生まれ変わった僕が、最初に聞いた言葉は「始末しろ」だった
耳をつんざくようなクラクションが鳴り響く。
鳴らしたからなんだというんだ。こっちは訳の分からない力に縛られて、身動きひとつ取れない。動けるなら、とっくに動いている。
運転手には申し訳ないと思う。生きていたら、いくらでも償うつもりだった。
――とどのつまり、僕は死んだ。
目を開ける。
真っ白な世界を想像していた。
……でも、違った。
死んだんだから、もっと静かなものだと思っていた。
何も聞こえなくて、何も感じなくて。
そんな終わり方を勝手に想像していた。
「お願いです! 信じてください!」
耳元で響いた悲痛な声に、思わず眉をひそめる。
……うるさい。
死後まで騒がしいのは勘弁してほしい。
ぼんやりと意識が戻ってくる。
……病院?
助かったのか。
いや、でも死んだはずだよな。
頭がぼんやりする。
まぶたは鉛でも乗せられたように重い。
このまま眠ってしまえたら、どれだけ楽だろう。
そう思って目を閉じかけた。
……待て。
僕、普通に考えてるじゃないか。
ゆっくりと目を開ける。
視界いっぱいに広がる天井。
白い布がゆるく垂れ下がっている。
病院……なのか?
いや。
ベッドが妙に柔らかい。
ホテルのスイートルームでも、ここまで寝心地は良くないだろう。いや。泊まったことないから知らんけど。
状況を確かめようと左へ顔を向ける。
……は?
そこには、小さな赤ちゃんが眠っていた。
ぷくぷくした頬。
規則正しい寝息。
黒く柔らかな髪。
長いまつ毛。
思わず頬をつつきたくなるくらい、かわいい。
……なるほど。
天使って、こういう子のことを言うのかもしれない。
赤ちゃんが小さく身じろぎをして、ゆっくりと目を開ける。
青い瞳だった。
吸い込まれそうなくらい澄んだ青。
……青?
カラコン?
日本人じゃない?
いや、それ以前に。
なんで赤ちゃんと同じベッドで寝てるんだ。
病院のベッド事情、だいぶ思い切ってない?
混乱したまま反対側へ視線を向ける。
騒がしかった理由は、すぐに分かった。
まず目に入ったのは、見覚えのない服装の男女だった。
その後ろには、何人もの人が控えている。
……いや、待て。
ここ、本当に病院か?
ベッドはある。
でも、それ以外がおかしい。
座り心地の良さそうな椅子。
壁に飾られた大きな絵。
床には傷ひとつない。
そして極めつけは、隅に置かれた壺だった。
どう考えても、病室に置くものじゃない。
……病院じゃないな、これ。
「お願いです! 信じてください!」
女性が涙を流しながら男へすがりつく。
男はその手を振り払い、眉ひとつ動かさなかった。
「あれを見て、どう信じろというんだ」
低く落ち着いた声だった。
怒鳴っているわけではない。
なのに、その場にいた全員の動きが止まった。
「それなら、あれをどう説明する」
男はためらうことなく腕を上げた。
その指先は、僕たちが寝かされているベッドを真っ直ぐ指している。
……この赤ちゃんか。
女性は涙をこぼしながら何度も首を振った。
「そんなこと私にも分かりません! ですが、間違いなくあなたの子です! 浮気なんて、絶対にありえません!」
……いや。
他人が口を挟む話じゃないんだけど。
隣の赤ちゃん、お父さんにそっくりですよ。
黒髪に青い瞳。
目元なんて、そのままじゃないですか。
そう思って改めて部屋を見回す。
黒髪。
青い瞳。
この赤ちゃんもそうだった。
……外国人が多い場所なのか?
その時、男が口を開いた。
「始末しろ」
それだけで、部屋から音が消えた。
女性の顔から血の気が引く。
使用人たちは息を呑み、誰一人として動けない。
「あなた、待ってください!」
女性が男の腕へしがみつく。
しかし男は容赦なく振り払った。
「ミュルト。何をしている」
部屋の隅に立っていた青年が、小さく肩を震わせる。
「レーゼント様……ですが……」
「聞こえなかったか」
男の声には、迷いがなかった。
だからこそ、逃げ場がない。
「早くしろ」
青年は苦しそうに目を閉じる。
握り締めた拳が、かすかに震えていた。
やがて諦めたように息を吐き、小さく頭を下げる。
「……承知しました」
青年が一歩、踏み出した。
足音はほとんど聞こえない。
それでも、一歩近づくたびに胸の奥がざわついた。
……待て。
何をする気だ。
嫌な予感しかしない。
咄嗟に隣で眠る赤ちゃんへ手を伸ばす。
守らなきゃ。
理由なんてない。
でも、体は勝手に動いていた。
届かない。
……あれ?
もう一度、腕を伸ばす。
短い。いや、短すぎる。
思ったように動かない。
何だこれ。
怪我……じゃない。
そんなことを考えている間に、青年は目の前まで来ていた。
「……申し訳、ございません」
震える声だった。
誰に謝ってるんだ。
隣の赤ちゃんか?
青年の手が、こちらへ伸びてくる。
あれ。違う。
そっちじゃないのか。
その手は、僕へ伸びてきた。
その手が、僕の体に触れた。
……え?
ふわり、と視界が浮く。
抱き上げられた。
…………僕が?
いや、待て。
なんで?
大人一人をそんな簡単に持ち上げられるわけ――
ない。
体が、信じられないくらい軽い。
踏ん張ろうとしても、足に力が入らない。
何が起きてる?
混乱したまま視線をさまよわせる。
その時だった。
部屋の壁際に置かれた大きな姿見が目に入る。
何気なく映った自分の姿を見て、思考が止まった。
鮮やかなオレンジ色の髪。
透き通るようなピンク色の瞳。
ぷくぷくした頬。
小さな手足。
鏡の中にいたのは、どう見ても赤ん坊だった。
…………。
誰だ。
そう思った。
もう一度、鏡を見る。
変わらない。
もう一度見る。
…………。
僕だ。
なるほど。
そういうことか。
いや。納得している場合じゃない。
全然よくない。
僕、赤ちゃんになってるじゃないか。
しかも、さっきまで「かわいいなぁ」と見ていた子は、ただ隣で寝ていただけだった。
つまり、僕は、こっち。
現実逃避するように、もう一度鏡を見る。
何度見ても変わらない。
赤ん坊だ。
どう見ても、日本人ですらない。
そこでようやく、一つの言葉が頭をよぎる。
――転生。
「始末しろ」
男の声が、鮮明によみがえった。
頭の中が、一気に冴えていく。
……あ。
男が指していたのは。
青年が近づいてきたのは。
抱き上げられたのは。
全部。
僕だった。
赤ちゃんになったことなんて、もうどうでもいい。
転生したことだって、今はどうでもいい。
問題は、そこじゃない。
僕。
今から、殺される。




