3.誕生日
この物語に関する国名、人名等は現実世界のモノとは関係ありません。云わばフィクションです。
それらに関する苦情等は一切受け付けませんのであしからず。
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埋没していた意識が覚醒し、身体が有する五感からの情報が脳へと伝達され始める。
瞳を開け、日々の日課である鍛錬へ向かう準備――の前に、ゼルは視線を壁に向けた。そこに掛かっているのは世界の日付を示すカレンダー。今日はヴィーナスの月第三週のヘリオスの日。忘れらない用事でもあるのか、珍しくその日日には印が記され、同世代からすればやや達筆な字でこう書かれていた。
『レイナ=リュクシードの誕生日』
ヘリオスの日は基本的に休日とされ、世界中に住まう人々は皆が骨休めをする曜日だ。その曜日こそが稼ぎ時という職種の人々もいるので、全員が全員休日とは言い難いが、それでも大半の人の立場からしてみればそうなる。
ここヴォルスングもこの曜日は基本的に休日とし、授業などは殆どない。中には補習の生徒や特別課題を課される場合もあるが、それも特別な場合に限る。大半の生徒達は世界中の人々と同じように今日という日を満喫し、明日から消費される精力を蓄えるというワケだ。真面目な生徒の中には、今日という休日を利用し遠出の依頼を達成する為に使う利口な生徒も屡存在する。
ゼルも時偶それらの生徒同様に使うこともあれば、身体を休める為に使うことも。
しかし、今日は珍しくも用事が入り、それはとても大切な用事。
自分みたいな面白みの欠片のない輩でも、大切な仲間だと声高に叫んでくれる優しい仲間の誕生日。
「……そろそろ時間か」
雲一つない蒼穹の空を見上げれば、既に燦々と輝く太陽は真上。
昼食は取らず、クライム専用に与えられた部屋で細やかながらも盛大なパーティーを催す予定だ。ゼルは手伝う事が出来ないのでレイナをその場所までエスコートする役割を与えられ、件の料理についてはシズクが自国特有の米という穀物を使った料理を作ると言っていたが、些か誕生日には相応しくないとのことで没。結局、エミルが中心となり、それをシズクがサポートするという形に落ち着いたらしい。別段二人の料理スキルを疑うことは無かったのでゼルは口を挟まずその成り行きを傍から見物していた。
料理の用意については、前日の昼からエミルは授業を休んで誕生日ケーキを作るほど力の入れっぷり。シズクも同様に必要な物資の買い出し等に追われ、ゼルはと言うと、それらがレイナの眼に入るの拙いということで丸々一日を消費し、レイナを引き連れて依頼を消化していた。連れていく際に一言二言の質問はされたが、それはゼルの機転により回避され、特に疑問を抱くことなくレイナはゼルの後に続いた。
依頼の内容も然して難しいものでなく、単純な迷宮に棲息する魔物の討伐。場所が場所なだけに辿り着くのに時間を要したが、二人は傷負うことなく帰還に成功する。その時に明日の用事を聞き、特に用事がないこともゼルは確認済み。ならば、とエミルらから与えられた仕事をこなすべくゼルはレイナに昼頃に向かいに行くとの旨も既に伝えて在る。後はレイナの寮部屋まで趣き、そのままパーティーへと雪崩れ込むだけ。
懐に手を入れ、一つの物体を取り出す。
古ぼけた懐中時計。誕生日の祝いと、幼馴染から贈られた一品。珍しくも幼馴染に感謝の念を覚えたあの日。
「……ジャスト十二時だな」
感傷的に成りながらも、自身に与えられた役割は全力で全うするのがゼルブスト=レーベンの生き様だ。
向かうは女生徒が住まう寮。流石に男子であるゼルは中まで入ることは規約違反を犯してしまうので、寮監である教員に一声掛けて呼んで貰うのが習わし。因みに、女生徒自身が外まで歩き、そこから男子生徒を中に連れ込むのはアリとされている。反対に男子寮の場合は特に決まった規約はない。これを男女差別と謡うか、常識と謡うかは人それぞれだろう。
