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正義か忠義か その3

 地面に降り立ったバルワッドが、ゆっくりとアンギルの前にやってくる。

 まだ剣も抜かず目の前に立っているだけだというのに、見えない気配に圧されてしまいそうになる。

 あれほどざわついていた周囲はぴたりと静まりかえり、相対するアンギルとバルワッドの様子をただ緊張の面持ちで見守っている。

 

(これが歴戦の将軍の威風というものか)


 さすがはバルワッド・ヴィラング、とアンギルは感嘆せずにはいられなかった。


「あれから十二日か。

 まさか再び私の前に現れるとはな。

 あの時、確かにその脳天を断ち割ったはずなのだが」


 言葉の割には落ち着き払った様子で、バルワッドはアンギルに話しかけてきた。

 やはり夢と思っていたあれは事実であったらしい。

 それがなぜ五体満足で生きているのかはアンギルにとっても不思議ではあるが、今はそれ以上に問い正すべきことがある。


「ヴィラング将軍。

 後ろでいているその荷馬車は従属国フィーレンからの隊商のものであるはず。

 見たところ、山賊を装ってあなた方が強奪したように見受けられるのですが」


「そうだ。

 そういう命令を受けたからな」


「なぜこのような行いを」


「今年は、帝国本土で大凶作なのは知っているな?」


 なおもたずねるアンギルに対して、バルワッドは逆に訊ね返してきた。

 いぶかしく思いながらも、アンギルは頷く。


 天候にも恵まれて作物の大豊作を期待されていたのだが、雨季に入ってから作物が黒くなり朽ちていく奇病が蔓延し、帝国の収穫物に壊滅的な被害が出たのだ。

 兵站へいたんに関わることでもあり、アンギルもその話は聞いていた。


「だが、他所から買えば問題はないはずなのだ。

 他の従属国はむしろ大豊作だったらしいからな。

 ところが、従属国の商人達から足元を見られて高値で食糧を買わされては、従属国をみすみすつけ上がらせるだけではないか、という意見が上層部を牛耳る上級貴族達から出たらしくてな。

 いっそ、賊に襲われたように見せかけて奪ってしまうことにしたそうだ」

 

