私が幸せであるために その5
レドリック・オルマイン侯爵の逮捕という王家の発表は、王国中の人々を大いに驚かせた。
宮廷夜会からの帰途についていたリアーナ・バートリー伯爵令嬢の乗る馬車を暗殺者に襲わせ、怪我を負わせた罪によるものだという。
しかもその馬車はシャード王室の専用馬車で、リアーナ嬢を送り届けるためにイングス王太子も同乗していたというのだから、これは王家に対する反逆罪にもあたる。
オルマイン侯爵邸には早朝のうちに王国憲兵隊が家宅捜索に押し入り、侯爵夫人と嫡男を王城へと連行していった。
彼らは濡れ衣だ、横暴だ、などと騒ぎ立てたが、当のオルマイン侯爵が既に捕らえられていること、証言者が娘のセレッサ嬢と使用人にして暗殺者のベノーだということ、そして家宅捜索の折にセレッサ嬢の秘密の隠し場所から証拠品の数々が次々と出てくると、彼らは顔を蒼ざめさせて押し黙るより他なかった。
裁判の結果、レドリック・オルマイン侯爵は他の貴族家に対する妨害工作、そして何よりも一連の王族死亡事件の首謀者であることが裏付けられ、死罪となった。
二〇日後に公開処刑が執り行われ、連座となった夫人と嫡男、そして親戚にその他事件に関わったとして捕らえられていた貴族たちともども、集まった観衆からの罵詈雑言と石つぶてに晒されながら、断頭台の露と消えた。
なお、実行犯であったはずのベノーと娘のセレッサ嬢はこの中に含まれていない。
ベノーは表向き、厳しい拷問の果てに力尽きたとされている。
実際は特務部隊に引き渡され、その後の消息は一切不明なのだが。
彼らにとって仲間を殺された怨敵であるあの男がどんな仕打ちを受けたのか、想像に難くない。
セレッサ嬢は告発者であり重要な証人でもあったことから、牢獄ではなく王族の幽閉塔に入れられ、丁重に扱われた。
そして、刑に処された家族たちの顛末を聞き届けると満足そうに微笑み、毒杯を仰いで儚くその命を散らした。
わずかにも苦しむことなく、眠るように穏やかな最期だったという。
オルマイン侯爵家は当然取り潰され、使用人たちも職にあぶれることとなったのだが、王家が配った紹介状にはオルマイン家でセレッサ嬢が受けていた仕打ちが明確に記されている。
彼らが手当の良いまともな貴族家で受け入れられることは、もうないだろう。
残されたオルマイン派はというと、混乱の果てに自然瓦解した。
元よりレドリック・オルマイン侯爵にすがったり脅されたりして集められた貴族家ばかりだったのだ。
支柱であったオルマイン家を失えば、散り散りになるのはあっという間だった。
ちなみに、夜会の場でリアーナ嬢(に扮したアルーラ)を問いただしたシルダ・ゴルバート嬢は無罪放免とされた。
実際、シルダ嬢はオルマイン侯爵家に唆されて忠言しにきただけなのである。
公衆の場でリアーナ嬢を貶めようとした侮辱罪を適用することもできたが、イングス王太子とリアーナ嬢がそれを望まなかったため、お咎め無しとなったのだ。
これを恩情と受け止めたゴルバート伯爵家は以降、王家への助力を惜しまなかった。
ゴルバート伯爵家が許されたことを知り、オルマイン家に無理矢理従わされていた貴族たちも汚名返上とばかりにこぞって親王派に鞍替えした。
オルマイン侯爵によって被害を被った他の侯爵家も事件解決に感謝の意を示し、王家の権威は揺るぎないものとなった。
こうして、レドリック・オルマインによる一連の事件は一応の決着を見たのである。
満ちに満ちた真円の月が、夜の庭園を淡く照らしている。
昼の明るい華やかさも良いが、月夜の幻想的な雰囲気もまた素晴らしい。
これが見られるのも、バートリー邸に住む者ならではの特権だ。
誰もが寝静まる深夜、小高い東屋の席で一人、アルーラは庭園の景色に見惚れていた。
何となしに撫でた左の首筋に残るのは、ほんのわずかな傷痕。
夜会帰りの襲撃事件があったのは、今や半年も前のことだ。
リアーナの身代わりとして毒の刃で傷を負わされたアルーラだったが、結局あれから何の異常もきたすことはなかった。
間違いなく致死性の毒が使われていると後で聞かされたので正直ひやひやしていたのだが、どうやらアルラウネの身体には効かなかったらしい。
もっとも、バートリー邸に帰ってそのことを話したら心配のあまりリアーナに大泣きされてしまったので、杞憂に終わって本当に良かった。
そのリアーナとイングス王太子の結婚式はというと、実のところまだ執り行われていない。
襲撃事件でリアーナが負った怪我の治療を優先するためにと、もう百日後に先延ばしされたためだ。
そう公表すれば、襲撃事件というのが夜会の日の帰りのことだと、人々は勝手に思ってくれる。