正直な話、ゼルからしてみれば寮監の眼を掻い潜って女子寮に侵入すること位は朝飯前の所業だ。絶対的な身体能力も然る事乍ら、自身の気配を殺すことは暗殺士にとっては必須技能。それをゼルが習得していない筈もなく。極科生徒であり暗殺士学科トップであるゼルはこの技能に関して学校内最高峰と考えても間違いでない。そんな化物性能を持つ存在を誰が感知できるのか。もし寮監が感知できるのなら、その寮監はこんな所で仕事をせずに王宮の警備部隊の隊長職くらいには抜擢される。
閑話休題。
それはやってバレることはないが良心の呵責がこれを責め、ゼル自身そういった犯罪行為をする為に己を磨きあげた訳ではない。素直に寮監に話を通し、レイナを呼びつけて貰う。
この寮に訪れる異性という存在は得てして少ない。理由としては気恥かしいというのが一点、面倒というのが一点、他にも他の男子生徒の怨嗟の視線を真っ向から浴びなければならないなど。正直最後の点が割に合わないとして訪れる者は少ない。故にここにやって来る男子生徒の顔は寮監からすれば覚えやすいの一言に尽きる。
無論の事、ここに訪れる数少ない男性生徒であるゼルも顔を覚えられている。こちらに顔を出せば、普通ならば呼び出しの理由等を尋ねられるが、ゼルの場合は勝手知ったる何とやら。理由を尋ねないで誰を呼ぶかの質問だけ。
「で、今日は誰を御誘いかな?」
爽やかな笑顔を浮かべる三十路手前の寮監。その事実を口に出せば寮の裏に連れられ焼きを入れられるという噂だ。
そんな顔を一瞥すると、ゼルは普段通りの無表情で話しかける。
「……レイナ=リュクシードを」
「シズク=シシドウやエミル=ハーヴェイは呼ばなくてもいいのかい? 折角の休日だというのに」
「……どうせ最終的には一緒になる。というより、既に二人は寮にいない筈だが?」
「ちゃんと仲間の行動を把握してるとは感心感心。ま、いつも通り数分待っていてくれ、内線で呼びかけてくる」
そう言って寮監は顔を窓の中へと引っ込める。防犯上の都合なのか、開かれていた窓はしっかりと閉じられ、外と内の境界を阻むガラスには魔術が付加されているのか透けて見えない。
この時間はいつも手持ち無沙汰となるゼルは眼を閉じ壁に凭れ掛かる。
精神統一などではなく、ただ流れ往く時間を無為に過ごし、風が奏でる調べを耳を澄ませ感じとっていた。
「連絡は完了だ。あいつのことだから後数分もすれば息を切らしながらやって来るだろうな」
「……別段急ぐことは無いとあれほど言っていると言うのに」
いつのまにかに開いていた――いや、開く以前に窓の内から歩み寄る気配を捉えてはいたが反応はしなかっただけ――寮監が話しかけてくる。
こちらに来る言葉はいつも通りの返答。普段通りのやり取り。口数少ないゼルが口を酸っぱくしながらも言い含めているのに未だ効果は表れない。
「性分、という奴だろうな。そこまで束縛するのは甲斐性無しと呼ばれても可笑しくないぞ?」
「……俺の周りは世話焼きが多すぎる」
「良いことじゃないか。余り言い過ぎると嫉妬の的になるぞ? 唯でさえお前は他生徒の視線を釘付けにしてると言うのに。解ってるのか? どれだけの寮住まいの生徒が窓の奥からお前を見てるのかを」
「……これでも暗殺士の端くれ。人の気配や視線などには敏感だ」
「それもそうか――っと、来たな」
ガヤガヤと騒ぎだす寮内。蠢く群衆の中から一人の小さな少女が飛び抜けて来た。
小柄な体躯はゼルと並べば兄と妹と言われても可笑しくないほどの華奢なものだ。精巧な御人形、そんな風評が良く似合う彼女こそが件の少女、レイナ=リュクシードである。
レイナは空の色の髪を頭部の両側に纏めたツインテールを揺らし、学科故の体力の無さだと言うのに息を切らしてまで自身の部屋からいつもこの寮の玄関まで全力疾走でやって来る。はぁはぁと息を切らしてその場に立ち止まり、呼吸が儘ならず手を膝に付いて肩を揺らす。普段ならパチクリと開かれる愛くるしい翡翠の珠は今では影にも見えず苦しそうに閉じられていた。
