叶わぬ恋
俺は机の上の『マル秘ノート』をぼんやりと見つめながら、深くため息を吐いた。
書き殴った文字のひとつひとつが、頭の中で整理されずに絡み合っている。
ノートの端には、“姉の破滅フラグ回避策” という走り書きが残っているが、もはや何度目の試行錯誤か分からない。
ふと、窓の外に目をやる。
庭のカセボ(東屋)の下で、姉のアンジェラが両手を膝の上で握りしめ、俯いていた。
いつもは背筋をピンと伸ばして凛としている姉だが、今の彼女にはその気配すらない。
王太子殿下が帰ってから、どのくらいの時間が経っただろう。
日が傾き始め、陽の当たらないカセボでは寒さも増しているはずなのに、姉もその侍女たちも動こうとしない。
──また、殿下とのお茶会で何かあったのだろう。
「オリヴァー。悪いんだが、姉さんをお願いできるか?」
俺が横にいた親友に声をかけると、オリヴァー・トーマスは気怠げに肩をすくめた。
「ん?またか。……あのバカのせいだな」
そう言いながら、彼は呆れたように立ち上がる。
彼が恐れ多くも王太子殿下を「バカ」呼ばわりできるのは、王弟殿下の息子、つまり王族の血筋だからだ。
オリヴァーは王族でありながら親しみやすく、市井にもよく顔を出すため、平民人気も高い。
そのうえ剣技の腕も立ち、物怖じしない性格のため、王族の中でも異色の存在だった。
本当に気配りもできていいやつなんだけど、身分をわきまえなさすぎてヒヤヒヤすることも多い。
……ま、そんなオリヴァーとつるんでいる俺も似たようなものかもしれない。
「大方、またアンジーがお節介焼いちゃった感じかな? いい加減呆れてもいいのに。あのバカはしつけようがないってね」
オリヴァーは軽く手を振りながら部屋を出て行った。
自分が行ってもいいのだが、ここは親友特権ってやつだ。役得なのか、酷なのかは分からないが。
姉と王太子殿下の婚約は、二人が10歳の時に決まった。
もともと殿下には生まれてすぐ、公爵令嬢との婚約が決まっていた。
だが、ある事件をきっかけに彼女は失踪した。
王家は彼女の生存を信じ、王太子が10歳になるまで正式な婚約者を決めずにいた。
しかし、待ち続けても彼女は戻らなかった。
──その結果、新たな婚約者として選ばれたのが、姉だった。
王家や貴族にとって、政略結婚は当然のことだった。
王太子が別の令嬢と婚約することは、何も珍しいことではない。
だからこそ、周囲の人間は、婚約者が変わること自体に特別な感情を持っていなかった。
ただ──「あれほど仲が良かった二人なのに」という思いを、密かに抱いていた者もいた。
しかし、それを強く表立って反対したのは、ただ一人。
パーシバル・ロータス本人だった。
「なぜ彼女以外と婚約しなければならない?」
そう言って彼は婚約を拒もうとしたが、王族の義務を放棄できるわけがない。
彼の意志とは関係なく、姉との婚約は正式に決められた。
それ以来、パーシバル殿下は姉との婚約を快く思わず、彼女を拒絶し続けた。
政務にも身が入らず、月に二回行われるアンジェラとのお茶会にも、ほぼ義務感で顔を出しているだけだった。
姉のことを「代わりにあてがわれた婚約者」としてしか見ていない。
そして今日も、例外ではなかった。
彼は姉との会話をろくにせず、適当に相槌を打ち、彼女が王族の在り方についてさりげなく指摘すれば機嫌を損ねた。
そのたびに殿下は不機嫌そうに帰り、残された姉はいつもこうして落ち込んでいる。
毎回、姉は工夫を凝らして言葉を選び、試行錯誤しているのに、それが報われることはない。
「……姉さん、バカみたいだよな」
思わず独り言が漏れる。
姉はただ王太子に尽くそうとしているだけなのに、本人はそれを拒み続ける。
俺たち家族は、姉を慰めることはできる。
けれど、王族の立場上、殿下の態度を直接批判することはできない。
だからこそ、オリヴァーのような存在は貴重だった。
彼ならば、王族という立場を持ちながら、遠慮なく殿下を批判できる。
俺たちが何も言えない分、彼に頼るしかなかった。
そして──オリヴァー自身も、毎回こうして姉の元へ行くことを、断ったことがない。
俺は、オリヴァーの後ろ姿を見送りながら思う。
「彼は、なぜここまで姉のことを気にかけるのか?」
親友として姉を守りたいだけかもしれない。
けれど、それ以上の感情が混じっているように思えてならなかった。
──だが、それは決して叶わない恋。
ここ最近恋愛してない作者が描く恋愛小説なのでお花畑満載です。
現実げは起こりえないことって最高に胸踊るな〜
作者自身「よもう」のヘビーユーザーです。