07話 調査命令
ウェストリア伯爵家の屋敷では、大きな溜息が響いていた。
最近レッドドラゴンが出没する様になったウェストリア伯爵家の領地である穀倉地帯。そこの調査依頼が王命で届いたのだ。
「どうなされました? お嬢様」
「まったく・・・王都のバカは何を考えて居るのかしらね」
そう発言した女性は、「シルフィード フォン ウェストリア」である。ウェストリア伯爵家の長女であり、実質的にウェストリア家を動かしている人物。
ウェストリア伯爵家の伯爵本人は、ここ数年病気でベッドから出る事が出来ない。長女のシルフィードが家を切り盛りしていた。ウェストリア伯爵家は男児に恵まれず、跡取りは長女のシルフィードであり、今後は婿養子を貰う予定であった。
18歳になるシルフィード。
本来なら15歳で成人であるこの世界では、とっくに結婚している予定であったが、ウェストリア伯爵が病で倒れ、婚姻処では無くなってしまっていた。
そこに領地である穀倉地帯の調査命令が来た。
「レッドドラゴンか・・・・・」
シルフィードはポツリと呟いた。
ジラール王国の人々がレッドドラゴンを恐れる理由。それは30年ほど前の出来事まで遡る。
当時、穀倉地帯を広げようとして、エスバンヌ連峰の麓の森に開拓村を設置した。百名程度が住むその村は、森のすぐ近くに存在し開拓民や狩人達で賑わっていた。しかしある日突然、アルバント山の主であるレッドドラゴンが現れ、村と、人間が開墾した地域一帯を、ドラゴンブレスによって灰にした。
村人や狩人達100名以上が一瞬で灰になったのだ。
ブレスの威力は凄まじく、焼け跡も残らず、村の在った形跡すら無くなるほどだったそうだ。人々はドラゴンの縄張りに踏み込んだ人間への怒りだと言って、以降森への進出は中止された。
「ふぅ、それにしても、レッドドラゴンが何を考えているかなんて、分かる訳ないじゃないの!」
「お嬢様・・・しかし、王命に背く訳には・・・」
「わかってるわよ! それに我がウェストリア家の領地での出来事ですから、
他の人に任せる訳にはいかない事もね、それに帝国の竜騎士が絡んでるとなると尚更ね」
「それで、どの程度の調査隊を出しますか?」
「そうね、腕の立つ騎兵10名と魔術師4名、あとは例の対ワイバーン用対空弓を2基、馬車は連結式を2両で対空弓を引かせて頂戴」
「たった騎兵10名ですと?!」
「相手はあのレッドドラゴンよ、騎兵がいくら束になっても敵う訳ないじゃない、それなら刺激しない様に少数の方が良いわ」
「しかし・・・・それに対ワイバーン兵器は我が国の秘匿兵器ですぞ、それを持ち出すのは・・・」
「実戦で使った事の無い兵器なんて、役に立つかわからないでしょ? 実験よ実験。幸い今回の竜騎士は単騎の様だし、ファイアボールを障壁で防いで対空弓で撃墜してみせるわ」
「わかりました、その様に手配致します。それで調査隊の隊長は誰に任命しますか?」
「何言ってるの? もちろん私が行くわよ」
「お、お嬢様っ?!!!」
シルフィードが結婚していない理由、それはもう一つあった。
顔は可愛らしく、見た目は気品あふれる感じなのだが・・・・とにかく活発なのだ。騎兵と一緒に馬を駆り、得意の魔法を使ってモンスターを狩る雄姿は王国内でも有名だ。お上品な貴族のお嬢様が好まれるこの世界で、シルフィードと結婚しようと思う貴族の男はなかなか居なかった。
今日も穀倉地帯を飛ぶシンとメル。
テトの家へ約束のガガド巨鳥を二羽届けて、食器、料理器具、調味料、衣類の購入を依頼して、山の洞窟へ戻っている最中だった。
【いや~楽しみだな、やっと人間らしい生活が出来る】
【人族って面倒よねぇ~ 道具が無いと生活できないなんて】
【まあね、メル達と違って、強力な牙や爪がある訳じゃないからね】