そんな様子を毎度見せられるゼルにとっては溜息ものでしかなく、何回苦言を呈しても聞きやしない。半ば諦めの境地に達しているゼルに出来ることは息が整うまで見守る事のみしかない。
「はぁ、ふぅ……」
だが、いくらそのような境地に達していようと呆れの視線を送られずにはいられないゼル。反対に寮監は優しげな双眸を向けているが。
「お、お待たせしちゃいましたっ!」
「……気にするな。そろそろ行くぞ、寮監も失礼する」
息が整ったレイナに眼を向け、最後に寮監に告げる。
「おー、行って来い行って来い。……そういえば今日は門限までに帰ってくるのか? 別にこちらとしては泊まりでも一向に問題は無いが。青春は一度きり。若い時はヤンチャしてナンボのものだぞ?」
「……ここに決められてる規約などあってないようなものだろうに。後、後ろの部分は余計な邪が混じってないか?」
「別に問題ないだろう? 若い男女が日を共にするんだ。小さな間違いが起きる可能性だって十全」
「ま、間違っ!?」
「どうしたリュクシード。顔が真っ赤だぞ?」
「……はぁ。行くぞ、レイナ。いつまでも付き合ってたら目的を果たす前に日が暮れる」
付き合いきれないとばかり、ゼルは振り返ることなくレイナの連れてこの場を離れる。未だレイナの頬は朱色に染まっているがゼルは気にすることなく前を向く。後方から避妊がどうなどと、真昼間の往来で発するようなものでない卑猥な言葉を掛けられるが全て無視。それを耳に入れたレイナが完熟林檎も真っ青な程の赤さで頬を染めるがそれも無視。
歪ではあるが自身より遥かに強大な力を振るう魔道士の一員で在るレイナも、こういった下世話な話には弱かった。
小動物宛らな身体を尚も縮こまらせながら横を歩くレイナを見る。こんな小さな少女も今日で17歳であり、歳だけを見れば中肉中背であろうとも引き締まった体躯を持つゼルよりも年上。ゼルは早生まれなこともあり、つい此の間16歳になったばかりである。月日だけを見れば半年以上も先にこの世に生を受けたレイナであるが、発育等はそれに見合わない成果しか挙げられずにいた。
仲間内ではスレンダーながらも胸部は平均以上を保つシズクに、その反対を疾走する異常発達した母性の塊を保有し、尚且つグラマー体系を維持しているエミル。そんな二人に囲まれるレイナは少女体型というよりも幼女体型に近く、前面など俎板と揶揄されても可笑しくない。だからこそ、レイナは自身の身体にコンプレックスを抱いているのだが。隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。先に挙げた二人もレイナに少なからずの羨望を抱いていた。その理由が――
「……若干顔が赤いが大丈夫か? 風邪だとしたら大変だからな」
その外見みたく小動物のよう必要以上に構われるという点だ。
シズクはその性格ゆえに、エミルはその醸し出す雰囲気故にゼルに構われることが少ない。頼られることはあっても甘やかされることは滅多にないのだ。頼られることを甘えられるという言葉に変換する彼女達にとってはそれだけでも甘美なモノだが、女は女。嫉妬の一つや二つは内に抱えているものだ。
「だ、大丈夫ですっ」
「……それならいいが」
「あ、そういえばこれからどうするんですか? ゼルさんからは暇があるかとしか聞かれてなくて、何をすればいいのか全く知らないんですけど……」
「……時期に解るさ」
口数少なく、それでも十全足る信頼を得ているのはゼルの人柄ゆえか。
結局説明らしい説明をされる事は無かったレイナだが、文句の一つも言わずにゼルの後を追う。それは固い信頼関係が結ばれているからか、それとも自身が思慕の情を向ける相手だからか。
◇◆◇◆◇◆◇
足を踏み入れる建造物。
