正義か忠義か その2
茂みの奥、盛り上がった土の上に突き立てられ、ところどころ黒く錆びついた抜き身の長剣。
しばらく辺りをうろついていたアンギルは、偶然にもそれを見つけた。
「これは、墓標か?」
誰のものかは判別できないが、長剣には見覚えがあった。
これは、帝国軍御用達の鍛冶屋が一般の騎士用に打った量産品である。
それなりに質も良く、アンギルも愛用していた代物だ。
突き立った剣の刃を叩いたり撫でたりして状態を調べてみると、それほど古いものではないと思われた。
放置されて、長くても二〇日は経っていないだろう。
ところどころ刃こぼれもあって切れ味は悪いだろうが、殴る分にはどうにか使えそうだ。
元より、何か武器になるものを探すつもりだったアンギルにとっては好都合だった。
「安らかに眠っているところ申し訳ないが、この剣、借りていくぞ」
墓の下にいるであろう名も知らぬ騎士に一言断り、墓標の長剣を引き抜いた。
ぐっと両手で握った感触が妙にしっくりくる。
使い心地を試そうと思ったその時。
「……ん?」
かすかにだが、遠くから何かが聞こえたような気がした。
その場で静かに耳を澄ましてみると、やがて物音が徐々に大きくなり、はっきりわかるようになった。
ガチャガチャとした金属音に混じる、規則正しい隊列の足音が北の方からやってくる。
おそらく、今しがた自分がやってきた広めの道を通るだろう。
そう判断したアンギルは、山道を見通せる、なるべく近くの木陰に身を潜めた。
やがて、その正体が姿を現した。
やってきたのは、汚い身なりの山賊の一団だった。
隊商の馬車を襲撃したその帰りなのだろう、彼らには不釣り合いなくらい立派な荷馬車を五台曳いている。
それらの幌に括りつけられているのは、確かフィーレン王国からやって来る隊商の証だ。
ところどころに血の跡が見えるものの、思いのほか馬車に被害は見られない。
繋がれている馬も無傷だったようだ。
襲撃の際に動きを止めるため真っ先に殺されそうなものだから、これは意外だった。
幾人ほど包帯を巻かれた者はいるが、重傷の者は見受けられない。
荷馬車で運んでいる可能性もあるが意気消沈している様子はないから、山賊達におそらく死者はいない。
整然と並び、歩調を揃えて山に向かって坂を上っていく山賊達の様子に、アンギルは違和感を覚えた。
異様なほどに規律が良すぎる。
隊列が乱れていないだけではない。
襲撃に成功したにもかかわらず、喜びはしゃぎ回るどころか雑談することもなく淡々と行進しているのだ。
それに、彼らは馬を殺さずに隊商の足を止めさせ、味方にも荷馬車にも全く被害を出すことなく襲撃を成功させている。
隊商達にも手練れの護衛がいたはずなのに、だ。
圧倒的な戦力があったとしても、よほど手際よく、一人一人がしっかりと訓練されていなければ無理な話なのだ。
そう、彼らはあまりにも訓練されすぎている。
まるで軍隊であるかのように。
(まさか)
アンギルは、はっとした。
本当にそうなのかもしれない。
エインジア王国の誇る英雄、バルワッド・ヴィラング将軍が自ら鍛え上げた精鋭部隊ならば。
それを裏付ける存在を、アンギルは見つけてしまった。
先頭の馬車の御者をしている、山賊達の中でもっとも派手な身なりの威風堂々たる男。
その姿は見間違うはずもない。
何しろ、夢の中の戦いでアンギルと最後に剣を交え、腹部に深い傷を負わされたあの山賊頭そのものなのだから。
(バルワッド・ヴィラング将軍……)
やはり、あの夢は現実だったのだろうか。
だが、もしそうであるならアンギルは死んでいなければならないし、今もなおバルワッド将軍の部隊がこの場所にいる理由がわからない。
勅命は果たされ、既に山道から用など無いはずなのだが。
(いや、むしろこちらが本命の任務なのか)
わざわざ山賊の恰好をしていることも考慮すると、元々任務で来ていたところに勅命がもたらされた、と考えた方が自然に思える。
しかし、その任務がよもや山賊の真似事とは。
止めなければならない。
これ以上、非道な行いをさせないために。
だが、そのためには将軍に直接訴えかけなければならないのだが。
アンギルは空を見上げた。
日は傾き、もう少しで黄昏る頃合いである。
拠点に帰る隊列を尾行して、夜襲するべきか。
まずそう考え、即座にそれは無理だと却下する。
よもや将軍の直属部隊が夜襲への備えを怠っているはずがない。
更に、その時には肝心の将軍が一番奥まった位置に籠ってしまっているはずだ。
多数を相手取らねばならないし、最悪将軍に逃げられる可能性もある。
たった一人の現状では諦める他ない。
(ならば、やはり今か)
今すぐ飛び出せば、隊列の進路を塞ぐ位置に出て行ける。
もちろん、将軍のそばを固める隊員はどうしても自分に向かってくるだろうが、それさえ何とかすればもう目の前だ。
勅命のもとに自ら手をかけたはずの男が生きていたとあらば、誇り高きあの将軍が捨て置くはずがない。
そこに賭けるのみだ。
錆び付いた長剣を両手で強く握りしめる。
決意すると、アンギルは茂みの中から飛び出し、先頭の荷馬車に向かって駆け出した。
「奇襲ーーッ!
