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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

諸刃の髄

作者: 竹原しろうと

最後まで読んでから盛大に批判なり辛口コメントなりして下さい。素人なので意見がほしいです。素人なので。

 どこを見るということもなくただ斜め上を向いて、気づけば懐からナイフを取り出していた。目の前にいる、さっきまで落ち着けと言っていたやつの叫び声、後ろから聞こえる甲高い悲鳴、こちらへ駆け出してくる警備の連中、その足音と動作、全てがスローモーションで流れていく。カーテンを通り越した光が最後の風景全体をより柔らかく見せる。程なくして俺は喉元にピリオドを打った。



 走馬灯までもが非情である。降り注ぐ雨、こんな俺でも良い思い出は山ほどあったのに今俺が見ているのは、顔から溢れでる血液が雨で薄まった少年。俺の人生をたった数秒で狂わせたその場に、まるで当時に戻ったかの様に俺はいる。なにも、この事件さえなければ、あの男さえいなければこんなことになっていないはずなのに。



 俺は最後まで無実と言い続けた。真実を唱え続けた。しかし俺の思うほど警察の連中は賢くなかった。検察の連中に至っては必死に無実を訴える俺を見てそれを危険人物と判断した。第一あいつらは現場にいたわけでもなく、「こいつが多分犯人だ」と捜査官から引き渡された俺を大した調べもせず、起訴するための要素を引き出すために尋問しやがった。無能どものことだし、どうせ今頃、自殺した俺は犯人ってことで解決してるんだろう。



 流石に走馬灯が長すぎないかと思った時だった。

「ウウウゥッーーーー」

耳を抑えたくなる様なサイレンが雨の滴る音を掻き消した。これが走馬灯ではないと思い始めた時には、本能的に裏道から逃げていた。「一体どうなってるんだ。これが走馬灯じゃないとしたら一体なんなんだ。」頬をつねってみる。痛い。ポケットに入っているスマホを確認する。三日前、つまり事件の起きたその日。間違いない。今俺がいるのは事件の起きたその日で、俺は既に容疑者、いや犯人として追いかけられている。「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実になる。」とシャーロックホームズが言った様に、信じ難いがこれは現実らしい。非常に信じ難いが。



 この日を語るにはいくつか重要な要素があるが、何もこんな状況を作り出してしまったのは俺自身の当時の精神状態が関係している。二年半付き合った彼女と別れて数日後だった。別れた俺は少なからず傷ついていたが、お互いの合意を得た別れだった故どこか割り切りやすく、次へのステップを踏み出しやすくもあった。だから当時の俺はとても前向きだった。その前向きな善意が後に悲劇を生むとは知らずに。



 後方に二人、前方に一人、合わせて三人の警察。路地を曲がってはまた次の角を曲がり、後ろを確認してはペースを調整する。そうして十分くらい経って、かなり細い道に入った時だった。

「おいお前!ここが初めてじゃないな!早く俺を地獄から抜け出させろ!」

赤茶色の古い家から飛び出してきたホームレスともなんら見た目の変わらない老夫が指を刺して俺に向かって叫んだ。その声を聞きつけたのだろうか、さっきやっとまいた三人の警察も来やがった。「ふざけるなよあのクソホームレス!何が地獄から助けろだ、どうせお前が借金でもしたんだろ!こっちにまで迷惑をかけるな老害が!」そう内心叫びながら必死に逃げていた。道路に飛び出た時に見た景色は、迫り来る大型トラックだった。



 善意と信頼が裏切られた時、人はどうなるか。その日、前向きな俺はあの男の助けを求める声に自然と反応した。駆けつけた現場には血だらけで倒れた少年が一人。男の姿はない。状況を理解できず立ち尽くしているところにサイレンと共にあの男がやってきてこう言った。

「あいつです刑事さん!あいつがやったんです!俺見たんです!」

頭が真っ白になって身動きひとつ取れない俺を警察が取り押さえそのままサイレンを散らすパトカーにぶち込んだ。そう、無実だ。そして犯人はあの男で間違いない。間違いないはずなのに俺は法廷まで行くことになった。そして懲役十二年を言い渡された。だから死んだ。もう誰も頼れなくなったから。



