第一話
男はタクシーの後部座席に身を沈め、流れる車窓の景色を横目に、スマートフォンの画面を指先でなぞっていた。
目的地は、彼にとって初めて訪れる街。急速な都市開発で注目を集めているが、その実態は依然として未知数のままだ。
「お客さん、この街には出張か何かですか?」
不意に運転手が声をかけてきた。男は手を止め、わずかに顔を上げる。
「ええ、まあ、そんなところです。ライターをしてましてね。今回はちょっとしたネタ探しの旅なんです。」
「ライターさんですか。そりゃあいい。だったら、ネタには困りませんよ、この街は。」
「……それは、どういう意味ですか?」
「ご存じないんですか? この街、たしかに発展は目覚ましいんですが、そのぶん、妙な影も伸びてきてましてね。最近じゃ、柄の悪い連中がうろつくようになってきたんですよ。黒い話も、聞くだけでゴロゴロしてます。」
男は肩をすくめ、軽く笑ってみせた。
「まあ、どこにでもそういう連中はいるもんでしょう。」
「ええ、まあね。でも、それだけじゃないんです――幽霊を見ただの、化け物に襲われただの、オカルトめいた噂まで飛び交ってるんですよ。この前なんて、私、狼男みたいなヤツを見たんですから!」
アッハッハ、と陽気に笑う運転手。
その声音には冗談半分の軽さがありながら、どこか“本気”の匂いも漂っていた。
男は「そうですか」とだけ返し、再びスマートフォンに視線を落とす。
メモアプリを開く。事前に調べておいた情報が記録されていた。
――G県の南東部に位置する夜峰市。海に面しており、近年は外国籍の輸送船も寄港するようだ。
都市開発が進むまでは、どこにでもある過疎化が進んだ地方都市にすぎなかったが、数年前から海外資本が流入し、急激な変貌を遂げつつある。
それに伴い、多くの外国人が移住し、住民の人種構成は多様化。一部にはチャイナタウンも形成されているという。
メッセージアプリに通知が届く。差出人は、今夜から面倒を見ることになる予定の先輩だった。
内容は、「待ち合わせの時間、ちゃんと間に合いそうか?」という確認の一文。
「ところで、あとどれくらいで着きますか?」
男はスマートフォンから目を離さずに尋ねた。
運転手がバックミラー越しにちらりと目を向けながら答える。
「そうですねえ、あと二、三十分ってところでしょうか。」
男は軽くうなずき、「間に合いそうです」とだけ返信する。
送信の表示が画面に浮かぶと、スマートフォンをポケットに滑り込ませた。
それからしばらく、車内にはたわいのない会話が流れた。
旅人と地元の運転手――天気の話、道中の風景、どこかで聞いたような噂話。
軽い話題ばかりだが、言葉のやりとりが、不思議と緊張をほぐしてくれる。
ふいに、視界が開けた。
山道を抜け、長いトンネルを越えた先。車は小高い峠道を下りはじめていた。
「――お客さん。あれが、夜峰市ですよ。」
運転手が顎で示す先に、広がる街の姿があった。
想像していた以上に、整った景観だった。
中心部には真新しい高層ビルが立ち並び、その周囲には活気ある繁華街が広がっている。
昼の陽射しを受けたガラス張りの壁面が、きらりと光を返していた。
港湾部には、大小さまざまな輸送船や漁船が寄港している。
さらにその外縁には、建設途中のアパートやマンションがいくつも見受けられた。
山のふもとには鳥居が見える。おそらく、土地神を祀る神社なのだろう。
「どうです? 大したもんでしょう。あっちもこっちも工事ばっかで、ちょっと騒がしいのが玉に瑕ですがね。」
運転手はまたアッハッハと笑った。