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第三話




 応接室に入り、ソファに腰掛けるよう促すと、ゲヴィッセン卿は素直に従った。


 私も向かい側に腰を下ろすと、何故か少し残念そうな顔をされた。何故。


 カートを押してきたメイド達が、お茶と菓子をセットする。お茶会ほど豪華ではないが、急いで準備させたにしては上出来だろう。


 部屋に、紅茶の良い香りが充満する。南の国から仕入れた茶葉で、ミラが大層気に入っているものだ。


 紅茶に合わせて用意された菓子は、クリームワッフル。楕円形の、もちもちふわふわのワッフルに、クリームを挟んである。食の都とも言われるフロインシャフトで大流行したスイーツで、これもミラのお気に入りだった。


 ケヴィッセン卿はティーカップを持ち上げ、昇る湯気に顔を近づける。



「良い香りだ」

「南の国から仕入れた紅茶です。最近、フロインシャフトで、とても流行っていますの」

「へえ」



 彼に続いて、私もカップを持ち上げ、縁に口を付ける。いやらしさがない、フルーティーな香りが湯気とともに鼻先を掠める。


 カップをソーサーに戻したところで、ケヴィッセン卿はようやく本題を切り出した。



「それで、婚約の事なんだけど」

「……ええ。今朝、父からお聞きしました。ケヴィッセン卿との婚約が決まったと」



 ガチャン! と、カップとソーサーがぶつかる音に驚いて目を向けると、ケヴィッセン卿が固まっていた。手元にあるティーカップの縁から、紅茶が零れてしまっている。



「今朝? 私との婚約の話を、今朝聞いたと?」



 迫真に迫るかのような問いかけに、「え、ええ」と私は少し引き気味に頷く。


 すると、彼はさっと表情を強張らせた。



「それは……つまり、私との縁談を受けたのは、貴女の意思ではないと?」

「……公爵家からの申入れを、わたくしごとき小娘が断れるとでも?」



 そう小首をかしげると、彼は何も言わずに黙り込んでしまった。何を考えているのか、なんとなくわかるような気がして、思わず笑みが漏れる。



「良いのです。わたくしの将来が、わたくしの意思ではどうにもならないことは、分かっていましたから」



 だからこそ、あの日の夜、私はナイフを手にバルコニーへと出た。あれが、私の意思で選べるたった一つだったから。


 叶うことはなかったけれど、結果としてケヴィッセン卿との縁談が決まった。


 あの御方との婚約が回避できたのは、私にとって僥倖であった。



 ――わたくしの憂いる未来が、少しでも変えられるのなら、喜んで貴方のもとへ嫁ぎましょう。



 ここで、私の意思を尊重して縁談をなかったことに、なんてことになれば、それこそ私は首を掻き切らなければならなくなる。


 私とて、死ななくてもいいならそうしたい。



 ――こんなわたくしでもよろしいのなら、どうぞ貰ってくださいませ。



 そう告げるよりも早く、彼は顔を上げ、その瞳で私を射抜いた。深い海を思わせるその瞳には、固い決意が浮かんでいる。



「レイラ嬢。貴女に、私のことを知ってもらいたい」

「はい」

「貴女のことも、私に教えてほしい」



 それは、つまり、どういうこと?



「婚約は一旦保留、ということでしょうか」

「いや、ちがう」



 ゲヴィッセン卿はぐっと眉を潜めて強く否定した。彼の大きな手が、私の手を優しく拾い上げる。



「私と一緒に、王都に来ないか」



 それをぼんやりと見ていた私は、きゅっと、指先を握られ、ハッと顔を上げた。



「もちろん強制はしない。あなたがここに残りたいというなら、それを尊重しよう。毎月、いや毎週でも手紙を送ろう」

「……」

「あなたを知る時間と、権利がほしい」



 青い瞳が真摯に私を見つめている。だから、少しだけ、ほんの少しだけ、期待しそうになる。



「ほんとうに?」



 ぽつりと漏れた言葉に、彼はぱちりと瞬きをした。



「ほんとうに私も、王都に連れて行ってくれるの?」



 ハンデル辺境領は、素晴らしいところだ。お洒落な服も、美味しいものもそろっていて、何一つ、不自由はない。けれど、私はほとんど、このエーアガイツ邸から出られたことがない。


 ここは私にとって檻だった。その隙間からは、楽しむ人々の姿が見えるのに、私はそこに行けない。



 まだデビュタントもしていない私は王都に連れて行ってもらえないし、デビュタントしてからもすぐにあの方との婚約が決まって、家に閉じ込められてしまう。


 嫁いでからも王都に連れて行ってもらうことはなかったから、ずっと嫁ぎ先の領地で過ごしていたし、ひたすら積み上げられた仕事を与えられた部屋に閉じこもって熟していた。

 ずっと息苦しい日々だった。



 あどけない子供のような問いかけに、彼はまた、ぎゅっと指先を握る手に力を込めた。けれど、痛くはなくて、ただ温かかった。



「ああ、一緒に行こう」



 私の答えはもう、既に決まっていた。



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