懐中時計
リンが星間列車のコンパートメントへ戻ると、旅の連れはごそごそとソファやテーブルの下を覗いていた。ふさふさの青いしっぽが予想外の場所で揺れていて、びっくりしたものだ。頼まれたココアをこぼしかけたほどである。
「何やってるの、エド!」
青いネコ族の少年は、這いつくばったまま困り顔になった。
「時計がないんだ」
「時計っていつも持ってるアレ?」
そう、とエドは頷くと、細いライトを懐から取り出して足元を照らしだした。服や髪が汚れるのもお構いなしに、床へ顔を押し付けて棚の底を覗いている。どっしりした家具は、列車の振動にも倒れないよう固定されていた。動かせないのだ。
そんな友人の所作にリンの方が戸惑ってしまう。ネコ族のエドは見るからに高そうな仕立ての服を、無造作に着こなす少年だ。立ち居振る舞いも品があり、ふとした時にリンはこの少年と己の差を意識してきた。例えば、テーブルマナーや服装、価値観の違いだ。最近はエドもリンに感化されたか、ラフな言動をするようになったが……
ネコ族の少年は、ブラウスやズボンが汚れるのを好まない。まして床に顔を近づけるなど言語道断! と目を吊り上げるだろう。リンが同じことをしていたら、みっともないから、と真っ先に立ち上がらせるタイプである。
それだけ、肌身離さず身につけているあの時計が大切なのだ。
リンは飲み物をテーブルへ置いて、一緒に四つん這いになった。探すのは、銀色の懐中時計だ。落とさないようにベルトで留められるチェーンが付いている。確か、リンが部屋を出る間際の記憶では、エドがしかめ面で時計を触っていたはずだ。コンパートメントのどこかにあるに違いない。
エドは癖なのか、時々難しい表情をして、そうじゃなければぼんやりしながら時計をよく触っていた。蓋を開くとメロディが鳴る仕組みなので、すぐにわかる。そんなときは少し声が掛けづらかった。
エドにとって時計を見つめている時間は、大切な儀式のようで。リンが立ち入ることを許されない雰囲気が漂うのだ。はっきりした拒絶ではないが、きっとエドは無造作に踏み入られることを厭うだろう。そんな気がする。
「もしかしたら壊れてしまったかもしれない。あの時計」
リンが驚いてエドへ向き直ろうとした。その拍子に頭を棚にぶつけ、「いっ!?」と悲鳴を上げる。エドが心配そうな、鬱陶しそうなようすで寄ってきた。
「……だ、だいじょうぶ。痛いけど……。それより、時計壊れちゃったの? 落としたから?」
涙目になってリンは頭を抱える。だが、懸命に堪えた。エドが苦笑しながら、
「このじゅうたんに落としたって傷はつかないよ。音が出なくなったんだ。ずっと気になっていたんだけど」
「修理に出したら直るんじゃないかな? ぼくの家の古時計も、前は動かなかったんだ。でも機械に詳しい人が修理してくれたんだ」
兄のニコラが、俺が直したかったのに、と膨れ面していたのをリンは思い出す。故郷にあるその時計は、大きくて、重たくて、立派な時計だった。リンの背丈よりまだ高いそれは、一時間毎に、ぼーんぼーんと時を告げていた。やさしいその音色が、ふと胸中をよぎっていく。
「どうかな。工芸の街でも簡単に見てもらったけど、良くわからないって言われたよ。あの時計古いから」
とりあえず分解しようとしたんだ、とエドがさらりと言うので、リンはわが耳を疑った。口を金魚のようにパクパクと動かし、
「え……な、ななな、なんで分解!? あの時計を分解!?」
「そう。前にもやったことがあったから」
リンは頭がクラクラしてきた。あの高価な時計を分解だって!?