【それにしても、私の服まで頼んでいたわよね? 私に人族の服なんか着せてどうするのよ?】
【え?・・・・聞いてたの?】
シンは自分の着替えと一緒に、メルが人間形態になった時の服を頼んでいた。女の子らしい、めっちゃくちゃ可愛い服、それが注文内容だ。貴族のお嬢様が着る様な、可愛い服を頼んでいた。
ガガド巨鳥二羽分のお金はあるので、テトも快諾してくれた。
【人族の姿になった時、メル可愛いから絶対に似合うと思うんだよね】
【わ、わ、私が可愛いっ??!!】
メルは飛びながら、両手で顔を隠してイヤイヤをやっている。
【ちょっ! メル!! 頼むから真っ直ぐ飛んでくれ!! おい、前を見ろ! あぁぁぁぁ~~】
相変わらずのバカップル二人であった・・・・・
「痛てぇ~・・・・メルのやつ・・・俺を落としやがって・・・・」
森の木に引っ掛かっているシン。メルはイヤイヤをしながら森に突っ込んだ。洞窟に帰るだけの予定だったので、鞍と足を固定するベルトをちゃんと締めて居なかった。
いつもメルに乗っている慣れから来る失態だ。しかし、逆にしっかり固定していたら、胴体が真っ二つに引き千切られていたかもしれない。
「はぁ~ 運が良いのか、悪いのか・・・」
溜息をつきながら、木からスルスルと降りると周りを見渡す。メルは森の木をなぎ倒しながら一人で飛んで行ってしまった。メルに可愛いとか、好きだとか言うと、照れてしまって暫くは正常に戻らない。
シンを落とした事に気が付くのは、もう少し先だろう。
「ふう、ちょっとからかい過ぎたかな」
メルが木をなぎ倒したおかげで、少し広い空間が真っ直ぐ伸びている。メルが戻って来るまで待って居ようと思った矢先、後ろから凶暴な鳴き声が響いた。
(マジかよっ!?)
後ろを振り返ると、シルバー色の毛をした体長2mほどの熊が居る。見るからに凶暴な顔をして、こっちを睨みつけていた。
【メルっ!! 聞こえるか? おいっ! メルっ!!!】
念話を試みるが、メルからの返事は無い。
シンはゆっくりと腰の剣を抜くと、両手で正面に構えた。
(こんな事なら、テトに剣術習っておくんだったな)
熊は二本足で立ちあがる。
(で、でけぇぇ マジヤバイ・・・・死ぬかも)
『ガァァァァ!!』
熊は大きく吠えると、一気に距離を詰めて凶悪な爪を持つ右手を振り下ろした。
「・・・・っ!!・・・・・あれ?」
避ける為に慌てて後ろに飛んだシン。力いっぱい飛んだ結果が、5m近く後方に飛んでいた。
熊は間髪入れずに迫撃してくる。
(ちっ!)
内心舌打ちしながら、熊に集中するシン。熊の右手が振りあがり、振り下ろされる。
「ぐはっ・・・・」
今度は避けきれずに、爪が胴体に命中した。物凄い衝撃が体に伝わり、後ろに飛ばされる。
(痛ぇぇ・・・ 鎧が無かったら死んでたな・・・)
鎧の胸当てには、熊の爪痕が深く刻まれている。
『ガァァァァ!!』
立ち上がったシンを見て、熊がまた吠える。
(くそっ・・・でも攻撃が見えない訳じゃない)
シンは集中する事によって、自分でも気が付かないうちに「身体強化魔法」を使用していた。今日テトの家に行った時、身体強化魔法を習ったばかりだった。最も、テトの家では何度やっても上手く行かなかったのであるが、成功率は10回に1回程度だった。
生死を分ける極限の状態で、本能により引き出された力だった。
(そこだっ!)
熊の手の軌道を読んで、力いっぱい剣を振るった。手に嫌な感触が伝わり、次の瞬間熊の手首から先が宙に舞っていた。
『ギャァァァァァ!!!!』
熊が痛みで叫びながら、後ずさる。
(おっしゃぁーーー! やったぜ!)
剣をもう一度構え直し、熊と対峙するシン。
「おらぁ! 来いよ熊コウ!!」
『ガァァァァ!!』
怒り狂った熊が左手を振りあげた。
(そこだっ!)