外観は質素な貴族の屋敷というところ。広大な敷地に建てられたそれは正面を初め、人の眼が行き辛い背面もキッチリと装飾が成されており、それだけでこの建物が手抜き工事で建てられた事がないのが窺える。正面玄関付近には色とりどりの季節の花がプランターで育てられ、磨きあげられ指紋一つない窓は太陽の光を綺麗に反射していた。
そして一番眼を引くのが屋根の上に描かれた紋章。刻まれた意匠は校章と同じく、そして北の国『シグムント』が掲げる紋章旗と同じ天を指す剣に逆巻く竜。その大義な紋章を掲げるここが、学校内のクライムに貸与される部屋が集まった居城なのだ。勿論、いくらここが大きかろうと、ほぼ全校生徒がクライムに加入している現状では全ての生徒を一つの屋敷に収容出来る筈もなく、ここと全く同じ設計図で建築された屋敷が後数点学校内に建造されている。
一歩足を踏み入れれば四階まで続く螺旋階段が眼に入り、東西南北それぞれに続く道が真っ直ぐと別れている。南は玄関に続くので説明は省き、東西がそれぞれの部屋へと繋がる道とされ、北は各クライムメンバーが談笑等出来るように設置されている庭園。その庭園を突っ切ると反対側の各クライムの部屋に繋がる道にも出れ、所謂ショートカットの役割もその場所は果たしている。
二階、三階、四階と昇れば完全にホテルの様な内装に早変わり。各部屋にはそれぞれプレートが掲げられ、それによって誰がどの部屋に入室しているのか判別できる。
「部屋に何か用事でもあるんですか?」
「……あぁ。大切な、そう大切な用事だ」
「大切な用事、ですか?」
「……俺にとってもレイナにとっても、あいつらにとっても、な」
二人は扉の前に立つ。
掲げられたプレートには『ディルクロ』と刻まれた文字。それはゼルの故郷で語り継がれてきた物語の一節。夜明けを意味するその言葉は、四人にとっての始まりの言葉だ。
闇夜を囲う四人の心に一筋の木漏れ日が照らし出したあの日。あの日から四人は光を見つけたのだ。
"夜明け(ディルクロ)"という小さな、それでいて雄大な光を。
「……レイナ」
「どうかしたんですか?」
扉の前に立ったゼルは振り返り、レイナに呼びかけた。
「……今日はレイナが主役だ」
「はぃ?」
「……ここから先はお前が開くべきだ」
そういってゼルは無理矢理レイナに扉に手を掛けさせる。
突拍子も無いゼルの行動に目を回すレイナだが、ゼルの瞳を見た瞬間にそんな考えはどうでもよくなった。いつも通りの優しい瞳。何時からだろうか、この瞳の色に目を奪われるようになったのは。
トクンと、鼓動が静かに響く。
ドアノブに手を掛けながらもう一度振り返ってゼルを見た。
迷いは……ない。
意を決し、力を入れ閉じられた扉を開き――
「「Happy Birthday!」」
「ぇ……?」
扉が開いた瞬間に盛大なクラッカー音。
内からはシズクとエミルの二人が、外から、つまりはレイナの後ろからゼルが打ち鳴らす。そんな音がしても周りの学生が騒がないのはエミルの根回しによるもの。準備万端とはこの事を指すのだろう。
ある意味先ほどまで眼を回して居たレイナだが、これによりまたも眼を回してしまう。
「……Happy Birthday。誕生日おめでとう、レイナ」
「おめでとうございます、レイナ」
「おめでとぉ、レイナちゃん」
「ぁ……」
三人の言葉により漸く状況を呑みこめたのか、戸惑いの表情から一転して笑みを浮かべ、その笑みも嬉しさのあまりか表情が崩れる。瞳から零れ落ちる涙は悲しいという感情から来るものでなく、嬉しいという感情から来るもの。
嗚咽を漏らしながらレイナは三人にお礼の言葉を返そうとする。だが、そんな言葉も嗚咽混じりで言葉と成さない。
「あっ、あ…が、ぁりがとっ……!」
「とりあえず、これで涙は拭いてねぇ」
「さ、中に入りましょう? 周りには既に伝えているとはいえ、いつまでもこのままというのも拙いですしね」
肩を支えられながら歩くレイナ。その後ろを優しげな瞳で見つめるゼルは三人が中に入り切った事を確認し、そして扉を静かに閉じた。