エドの懐中時計は、細部まで凝った作りの時計である。リンの家族六人が半年間問題なく暮らせそうな額はするだろう……と値踏みしていただけに目眩がした。エドは思い切りが良すぎる。自分の手が宝物を壊してしまう可能性に思い至らないのか。
(普段は慎重過ぎるぐらい慎重なのに、エドって滅茶苦茶だ)
視線を巡らせると、テーブルには何やら工具が置いてあった。本格的なもののようで、ドライバーは先が針のようだったし、ピンセットや小さなブラシ、小さなハンマーなどがあった。他にもリンには名称のわからないものがいくつもある。散らばったネジなどの細かな部品は砂粒のようだ。
血の気が引いた。すでにネコ族の少年は実行していたのか!
「なんでそんなことするの!? プロでもないのに!」
「なんでって……」
エドは困惑気味のようだ。リンの取り乱しようが理解できずにいる。そうだ。このすれ違いは工芸の街でも味わったが、またしても。
(エドにとったら、あの時計も簡単に壊せるものなのかな)
工芸の街でも高価なランタンを気軽に――それこそ飴玉でも買うように――手に入れようとしたエドだ。ネコ族の少年にとっては、気楽に手に入ってしまうものなのか。それだけの価値しかないのか。
落ち込んでしまいそうだ。
あの時計を分解だなんて、考えただけでリンには恐ろしい。
(なんだか、エドとぼくとの隔たりにくじけそう……)
思わずリンはほろりときてしまう。
エドはしばらくリンの百面相を見ていたが、尻尾を揺らして再び時計を探し始めた。時計が転がったという隙間を覗く横顔は、あまりに真剣なものだ。
「エド、掃除用のロボを呼んだらすぐ見つかるんじゃない?」
リンの提案に、エドはかぶりを振った。もしかしたら細かな部品が落ちているかもしれないと言うのだ。
「一応回収したけど、どこか足りなくなったら困るよ」
「じゃあ、そういうものがあったら知らせるようにって設定をしたら……」
「できるけど、大切なものをぞんざいに扱われたら嫌でしょ。彼らにとっても、そういう作業は嫌だと思う」
リンはきょとんとしてから、ああ、とエドの言いたいことを何となく理解する。最果ての駅以降、一番困惑したのは機械の多さだった。リンの暮らしていた場所では、機械とは道具の一種である。しかし、ここでは……
(ヒトとあまり変わらない機械もある)
その辺りは複雑なのだ。
ある程度の知能を有したメカにはヒトと変わらない言動ができる。この列車では故意に『ヒト型』ではなく知能を制限された機械を『道具』として使用している。リンは最果ての駅で初めてヒトと変わらない機械を見て、戸惑ったものだ。へんてこなヒトビトの中で、彼らは一際異質めいていた。
(人工の生命体には、必ず守らなければならないルールがあって、そのルールを守る上で自由を得ることができる……? 他種族を脅かさないための)
エドに教えてもらったことはあったけど、リンにはちんぷんかんぷんだった。
わかることと言えば、列車で雑用をこなすロボットには繊細な作業は難しいということだ。リンも一度、風呂場に沈められてえらい目にあった。彼らにしてみれば最善を尽くした結果が、ヒトを傷つける可能性だってあるのだ。微妙な匙加減が可能な知能を有した機械を「モノ」として扱えない以上、その区別は鮮やかなほどハッキリしている。
(難しいのだなぁ)
人間のみしか存在しない世界で育ったリンにとって、他種族と共存するための価値観は、まだ飲み込めない。覚えなければいけないルールがてんこ盛りでパンクしそうだ。人間には、すべてを受け入れて対応するか――すべてを拒絶するかしか手段がない。
今のところリンは前者を選択している。異種族と呼ばれる身内を、翼を持つ妹を、妹として認め続けるためには、ありのままを受け止めるしかない。
そこに危険が孕んでいても。
「一応手入れは終わったんだけど、まだ最後のネジが緩んでるからね。乱暴に扱って紛失しちゃったら元も子もないでしょ。……修復が格段に難しくなる……あ!」