「それこそ、フィーレンだけではなく他の従属国からの信用も失う行為ではないですか!」


「そうするのが良い――と、考えているのだよ、今の帝国の上層部は」


 そう告げるバルワッドの口調はひどく冷めたものだった。

 彼とて、本意でこの命令に従っているわけではないということだ。 


「こんな汚れ仕事、ヴィラング将軍ともあろうお方がわざわざ出向いて行うことではありますまい。

 東部諸国が連合を組んで我が帝国に対抗してきた火急の状況たる今こそ、閣下のお力が最前線において必要なはず。

 だというのに、上層部は一体何を考えているのですか!」


「必要とされていないのだよ」


 バルワッドの答えに、アンギルは耳を疑った。


「私が戦場で大きな功績を立て続けたがゆえに、敵は弱いのだと上層部は妄信もうしんしているのだ。

 そして、高貴な血筋の者達にもっと功績を立てさせるべき、という上級貴族達の声に上層部が応えたその結果が、今ここにいる私だ。

 それだけでない。

 前線を支えてきた多くの将軍達が何人も更迭され、従属国の国境付近で賊まがいのことをさせられている。

 代わりに、剣すらまともに振れぬ上級貴族の子息共が新たな指揮官として任地に赴いたらしい。

 これまでは、我々が際どい戦いを何とか凌げていただけだというのに、笑い話にもならんよ」


 大きくため息をつき、バルワッドは遠い目で東の方角を見た。

 これから先に起こる未来を見ているかのようだ、とアンギルは思った。


「閣下。

 もうこのようなことはお止めください。

 このままでは国が乱れるのみならず、閣下の名声にも傷が付いてしまいます。

 今の帝国の上層部は狂っている。

 こんな命令に閣下が従う必要などございませぬ!」


「そうだな。

 君の言っていることはまさしく正しいとも、グード君」


 だがな、と言うなりバルワッドは腰の長剣を抜いた。

 魔鋼を鍛え上げて作られた刃が斜陽の光を浴び、鮮やかな朱を帯びる。

 その剣を顔前がんぜんにかざし、その刀身に己の顔を映す。


「先帝陛下に剣を捧げて騎士となり、将軍位とこの剣を賜って死するまで帝国に忠義を尽くすと誓った。

 五年前に先帝陛下が崩御され、当時一五歳の若君が皇帝位に就かれた今もそれは変わらぬ。

 命令に背くということは、その誓いを破ることになる。

 更に言えば、現陛下のかたわらでまつりごとを治めるべき重臣達は利心に走り、その責任を果たしておらん。

 今、私までもが命令に従わないとなれば、それこそ陛下の威光は地に落ちる。

 ゆえに、聞けぬ。

 たとえこの帝国がすでに死に体であるとわかっていてもな」


 その決意を示すようにバルワッドは一度剣を振り払うと、改めてその切っ先をアンギルに向けた。


「グード君。

 君が私の所業を見過ごせぬように、私もまた勅命の下に殺したはずの君を見過ごすわけにはいかぬ。

 あの時は少数を多数で、それも騙し討ちで蹂躙じゅうりんする形となって後味が悪かった。

 此度こたびこそ正々堂々と、そして確実に君をこの手で討ち取る。

 騎士リュオン・プライダー、剣を貸してやれ」


「はっ。

 アンギル・グード、受け取るがいい」


 バルワッドの背後、荷馬車の中央左を守っていた騎士が応え、手にしていた抜き身の剣をそのままアンギルの足元に放り投げてきた。


「愛剣とはいえ、その錆付いた剣では満足に戦えまい。

 その剣を取るがいい」


「愛剣?」


「君の墓だけはそれとわかるようにその剣を墓標にしたのだがな。

 一番手近にあったから、持ってきたのだろう?」


 バルワッドの言葉に、アンギルは衝撃を受けた。

 この錆付いた剣が刺さっていたあの墓標こそ、アンギル・グードの墓だったのだという。

 それでは、自分は一体何者なのだろうか。


「……私は襲撃場所のそばに埋められていたのですが」


「そんなところには誰も葬ってはおらんが……ふむ。

 分からんが、もはやどうでも良いことだ。

 君がアンギル・グードとしてここにいる以上、どのみち私は君をここで殺さねばならぬ。

 君も私を止めたいのなら、力づくで止めて見せよ」


 早く剣を取れ、と促され、アンギルは頭を振って気を取り直した。

 そうだ、今は自分の正体を気にしている場合ではない。

 目の前の強敵、将軍バルワッド・ヴィラングを倒さなければならないのだから。






 錆びた剣を放り捨て、代わりに拾い上げた騎士リュオン・プライダーの剣を正眼に構える。

 幸いなことに、長さも重さも今まで使っていた剣とそれほど変わらない。

 ほのかに青い燐光を帯びており、この剣もまた魔鋼製の逸品であることがうかがい知れた。

 まさに対等の条件をアンギルは与えてもらったのだ。


 対するバルワッドは右足を前にやや半身の構えをとった。

 アンギルを見据えるその双眸そうぼうからは強烈な殺気がみなぎっている。

 ぞくり、と冷たい気配がアンギルの身体を突き抜けていく。


 正直、勝てる見込みなどアンギルにはなかった。

 しかし、この将軍バルワッド・ヴィラングはわざわざこの一騎打ちの場をしつらえてくれたのだ。

 たとえここで再び敗北することになろうとも、無様な戦いを見せるわけにはいかない。

 ままよ、とアンギルは剣を強く握りしめた。


「はぁぁぁぁッ!」


 気合の声を上げてバルワッドに斬りかかる。

 大きく上段に振りかぶり、強い踏み込みから力任せに振り下ろす。

 その一撃を、バルワッドは右下からの斬り上げで応えた。

 魔鋼の剣同士が甲高い音を立ててぶつかり合い、燐光の火花が飛び散る。

 

