞ、あの畑で採れた薬草茶です」
茶といえば緑茶か紅茶の世界で過ごしてきた身としては、薬草茶といわれると漢方のドクダミ茶のような強烈な匂いを覚悟してしまうが、
「あ、甘い」
「臭いも薬草薬草してないな」
と、常識にとらわれて食わず嫌いするのはもったいないと思う。そうは言うものの、どれが食べられるかはわからないので、そこはこちらの世界の料理を基準にしないと何とも言えないが。
「ほほっ。甘味が出るほどの魔力が込められた薬草です、その価値は言わずもがな。本当に感謝のしようがありません」
「それで、継続して採れそうか?薬草は葉だけでいいから育てるのにかかる期間も短くていいと聞いてたし、根と茎を残しておけばまた生えてくると聞いてたんだが」
「そうですな、今の畑も一回もいだ後です。いくつかは種を取るまで育てておきたいところですが、他のは育ったらもぐという形で大丈夫でしょう。ただ、言いづらいのですが…」
「なにかあったのか?」
「どうにも、薬草というだけで安く買い叩かれそうになってしまい、今は数が少量なので問題にはなっとりませんが、今後となるとなんとも。孤児院を拡張できるだけの分はすでに手にしましたし、追加で保護するのも問題ないのですが、スラム全体の子供に手を差し伸べられるかというと厳しいですな」
「流石に全員に手を差し出すのは厳しいだろうが、助けを求めてきた子供に手を差し伸べられるようになったなら、良かった。なんだったら、薬草を売るだけでなくポーション作りまでしてみるか?それならば入るお金も増える」
「そこまでやってしまうと、ほかの薬師からはぶかれかねませんな。やるにしても少数、自分たちの使う分と治療用だけ、でしょう。中にはポーション作りをしてみたい子供もいるでしょうが、師匠になってくれる薬師探しですな」
「やっぱ、あの部屋の教育はそういうことか」
「孤児院といってもいつまでも居れるわけではないので、独り立ちしても困らないようにいろいろなことを教えています。しっかり学べば、商業ギルドに雇ってもらえます」
孤児院での話を続けていると、隣の部屋から元気な声が聞こえてくる。何事かと思っていると、司祭が勉強の時間が終わったのだと教えてくれる。どこの世界でも子供の勉強嫌いは同じらしい。
将来を思ってか楽しくなったのかそのまま勉強、というよりは技術向上のために手を動かし続ける子もいるようだが、多くがそのまま外へと遊びに出てしまう。勉強を始めるのは、5歳以上の子供たちで、それ以下の子供たちは隣の部屋で昼寝をしていたらしい。昼寝が途切れてしまった子も合流しているのか、元気な声が響く。
そう思っていると、部屋がノックされる。司祭が何用だと扉を開ければ、そこにいたのはシスターではなく子供だった。習いたての作法に緊張しているようで、動きがぎこちなく、目立つ耳も尻尾も不安を表すように揺れている。
「し、失礼します。こちらに、お、お客様がいるとお聞きしたんですが」
「おお、メイですか。いらっしゃいますよ、挨拶してください」
「こんにちは、メイと言います。えっと、いろいろとありがとうございました」
「この娘は、皆さんに手を貸していただけた後にここにやってきた娘です、そのお礼でしょうか?」
「い、いえ、そ、そうじゃなくて、この間は助けてくれてありがとうございました」
そう言われたものの思い当たることがなく、康太が首を傾げていると、雅紀と静が思い出したように膝を打つ。
「あのときの子供か。路地裏に倒れてた」
「そっか、怪我は大丈夫だった?その後痛んでない?」
「私は元気です。お二人のおかげでクゥリも元気になりました。そのおかげでここにも入れたので、本当にありがとうございました。お礼をさせたかったのですが、勉強で疲れたのか寝てしまって」
クゥリというのが誰だかはわからなかったが、話からするとスラムで一緒に過ごしていたのだろう。話が読めない顔をしている他のメンツに、雅紀がかいつまんで説明する。それで思い出したように呻く康太と朱莉に、祈るように手を合わせる司祭。
「さてと、懸念事項がなくなったわけだしそろそろお暇させてもらおうか。司祭様、これからもどうかお願いします」
「微力ながら、全力を尽くさせてもらいます」
去り際に、街で見かけた中でそこそこ高く売られていたハーブの種も一緒に押し付けておく。薬草ほどお金にはならないだろうが、多少は家計の足しにと。これだけならば良い話なのだろうが、単純に香辛料を買い占めていた時におまけされたものの多すぎて使い切れるとは思えなかったので押し付けただけである。
こうして心配事が無くなり、時間も夜へと差し掛かって並んでいる店がガラッと変わった通りへと繰り出す。調味料の味を確かめるために串焼きばかりをいろいろな店で仕入れて帰ろうとし、ギルド前を通った時、ギルドに溢れんばかりの人が押しかけている。それには冒険者だけでなく商人もいるようで、商人の方が多いようにも見えた。
地竜現る。
それは、一晩で街中に駆け渡った。