 今度こそ走馬灯だと思ったのも束の間、雨が肩に当たる感触がして違うことを悟った。トラックの運転手のこの世の終わりの様な焦った顔がまだ目に残っているが、またここに戻ってきたらしい。けれど同時に希望も芽生えた。俺は自由になれる。なんとかしてこの状況さえ打破できれば自由になれるんだ。どこか遠くへ、ずっと遠くへ逃げて自由になろう。そしてもう一度、この絶望の淵に面した人生をやり直すんだ。そうと決まればやることは一つ。そのまま一直線に裏道へ駆け出した。



 そんな自由への道は遥かに遠く、そして険しかった。身を隠しながら、時には他人の家の敷地からショートカットして進んで逃げ出そうと奮闘するが、どこへ行っても必ず警察がいる。さっき追いかけてきた三人がいない方角に来たにも関わらず交差点や丁字路、公園の前、至る所にいやがる。そして息が上がって集中が切れかかってきたところで、曲がり角で鉢合わせてしまった。

 とにかく逃げた。俺の足が地面につく音と少しずれて、背後から同じテンポの駆け出す音が聞こえる。とにかく早く撒かなければ他の奴にも気付かれて、取り返しがつかなくなる。体を右に倒しながら曲がり角を右折する。そこで狭い住宅街に入った。そして、一瞬の思いつきではあるが、一か八か、やつが曲がってくる前に塀をよじ登って少し広めの家の敷地に侵入した。その後すぐに、塀一枚越しにやつが駆け抜けていく足音が聞こえた。



 呼吸を整えようと、体をリラックスさせていた時、絶望は訪れた。

「いや、間違いないよ。ここら辺で消えたんだよ。」

「お前が見失っただけだろ?正義の味方が言い訳なんてするんじゃないよ。」

「違うんだよ、本当にこの辺でいなくなったんだ。」

「まぁ安心しろって、すぐに見つかるから。もう反対側の連中もこっちに移動したよ。」

「だと良いけどな。このままじゃ俺が逃したみたいになっちまうから。」

最悪だ。すぐにこの場を離れるべきだった。塀に空いた狭い隙間から外の様子を見ると、この周りだけで三人はいる。おそらく完全に囲まれてしまったんだ。俺には武器もなければあいつらを一掃できる力もない。終わった。ゲームオーバーだ。俺にはなす術がない。


 俯いていると右端に尖った先端が見えた。鎌だ。家庭菜園用の小型のものだが新品の様に綺麗だ。こんな武器じゃ屈強な奴らを倒すことができないのは分かっているが、俺にはあいつらにはない力がある。ついさっき芽生えた、確証のない諸刃の剣に俺の人生を賭けてやろうじゃないか。元は二度死んだ人生だ。ここで本当に死のうが変わらないさ。決心した俺は先端を喉元へ近づける。手どころか体全身の震えと力みが止まらない。気づけば涙も溢れ出てきていた。俺を探す奴らの声が徐々に近づいてくるのが分かってはいるが、体が動かない。そんな時、ある人が俺に囁いた。気がした。



 「私も幸せになるから、──も幸せになってね。」

彼女だった。別れの時に見せた彼女の美しく愛おしい笑顔と共にそんな声が聞こえた。彼女とのかけがえのない日々が蘇る。俺は彼女を愛していたんだ。そして彼女も俺を愛していた。大好きだったんだ、彼女が。この世の言葉では言い表せないくらい大好きだった。一途に彼女だけを見つめていた。声、性格、笑顔、全てが彼女だ。俺の短かった生涯で一番愛した女性だ。だから、だから絶対に、絶対に彼女があんなこと、こいつらに言った訳がない。絶対に突き止めて、そして証明してやる。彼女の証言は何かの間違いだったって。体の震えはぴたりと収まり、代わりに使命の様なものが心で燃えていた。覚悟は決まった。そっと首筋に刃を当てる。痛みを感じる前にすぐに視界は真っ暗になった。日陰で倒れた哀れなしかばねに陽は当たらず、雨粒が額の涙を流していた。



 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。それはとても早い様でとても遅い様でもあった。恐る恐る目を開くとそこには四度目の景色が広がっていた。そして俺は真っ先に彼女の家の方に向かって駆け出した。