覗き見というはしたない行為をしている輩に礼節一杯を以て目礼をしながら。
◇◆◇◆◇◆◇
「ぇへへ~……」
嬉しそうに、それでいてどこか恥ずかしそうにはにかむのは先ほどまで涙を流していたレイナ。今ではその涙も止まっているが、涙を流したせいでその瞳は少しだけ赤く充血している。
その周りでは優しげな笑みを浮かべるシズクとエミルの二人がいて、その三人を見守っているのがゼルという今の立ち位置。まるで三人姉妹とその父親という言葉が浮かぶのは間違いではないのかもしれない。
小さな一室というには些か過小評価である一室は、中央に四人が卓を共に出来るほどの円型のテーブルが置かれ、その上には今日という日の為に前日からエミルが中心となりシズクが補佐した力作であるバースデーケーキが乗せられている。少し眼を離せば奥へと続く扉が二つあり、その先は仮眠用の二段ベッドが、もう片方がユニットバスへと続く扉だ。最後に今四人が座っている手前側に簡易キッチンが設置されている。
「プレゼント……と行きたいところですが、まずは料理が冷める前に頂きましょう。折角丹精込めて作ったのですから、少しでも美味しく頂いて貰いたいですし」
そのシズクの宣言により、四人は乾杯の音頭と共に料理に手を付けていく。
メインを真っ白なホワイトシチューで飾り、色野菜のサラダを彩り、ふっくらとしたパンを横に添えられている。デザートにはエミルの改心出来であるバースデーケーキを食べるので、これだけの量でも腹は満たされるだろう。事実、ホワイトシチューとふっくらとしたパンは相性が良く、予想以上に手が進む。炭水化物の塊であるパンに手を伸ばす回数が多ければ多いほど、それだけ腹は満たされていく。
二人――今回の主役であるレイナと、料理を作った二人が想いを募らせているゼルは心底美味しそうに料理を平らげていく。何気に二人は大食らいなのだ。ここぞという時ばかりか、普段無表情(と言っても少しの機敏の変化も見極められる三人)だが、食事を取っている時だけは穏やかな笑顔が浮かんでいる。そんな表情を見つめるのが何よりも好きなのであった。下手すれば、主役であるはずのレイナよりも。
用意されたシチューも、籠に山のように盛られていたパンも、ボールの中に犇めいていた野菜も今ではその姿を消し、テーブルの上は綺麗に一掃され、残るは一時的に避難させられていたバースデーケーキだけとなった。
四等分……とすると一度では食べ切れないホールサイズのケーキ。簡易キッチンが設備されているということは簡易冷蔵庫も勿論設置されている。なので八等分に切り分け、残った四等分を冷蔵庫で寝かせるというのも一つの点だが、ケーキというのは生物で腐りやすい為に出来るだけ今日中に食べ終えておきたい。
それならばどうしよう。いくらエミルが作る菓子等は美味しく、中でもケーキ類は得意とされており、その味は食べるまでもなく理解出来るだろう。だが、ケーキという菓子は総じてカロリーが非常に高い。ただでさえ昼食時のシチューなどが大変美味しくて大量に、それも鍋が空になるまで皆が御代りしたのだ。それに積み重ねるどころか埋もれさせるほどのカロリーを持ったケーキ。一切れは食べるがそれ以上は今日の夜が怖い。それが乙女の心情というモノ。大食らいと称されるレイナでもその行為は躊躇われるのだ。
まぁ、そんな懸念も――
「……流石はエミルだな。今日のケーキは格別美味しかった」
大食らいでありながら甘党でもあるゼルの胃袋へと消え去っていったが。
「……シズクもパンが柔らかくて美味しかった」
「解りますか? 私がパンを作ったって」
「……無論、というよりも、パン焼きに限ってはどうしてかエミルより技能は上だろうに」
「本当に二人ともすっっごく美味しかったです!」
「そぉ? そう言ってくれると嬉しいよぅ。ねぇ、シズクちゃん?」
「当たり前です。我々とて人、褒められれば嬉しいのは当然の帰結ですね」
結局、テーブル上にあった全ての食材は跡形もなく消え去った。
