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第 八 章 中学一年 初夏 プール開き

第 八 章

中学一年 初夏 6月中旬


追い詰められた冥衣花の渾身の一撃により、区内全域の水道設備は機能不全に陥った

区が被った被害は270億円(区の税収全体の約8%。経済波及効果含まず)

しかし教師の柔軟な対応によりプールの授業は続行された


めいかは破壊するのなら、できるんだったら、もしやるんだったら昨日すべきだった

クラスのみんなはプールに入り、準備運動や柔軟をしている

めいかはプール際で飛び込むタイミングをはかった

その姿はまるで高い崖から海に飛び降りようとする失恋した女性のよう

らみぃはプールに入っていて、めいかを心配している


らみぃは言った

「こころの準備ができたら入ってきて

 何かあったらわたしがすぐめいかをプールから引っ張り上げるわ」


「なにかあったらわたしに触れない方がいい

 わたしは地球を救うため祈っている最中、背中を刺された

 エアリス・ゲインズブールのように最後は美しく散りたい」


らみぃがそれについて何かを言っている瞬間、めいかは頭からプールに飛び込んだ

プールの底に足をつき、ゆっくり水面から顔を出した

きっとプールは阿鼻叫喚が起きている


めいかは恐ろしさのあまり目が開けられない

誰かが後ろからめいかの両肩に手をのせた

首を絞められる、と思っためいかは急いで振り向いた


らみぃはめいかの両肩から手を離し、村の教会の修道女のような微笑みを浮かべた


らみぃは告げた。まるでマグダラのマリアがキリストに話しかけたよう

「もう大丈夫。めいかちゃん


 この水はわたしが通っている教会で洗礼の時に使う聖水のように美しいわ」


めいかは周囲を見渡した

クラスのみんなは一年ぶりのプールをきゃあきゃあ叫びながら楽しんでいる


めいかにつるかめ算を教えて欲しいと言い、今は連続体仮説を教わっている

冬月芽衣ふゆつき めい(12才)は、左足をプールサイドまで上げて

ストレッチをしている


めいかが詠んだ俳句を毎回こっそりコンクールに投稿し、家計の足しにしている


七海紗奈ななみ さな(13才)は、

人差し指を舐め、水の塩素濃度の確認をしている

彼女は保健係だった


めいかが、らみぃに言った

「そういえば去年もおととしも普通にプールに入っていた

 さては今年も大丈夫ってことか

 ストレッチを急がなきゃ。足をつってしまうかも」


らみぃは言った

「めいかちゃんに新約聖書のこんな言葉を贈るわね」


  愛するものよ。あなたの魂が恵まれていると同じ、

  あなたがすべてのことに恵まれ、すこやかでありますように

 

