自然状態の問題点とそれを解消するための政府の設立方法について考察する。
次は、なぜ、そしてどのように政府ができたのかについて考察する。
この自然状態には、社会的分業が成立せず非効率な労働しかできないという弱点があった。故に人々は、社会的分業を成り立たせるために通貨、および通貨を管理する主体としての政府を求めた。
故に人々は社会契約を結び、政府を設立した。この時、人の自由を侵害したものを裁く権利は政府に委ねることとなった。また、政府は技術革新促進のため優れた発明をした人に対しその発明の知的財産権を認めた。そして、誰のものでもない土地を政府が優先的使用権を持っているものとし、一部の土地の優先的使用権を政府が売りに出すとともに、土地の優先的使用権を持っている人に対して土地の使用料すなわち土地の固定資産税を求めた。土地の優先的使用権は土地の所有権ではないため土地の固定資産税を国家が人々に要求する行為は権利の侵害には当たらない。また通貨を介して自身の労働力や所有物を売る人や法人に対して、そのことで発生する利益や収益に対して税金(消費税や所得税、法人税など)を課した。そしてこの税金は政府が発行する紙幣で支払われる必要があるものとした。さらに、政府が発行する紙幣の偽造は重罪とした。そして、政府は、人の自由と権利を守るために警察官を雇った。その警察官には政府が発行する紙幣が支払われた。そうすることで政府は人の自由と権利を侵害した人を裁くことができるようになり、また私刑は冤罪を生むリスクがあったので禁止された。ここに人の自由を侵害した人を裁く権利は政府にゆだねられた。また、国民には一定の額の政府が発行する紙幣が支払われた。また国家は市場を運営するための法律を制定することになった。なお、労働の産物に対する所有権と土地の優先的使用権と一定期間の労働サービスの提供権と自分の個人情報に他者がアクセスすることを許可する権利(同一の個人情報について複数の相手に許可を与えることが可能)と知的財産の利用許可権と知的財産権のみが、本人の完全な自由意思に基づき、市場において分離・譲渡可能とした。他のいかなる権利も、市場において分離することは不可能である。
こうすることで、土地を利用したい人とそうではない人たちとの間で、また単純に人の所有物が欲しい人たちの間で所有物や労働力の売買が行われるようになった。こうして政府が市場制度を創設したことにより、政府は人々がこの制度に平等に参加できる権利を保障する義務を負うことになった。市場に参加する権利は政府が創設した制度から生まれる積極的自由であり、制度の創設者たる政府がその実現に責任を持つのは当然である。この時初めて、人々は市場に参加する権利を得ることができた。例えば、政府が市場制度を作って初めて、税制の枠内でリンゴを売れるようになった。商取引の自由とは自由にものを売買・譲渡・処分する無制約の自由を意味するが、市場に参加する権利とは政府が定めた市場ルールに従って取引を行う制度的権利を指す。前者は無秩序と人権侵害の危険を孕むが、後者は制度的保護の下で安全な取引環境を提供する。
ただし市場ができたことできわめて多くの土地を独占使用する人が現れるようになり、その結果人々の生存権が脅かされるようになった。こうなる原因を作ったのは政府であるため、人のものを壊した人がものを弁償しなければならないのと同じ理屈で政府は人々の生存権を保証しなければならなくなった。なお、通貨発行の主体が政府であるか民間であるかは本質的問題ではない。通貨価値を最終的に保証し市場制度を維持する責任は政府にあるため、市場で生じる問題の責任は結局政府に帰することになる。ここでは議論の簡明化のため、通貨発行主体を政府とした。
また、国家が司法制度を創設したことにより、国家は国民が公正な裁判を受ける権利を保障する義務を負う。司法を利用する権利もまた、政府が創設した制度から生まれる積極的自由である。このことで国民には司法を利用する権利が認められた。
また、政府が国民の権利を奪わないようにするために政府は民主的に運営されるものとし(参政権)、さらに国民には自分たちの権利が政府によって侵害された時に政府を倒す権利(抵抗権)が認められた。民主主義的な政府が設立される理由は、権威主義的な政府の下では国民は権力者に生殺与奪権を握られてしまうからである。権威主義的な政府では権力者の道徳観次第では国民の自由と権利は守られないという問題点があるため、国民の自発的な社会契約では民主主義的な政府しか作られない。故にここで作られる政府は必ず民主主義的な政府となる。
ところで、民主的な政府が成立するためには教育が必要不可欠である。文字が書けない国民がいたら選挙が成り立たないし、有権者が政治的な知識を知らなければ選挙の候補者の言っていることがわからないためまともな選挙が成り立たないからだ。故に政府には国民の教育を施す義務が発生した。(国民にとっては、教育を受ける権利が発生した。)
ところで、納税の義務は国民の権利を侵害してはいないのだろうか? 実際には、国民の権利は侵害されていない。なぜなら、土地に対しては所有権は主張できないし、また所有物の所有権の中には所有物を売買する権利は含まれていないからだ。所有物を売買する権利は市場に参加する権利の中に含まれているが、市場に参加する権利は税金の支払いを前提にしている権利である。そして私は商取引の自由を権利として認めていない。なぜなら商取引の自由を権利として認めると権利そのものを商取引の対象にする人が現れるからだ。具体的には、商取引の自由を認めると、例えば親や兄弟の病気の治療を医者にしてもらうため、あるいは親や兄弟の食べる食べ物を手に入れるために自分自身を商取引の対象として奴隷に身を落とす人が出てくるかもしれない。これは日本の江戸時代から明治時代初期にかけて実際に起こったことである。故に商取引の自由は認められない。故に納税の義務は国民の権利を侵害していない。
国際関係においては、通貨間の価値関係は市場原理に委ねられる。外国人の市場参加権は、自国民の権利保障を前提とした上で、各国政府の政策判断により限定的に認められる。
政府があることで成立する権利は以下のものがある。
・知的財産権
・市場に参加する権利
・土地の優先的使用権
・参政権
・抵抗権
・教育を受ける権利
逆に、政府に委ねられた権利は以下のものである。
・人の自由を侵害した人を裁く権利