「被告人、君は取り調べで自分のことを、『俺はそんなことする人間ではない!友達とも仲良くしているし、全くもって疑われる必要がない!』と言ったそうだね?」

むかつく検事の野郎にわざとかしこまって

「はい。そうで間違いありません。」

と言い返してやった。

「裁判長!やはりこの被告人は危険な人物で間違いありません!」

何を言ってるんだこいつはと顔全面に出して睨んでいると検事はそれはもう満足げな表情で悠々と喋り出した。

「実はですね、この被告人について被告人と親密な関係にあった何名かに証言をいただいたんです。するとですね、これはもうびっくり!『怒ると収集がつかない』『常に怖い目つきをしている』などなど沢山の、被告人自身の証言とは異なる証言が出てきたんです!」

「そんな訳あるはずないだろ!俺の友達がそんなこと言うはずない!」

自分でもわかるくらいの鬼の形相で検事を睨み続けた。あいつらがそんなこと言うはずないのだから。

「まぁまぁ落ち着いてください被告人。この話を聞けば流石のあなたも嘘をつき続けることに諦めがつくでしょう。」

妙に落ち着いていてどこか勝ち誇ったかの表情でいる検事への怒りがとうとう頂点に達した時だった。

「実はですね、とある女性が自ら我々の元の来て証言をしてくださったのですよ。その女性とは、そう、お気づきかな?被告人。あなたのお付き合いしていたお相手ですよ。そしてその女性が言ったのです。『彼は非常に乱暴で、怒ってしまうと周りが見えなくなりなりふり構わず暴れたことがある』とね。」

そんなありえない。全てがありえない。彼女が証言を、ましてや俺に不利な、それも真っ赤な嘘を。ありえない。彼女と俺はお互いの将来を応援し合うと誓った。それなのになぜ、絶対にありえない。混乱がやがて俺の心を支配したところで検事が更にたたみかける。

「これだけではありません!彼女はこんなことも勇気を出して話してくれました。『彼から別れを切り出されたときはホッとした』と。この正直な彼女の気持ちこそがこの男、被告人の真実なのです!」

結局、この証言が決め手となり俺は濡れ衣を着せられた。



 彼女の家へはここからそう遠くないはずだったが、どこへ行ってもやはり奴らはいた。前回の経験を生かし一度見つかってしまったがすぐに巻き、そこ周辺へ他の警官が集める前に他の場所へ逃走できたため、ある程度離れてからは比較的簡単に進めた。しかしまた、彼女の家へ近づくたびに数は増えていった。何かがおかしい。なぜ彼女の家の周りにも奴らが張っているんだ。が、その答えを突き止める前に見つかってしまった。あいにく彼女の家の周りは開けていて一度見つかると隠れることは困難でひたすら逃げるしかなかった。そして結局あの力を使った。今度は町を流れる川へ身を投げて。



 何度コンティニューしただろうか。何度違う死に方をしただろうか、それでも彼女の元へは届かなかった。自由にもなれない、彼女に直接聞くことすら叶わない。俺に残された道はたった一つ、あの男の正体を突き止めて、なぜ俺に罪を着せたのか問いただすことだけだった。もうそれしかない。それだけしか俺ができることはないのだ。あの男の正体を突き止める。それが新しい、そして最後の使命に変わった。終わりがないにも関わらず。



 今回はすぐに裏道へ逃げず、奴が見える位置で隠れ、やつが俺を警察に売る瞬間まで待って、そこから尾行してやる。もうここからは何度コンティニューしたって構わない。これが俺の最後の使命だから。そう自分に言い聞かせていると程なくしてあの男が現れた。その場のいるはずの俺に指を刺そうとしたのだろうが、どうやら俺がいなくて焦っているようだ。すると男は方向転換し、元来た方へ戻っていった。尾行スタート。ここ一体は尾行には都合が良かった。なぜなら道に沿って家々が連なっており、家の後ろや庭を隠れながら奴を追うことができるからだ。木々と服が擦れる音、砂利を踏む時に発する嫌な音、雨音が緩和されているにも関わらず、それら全てに最新の注意を払いながらゆっくりとやつとの距離を一定に保ってついていく。



