人魚の涙④
「お、お梅さん……」
お梅の心の声をじっと聞いたリナは、その思いに静かに、涙をこぼしていた。
目の前のお梅もボロボロと涙を流している。
『ああ、リナさん、私のために泣いてくれているの? 優しい子。ありがとう。私の話を聞いてくれて、本当に、ありがとう……。今日は、リナさんに話せたから、とってもスッキリしたわ。これでまた、しばらく甲子太郎さんを待っていられる』
そう言ってお梅は涙を流しながら、形の良い唇に弧を描いて笑顔をみせた。
「そんな……」
そんなのあまりにも辛すぎる、そうリナは思った。
いつ来てくれるかも分からない想い人をただひたすら待つだけの日々。
自分だったら耐えられない。
でもそんなこと目の前で涙を流した美しい人には言えない。
待つのをやめると言うことは、それは彼女の死を意味するのだから。
お梅はしばらく相談所で涙を流すと、スッキリした顔で立ち上がった。
どうやら彼女の心は、不安を涙と一緒に流して落ち着いてきたようだ。
それを見て、粟根がほっとしたように微笑む。
「よかった。今日は、今までで一番良い顔をしています」
粟根がそういうと、お梅は微笑んだ。
『もう大丈夫。いっぱい話して、泣いたから』
そうリナにだけ聞こえる声を響かせて、そっとお梅はリナの頬に手を添えた。
『リナさん、本当に今日はありがとう。粟根先生にも今までお礼を言えなかったから、感謝してますと伝えて』
「わかりました」
『それと……』
と心の声をリナの中に響かせて、お梅は意味ありげに微笑む。
『好きな人がいるのなら、もっと積極的にならなきゃダメよ。いつまでも時間があるのだと、思ってはいけないわ』
そう言ってお梅は、ちらりと一瞬視線を粟根に向けてから、リナに軽くウィンクをした。
お梅が言いたいことを何となく察したリナは慌てて首を横に振った。
「な、な、な、な、何を言ってるんですか!? そんな、そんなんじゃないですよ!!」
顔を真っ赤にして訴えるリナを微笑ましくお梅はみてから、深々と、リナと粟根に腰を折った。
『お二人とも、本当にありがとうございます。お二人のおかげで、私、まだ彼のことを待っていられるわ』
お梅はそう声を響かせて、心療室を後にしたのだった。
「リナさんがいてくれてよかった。彼女のことは僕もなかなか力になれなくて、気がかりだったんです。今日はいつもよりもずっと晴れやかな顔をしてました……。リナさんのお陰です」
お梅が去っていった後、粟根がぽつりとそう言った。
「いえ、私は、その、本当に話を聞いていただけって感じですし」
「それでいいんですよ。本当に助かりました。ところで、リナさん、先ほど最後の方にお梅さんと話していた内容ってどのようなものだったのですか? そんなんじゃないとかなんとか言ってましたけれど」
と、無邪気な顔で聞いてくる粟根に、リナはびくりと肩を揺らした。
「べ、べ、べ、別になんでもないです! そ、それより、先生、次の方の予約がくる時間が迫ってますから、準備しないとですよ! ね! 先生! ね!」
「……? まあ、そうですね」
「では、私はいつもの受付カウンターに戻ってますね!」
とリナはいって、そそくさとその場を離れた。
釈然としていないような顔をする粟根を残して。
いつものカウンターに着くと、リナは脱力してカウンターテーブルに突っ伏した。
まだ、なんだか心臓がどきどきとしていた。
お梅が、リナに『リナさん、恋をしたことはある?』と語り掛けてきたとき、リナがふと浮かべてしまった顔は、粟根の優し気な微笑みで。
でもそれは、自分の身近な男の人なんて、父と粟根しかいないのだ。
しかも、粟根は顔が整っているし、だから、しょうがない。
リナは自分にそう言い聞かせて、冷たいテーブルに火照った頬を押し付けたのだった。