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人魚の涙③

 ねえ、リナさん、童話の人魚姫の話を読んだことがある?


 私ね、あれを初めて読んだとき、まるで私と、彼……甲子太郎かしたろうさんの物語みたいだと思ったの。


 私もね、嵐で船から投げ出されて、溺れて死にそうになっていた甲子太郎さんを助けたのよ。

 それで、恋をしたの。


 一目見て分かってしまったわ。

 彼は私の運命なんだって。


 彼と一緒にいるためならば、どんなものも犠牲にしたって構わないと思えるほどの恋だった。


 そして実際に私は、自分の声を代償にして、二本の足を手に入れたのよ。

 彼と一緒にいたかったから。

 私は、その足で、陸へ上がったの。


 ね? 人魚姫のお話と似ているでしょう?

 私本当にびっくりしちゃったのよ。


 ふふ、もちろん私は人魚のお姫様なんかじゃなかったし、甲子太郎さんも王子様なんかじゃなかったけれどね。


 甲子太郎さんは海辺の村の漁師よ。


 日に焼けたたくましい体をしていたの。

 照れながらも、私のことを可愛いって言ってくれる人だった。


 あ、そうそう、童話の人魚姫は失恋して泡になってしまうでしょう?


 でも、私たちの場合はね、恋が実ったのよ。

 夫婦になれたの。


 嬉しかったわ。

 そう、あの日々は、本当に、素晴らしかった。


 朝、目が覚めたら、世界で一番愛している人の顔があるの。


 信じられる?

 想像して見て。


 目の前にね、この世で一番大好きな人がいるのよ。

 私の隣で幸せそうに、安心したように、寝ているの。


 そして彼の寝息が聞こえてくる。

 身を寄せれば彼の温もりが伝わってきて……。


 ねえ、想像できた? 素敵でしょう?


 私は、彼のためにご飯を作るのよ。

 彼の好きなものはね、魚の出汁で作るお味噌汁なの。ネギがあればなおいいわ。


 彼が漁に出れないときは、ひもじい思いをしたこともあるけれど、でも、幸せだった。


 彼は私を愛してくれたし、私も彼を愛していた。


 たまに海が恋しくなる時もあったけれど、彼さえいればそれさえ気にならなくなるほどよ。


 春になれば、二人で山に登って山菜を摘みに行くの。

 私はあまり歩くのは得意ではなかったから、いつも途中で彼が私をおぶってくれた。

 私は彼の肩に顔を預けるの。微かに彼の汗の香りがしたわ。

 私、彼の汗の匂いも大好きだった。


 夏になると、蛍を見に行ったわ。

 幻想的な光が瞬いてかつて私が暮らしていた海の底に少し似ているの。

 私は昔を思い出して少し寂しくなるのだけど、そんな時はいつも彼が私の手をぎゅっと握ってくれた。


 秋は、お月見。

 二人で、月を眺めながらお酒を飲むの。

 彼はお酒に酔うと、甘えん坊になるのよ。

 いつもは滅多に言わないような、特別な言葉を耳元で囁いてくれた。


 そして冬は、やっぱり雪ね。

 白くて冷たくて、手に乗せたと思ったら溶けて消えてしまう。綺麗ね。

 私は好きだったのだけど、彼はそうじゃなかったみたい。

 彼って、とっても寒がりなの。

 だから冬はいつも私は彼の隣にいたわ。彼が、寒くないようにね。


 ふふ、懐かしいわ。

 彼との思い出は、どれも素敵なの。

 喧嘩をしたこともあるけれど、それさえも、愛しい。


 ねえ、リナさんは恋をしたことがある? 人を愛したことは?