「ありがとう

 でもかんなちゃんが後ろから羽交締めしようとしてる」


それを聞いたらみぃは言った


   「Jesus Christ !」


「やめろらみぃ。旧約聖書でモーセは神の名をみだりに唱えてはならないと」


らみぃはそれを聞いてぽかんとしている


鬼ケおにがはら 姦奈かんな(12才)が後ろから両手でらみぃのお腹を捕まえた

らみぃは振りむき、姦奈のおでこに右手をかざした


その瞬間、


プールの水が真っ二つに割れた

床が完全に見え、女の子たちは割れたプールの校舎側と校庭側に

第4コースを境目に離れ離れになった


らみぃが言った

「めいかちゃん、どうしよう

 わたしモーセが海を割ったのと同じことしちゃってる

 約束の地に逃げろってこと?」


めいかが言った

「モーセは海を割るのに両手で杖を使った

 らみぃはそれを片手の、それも素手で」


らみぃは自分の右手を鬼ケ原姦奈のおでこの前から下ろして大丈夫か分からない

めいかも同じことを考えた


姦奈がいった

「らみぃちゃん、ごめん

 もうあなたにいやらしいことしないから

 プールの水を割ったりしないで」


めいかは旧約聖書の海が割れるシーンを目をつぶり思い出した

めいかはモーセの隣にいた


エジプトの地で白い髭を生やし杖を持ったモーセは眉間に深いシワを刻まれた人物

だった


めいかはその眉間のシワからヘブライ人が長年ひどい扱いをされたことを感じ、

そして言った

「モーセは海を割る前、ナイル川を血に変えた

 プールの水に、もしらみぃが同じちからを使ったら

 プールの授業が危険な理由はそもそもわたしでなく、」


らみぃはめいかの指示を待っている


めいかは言った

「らみぃ、絶対にプールの水を血に変えるな」


 その瞬間、


全ての水が一瞬のうち、いちごシロップ色に染まった

舗装されたプールサイドとプールの床は一面砂利になり、

苔の生えた岩に囲まれた

青かったはずの空が黒い雲に覆われ、

太陽が隠れまるで夜間水泳をしているかのような暗さに


プールサイドの砂利の上を黒い蟹が歩いている

蟹は左のはさみが異様に発達して、大きすぎる左のはさみを引きずって横に歩いた


めいかを含め、クラスメイト全員が硬直している中、らみぃはひとりで先生を探した

でもどこにも見当たらない。さっきまでプールサイドにいたのに


先生を見つけられない理由は、

そもそも教師がプール近辺にいなかったから

ここのプールがふたつに割れた瞬間

彼女は自分の車のある駐車場に向かった


らみぃがプールサイドからめいかに何か叫んだ


「めいかちゃん早くプールから出て」

「プールがあの世とつながってる

 ここはもう女子校のプールじゃない

 開けたのだから閉じなきゃ」


らみぃは誰かも分からない人々の鮮血でどろどろになったプールの底に

排水栓を見つけ叫んだ

「これは人力じゃ抜けない。太い鉄の鎖で繋がれてる

 ハンドルを力任せに回転させるのか

 それとも電動で排水するのか

 ハンドルを回転させるのはわたしの腕力じゃとても無理

 制御するボタンがある場所は」


黒い雲は地上に降りていた

あの雲は先ほどはこんな低い位置になかった。手が届きそうだ


クラスメイトはそれぞれ別の景色を見ていた

めいかの横にいる青山沙織あおやま さおり(12才)は、

結婚式場に一人、スクール水着で座っていた


天井から血がぽつりと落ち、沙織の着ているドレスを染めていった

その原因はきっと上の階でそういうことがなされているから

着ていたスクール水着はウェディングドレスに変わっていた


その純白に、天井からの血で赤いシミが増えていく


沙織は分からなかったが、その血液の白血球の数は正常値の1200倍以上あった

彼女は自分の右側の存在にそこで気がついた

彼は礼服を着ていた。結婚式用の礼服ではなく、喪服だ


年齢は90以上にしか思えない

老人は沙織に会釈をし、テーブル横の棺を開け中に入りふたをした

その仕草は子どもがかくれんぼをしているかのよう


しばらくして棺の中から甲高い笑い声が聞こた。その声はいつまでも続く

沙織はウェディングドレス姿のまま耳を塞いだ

その左手の薬指に知らない誰かが指輪をはめた


彼女は驚き目を開けた

その人物は中年の男で


満面の笑みを浮かべ沙織の下半身を舐めるように見ている

急いで指輪を取ろうとしたがどうやっても取れない

指輪はきつくなっていき、指がうっ血し紫色に変わっていく

棺の笑い声は赤ん坊の泣き声に変わっている


中年の男は沙織にたいし赤ん坊に母乳を飲ませるよう促した

「スクール水着の上を少しずらせば、沙織の母乳を飲ませられるだろう?」

男は自分の薬指に指輪をはめながら言った


沙織は薬指を口の中に根元まで押し込んだ

そして全力であごの力を使い指輪ごと自分の指を噛み切った


彼女は急いでそれを口から吐き出す

だが彼女はまったく痛みを感じない


中年の男が床を転がり叫び声をあげた

沙織は吐き出したものを見た


それは指ではなく、別のものだった


彼女はそれまで実際にそれを見る機会はなかったが、それが何かがわかった瞬間

先ほど食べた給食をすべて床に吐き出した


男は叫ぶのをやめ、意識を失った

棺の中の赤ん坊の泣き声が大きくなる

沙織は胸が張っているような感覚を覚え過呼吸を起こして床にうずくまった


沙織の隣にいる莉子はノルマンディー上陸作戦で苦戦し、

銃弾を浴び海底に沈む連合軍の兵士をドイツ側から見ていた


海水は当たり一面、苺シロップ色

莉子は、連合軍の兵士を一人たりとも上陸させまいと

やってくるアメリカ人の鼻を狙って引き金を引き、海に沈むのを確認し


次の鼻を狙った。これで7人目


莉子はつぶやいた

「これは奇襲作戦なのだから、最初から全戦力を投入しているはず

 気象条件が良くないのに攻撃してきたのはわたしたちを

 油断させたのね

 上陸されたらわたしやクラスメイトの女の子たちは巨漢のアメリカ兵に

 襲われる。何度も何度も

 彼らにとって価値が無くなるまで

 いや、子どもなんかより、みこ先生が狙われる


 それにあぶれたアメリカ兵にわたしたちが襲われるんだ


 一人残らずアメリカ人を殺さなきゃ

 効率的に殺さなきゃ」


莉子は持っていたワルサーP38を地面に叩きつけ、スクール水着の胸に

入れていたM39手榴弾を取り出した

彼女は、自分の胸で温めていた手榴弾のピンを抜き

三秒数えた


 いち、にい、さん、


そしてアメリカ兵が一番密集している海に投げ込んだ

海水と共に少なくとも六人のアメリカ兵の血と肉片が吹き飛ぶ


その火力は彼女の予想を下回った


それを確認した莉子は、スクール水着の背中に入れていたダガーナイフを

右手でゆっくり取り出した


彼女はナイフの柄を固く握り、海に向かって走り出した



めいかはその光景を見てつぶやいた

  Everything that has a beginning has an end.