「むッ!?」


 驚きの声を漏らしたのはバルワッドの方だった。

 両手がびりびりと痺れている。

 これほどに重い一撃を、彼はいまだかつて受けたことがなかった。

 しかも、その攻撃を受け止めたバルワッドの剣が徐々に押し込まれていく。

 アンギルに力負けているのだ。


 たまらず、バルワッドはアンギルの剣を右に受け流した。

 続けてやってきた左下からの斬り上げを、左上に跳ね上げるようにして方向を逸らす。

 さらに仕掛けようとしたアンギルだったが、急に伸びてきたバルワッドの鋭い斬撃が胸元に迫り、それを受け止めつつアンギルは後ろに下がって距離をとった。


 わずかに息をつく間が生まれる。


 アンギルは、思ったより戦えている自分を意外に思っていた。

 自分と将軍には隔絶した力の差があると思っていたのだが、攻撃に身体の反応がついていけているし、膂力りょりょくにおいてはどうやら今の自分の方がまさっているようだ。

 卓越した剣技で攻撃を凌がれているが、力勝負の展開に持っていくことができれば勝機はある、とアンギルは淡い期待を抱いた。


 だが、それは甘い考えであることをすぐに思い知らされることになる。

 アンギルが前に出ようとした矢先にバルワッドがすかさず踏み込み、アンギルの剣に力が乗る前に左に大きく弾いた。


「くッ!」


 懐に飛び込まれないように後ろに飛びずさりながら、アンギルは前に出てくるバルワッド目がけて剣を振るった。

 斬る、というよりは叩きつけるような強打を意識した一撃だったが、バルワッドは腕と手首をうまく回転させてそれを見事に受け流した。

 アンギルの剣が右に流され、わずかに構えが崩れた、その瞬間。

 

 ぎらり、と。

 バルワッドの瞳が鋭さを増した。

 

 がら空きになったアンギルの左脇腹に、突き上げるような高速の刺突が迫る。

 反射的にアンギルの剣が引き戻り、何とかその一撃は弾くことができた。

 だが、ここからバルワッドの怒涛どとうの攻撃が始まった。

 人体の要所を狙い澄ました一撃が、凄まじい速さで立て続けに繰り出される。

 アンギルはそれらに何とか反応するが、防ぎきれなかった幾つもの攻撃がアンギルの身体をかすめ、傷を作っていく。


 まずい、とアンギルは焦りを覚えた。

 自分はまだ決定的な一撃を一度も与えることができていない。

 今はまだ大して傷の痛みが気にならない程度ゆえに戦えているが、このまま押されていてはやがて深手を負わされて動けなくなる。

 やはり、この将軍に勝つことはできないのか。


(いや、そもそも勝つ必要などないだろうが、アンギル・グード!)


