死について
「おい、エマ。三つ前に降りた惑星のことを覚えてるか? ほら、お前が惑星のどこにも鏡がないって騒いでたあの惑星だ。聞いた話なんだけどな、なんでもあの惑星の原生命体は全部が無性生殖らしい。異性とほにゃららして子供を作るんじゃなくて、自分自身や自分の一部を分裂させることで子孫を増やすってやつだ。ただ、知性や高度な感情機構は持っていて、俺たち異性生殖をする生命体と同じように性欲を持っている。
無性生殖の性欲がどんなものか想像できるか? 奴らはな、俺たちがこいつと子孫を残したいと思う奴を見て発情するように、自分自身姿を見て発情しちまうんだ。つまりな、そんな奴らにとって、自分を映し出す鏡っていうのは、昔の地球でいうところの猥褻物なんだ。これがあの惑星で鏡が一個もなかった理由なんだ。笑えるだろ?」
「……」
「そうそう、何個前かは忘れたが、惑星住民の全員がアルコール中毒だっていう惑星もあったな。元々惑星にはアルコールというものが存在してなくて、別の惑星から持ち込まれたアルコールで全てがおかしくなったっていう惑星だ。最初は事態を重く見た中央政府が惑星全体での禁酒法を成立させたんだが、どっかのアルコール中毒推進団体がありったけの酒をありとあらゆる水源地にぶちこんで、一人残らずアルコールの虜にしたって話だそうだ。いや、さっきおかしくなったっていう言い方をしたが、違うかもしれない。少なくとも奴らは常にほろ酔い気分で幸せ気分でいるからな。何も考えずにいることは、俺たち生命体にとって手っ取り早く幸せになれるたった一つの冴えたやり方(脚注1)だからな」
「……ねえ、イーサン」
「なんだ?」
「イーサンって今までの人生で死んだことある?」
「他の連中よりかはいろんなことを経験している方だとは思うが、死んだことは一度もないね」
「死ぬかもしれないとか、死にたいって思ったことは?」
「それもないな。俺の知り合いに一度死んだことがあるって言い張ってる奴がいるんだが、どうも頭がイカれてる。死んだらああなっちまうって考えると、死ぬのは人生のできるだけ最期にしておきたいって思うね」
「私はその人生の最期にいるのかしら?」
「そんなことはない」
「……」
「お前がさっきの惑星を出てから、ハッキントッシュ病(脚注2)の症状が出始めているには知ってる。さっきの惑星は衛生レベルがC−クラスの場所で、あの惑星にいることそれ自体が、腐った生肉の絨毯でごろごろするのと同じだってことも知ってる。この感染症は、俺たち人間に対しては致死率が70%を超えているってことも知っている。そしてその感染症を治療できる惑星まで、数時間はかかりそうだってこともだ」
「だったらなぜそんなことはないって言い切れるの?」
「お前がまだ死ぬべき時じゃないからだよ、エマ。それがお前が死なないって断言できる根拠だ」
「死んでいった人たちはみんな、本当に死ぬ時、今が死ぬべき時じゃないって思っていたでしょうね」
「それでもだ。頼むからエマ、もっと前向きになってくれ。お前は時代遅れの感染症でくたばっちまうような人間じゃないだろ?」
「私たちって今まで色んな惑星を旅してきたわよね」
「ああ、今までもだし、これからもだ」
「私たちの旅に何かしらの意味があったとは思えないし、そうなると必然的に、私の人生に何か崇高な意味があるとは到底思えない。でもね、人生の意味とか自分が生まれた意味とか、そういうことを考える暇もないくらいに毎日が楽しかった。たとえ神様からもう一度人生を与えられて、私が生きる意味をこれこれこうすることで、それがどれだけ価値のあることなんだって説得されたとしても、私はきっと今と同じように、イーサンとくだらないおしゃべりをしながら星を旅しているでしょうね。私は思うわ。人生の意味とか自分とは何者かって考えてしまう人はきっと、楽しいことがないか、それか楽しいことを悪いことだったり、意味のないことだって考える人なんだって。別に私も楽しいだけの毎日に何か宇宙的な価値があるとは思えないし、そういう考え方を否定するつもりはない。でもね、私は違う。私は楽しかった。意味や使命や目標や哲学がない人生だったかもしれないけれど、私はまた私として産まれ、同じ人生を送りたいって思えるほどに」
「おい! エマ! もうすぐだ。もうすぐでお前を治療できる惑星に到着できる。歯を食いしばれ!」
「私は幸せだった。別に自分の幸せを本気で叶えようと努力してきたわけでもないのにね」
「ああ、クソッ!なんでこんなタイミングでエネルギー切れの警告が出るんだ! あと少しだろうが、このポンコツ宇宙船! バラバラに分解してジャンクショップに叩き売られたくなかったら進み続けろ!」
「幸せな私は別に私の幸せを祈る必要はない。だから……」
「ちくしょう……ちくしょう……!」
「これだけは覚えておいて。エマはイーサンの幸せを心から祈っている。生きてる時も死んだ後も、宇宙が続く限りはずっとね」
(脚注1)よくあるこの言い回しに対して、はるか昔に書かれた小説のタイトルを思い浮かべる奴がいるかもしれない。そんな奴らに一言だけ。思いついたのは、俺の方が先だ。
(脚注2)生命体の歴史ではよくある高致死性で伝染力の高い感染症。今までにもこれと同じかそれ以上に最悪な感染症が何度も起きてきた。神様はよっぽど俺たちのことをなかったことにしたいらしい。