 警備が少し手薄になったところまで来たところで、男に動きがあった。一人の警官から何やら小型のカメラらしきものと、その中に入っていたであろうチップの様なものを受け取っていた。おそらくあそこにあった防犯カメラとそのデータだろう。そうか。ここで、今までの警察の動き、そして圧倒的に俺に不利な裁判に合点がいった。あいつは警察を動かすことができるんだ。だからあれだけの人数の警官が事件発生からすぐにここ一体を包囲したし、彼女はもちろん、友達の証言までおかしかった。やっぱりあいつが犯人だったんだ。つまりこの一連の不可解な出来事は、全てあいつが裏で糸を引いていたんだ。自分で犯した罪を俺に完璧になすりつけるために。そんなやつ許せるわけがない。必ず報復してやるぞクソ野郎。お前をどん底まで叩き落としてやる。今すぐに飛び出してぶん殴ってやりたかったが、それをグッと抑えてそのまま俺は尾行を続けた。



 おそらく奴の自宅へ向かっているのだろう。さっきよりも立派な家、いや豪邸が立ち並ぶ地域へ俺と男は移動していた。そして男はその中でも一際大きな大豪邸へと入っていった。エントランスを恐る恐る覗くと、二重扉に防犯カメラ、さらには暗証番号六桁を必要とするオートロックなど、セキュリティは万全だった。もうこれ以上やつについて知るのは不可能。そう思ってしまいそうになった。しかしその思いを覆うかの様に心から憎しみが溢れ出した。奴が何をしてあの少年をあんな目に合わせたかは知らないが、その罪を俺に被せ、警察を自分の好きに動かし、俺を死へと追い込んだ。つまり奴は、一人の少年にトラウマを植え付け、一人の青年を殺した。裁判なら死刑判決が出たっておかしくない、いや、あんな奴のことだからきっと過去にも同じ様なことをしている。だから少し手慣れていたんだ。なおさら死ぬべきだ。でも、警察も法廷も奴を殺すことはできない。じゃあ一体誰があいつを裁けるんだ、死を与えることができるんだ。俺にはもうできることはないのか…。不慮の事故、寿命、病、災害。神に願うしか奴を殺せないと悟った時、俺は生きる目的、いや、生き返り続ける目的を見失ってしまっていた。



 気づけば無意識のうちに刃物を探していた。死にたい。それは力を持っていながら何もできない自分への屈辱からだった。でも俺は何度死んでもあの場所へ戻ってしまう。ここで俺は初めて、自分がこの力による絶望のループに囚われているのではないかと感じた。そして同時に何か道具を探しているうちに、胸ポケットから見覚えのあるナイフを発見した。



 それは検察へ送られる護送バスでの出来事だった。

「おい、あんちゃん、そこの若いあんちゃん、あんただよ。」

人が絶望の淵のかられていると言うのに、正面に座っている金髪の見るからにチャラそうな男が俺に尋ねてきた。

「あんちゃん何しちまったんだよ?見た感じ強そうにも見えねぇし…わかった、、万引きの常習犯だな?」

半笑いで俺に質問しているのか、揶揄いたいのかよくわからない金髪野郎に腹が立ってきた。そしてそいつに俺は真っ向からこう言い返した。

「無実だよ。申し訳ないけどあなたと付き合っていられるほど心の余裕がないんだ。あんたこそ何をしたのか知らないけれど、悪いが静かにしていてくれ。」

「んだとてめぇっ!俺を馬鹿にしやがったな⁉︎殺すぞてめぇ!」

流石に頭の中が全て吹き飛んだ。なんせチンピラから怒鳴られたのは初めてだし、殺すとまで言われたのだから。肩をすくませて目すら合わせられなかった。すると、俺の隣にいた一人の男がゆっくりと口を開いた。

「おい、兄ちゃんよ、まぁ落ち着けって。この子も色々あって疲れてんのさ。」

「あぁ⁉︎誰だテメェは黙ってろこの老ぼれが!」

「老ぼれだなんて久々に言われたよ。これでも三十代前半のつもりなんだがな。」

どこか不思議な雰囲気を漂わせる男、いやおっさんに俺は自然と釘付けになってしまっていた。



 おっさんがチンピラを何とか沈めて車内に静寂が戻った時だった。

「なぁ兄ちゃんよ。」

おっさんが俺の耳元でそれはもう小声で囁いてきた。

「こっから先は初めてだろ?ならこれを持ってきな。これでみんな助かってるのさ。」

そう言っておっさんが俺に渡してきたのは小さなナイフだった。

「おっさん、何言ってんだ?」

「おっさんねぇ…まぁこの見た目には合ってるか。なんてことはどうでもいいのさ、とにかくそれを持っときな。すぐにわかるさ。あとはそうだな…あぁ、一番大事なことを忘れてたよ。二度使ったら終わりだからな?」

