20-4 城壁の上で
夜。二階の部屋でスターは目を覚ました。ベネットが提供してくれた空き家の一室をビルと共に使用している。
まだ目覚めたばかりの身体を起こしてビルのベッドを見やる。
既に陽は落ちた薄暗い部屋の中、窓から入り込む月明かりにビルは照らされてはいなかった。
「……十時過ぎ」
壁に掛けられた時計を一瞥してスターは呟く。どうやら半日以上自分は眠っていた。
「ビルは外だよ」
聞き慣れない声がしてスターは目を剥いた。すぐに声の方向、部屋の隅に置いてあった丸椅子に視線を動かす。
今さっき、ベッドと時計を確認した時には見なかった少女がそこに座っていた。非人間で変わった一人称の少女、エネル剣。
彼女がこの家の主人と知り合いだった事実は、家にあった古い写真で判明していた。一緒に写っていた写真が数枚あったのだ。
そのエネルが丸椅子を運んで近づき座る。
「ちょっと前に散歩から帰ってきたんだけど、物思いにふけて来るって言ってまた出て行った」
「…………」
スターはこのエネルが少々苦手だった。出会ってまだ間もないのに、何故か親しげに接し度々凝視してくる。加えてオーバーパーツだからモノリスを連想する。
死体を操るような非道はしないと分かっているが、彼女の凝視がどうしても不穏なものにスターは感じてしまうのだ。
しかし彼女は活動の手伝いをしている。戦闘は無理だとしても、現地に赴きそれ以外の作業を頑張ってくれている。
スターは心の中の先入観を掻き消し、先程の疑問を尋ねた。
「……一体いつからこの部屋に」
「一時間くらい前から。起きないスターが気になってね」
「部屋の隅にはいなかったと思うんだが」
「いや、いたけど? ……ああ、わらわ把握。見逃していたんじゃないかな。寝起きだし」
と言ったエネルは人の状態から剣になった。丸椅子から床にずり落ち音が鳴る。
エネルは床に転がったまま説明した。
「椅子の後ろ角っこに、この剣が立て掛けられてなかった? わらわ剣になってぼーっとしてたんだよ」
「……なるほど」
スターは直前を思い返してみた。言われてみれば剣があったかもしれない。
人の状態に戻ったエネルは丸椅子に座り直した。そしてそのまま目を細めて見つめてくる。
スターはその視線を避ける事にした。ベッドから降りて荷物を漁る。
外套を手に持ったのを見てエネルが言った。
「スター、外に出るの?」
「ああ。ビルの所に」
「ビルは北門の城壁付近にいるって言ってた」
「城壁? 何でまた……物思いにふけるために?」
「多分」
部屋を出てエネルと共に一階に降りる。オーハマーとニールは割り振られた部屋で寝てるのか誰もいない。
スターは居間のテーブルに書き置きを残して外に出た。春の冷たい夜風が肌を撫でる。外套が必要なくらいには寒かった。
「……前より増えてる」
「状況は良くなってないから皆不安なんだよ」
北門に向かう途中、一回目の休息日と比べて夜間のホムランには変化が起きていた。
通り過ぎる多くの家々にはライトが灯り、寝静まる時間帯にも関わらず住民達は寒い外を出歩いている。
エネルの言うように暴動の波が徐々に近づいている事に皆が不安なのだ。それに日に日に増え続けている避難民達の存在も気掛かりでもある。
誰も彼もが余裕があるわけではない。ホムランの中に避難民という他人を受け入れるにも限界がある。治安の崩壊への懸念もある。
今では住民達の反対もあって城壁の外で彼らの多くはテント生活を余儀なくされていた。それは今までの家があった生活とは真逆のストレスフルの環境である。
物資の配布や炊き出しなど行っているが、この状態がこのまま続けば破滅は明白だった。
スターは歩きながら早く事態を好転させなければならないと強く思った。そしてそれは自分のためにもなる。
二人は北の城門に到着した。門の上には遠くを見渡すための屋根付きの物見台が備え付けられている。
ビルはその物見台に繋がる城壁の上に座っていた。左腕を支えにして片脚を伸ばし、微動だにせずジッと景色を眺めている。
「ビル」
「おっ、スター。起きたか」
「うん」
その場所まで行くとビルが気付いて応えてくれた。スターは無事な姿を目に収めてホッとした。
「…………」
「…………」
