雷様の夫婦喧嘩③
「だいたいアンタ、アタシが言ったことすぐに忘れちまうから、同じことを繰り返すのよ!」
『なんでこの人はアタシのことを……ザザッ……わかってくれないんだろうねぇ!……ザザ……』
「べ、別に忘れてなんかいねぇよ! 光子が気にし過ぎなんだ!」
『な、なんで光子こんなに怒るんや!』
「なんですって!? アンタじゃあ、アタシが神経質だから悪いって言うとるの!?」
『ああもう……ザザッ……、イライラする!』
「別に悪いとはいっとらんやろ!」
『なんでそんなこと言うんや』
「言ってるわよ! ああもうほんとアンタと話してると、イライラするよ! アタシがねぇ、どんな気持ちでいるのか、わかってんのかい!」
『イライラするイライラする』
「わ、わかるわけねぇだろ! いつまでもグチグチいいやがって……!」
と吾郎が言ったタイミングで、光子から強烈なほどの心の声が、リナの中に入ってきた。
『頭に来た!! ……ザザッ……もう許せない!』
と言う光子の心の声が、リナの中に響くと、光子は立ち上がった。
そして文字通り鬼の形相で、吾郎を見下ろす。
「なんでわかんないのよ!! この、ブサイクなデベソのくせに!!!」
と光子が叫んだところで、吾郎の顔色が変わった。
「『ブサイクな、デベソだとぉ!? また言いやがったなぁ!? 自分の亭主に向かってなんてことを言いやがる!!』」
そう吾郎が叫びながら、立ち上がったところで、窓の外の景色が一瞬で暗くなった。
そして、ピカリと光って、容赦なくあたりに立ち轟く雷の音。
「きゃ!」
と思わずリナが声を上げて、頭を抱えた。
「アンタ、また雷出して!」
『怖い! さっきまで治すって言ってたのに! 裏切られた!』
「『しゃらくせぇ!』」
と、二人の喧嘩は雷も出てきて最高潮に達しそうになって……。
―――パンパン。
と、先ほどまで静かに二人の喧嘩を見ていた粟根が、手拍子を打った。
雷の音よりも二人の喧嘩よりもその音はものすごく響き渡って。
リナも鬼の夫婦も粟根の方を見る。
「はい、ありがとうございました。喧嘩の再現までしてくださるとは、分かりやすくて非常に助かりました」
粟根は、そう笑顔で言ってのけた。
あまりにも、のんびり暢気な声色で、粟根がそういうものだから、さすがの鬼の夫婦もあっけにとられたような顔をする。
しかし粟根はそんなことを気にする風もなく、二人に顔を向けて、
「とりあえず、お二人とも座りませんか?」
と言った。
鬼の夫婦は、そんな粟根を見てそして改めてお互いの伴侶を見合うと、ふんと顔をそらして、椅子に座った。
先ほどまで喧嘩していたというのに、息はぴったりだ。
なんて、リナは思いつつ粟根を見る。
粟根はいつもの余裕の笑みだが、あんなに激しい夫婦喧嘩を、いや、吾郎の怒ると雷を鳴らす癖を治すことができるのだろうか。
心の中を読んだからこそ、あの喧嘩の最中お互いが本気で怒っているというのがよくわかった。
特に妻の光子さんの怒りは相当なもので、ずっとずっとイライラしている。
それに、光子さんの心を読んだ時に、なんだか変な感じがした。
なんというか、雑音のようなものが、心の声に入るのだ。
「あ、すみません、飲み物の用意がありませんでしたね。お二人とも、先ほどは大きな声を出されていたので喉が渇いてるでしょう。今から用意しますのでお待ちください」
粟根はそう言って、リナを連れてカーテンで仕切った給湯室へと入った。
雷様ご夫婦から見えない位置に来ると、さっと粟根が心配そうにリナの顔を覗き込む。
「リナさん、大丈夫でしたか?」
「えっ?」
「顔色があまりよくないかなと思いまして。また無理をさせてしまいましたね」
「え、あ、いいえ! 大丈夫です。ちょっと、雷にびっくりしただけで……」
と言って、リナは、粟根の近くに寄った。
心療室とはカーテンで仕切られてはいるが、所詮はカーテン。
小声で話さないと声が漏れる。
夫婦二人に聞こえないように、粟根の側に寄って口に手をかざすと、察した粟根が耳をリナの顔の近くに持ってきた。
「心の中の声を読んでみました。大体口に出している言葉と、心の声は同じような感じです。ただ、光子さんのだけ、少し変な雑音が入るんです。何故だかよくわからないんですけど……。こう違う何かの声、のようなものが混じってる、みたいな」
そう粟根に耳打ちすると、少しばかり目を見開いた粟根が「そういうことですか」と、言った。
なにが“そういうこと”になるのかリナは分からず微かに首を傾げる。
「リナさん、ありがとうございます。とても助かりました」
と柔らかい笑みを浮かべる粟根が目の前にあった。
至近距離の粟根の笑みに思わずさっとリナは距離をとる。
そしてリナは取り繕うように口を開いた。
「の、飲み物はどうしますか? 紅茶にしますか? それとも珈琲ですか? 今日は少し蒸し暑いですし、どちらも冷たいものもありますよ。あ、あと麦茶もあります」