時計が見つかった。重たいサイドボードの奥にある輝きに、リンも気付いた。しかし手が届かない。これが故郷であったなら、箒でもモップでもすぐさま用意できたが、あいにく宇宙を移動する列車の中である。コンパートメントを見渡してみても、一助となるアイテムがない。
何か、何か、何か……長いものはないだろうか。
エドも同感だったのだろう。「仕方がないな」とため息をこぼし、ひょいと足を突っ込んだ。そのままサイドボードの下に身を入れてしまう。普段のエドなら考え付かない行動である! リンが凍りつく間に、時計を取り出してしまった。掃除は隅々まで行き届いているとはいえ、やはり埃はつくものだ。
だが、エドは頓着しなかった。ざっと服をはたくと、戻ってきた時計を大事そうに手のひらへおさめた。輝く銀色の、繊細な意匠がこらした懐中時計。その蓋をぱくんと開いた。秒針は動いていない。メロディも流れない。
「時計大丈夫……?」
待って、とエドはソファに座って工具を手に持った。エドの手が、時計を傷つけないよう細心の注意を払って、小さな小さなネジを留める。蓋をして、数回揺らした。ちっちっち、と秒針の時を刻む音が聞こえてくる。エドが微笑んでもう一度時計の蓋を開けた。
「一応動いてはいるけど、やっぱり修理に出した方がいいんだろうね。音がしない」
「直ったんじゃないの?」
「僕は職人でも何でもないんだよ? 手入れするので精一杯! 下手にいじって壊しちゃ堪らないもの」
そう話すエドは、とても楽しそうだった。
そういえば、工芸の街でもランタンを始めとした工芸品に目を輝かせていた。機械も得意なようだが、職人が一つ一つ丹精込めて織ったじゅうたんや木彫りにも、最高の敬意を払っていたように思う。もしもあの街に留まる事が許されたなら、手ずから何かを生み出していたのかもしれない。
(エドなら何を選んだかな。人形? 陶器? 絵? ガラス細工? 家具?)
好きなことに熱中して笑っているエドのほうが、普段のツンと澄ました彼よりずっとリンは好きだ。この懐中時計を見るやさしい眼差しのエドも。
「みる?」
リンがあんまり覗きこむものだから、エドは時計を渡してくれた。精緻な模様の蓋はざらりとした感触だった。植物のようなものが刻まれてある。それも気になるが、リンは蓋を開いたときに見える文字盤の美しさに息を呑んだ。エドが触っているのを覗いていたが、ちゃんと見たのは初めてだったのだ。
ドーナツのように中心はくり抜かれていた。そこにあるのは深い青。水のように透明な青いガラスの奥には、時計を動かすゼンマイが見え隠れしている。
「あれ? この真ん中の部分……前に見たときは水色だった気がする」
「うん。光の具合や湿度、気温なんかで色を変えるんだ」
赤くなったり黄色くなったり、環境で色味が変わる石を削ってはめ込んであるのだと言う。エドは、金にグリーンが混ざった瞳を細くした。
「面白いでしょう? その鉱物は希少で、今では滅多に手に入らないけど、これを見てるとどこかホッとするんだ。本来、この部分がオルゴールになってて」
文字盤の下部にオルゴールが隠れているのだと、エドが教えてくれた。そのままぼんやりと見つめて、黙り込んでしまう。エド? とリンが話を促すと、ハッとなったように時計を受け取った。
「修理に出すと直るまでかなり時間がかかりそうなんだ。工芸の街でも見てもらったら、すぐには難しいと言われてしまったし……あそこの職人さんでそうなら、手放すのがちょっとね」
だから迷っているんだ、とエドが照れながら教えてくれた。
(ああ、これはエドの大切な時計なんだ)
乱暴なように感じた扱いは、それだけ身近になくてはならないものだから。エドにとって、この懐中時計はあって当然のもの。失えないもの。そこに大切な思いが込められている。
それに触ることを許された自分は、エドに信頼してもらえているのだろうか。
「その時計、ちゃんと直さなきゃいけないね」
うん、と頷いてエドは時計を大切にしまい込んだ。
読んで下さってありがとうございました。