「…………」
そしてそのまま、少しの間会話はなかった。三人が横に並んで座り無言のまま時間が過ぎていく。
ビルは変わらず同じ姿勢で景色を眺めていた。しかしその視線は遠くの景色ではなく城壁外に広がる周辺に注がれいる。
何となくだがその横顔は物憂げな様子だ。物思いにふけて来るというエネルの言葉をスターは頭に浮かべた。
エネルが沈黙を破った。
「ねえビル」
「……ん?」
「さっきから下の様子を眺めてるけど、何か気になる事でもあったの?」
ビルは間を置いてからそのままの姿勢で答えた。
「……いや、テントが少しな」
「テント? 避難民達の?」
「軍に入る前はテント生活で世界を巡っていた。……その時の事を思い出してた」
スターはエネル以上にその言葉に反応した。アカムの軍に入隊する前のビルはそう言えば知らない。彼が一体どんな経歴なのかには興味がある。
同じく興味深げなエネルがスターの膝元に寝そべって催促した。
「ほうほう、世界を巡るとかわらわと共通点。それでそれで?」
「一緒にいた弟が行方不明になった」
「ふぁっ!?」
「そんで当時の、過去をなぞって感傷に浸っていたわけだ。散歩の途中でテントが目に入ったから。……見方を変えればそれだけ奴らは必死だったと今になって分かる。ただのクズなのは間違いないが」
言い終わったビルは呆れ顔でため息ついてエネルに言った。唐突な話でどんな言葉を掛けて良いのかスターは分からなかった。
「聞いた感想は?」
「まさかのシリアス展開でわらわ驚愕中……てか弟って自己紹介の時の」
「あいつは一体何処に行ったのやら」
「いや、そんな事を聞かれても……それに奴らって?」
「まあどうでも良いっちゃ良いんだ。昔の話だし。それよりも優先すべき事がある」
「わらわ無視された」
ビルは無理矢理話題を変えてスターを見た。
「あれから一ヶ月は経ったか。……少しは落ち着いて整理できたか?」
スターは別の意味でも返答に窮してしまった。思考がサニーが死んだ場面に切り替わる。
あれから一ヶ月が経過した。落ち着く事も気持ちの整理もできていない。
何処か心がぽっかりと穴が空いたような心持ちである。喪失感。この穴はこの先、一生埋まる事はない。
ぽつり、ぽつりと言った。
「いや……ごめん、全然」
「そうか。しゃーない」
「ビルには感謝してる。アカムからここまで、高熱だった俺を運んで守ってくれて……」
「気にする必要はねえよ」
「うん……でも、やっぱり、今も気持ちはアカムに向いている。無理なのは分かっているけど、今すぐ孤児院に戻って状況を確かめたい」
スターは肩越しに振り返って真逆の方角を見据えた。あの南門の方角を遠く行ってアカムに辿り着く。
あの時、サニーが言葉を残して逝った後、スターはまた気を失ってしまった。突如として発生した街の混乱の中で無防備になってしまった。
そのスターを保護したのがビルだった。醤油特攻の任務から帰還してすぐ、クレアによって連れ戻されたスターを心配して無事を確認しに来てくれたのだ。
その後、この遠いホムランまで逃げ延びてきた。アカムの別都市もアカム近隣の国外も、混乱で落ち着ける場所はなかった。
スターはビルに感謝している。
だが、それはそれとして、スターはやはり信じられないでいた。
もう何度も繰り返し聞いた質問をまたしてしまった。
「ビル……皆は、ビルが確認した時には既に」
ビルは顔を顰めて首肯した。
「……十数人の子供の死体があった。サニーの死も確認した。大人の死体は俺が見た限りじゃなかったと思う。ただ火災の中での確認だったから正確には分からない」
「……………………ごめん、何度も聞いて」
「気にすんなって」
分からない事だらけだった。
サニーが何故死の間際に謝ったのか、何故孤児院の家族が死んでいたのか、何故クレアはその場いなかったのか、サニーが軍に入隊してきた理由、軍属時代に思い悩んだ他人の未来を奪った罪悪感、クレアが醤油特攻の前に軍施設から無理矢理スターを連れ帰った理由。
色々と思い悩む事があって困り果てている。早く平和になって考えられる時間と行動できる時間が欲しいと思う。
しかしそれは未だ叶わない。今はまだ小康状態。元の平和な状態に戻るためにはやる事が山積みだった。