熊の肘から上を切り飛ばし、すれ違いざまに後頭部に剣を突き立てる。
『ドサッ!』
倒れた熊は全身を痙攣させてピクピク動いていた。
「ハァハァハァ・・・・ったく ざまみろ! この熊野郎!!!!」
倒れている熊に悪態をつくと、まだ後頭部に刺さったままの剣を抜こうとして、熊に近づいたその時・・・・背中に物凄い衝撃が伝わり、シンの体が宙に持ち上げられた。
「ぐはっ・・・・・ごぼっ」
口から大量の血液が流れ出る。背中には深々と刺さった爪。
鎧を貫き、体を宙に持ち上げられていた。
『ドサッ!』
爪が引き抜かれて地に落とされ、仰向けに転がされた。
(なっ・・・もう一匹居たのかよ・・・・)
「うげっ・・・ごほごほっ」
大量の血液が口から溢れ出る。
シンを見下ろすもう一匹の熊の爪は、シンの血で真っ赤に染まっていた。熊の手が振りあげられる。
(ダメだ・・・やられる・・・)
自分の死を悟ったシン。
『ギャァァァァァァァ!!!!!!!』
大きな咆哮が響き渡り、熊の動きがピタリと止まった。次の瞬間ピカっと周りが光り、熊の上半身が跡形も無く消えていた。
バサバサと羽音が近づいて来る。
(遅せえよ・・・メル・・・)
シンは意識を失った。
イヤイヤ状態からようやく立ち直ったメル。
【もうっ! シンが変な事言うから 墜落しそうになったじゃないの!】
【・・・・・・・・】
【ねえシン? あれ? シン???】
自分の背中にシンが居ない事を知ったメルは慌てた。
(嘘? 何処かにシン落としちゃった)
飛んできた方へ引き返すと、そこには1本の道の様な跡がある。メルが木を薙ぎ倒した時に出来た道。
【お~い! シン―? どこ~??】
ゆっくりと飛びながら、森の中にシンが居ないか探す。
(あ、これはシンの匂いだ)
ドラゴンの鋭い嗅覚にシンの匂いを感じると、匂い目指して飛ぶメル。
(・・・っ!! 血の匂い?)
次の瞬間、メルの目には、熊によって串刺しにされているシンの姿が映った。ドサリと地に落とされるシン。あまりの怒りに咆哮を上げると、ドラゴンブレスを放った。
シンを傷つけない様に、細いレーザー光線の様なブレス。熊の上半身は一瞬で蒸発した。
【嘘っ? シン大丈夫? ねえシン!!】
いくら呼びかけても、シンは念話に応えない。
ボロ雑巾の様に、血だらけで倒れているシンを見て、メルの心は怒りと悲しみに満ちた。
『ギャァァァァァァァ!!!!!!!』
大きな咆哮は森中に響き渡り、遥か遠くの穀倉地帯まで届いた。シンの傍に着地すると、熊とシンの血の匂いに惹かれた多数のモンスターの気配がするのがわかった。
「私のシンに!! 近づくなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
冷静さを失っているメルは、全力でブレスを放つ。ブレスは目の前の森を跡形も無く消滅させて行く。
シンを中心に半径500mほどの森が消滅した。ぽっかりと直径1キロの穴が森に出来る。
モンスター達は、ドラゴンが来たの慌てて逃げようとしたのだが、メルの怒りの咆哮によって硬直して動けなくなってしまい、ブレスによって消滅させられた。
メルの怒りと悲しみの咆哮は洞窟のソフィーへも届いていた。只ならぬ娘の叫び声を聞いたソフィーも慌てて洞窟を飛び出して行く。
人間形態になると、シンを抱きかかえるメル。シンの胸には念話石が無かった。周りを見ると、少し離れた場所に落ちている。
「嘘でしょ? シン! 死んじゃダメ!!」
泣きながらシンを抱きかかえ、必死に呼びかけるが、シンが目を開ける事は無い。
「イヤだよぉ~、シンが居なくなったら私・・・お願い! 目を開けてぇぇぇぇぇ!!」
その時、上空からソフィーの羽音が響いてきた・・・・