「え、ちょっと!」

これから重要なことを聞こうとした時だった。バスが急停止したと思ったら、座っていたゴツい警官が大声で、一人づつ外に出る様に指示した。まだ聞きたいことが山ほどあるがこうとなってはどうしようもない。諦めて俺は順番を待ってバスを降りた。



 取り調べ前の待合室。おっさんの姿はなく、静かにしていると、取り調べ室で騒ぐ奴の声とそれを制する様なもっと大きい声が聞こえる。ここが裁判までの最後の関門だから焦るわけもわかる。

「次、──。取り調べ室へ移動しろ。」

偉そうな口調で警官が俺を誘導する。

「護送バスに乗り段階でチェックはしたがもう一度だ。ポケットには何も入っていないな?そしたらここを潜れ。」

しまった。ナイフが入っている。嘘をついたとしても金属センサーが反応してどのみちナイフは見つかる。そして法廷までおさらばだ。あのおっさんはめやがったんだ。

「どうした──!早く進め!」

くそ…あのおっさんゆるさねぇ。無罪を証明したら絶対復讐してやる。

ピピッー!ランプが赤く光った。

「おい貴様こっちへ来い。両手を広げろ!」

警官のボディチェックが始まった。もう終わりだ。

「なんだベルトか。おい、早くそれを外せ。」

言われるがままベルトを外してもう一度センサーを潜る。きっとまたランプが赤く光って今度こそナイフを発見される。正真正銘の最後だ。

ピンポンッ。

ランプは緑色だった。

「よし。そのまま部屋へ進め。」

唖然とする俺に警官がそう伝えた。おかしい。あのセンサーは壊れていなかった。それなのにこのナイフに反応しなかった。なんなんだこのナイフ…。



 胸ポケットから取り出したナイフに反射する自分の顔はあまりにも酷かった。その目はいつもより黒くて、生気が抜けていた。そんなやつに無性に頑張れよと言ってやりたくなった。この力は何のためか。俺は何をするべきなのか。胸の奥からドス黒い炎が舞い上がっていくのを感じる。最後くらい俺の使命の全うしよう。神にしか裁けないのなら俺が神になってやる。



 近づかないことには始まらない。ゆっくりと周りを確認しながらエントランス内への侵入を試みる。けれどわかってはいたが暗証番号も知らないし防犯カメラに映るわけにもいかない。やはり無理なのか。そう思いかけた時だった。エントランス内からこちら側にスーツ姿の役員らしき男が小走りで向かってきた。二重扉が開く。今だ!男が俺に気づかず目の前を駆け抜けたのを確認して、閉まりかけの扉を抜けてなんとか中への侵入に成功した。しかし、その数秒語防犯カメラの存在を思い出した。しまった。忘れていた。尋常ではないほどに焦った。が、人がこちらへ来る気配がない。そうか。さっきのスーツ男といい、みんな事件で出払っているんだ。確証のない自身を頼りに落ち着きを取り戻した俺は部屋を冷静に眺め、あの男がいるであろう部屋へと向かった。広い家の中を巡りながらその先に奴の部屋があることを確信した。なんせ聞き覚えのある声が少しづつ近づいているのだから。



 「だからさ◯◯。わかってるよね?こっちはもう調べがついてんのよ。ね?お前が浮気してたことも知ってんのよ。」

聞いたことのある、いや、聞きまくったその名前。自然と外側からドアに耳をつけてその電話の内容を聞き入っていた。

「悪かったと思うならさ、──とかいう男に不利なこと言えばいいの!そうすれば俺は助かるんだよ!別れたんだったら証明しろよ!」

絶句。ただ絶句。ただひたすらに絶句した。楽観的な考えで事実を押し殺そうとしてもできない。楽しかった彼女との思い出が形そのままに真っ黒に沈んでいく。中に奴がいることをわかっていながら、立ち上がる気力もなくドアの前で俺が死んだ。