いつの間にか膝元に寝そべっていたエネルは剣になって黙していた。
その錆臭い剣をビルは一瞥してごろりと仰向けに転がった。そのまま足を伸ばし両手を頭の後ろにやる。
そして思案顔になって言った。
「今更だが、サニーは謎に包まれた存在だった」
「えっ?」
「スターと同じ孤児院出身、分かるのはそれだけだ」
「……うん」
「そんなサニーをネイトのばーさんは俺らの部隊に入れた。面識がないはずなのに入隊してすぐ。ばーさんは赤の他人に何かを施すタイプじゃない。関心を持たない。つまり何が言いたいかというと……」
「ネイトさんはサニーの事を知っていた?」
ビルは伸ばしていた足を組んで頷いた。
「そうなる」
ネイト・ネッシーは、軍から国からも独立した立ち位置であった。何故なら液体のアノマリーという呪文があまりにも強力で、その貢献度が高すぎたからだ。
彼女は燃料や飲んだ事のある飲料水、熱湯、生コンクリート、洗濯水など醤油以外にも多種多様な液体を多量発現できる。しかも発現時間はスターと同じ半永久的。
そのためアカム国内においての権限は、軍所属にも関わらず命令拒否ができるほど。怒らせると醤油を飲ませて来るのもあって誰も彼もが舐めた態度を取る事はない。
ネイトは基本的に自由気ままだった。
ビルがスターに聞いた。
「そもそもサニーって、一番関係が短い間柄だったはずだよな?」
「確か、レアが入ってきてからの孤児院だったから……一番短い」
「その関係が短い奴が死に際に謝ってきた、と。……意味不明すぎるな」
「うん。本当に唐突すぎて心当たりは全く」
「だよなぁ……いや待て、ジャポニにいた頃に出会ったりはしてないのか? なら追って孤児院や軍に入隊してきた理由もそれになって」
「いや」
スターはしっかりと思い返してから首を振った。
「それも心当たりはない。ジャポニでサニーとは出会ってないと思う。絶対ではないけど」
「何者なんだサニーは……」
と息を吐いたビルはエネルを見た。エネルは変わらず剣のまま物と化している。
「おいエネル。お前ネイトのばーさんと交友があったんだよな? サニーって奴知らないか?」
エネルは間を置いてから四文字で答えた。
「知らない」
「知らないのか」
「交友、あったのか……」
「スターが寝てた時に言ってたんだよ。首長も来た。詳しくは後で教える」
「気になるならネイトに聞けば良い。話を聞いてる限りじゃネイトなら知ってるんでしょ?」
エネルは淡々と関心がないような声色だった。ビルが確かに、と言って続けた。
「まあそうなるか。詳しい事はばーさんに聞けば良いか。バルガスも含めて合流すれば暴動もコミタバも、醤油まみれにしてすぐ片がつくし」
「……わらわも早くネイトに会いたいよ」
「それとジクルド・ハーツラストも一応な。無口で鉄兜被って、会話もあまりなかったけど多分生きてる。役にも立つ」
ジクルドは国ではなくネイトの裏方だった。醤油特攻作戦時の任務はドバード首都への工作と陽動だった。
それからまた無言の時間が再開された。三人は城壁の上に並んでただ夜風に吹かれ座っていた。
ただ先程よりも寒さが増して冷たい夜風になってきていた。エネルは別として、外套だけのスターはもう戻った方が良いと思った。
するとビルが不意に口を開いた。その声は穏やかで、しかしきまりが悪そうでらしくないなとスターは感じた。
「まあ、あれだスター。えーと、あれだ」
「ビル?」
「どうせ悩むなって言っても悩むんだから、もう思いっきり悩んじまえ」
ビルは上体を起こして続けた。
「色々と悩んで悩んで、悩みまくってからどうしたいのかを決めれば良いさ。時間はあるんだからな。でも、その前にまずはホムラン周辺を復興しないと駄目だ。アカムに向かうにはコミタバをぶっ殺して場を整えないといけねえし……まあだから、だから……」
そこまで言ってビルは思い悩むように口をむっとして頭を掻いた。そのまま首を傾けてぶつぶつと小声で続ける。
「頑張ろーぜ? いや、頑張ろうぜは違う気がする。……生き残ろうぜ? いやこれは戦争じゃないし命を優先するのは当たり前だし」
エネルが疑問を呈した。
「もしかして励まそうとしてる?」