 ふと、アンギルはいつの間にか欲をかいていることに気付き、己を叱咤する。

 剣の戦いに勝つ必要などないのだ。

 そもそもの目的は、将軍バルワッド・ヴィラングを止めることである。

 結果的にそれさえ成れば、アンギルの勝利と言ってよい。


 たとえ、ここで死ぬことになろうとも。

 元より一度死んだはずの身だ。

 ならば、もう一度この命を捨てることに迷いなど、ない。


「でやぁぁぁぁッ!」


 覚悟を定めたアンギルは腰溜めに剣を構え、前に出る。


 バルワッドはアンギルの首を狙って左から剣を薙ぎ払った。

 アンギルはわずかに剣先を上げてその一撃を受け止めつつ、そのまま左肩からぶつかるように突撃する。


「何ッ!?」


 捨て身の決意を感じ取り、わずかに気圧されたバルワッドの反応が一瞬遅れた。

 距離を取ろうとするが、間に合わない。

 渾身の力が込められたアンギルの剣が突き込まれる。

 バルワッドは、とっさに右に引き戻した剣を突き出した。


 二人の身体が交錯し、動きを止める。


 アンギルの剣はバルワッドの腹部を刺し貫き、その刃を赤い鮮血が滴り落ちていく。

 一方、バルワッドの剣もまたアンギルの腹部を刺し貫いているが、その刃を濡らしているのはわずかに赤みを帯びただけの透明な液体だった。


「……そうか、君は。

 いわゆるアルラウネとかいうやつなのだな」


 アンギルの肩越しに己の剣の刃を見ながら、バルワッドは語りだした。


「アルラウネ?」


「そうだ。

 マンドラゴラという魔草がアンギル・グードが死んだそばにたまたま生えていたのだろう。

 その流れた血を吸って成長しアルラウネという魔物になったのが、おそらく今の君だ。 

 おとぎ話の戯言たわごとと、思っていたのだが、な」


 ごぼっ、と大量の血を吐いて、バルワッドの身体がゆっくりと崩れ落ちていく。








「閣下!」


 騎士リュオン・プライダーが慌てて駆け寄り、バルワッドの身体を抱き起こす。

 アンギルは自分の腹部を刺し貫いていたバルワッドの剣を引き抜き、その傷に触れた。

 常人であれば間違いなく致命の一撃だ。

 だが、瀕死の感覚を知っているアンギルは、今の自分がまだ死ぬことはないことを悟ってしまった。

 愕然としたアンギルは片膝を落として謝罪する。


「申し訳ございませぬ。

 せっかく対等の条件を用意してくださったのに、とうの私が化け物になってしまっているとは。

 私はやはり、人としてあなたには勝てなかった」


 人の身のままであれば、すべてにおいてこの将軍に及ばなかっただろう。

 化け物の身でなければ、最後の一撃で倒れ伏しているはずだ。

 相討つはずが、己だけ生を拾ってしまった。

 アンギルは、対等どころか過分な優位を得てしまっていたのだ。


「いや、君の勝ちだ」


 だが、バルワッドはアンギルを称えた。


「アルラウネは、その血に宿る遺志に沿って行動するらしい。

 君の正義の心が半端であれば、こうして戦いに来なかっただろう。

 死してなお揺るがぬその信念が、私を打ち負かしたのだ」


 言い終えると、リュオンよ、とバルワッドは己を抱く騎士に声をかける。


「何なりと」


「最後の命令だ。

 騎士アンギル・グードと共に事を成せ。

 私がおらずとも、問題はなかろう。

 口答えは許さぬ」


「承知、致しました」


 悲痛の面持ちで、リュオンは拝命した。

 再びバルワッドはアンギルを見る。


「騎士アンギル・グード。

 君に私の剣を託す。

 帝都におわす皇帝陛下の元へ行って、その剣を見せよ。

 その後は、君の思うままにするがいい」


 頼んだぞ、と言い終えるとバルワッドは目を閉じて大きく息を吐いた。

 そしてそのまま、バルワッドの身体から力と魂が失われた。


「……総員、バルワッド・ヴィラング将軍に、敬礼!」


 リュオンは静かにバルワッドの亡骸を寝かせると立ち上がり、こらえるように声を上げながら頭に右手を当てて敬礼した。

 その双眸から涙が溢れ、頬を伝っていく。

 黙って成り行きを見守っていた周囲の隊員達も、嗚咽の声を上げてそれに従う。


 アンギルも敬礼し、黙祷を捧げる。

 同じ戦場で力を合わせて戦ったことはなく、最後は敵として雌雄を決することとなってしまった。

 だが、彼を慕い憧れる想いは今も決して変わっていない。


 ――さらば、将軍バルワッド・ヴィラング。

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