残ったのは三人の満面なる笑顔と一人の一見無表情にしか見えない微笑。
「それでは――」
そう言ってシズクは懐に手を伸ばし、それと同時にレイナに眼を瞑るように指示。何ら疑うことなく純粋無垢な幼子のように瞳を瞑ったレイナに対し三人は苦笑を零した。
ワクワクしているのが傍から見ても感じられ、もしもレイナに耳か尻尾が生えていたのなら、それらは猛然と左右に揺れていたことだろう。
そんな様子を見つつも、シズクは静かに懐から一つの存在を取り出して静かにゼルに手渡す。息を呑むゼルだったがシズクに手で静かにとジェスチャーされ、愕きにより口から洩れそうになった声を無理矢理に呑み込んだ。
渡された後数瞬の時間を経てその意図を感じとり、視線で二人に尋ねる。
返って来たのは肯定の合図である首肯。
ゼルは静かにレイナへと近づき首に手を回す。突如の事態に仰天するレイナだったが感じる体温はゼルのそれ。若干身体は緊張により硬直するもレイナは成すがままにされていた。
人形のように小さな身体。それは風評だけでなく、触った感触もそれに等しいものだった。小さな身体に大きな力を宿しているという矛盾。壊れ物を扱うようにゼルは慎重に、それでいて優しく繋ぎとめた。
今日という日を記念して。
この場に居る四人が確かな絆で結ばれた仲間だという事を証明して。
「――ぁ……」
開かれた瞳が捉えたものは、自身の首に掛けられている一つのネックレス。
ネックレスにしては簡略なリングトップネックレスだが、その指輪は装飾に凝っていた。琥珀色をした宝石をベースに、縁を白銀に輝く精霊鉱石、中心に大きく虹色の輝く精霊魔石を添え、それは朝日のように煌いている。所々にアクセントとして惜しげもなく使用されている精霊魔石が随所で輝き、まるで一個の生命体のように躍動感を感じられた。
「凄い……。これって精霊魔石じゃないんですか?」
「そうだよぉ。シズクちゃんが幸運を齎してくれたんだぁ、まるで女神だね」
事の詳細を細かに説明するエミル。その間に残り二つのネックレスもゼルに手渡された。
理由はレイナと同じでいいのだろう。小さく頷き、エミルの前に立つ。
「ん……」
瞳を閉じ、どこか艶のある声を喉元から発するエミル。
並の男ならその容姿と胸に在る二つの双丘によりノックアウトされるだろうが、そこはゼル。全くの変化なしで首に手を掛け、掌で輝くネックレスと繋ぎ止めた。
装飾等は先ほどのレイナとほぼ同様。強いて違う所を上げれば琥珀色の宝石をベースにしていた所が翡翠色の宝石がベースになっているだけ。これは個々の容姿に合うように態々『ルフェグナーデ』の職人が汗水垂らしながら考えてくれたのだろう。
同じようにシズクにも掛けていく。
「お願いしますね……」
こちらは深い海色のした宝石がベースに使われていた。
首に近づいた時、女性特有の甘い香りと熱の籠ったと息が首元に吐きかけられるがそれすらにも反応しないゼル。
「最後はゼルの番なのですが――」
若干、というよりも普通に憮然とした表情を晒すシズクとエミル。どうしてこうなったのか理由が解らないゼルにとっては困惑物だが、幾度となく繰り返されてきた反応だ。こういう時の対処法は一つ、触らぬ神に祟りなしとばかりに回避するのが一番。
「今日の主役はレイナちゃんだからねぇ。大事な所は締めて貰おっか」
「ということで、よろしくお願いしますね、レイナ」
「ぇっ!? あ、ぅ……ぅん、はいっ!」
そう言ってシズクから手渡されたネックレスを受け取るレイナ。やはりというべきか、ネックレスの装飾は先の三つと同様であり、違う場所は同様にそれぞれのあった配色の宝石。レイナが琥珀、エミルが翡翠、シズクが蒼海、そしてゼルが純白。一点の曇りもなく、何物にも染まらない始まりの色がそこにはあった。
挙動不審に成りながらレイナはゼルの首元に手を回す。震える手が両端を繋げる鎖の接合部が擦り合い中々繋がらない。それでもゆっくりと心を静め、漸くカチッという音が部屋に木霊した。