「……最後の締めの言葉が上手く出てこねえ。スターの悩みを考えれば励ましの難易度も高いし」
「昔イジメてたのも尾を引いてるってわらわ思ったり」
「そりゃそうだろ。イジメてた奴がイジメを受けていた奴を励ますとか、何だそれだし」
「ビル、俺は気にしてないよ」
「俺が気にしてんだよ。今でも」
ため息ついたビルは立ち上がった。そしてスターに言った。
「まあつまり、大丈夫って事だ。このままじゃ破滅なのは誰にでも分かる。分かるなら暴動を起こす奴も減っていく。なら後はコミタバを潰せばそれで終わりだ。物資もまだまだ豊富にあるらしいし、潰して復興して……」
「無理よ。何馬鹿な事を言ってるの」
聞いた事のない声がビルの言葉を遮った。
それはスターの後方から聞こえてきた。対面のビルが前方の暗がりを見やり嫌そうに顔を顰める。
スターも振り返って後方を確認した。
「復興なんてできるわけがない。人間は身勝手な奴らばかりなのだから」
ヴァニラ・コースキー。先日一応保護した存在変化のアノマリーがそこに佇んでいた。
ビルが顰めたままの顔で口を尖らせた。
「何言ってんだ。できるに決まってんだろ。人間はそこまで愚かじゃねえ」
「いいえ、愚かよ。他人より自分を優先する。あなた達みたいな例外はいるけどね」
「あー?」
「今までの経験から分かるのよ。そしてその数はとても多い。例外はいても数の暴力で復興なんて無理無理」
ヴァニラ・コースキーはアノマリーである。だから活動の戦力になると考え協力を要請している。
だが協力は得られそうになかった。彼女は小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて拒否してくる。それどころか直前のネガティブな内容の言葉を度々投げかけてくる。実際に外部のスター達に同行して言ってきたりもする。
だからビルはヴァニラの事が嫌いだった。単に邪魔でアノマリーだから始末に悪い。スターに対してばかりに言葉を吐いてくるのもある。
一応監視は付いているらしい。ベネットの友人のヨビという女性が今も何処かでヴァニラに対して目を光らせている。
冷笑顔のヴァニラにビルは苛立ちながら言った。
「毎回毎回同じ事ばっか言いやがって、メンドくせーなお前」
「メンドくさいと思うのは勝手だけど、忠告しているのよ私は」
「忠告だぁ?」
「ええ、復興とかそういうのは必ず失敗する。だから馬鹿やってないで今の内に逃げた方が良いってね」
また一段と気温が下がり寒くなってきたようだった。城壁の上にいるのも相まって吹く風がかなり強い。
先に切り上げたのはヴァニラの方だった。冷笑顔を真面目なものに変え、スターをちらりと見た後に踵を返した。
「まあ、そういうわけだから無駄な努力はやめときなさい。じゃあね」
ヴァニラはその場を後にした。
姿が見えなくなってからビルが言った。
「本当に何なんだあいつ。大物ぶって言いたい事だけ言って帰りやがる。十三のガキのくせして」
またいつの間にか、人の姿に戻っていたエネルがビルを見上げた。
「えっ、何歳か知ってんの?」
「前に何となく聞いたら大体で答えたんだよ。存在変化のアノマリーで固定されてるから大人びているけどな」
「はえー、そういや二人とも何歳? わらわ体感二百歳」
「体感? 俺十八。エネル長いな」
「俺は……分からないな」
「物心ついた時からジャポニなら、しゃーないだろ」
と言ったビルはスターに手を差し伸ばした。スターはその手を取って立ち上がった。
「もう寒いから戻ろうぜ。明日からまた忙しくなる」
スターもエネルも異論はなかった。そうして三人は空き家に戻っていった。
それからまた活動の日々が続いた。各地を飛び回って鎮圧や物資の運搬、難民保護に全力を注ぐ。
皆、それぞれ自分の思惑はあるが精力的に活動していた。スターもビルも、オーハマーもニールも、エネルもホムランも。
しかしそれにも関わらず事態は徐々に悪化の一歩を辿る。もはやホムラン周辺の対応力ではとてもじゃないが対処しきれない規模まで拡大していく。
そして近づいてくるのはビルの死。これからホムランが蹂躙され彼はこの世を去ってしまう。
それはもう、間近にまで迫ってきていた。