総員、迎え撃てーーッ!」
飛び出してすぐに気づかれ、馬車の護衛役の五人ほどがアンギルを迎え撃つべくやってくる。
だが、後方にいる隊員達はなおも周囲を警戒したままだ。
彼らは、この襲撃がたった一人のものだとは気づいておらず、まだどこかに手勢が潜んでいるのだろうと思い込んでいるのだ。
訓練されすぎているがゆえの反応だが、アンギルにとっては好都合だった。
気取られぬうちに、将軍の元へ辿り着くのだ。
「おおおおおッ!」
まず左側から手斧をふりかざして向かってきた男に対し、アンギルは気合の声を上げながら長剣を振るう。
剣の腹で打つように放った両手持ちの横薙ぎが男の脇腹に深くめり込み、右に勢いよく吹っ飛んでいく。
右側から剣と盾を構えてやってきた男がそれに巻き込まれ、ぶつかった衝撃で手斧の男ともども気を失った。
直後に中央からやってきた棍棒使いの攻撃をかわし、アンギルはがら空きになった男の腹に前蹴りをお見舞いした。
呻き声を上げながら棍棒の男は後方に蹴り飛ばされ、地面を転がる。
奥からやってきた残りの二人がそれにつまづき、盛大に転ぶ。
そんな彼らをアンギルは無慈悲に蹴りつけ、踏みつけ、その意識を刈り取っていく。
再び駆け出したアンギルの心は昂っていた。
見える。
敵の動きを容易く見切ることができる。
いつも以上に技は冴え渡り、身体の奥から力がみなぎってくる。
命を顧みず戦う者は普段以上の力を引き出すと言われているが、これがそうなのか。
ならば、きっとあの将軍とも存分に戦えることだろう。
味方の隊員が倒されるさまを見て、更に三人の槍使いが横並びに立ちはだかった。
槍といっても、森や乱戦での取り回しを重視した短めの槍だ。
全員が呼吸を合わせ、三方から同時に槍を突き込んでくる。
アンギルは慌てず、駆ける勢いのまま滑り込んで短槍の三方攻撃を下にかいくぐり、真ん中の男の左脛に剣の腹を強く叩きつけた。
骨が折れ、堪らず体勢を崩した男をそのまま担ぎあげ、一度ぐるりと左回転してから左の男目がけて投げ飛ばした。
左の男がそれを受け止めて後ろに倒れるのを見届けることなく振り返り、回転にひるんでいた右の男の懐に素早く潜り込んだ。
長剣の柄頭を鳩尾に強く突き込むと、右の男は反吐を吐きながら崩れ落ちていく。
あとは左の男だけ、とアンギルは剣を向けるが、彼の上で骨折の痛みに悶える中央の男を気にしてなかなか起き上がれないでいる。
これ以上相手にする必要はないと判断し、そのまま捨て置くことにした。
ついにアンギルは先頭の荷馬車の前に躍り出た。
隊列の行進がゆっくりと止まる。
風格の違う手練れ――おそらくは騎士格の男四人がなおも前を守っているが、こちらの出方を窺っており、近づいてはこない。
もちろん、アンギルはこれらと戦うつもりはない。
狙いはただ一人、山賊頭の衣装を纏っているあの男だけなのだから。
「将軍バルワッド・ヴィラング!
騎士アンギル・グードが、あなたを止めに死地より舞い戻ってきたぞ!」
なおも荷馬車の御者席に悠然と座するその男を見据えながら、アンギルは大きく声を上げた。
事態に気づき、後方にいた山賊衣装の隊員達も次々にやってきて、アンギルを逃がさぬように取り囲んでいく。
アンギルの顔を見て、彼らに動揺が広がる。
そんな馬鹿な、生きているはずがない――などと、口々に騒ぎ始めた、その時。
「者共、下がっておれ。
その男は、私が直々に相手せねばならぬ男だ」
バルワッドの太くて力強い声が辺りを震わせ、隊員達のざわめきを一瞬で黙らせた。