  (始まりあるものは全て終わりがある)


らみぃは女子更衣室と女子トイレの間にある制御室に入っていった

らみぃは自分がいる部屋の名前すら分かっていない


彼女は108個あるボタンを一つ一つ確認していった

制御盤にはモニターとキーボードまである

らみぃは言った

「排水はこの部屋じゃできないのかも

仮にこの部屋だとして

 血を排水し終わるまでに何人か川を渡ってしまう」


先ほどの黒い雲は下に降りていて、ついにプールの水面に達した

もはや誰がどこにいるのか暗すぎて分からない


らみぃと仲の良い澪は、

足元が小石で埋まった川辺に立った

川辺にはタンポポはおろか、雑草一本生えていない

苔の生えた石や砂利があるだけ


向こうから船渡しがやってくる

あれに乗ればこんな寂しいところ、きっと離れられる


 向こう岸はいいところ


 たのしいところ


 夜中に寝ているわたしのベッドに入ってきて、毎晩、触られたくないところを

 触ってくるパパのいないところ


 それを見て見ぬふりをするママのいないところ


船頭は櫂を持ち水をかき出しやってくる

船頭は両手を振る澪に気がつき、櫂を左右に揺らして返事をした


顔がぼんやりと見えてくる

彼の顔は先ほど莉子が引き金を引いた結果、鼻があった箇所を

中心に窪みができ、両目があった位置も分からなかった


らみぃは一つずつ確認していたボタンの108個目で目的のボタンにたどり着いた

「この部屋であってた」


排水の赤いボタンを押そうとした、がそこで固まった

「人が入っていても排水して大丈夫なのかわからない

 WarningとCaution って赤く書いてある

 排水の手順説明を読む時間がない」


めいかは言った

ここをあの世と繋げてしまった。閉じるためには

あの世とこの世を隔てているものは、この世と向こうの違いは


今は向こうにいるおかあさんは言った

 おともだちが喜んだらめいちゃんも喜び、

 おともだちが泣いてしまったらめいちゃんも泣いてしまう、

 

 おかあさんは、めいちゃんにそういう大人になってほしいなって思ってる

 でもわたしが願う必要はなさそうね

 めいちゃんの俳句をきいて大丈夫ってわかるもの


めいかは白血病の血液で満たされたプールに浸かった状態で目をつぶり

おかあさんがまだこちら側にいた小学3年生の時を思い出した

おかあさんは言った

「世界にはいろんな神さまがいてそれぞれみんな違うのを信じてる」

めいかは聞いた

「ほんとうの神さまはどの神さま」

「どの神さまも自分が本当だと思ってるんじゃないかしら」


「じゃあほとんどの神さまはニセモノってことだ」

おかあさんはめいかに聞いた

「めいちゃんは、きのうのおかあさんと今日のおかあさんどちらが好き?」

めいかは考えた


そこで目を開けた

地上に降りた黒雲の濃さが増している。この雲はなぜか雨を降らせない

これ以上深い黒になってしまうとクラスメイトが川を渡る以前に、


「思考の範囲を超えたものについては沈黙するほかない

 言語を超えた命題については沈黙するほかない

わたしはおかあさんが大好きだった

まだ向こうに行かないでほしかった

あの時それを伝えられていたら」


言い終わる前に

抗がん剤が混じった血のプールが原子炉の冷却水に使えるほどの超純水に相転移した

割れたプールの水が第4コースに向けいっせいに流れ込み、激しい津波が発生した

クラスメイトたちは普段の学校のプールの景色を見た


めいかは津波に襲われながら、溺れているクラスメイトがいないか、

それ以前に川を渡ってしまった子がいないか確認していた

らみぃは人がいる間は決して押してはいけない赤いボタンを震える指で押す寸前で

踏みとどまった


逃げ出した体育教師の様子を見て不審に思ったみこ先生が駆けつけ

授業は中止になり、みんなを更衣室まで避難させた

みこ先生は集団幻覚か、有害なガスが飛散したとして

救急車を呼び、生徒全員の健康確認を医師にさせるように

話を進めた

区内全域の水道が断水した影響で救急車の到着は通常より10分遅れた


らみぃとめいかは更衣室でお互いを見つけ駆け寄った

めいかはらみぃに言った

「らみぃが新約聖書の優しい言葉を贈ってくれたら

旧約聖書の奇跡が起きた

 絶対にヨハネの黙示録のことは考えるな」


らみぃはめいかに言った 

「わたしがあやうく人殺しになるところだったのよ」

めいかは聞いた

「エアリスが祈っている時、後ろから刺した男は最後どうなった」

らみぃが答えた

「エアリスの願う通りになった」



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