「そうですね……お出しする飲み物は麦茶にしましょうか」
「わかりました!」
リナはそう応じると、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出して、先ほどの粟根の笑顔を思い出してドキドキしながら、グラスに注ぐ。
4つのグラスに麦茶を注ぎ終わった頃には、どうにかこのドキドキも落ち着いてきた。
「僕が運びます」
と、リナの後ろにいた粟根がそう言って、麦茶を載せたトレイをひょいと持ち上げる。
「え、でも……!」
「4人分は重たいでしょう。僕に持たせてください」
そう有無を言わせぬ笑顔で言うと、そのままさっと夫婦のいる心療室へともどる粟根。
先ほどようやく落ち着いてきたドキドキがまたあらぶりそうな気配を感じて、リナは首を軽く左右に振った。
今はそんなことを考えている場合じゃない、相談中なんだ、と言い聞かせて慌てて粟根の後についていった。
雷様のご夫婦に、麦茶を振る舞うと、二人はごくりと一口飲んで、プハとおいしそうに息を吐き出した。
二人の息は、やはりぴったりだ。
麦茶でのどを潤した光子は、カッと怒った顔を粟根に向けた。
「ほらね、先生、見たでしょ? この人ったら、あんなに反省したそぶりを見せていたのに、さっそく雷を鳴らしたのよ! もう呆れます!」
光子がそういうと、吾郎は気まずそうに目を伏せる。
どうやらやってしまったとは思っているようだ。
「確かに、目の前に雷が鳴ると怖いですね。でも、お二人が喧嘩の再現をしていただいたことで、手っ取り早く今後ご主人が雷を鳴らさなくなる方法が、分かりましたよ」
「「えっ」」
と声をそろえて驚く夫婦。
もちろん、リナも驚いた。
そして鼻息荒く吾郎が前のめりになる。
「それは何ですか、先生! 何でも言ってくれ! おでは頑張ってみせる! おでのこの癇癪の治すためなら、おではなんでもやるぞ!」
と鼻息荒く宣言するが、粟根は首を横に振った。
「あ、いえいえ。ご主人にしてもらいたいことは今のところないです。光子さんにはしてもらいたいことでして」
「ええ!? おでじゃないのか!? なんで光子なんだ? おで、また雷鳴らしちまったんだぞ。さっきまで、もう鳴らさねぇって言ったばっかなのに、このざまだ。おでが悪い。そうだろ? だから先生は、おでに説教をするんじゃないのか?」
「お説教、ですか? そんなことをするつもりはありませんが」
「なんでだ?」
「なんでと言われても……吾郎さんは、私がお説教をすれば雷を鳴らさなくるなら、喜んでお説教しますけど」
「いや、そういうわけじゃねぇけどもよ……」
「まあ、吾郎さんが、ご自身の癇癪をどうにかしたい、治したいというお気持ちが、確かなら、また個人的にこちらに来てください。僭越ながら、サポートします。ですが、吾郎さんの癇癪を治すのはなかなか大変な道のりです。癖と言うものは、すぐに治るものではありませんから、時間がかかりますよ」
「で、でも、先生、さっき手っ取り早い方法があるって」
「私が言ったのは、ご主人が雷を鳴らさずに済む手っ取り早い方法です」
「へ? それって同じ意味じゃねぇのか? ま、まさか……!」
と顔色を悪くした赤鬼の吾郎は、悔しそうに顔を歪めて下を向いた。
「……先生は、あれだろ? こんなろくでなし、別れた方がいいと、光子に言いたいんやろ? おでもな、本当は、光子のためを思えば、それがいいんじゃないかと、わかっとる」
そう言って吾郎は、おもむろにでっぷりとしたお腹にちょこんと飛び出ているへそを指さした。
「見てくれ先生、おでのデベソ。小さいし、不格好やろ? 雷鬼族にとって、デベソは男の誇りだ。ずっと弟の立派なデベソと比べられてな、おでは、自分のデベソが嫌いやった。でも、光子はな、こんなちんけなデベソのおでのこと好き言うてくれてな……。でも、おでのデベソはやっぱりブサイクや。……光子にはっきりとそう言われちまったしな。それに怒りで雷は鳴らしちまうおでみたいな鬼、光子にはもったいねぇ。でも、おで、光子を手放したくなくてずっと言えないでおった……。でも、分かった。先生がそういうなら、おで、光子と、光子と……別れる。それが光子のためや」
一大決心をした、とでも言いたそうに、唇をかみしめた吾郎が辛そうに言った。
「ア、アンタ……」
と戸惑う声を発した光子。
「悪かったな、光子。ずっと縛り付けちまってよう。もう自由や。光子といた300年、最後は喧嘩ばかりやったけど、幸せやった」
と言って、光子をみる吾郎。
そして見つめあう二人。
「あ、すみません。盛り上がっているところ悪いのですが、私は別れろとは言うつもりはありませんよ。まあ、もちろんそれも一つの選択肢ではありますが」
「「ええ!?」」
粟根の言葉に、鬼の夫婦は再び声をそろえて、身を引くように驚きを表現する。
相変わらず息はぴったりだった。