「はわぁ……」
「流石はゼルです」
「似合ってるよぅ……」
感嘆とした三人の息が零れる。
「……三人には負ける」
気恥かしさを隠すよう、少しだけ早口になりながらゼルは言う。
「ふふっ……。さて、このネックレスはあのルフェグナーデが意匠を凝らし作って頂いたものです。勿論、一番のメインは刻み込む者による刻印魔法。刻印に関しては――」
懐から四枚の書類を取り出す。
「まずはエミル。治癒師という職業を顧み、まずは物理防護、魔法防護の二つを要に緊急の魔力障壁の発動の三点らしいですね。完全に守護優先の刻印ですが、欠ければ崩れる存在たるエミルには丁度良いでしょう」
はい、と四枚の内の一枚の書類をエミルに手渡す。どうやらあの書類はネックレスに関するもののようだ。
「次に私。反射神経等の感覚器官の強化を基に腕限定の強化の刻印ですか。カウンター主体の私にとっての必須技能をピックアップしてくるとは流石としか言いようがないです」
ペラと一枚を後ろ側に持っていき次の書類を読みだす。
「レイナの場合、元々魔力強化が付加された指輪を持っていたのでこれ以外の効果の刻印を指定しましたがいやはや。まずは魔術使用に負担する魔力、精神力の減少。これは精霊魔石もあるので相乗効果を生みだしますね。もう一つが周囲に漂う魔力素を装備者の体内に還元し魔力に変える刻印……ですか。前者はともかくとして、後者はそんじょそこらの一級品でも見掛けない様な効果なんですが……」
冷や汗を垂らしながらレイナに書類を手渡す。渡されたレイナもシズクと同じように引き攣った笑顔を浮かべていた。
「最後にゼルですが……極めて単純、それ故にゼルにあったコンセプトです。内容は私と同様の感覚器官の強化と身体能力の強化の二点」
「……成程な。流石は世界最高峰というワケだ」
手渡された書類をもう一度上から下まで流し見て、ゼルは刻み込む者にそう評価を下した。
戦闘内容を見たわけでもない相手の特性を完全に見抜き、それでいてその者が望む刻印を刻む、まさに刻み込む者という名に相応しい存在だ。
「書類に書いてある通り、刻印の効果が切れたのならオーナーであるヴァルド=セイクリッドが格安で刻み直してくれるそうです」
「至れり尽くせりだねぇ」
「アフターサービスも万全、ということでしょう」
首に掛けられたそれぞれのネックレスを互いに見つめ合い、そして笑い合った。
「今日は一日中遊び尽くしましょうか。どうせ明日からまた講義等があるんです、今日くらいは羽目を外しても問題ないでしょう」
「だねぇ。それじゃ晩御飯は任せてよぅ」
「わ、私も手伝いますっ!」
「……程々にな」
ディルクロの部屋には夜遅くまで明かりが灯っていた。
0時に更新出来なくてすいません。思った以上に時間が取れませんでした。次からは出来るだけ0時更新出来るように目指しますので。
話を小説に戻して、よし、何とかメインキャラが出揃いました。これで漸くプロローグも終わりです。
それにしても三万字使ってプロローグって、どんだけ展開遅いんだって話ですね。本当ならもっとパッパパッパ進む予定でしたのですが、どうしてかこのような形に……
ま、次からは色々と話が進んで行くのでお許しを。
次の更新も来週とさせて頂きます。そろそろ大学に必要な物資等も買い出しに行かないといけないので下手すれば更新が遅れる可能性も無きにしも非ずですがね(汗
恒例の単語の説明等の開始。
『ディルクロ』
ゼル達四人が所属するクライムの名前。
ディルクロとは夜明けを意味する言葉であり、由来はゼルの故郷に伝わる物語の一節から。
四人にとっての始まりの言葉であり、大切なもの。
『精霊鉱石』
精霊魔石には劣るが、魔術的要素を含みやすい鉱石の一種。
色も様々にあるがその内で白銀色が一番高価。
感想、誤字脱字等の報告などがありましたら気軽にお願いします。感想は作者のモチベーションを保つ唯一の燃料ですので。