 一緒に行った水族館。一緒に食べた甘いイチゴケーキ。目が合うたびの優しく微笑んだ彼女。別れ側に言った幸せになっての一言と愛おしい笑顔。その裏にはいつでも奴がいたんだ。でも彼女はそのやつにも俺の存在を隠していた。奴は俺と同じ被害者。これが突きつけられた現実。思い出も、言葉ひとつひとつも、俺に向けた思い全てが嘘。俺は常の真実の愛を送っていたのに、彼女はそれを偽りで返していた。そして俺はそれに溺れていた。これも事実。そして彼女はやつにそのことがバレて俺を落とし込んだ。彼女の巻いた種で、最後は自分で決めて自分で行動した。これもまた事実。結局俺が使命だとか神だとか言ってたどり着いたこの男を殺しても、裁いても、最後に残るのは彼女。この男を裁いたって何の意味もない。これだって事実。俺は常に嘘を真実だと思ってここまできてしまったんだ。もう誰も何も信じられない。



 その時から俺は俺を見ているだけの存在になっていた。体を動かしている俺を見ていると言った方がいいのかしれない。おそらく今体を動かしているのはついさっき誕生したもう一人の俺。憎しみと名付けよう。その憎しみはすぐに立ち上がって豪邸を後にした。右腕には和室で発見した日本刀が握られていた。きっと憎しみは人を殺めるだろう。でも俺にそれを止める力はない。それにそんな義務もない。悪いのは彼女だ。



 こちらへ向かって走ってきた間抜けの胴体を一閃。拳銃を取り出しても震えて撃てない間抜けは口からうなじに突き刺してやった。もう何も感じない。むしろ赤い返り血が美しい。銃弾がヒットすれば何の躊躇いもなく首を掻き切ってコンティニュー。切って撃たれて死んで切っての繰り返し。そして彼女の家の周りを真っ赤に装飾してやった。俺はただ見ていたがこれこそが俺のやるべきことだったと確信した。階段を上がれば敵がいるし、部屋を開ければ敵がいる。どこへ行っても何人殺っても湧いて出てくる。その度に俺は満足感を覚えた。



 彼女の後ろにある鏡に写った俺と憎しみは真っ赤に染まっていた。顔についた赤がいい味を出している。

「いやぁ!こっちに来ないでっ!」

「落ち着けって◯◯。」

声担当は俺。このセリフをいったのも何度目だろうか。

「やめて!触らないでっ!こっちに来ないでっ!悪いのはあいつなのよっ!」

このセリフも聞き飽きた。

「ねぇ◯◯。俺は君を愛していたんだよ。俺はね。」

そう言いながら彼女の肩に手を置いて面と向き合う。何度やっても震えながらこっちを見る彼女は悔しいほどに綺麗だ。

「だから君を愛した分、それがこうなった。」

予定通り勇気を振り絞った彼女は俺の腕を跳ね除け、頭頂部のやや右に向かって置いてあった花瓶を振り下ろした。

「死ねぇぇぇぇ!」

さっきは朦朧とする意識の中で彼女が俺をゴミを見る目で見つめていたっけ。その花瓶を左手でしっかり軽くキャッチする。死を悟った彼女の表情はより一層美しさを増していた。

「きっと憎しみは許せないのさ。君みたいな人が自分より長く生きることが。だっておかしいだろう?死ぬべきはどっちだって話だよ。」

彼女の体をぎゅっと抱き寄せる。

「ありがとう。」

彼女の首から下が床に崩れ落ちた。腕の中に残った彼女の顔はやはり綺麗だった。

「死ねってさ、まったく、俺が今まで何回死んだと思ってんだよ。」

雲ひとつなく澄み切った心で笑えた。

「さて、俺もそろそろいくか。」

憎しみは消え、自分の意思で体を動かせるようになっていた。

「二度目ってこういうことなんだろ?おっさん。」

どこを見るということもなくただ斜め上を向いて、気づけば懐からナイフを取り出していた。

 別れた後に彼女の浮気が発覚しました。その憎悪から産まれた作品故、心情等にリアリティが増してる気がします。主人公の行動に理解できないことは理解してます。辛口コメント待ってます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怒りの心理描写はそれっぽかった 自分の気持ちを表現したいみたいな気持ちを感じた、気の所為かもしれませんが [気になる点] 全体的に分かりづらかった、ホームレスのくだりは特によく分からなかっ…
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