 恋に落ちる瞬間ほど素晴らしいものはないわ。

 私は何度も、何度も、彼に恋をした。


 そしてそれが愛に変わっていく日々に勝る幸せなんてなかったわ。


 ああ、嬉しい。

 あの人との思い出を、こうやって誰かに話せる日が来るなんて……。


 ねえ、リナさん、私本当に嬉しいのよ。


 誰かに、知ってもらえるって、聞いてもらえるってそう思えるだけで、全然違うのね。

 あの時の幸せな日々が、こんなにも鮮やかに思い出せるのだもの。


 私の愛した彼のぬくもり、髪をかき上げる仕草、可愛いと言ってくれる時に、少し照れている彼の表情。


 素晴らしい思い出よ。本当に……。


 愛しい日々、幸せで満たされて、あまりにも幸せすぎて……だから、私は大事なことを忘れて居たの。


 私とね、彼とでは、寿命が、定められた命の長さが、違ったのよ……。


 彼の体は、徐々に衰えていった。

 形の変わらない私を残して。


 私は二本の足を手に入れた時、人間になれたと思っていたのだけど、どうやらそうじゃなかったみたい。


 甲子太郎さんは、そのうち、一緒に山登りも蛍狩りもできなくなった。


 寂しかったけれど、でも、彼がそばにいてくれるだけで私は幸せだったから。


 それに、私は、彼が、この世からいなくなったら、自分も命を断つつもりだったの。


 だって、私にとって一番怖ろしいことはね、甲子太郎さんのいない世界だったから。


 でも、甲子太郎さんがね、最後に、私の顔を見てこう言うのよ。


 お梅、死ぬなって。

 人の寿命は短いけれど、魂は不滅だから、生まれ変わることができるって。


 彼はね、必ずまた生まれ変わって、私を見つけ出すから、それまで死なずに生きて待っていて欲しいって、そう言ったの……。


 それだけ言って、そのまま命を引き取った。


 ねえ、ひどいと思わない?

 私に彼のいない地獄で生きろって言うのよ?


 彼と一緒に上った山、過ごした家、歩いた畦道……彼との思い出がどこにいたって溢れかえるというのに、彼はもういないのよ。


 ねえ、信じられる?

 目が覚めると、彼は隣にいないのよ。

 彼の名を呼んでも、彼の声は返ってこない。

 寒いと思っても、彼はそのぬくもりを私に分けてくれない。


 花も、蛍も、月も、あの雪景色だって、彼といる時は、あんなに美しく素晴らしく見えたのに、彼がいなくなってから、それらは美しさを失くしてしまったわ。 

 

 ああ、甲子太郎かしたろうさんは本当にひどいわ。こんな地獄に、私一人残すなんて……。


 ……でも、生まれ変わったら私を見つけてくれると言う彼の言葉は、私にとって希望にもなった。


 彼は私には嘘なんて言わないもの。

 だからきっと、待って入れば彼が私を見つけ出してくれるって、そう、信じて。


 だから待ったわ。


 彼の言葉を信じて、何年も、何十年も、百年経っても……。


 でもいつまでたっても彼ったら、迎えに来てくれないのよ。

 本当に、ひどい人。


 でも、好きなの。彼のことは忘れられない。忘れたくない。


 彼と過ごせる一日のためならば、千年の地獄でも耐えてみせるわ。




 ……でも、少しだけね、待つのに、疲れちゃうときがあるの。


 そんな時に、粟根先生と出会ったのよ。


 私は何も喋ることができないから、先生、最初は戸惑っていたわね。


 私は、辛くて、どうしようもなくて、ただただ泣いていたの。


 そしたら先生は「泣きたい時は泣いた方がいいです。気持ちが落ち着きますから」と言って、泣き崩れる私の横に、ただそばにいてくれたの。


 それだけで、何だか少しだけ救われた気がした。


 それに実際、泣くとね、気持ちが少しだけスッキリするのよ。


 だから、私はどうしようもない気持ちになりそうな時、ここに来るの。


 目一杯泣いて、泣いて、泣いて、そうしたら、私は、また甲子太郎さんが私を見つけ出せるその日を待っていられる。


 愛しいあの人の思い出を胸に、生きていられる。


 生きて、彼を、待っていられるの……。


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