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「ハルミナ、実は伯父上……公が、君に会いたがっていてね」
細い肩が、びくり、と震える。
当然だろう反応を痛ましい気持ちで見つめながら、続ける。今この瞬間、自分こそがハルミナを傷つける存在であることが何よりも辛い。
「君の気持ちは、痛いほど良く解っているつもりだ。しかし、今がこの国に取って大事な時期であるというのは、君が一番良く知っているね」
注意深く続けられた言葉に、ハルミナはつい、と視線を逸らした。
沈黙がふたりの間を支配する。彼女は小さく明かりの灯された庭を、静かに見つめている。揺れる炎。人の命と同じくするように、燃え上がり、いずれは消え行く定め。
やがてファウエルに向き直ると、涙に濡れた赤い瞳で彼の目を真っ直ぐに見返した。やつれ、泣きはらしていても、やはり彼女は美しい。そんな愛する人に向き合いながら、ファウエルはただ請うように彼女を見つめるばかりだ。
ハルミナは暫く目を見開いてファウエルと対峙していたが、全てを理解したかのようにひとつ頷くと、口を開いた。
「まだ、ガランツェ公を狙っている人達がいると……?」
意外にも、力強い声だった。
これまで、ファウエルに死を望んでいた時とはまるで異なった、張りのある声。
元々自宅の庭を開放して、正式な学問所には入れぬ子供達に唄や詩を講じていたハルミナである。その声には、余人が口を挟めぬ威厳がある。
彼女の問いかけとも付かぬ言葉に頷くと、今度はファウエルが苦しげに目を逸らす。
「ああ。ハルミナ。卿は亡くなられたが、卿と志を同じくする者達は、まだ諦めていないだろう。このままでは、いつまた戦が起きとも知れぬ」
「……そして罪も無い人達までが巻き添えになって、血を流すのね」
(さすが、元筆頭大臣の娘。ハルミナは、現状をはっきりと理解している)
ファウエルは、嘆息を洩らす。
それは恐らく、彼女が父から受けた教育なのだろう。誰よりも民のため。国を動かす立場にある者が、決して忘れてはならぬことなのだと、かつて卿に師事したファウエルも心に刻みつけている。
(それを、誰よりも公に解って頂きたいと、卿は望んでいた筈なのに)
「力で国は変わらぬ」。
かつて、酒の席で卿が呟いた。
自国の繁栄だけを望み、それを全うする。群雄割拠の時勢において誠に難しいことではあったが、それこそが為政者の務めと卿は信じていた。
酒と、軍略と女に溺れるガランツェ公の姿を、卿がどれほど憤懣やるかたない思いで見つめていたことか。……だからとて、力を以って公を退けようとした事が、是であったとは思わないが。
(元々ハルミナは、誰よりも平和と人々を愛する女性だった。このような事態になって、一番心を痛めているのは彼女に違いない)
今回の内乱で、国内の到る所に、相当の被害が出た。
首都に近い村々は戦の地となり、遠方の地域は暮らしに弊害が出ることとなった。
卿に追従したのは、力ある地方の諸侯達で、結果ガランツェ公はその領地をも取り上げとした。そして当然、そこに掛けられる課税は、他の地よりも重くなったのである。
(国のためを思い刀を取った筈が、より人々を苦しめる結果になろうとは)
今も、卿を慕う人間は多い。
しかし現実としてある結果を見るたび、彼女の置かれた境遇とその心中を思い、ファウエルの悲しみは増していくのだった。
「謀反を起こした父上の代わりに君が城に行くことで、この戦を終らせることが出来るかもしれない」
「私が公に絶対服従を誓えば、残りの人たちも公に歯向かう理由は無くなる。――そういう事ね」
きらきらと輝く瞳が、挑むようにファウエルを見つめている。悲しみに混乱してはいても、やはり芯の強いハルミナに変わりはない。
ふたりは暫くの間、無言で見詰め合っていたが、やがてハルミナは大きく頷いた。
「……解りました。ファウエル。私は城に参ります」
「ハルミナ……」
その毅然とした態度に、ファウエルは驚く。先ほどまでの涙を何事も無かったように拭うと、彼女はひとつ頷きを返した。
「それで、この辛い戦が終るのならば。それが父に代わり生き残った、私の務めなのでしょう」
「ありがとう。伯父上にお伝えしておくよ」
感謝の気持ちを込めて手を取れば、ハルミナの手にも力が込められた。しかしブラウンの瞳は遥か遠くを見つめたままで、当然の事ながら、そこに笑みも無かった。