愛ある会話
「……うん、そうなの……で……そう、あっ!」
おれがスイッチを押してリビングの明かりをつけると、妻はバッと顔を上げておれを見た。目を見開いて、まるで幽霊を見たかのような表情を浮かべていた。どうやら、玄関でのおれの「ただいま」は妻に届いていなかったらしい。おそらく、外が暗くなる前からずっとここでそうしていたのだろう。スマートフォンの充電器がコンセントに刺さっており、コードが妻の手元まで伸びている。
「……夕飯、買ってきたから。まあ、好きな時に食べなよ」
おれはそう言って、テーブルの上にスーパーで買ってきた弁当を置いた。妻はボソッと何かを言った。おれにはよく聞き取れなかったが、それが「ありがとう」だったらいい。しかし、おれに対して言ったことですらないかもしれない。最近は、夫婦の間にほとんど会話がない。あの事故から数ヶ月経った今でも、妻は亡くなった娘とばかり会話をしている。
おれはビニール袋をガサガサと鳴らしながら弁当を一つ取り出し、自分の部屋へ向かった。本当は電子レンジで温めたかったが、同じ部屋にいるのが気まずい。妻もそう思っているだろう。
自室のドアノブに手をかけた瞬間、妻の声が聞こえた。耳を澄ませてみたが、妻はおれに対して何か言ったわけではなく、また娘と会話を始めたようだ。
おれはため息をつき、部屋の中に入った。
椅子に座って、弁当を机の上に広げ、箸を伸ばしたが、どうも食欲がわかない。この家にこもった湿った空気と臭いが、まるで雑巾を丸ごと喉の奥まで詰め込まれているような気分にさせるのだ。
でも、食べなければならない。また彼女を心配させてしまう。
部屋の外に耳を傾けると、ドアの向こう、廊下の先から聞こえてくる妻の声はくぐもって、まるで念仏のように聞こえた。時折、楽しげな笑い声も聞こえてくる。それが生きがいとは言え、いつまで続けさせるべきなのか、亡くなった娘との会話なんて……。
亡くなった娘との会話といっても、それは幽霊や幻覚ではなく、娘を模したAIとの会話だ。生前の動画や写真、メールなどの文章、娘に関係するあらゆるものを取り込み、AIに学習させて作ったもので、アプリを起動し、ビデオ通話のようにスマートフォンでやり取りする。その模倣振りは、おれでも一瞬、本当に娘は生きているのではと思ったくらいだ。
妻のように娘の死から立ち直れない人間を支援するためのサービスだが、おれはあまり快く思っていない。
だって、そうじゃないか。これではいつまで経っても妻は立ち直れないだろう。それにAIだって完璧ではない。不整合が生じ、いつか妻が錯乱するんじゃないかとおれはヒヤヒヤしているのだ。
だが、妻のあの目。そして時折おれを罵るあの声。もう前のような生活には戻れない。そう思わざるを得なかった。
『そんなことないわ。大丈夫よ』
「そうかな……」
『あなたは優しいのね。愛妻家で、自慢の旦那さんね』
「それは当然だよ……夫なんだから……」
『責任感があるのね。本当にいい旦那さんだわ』
「はははは、ありがとう……あのさ」
『ん、なあに?』
「いや、君にはいつも助けられているよ。ありがとう」
『愛してる?』
「えっ、まあ」
『まあ? ふーんそう』
「いや、ははは、あ、愛してるよ……」
『照れてるのね』
「ははは、それはそうだよ……それで、君はどうなんだい? おれのことを……」
『私はあなたを愛してるわ』
「……うん、ありがとう。いつも、いつも」
『だからほら、食べないと。体が持たないわ』
「ああ、うん。話ながらでいいかな? そう、君に聞いてほしいことがあってさぁ」
『ええ、もちろん。うふふ。夫婦なんだから何でも話してね』
「それでね、あの人が……不倫を……」
『んー、お父さんがねぇ……。でも、それってあれでしょ? 前にお母さんが問い詰めて』
「うん、あの人はその時、相手はAIだって言ったけど……ううん、だからこそ、あの人の目……頭がおかしいのよ……あたし、もうどうしたらいいか……」