それに、全てがレドリック・オルマイン侯爵の仕業だったと明らかになった以上、バートリー家での事件が知られてもそれほど問題はないのだ。
おかげで安心して治療と王太子妃教育の時間が稼げる、とはイングス王太子のお言葉だ。
ただし、彼の目算は半分外れた。
予想をはるかに上回る早さでエリウム王国から治癒師が来訪したためであって、嬉しい誤算なのだが。
レドリック・オルマインの裁定が終わってから、わずか五日後のことだった。
エリウム王国は、シャード王国からアイダーノ公国を挟んで北側にある国だ。
どんなに急いでも、片道だけで一〇日はかかる道のりらしい。
事前に打診していたとしても、あまりに来るのが早すぎる。
後にイングス王太子から治癒師の素性を明かされ、驚きとともにその理由に思い至った。
治癒師の名はマルシィ・ホルバ―ン。
エリウム王国貴族ホルバ―ン侯爵夫人にして、イステリア教会ホルバ―ン領支部の特別司教という地位にあるお方だ。
彼女の夫であり【盟友侯】とも呼ばれるユーク・ホルバ―ン侯爵は、一〇年あまりで自領を急発展させた。
かつての冒険者仲間だった老魔術師が完成させたという『転移装置』なるものを各地と繋ぎ、エリウム王国の交通の要衝として築き上げたのである。
今回、ホルバ―ン特別司教はその『転移装置』を使って、わざわざシャード王国に来てくれたということなのだろう。
リアーナと、怪我を負わされたという侯爵家の令嬢たちを治療をするために。
ホルバ―ン特別司教の神蹟術によって、リアーナに刻まれていた醜い傷痕は跡形もなく消え去った。
それからの彼女の表情は明るい。
気に病む物が無くなったことで、心の傷も一気に癒されたのだろう。
泣き伏せることもほとんどなくなり、以前のように朗らかな笑みも多く見られるようになった。
精神的にも、ほぼ立ち直ることができたと言っていいだろう。
「……そして、私の役目もこれで終わり、か」
ぽつりとそう呟いて、アルーラは寂しげにため息をついた。
夜風が運んでくる庭園の香りが、鼻をくすぐる。
自分が土の中から出てきたあの頃とは違う匂いに、季節の巡りを感じずにはいられない。
最初にリアーナを見た時は、決して良い感情を持ってはいなかった。
悲しみに暮れてやつれた姿に、それが本物の自分だとはとても信じられなかったからだ。
お嬢様、とそんな彼女をオリオとメディアが必死で守ろうとしていたのもまた、気に入らなかった。
私こそが、本物のリアーナ。
王太子と結婚して幸せになるべきは自分なのだ。
その邪魔をするあの女から全てを奪い取ればいい。
そんな邪な考えが、心の中に満ちていた。
しかし、リアーナに刻まれた醜い傷痕を見せられ、それが自分には無いことを気づかされ、暗い気持ちは急激にしぼんでいった。
本当に幸せになりたいと願っていたのは本物のリアーナであって、偽物の自分ではない。
彼女に取って代わったところで、きっと幸せは訪れない。
それなら、今は打ちのめされている彼女を、私が幸せに導くのだ。
きっと、その方が私も最後に喜べるだろうから。
そう決意を新たにして、アルーラは今日までリアーナを支えてきた。
事件の実行犯とその黒幕にも、その報いを受けさせた。
身体の傷も心の傷もほとんど癒えて、リアーナはじきに王家へ嫁ぐことになる。
王家の一員となる彼女には、これからも様々な困難が待ち受けていることだろう。
けれど、あの絶望の日々を乗り越えた今の彼女なら、何も心配することはない。
イングス王太子殿下に国王王妃両陛下だって味方になってくれる。
約束だって交わしたのだから、必ず幸せにしてくれるに違いない。
もう、リアーナを助ける必要はないのだ。
いや、むしろこれからの自分はかえってみんなの弱みになる。
貴族社会は非情だ。
政敵を陥れるためならどんな手段でも用いてくる。
バートリー家はずっと匿い続けてくれるだろうが、いつ何時自分の存在を知られるかわかったものではない。
さらにアルラウネという魔物であることまで明るみになれば、バートリー家が、王家が、そして何よりリアーナが糾弾されることになる。
これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。
ゆえにアルーラは決めたのだ。
今夜、この屋敷を去ることを。
誰にも別れを告げるつもりはない。
言えば、必ず引き留められる。
決心が揺らいでしまう。
でも、このまま留まり続けるわけにはいかないのだから。
この庭園の景色に浸れるのも、これで最後。
せめて、この目に焼き付けておきたかった。
その時、誰かが屋敷の方から歩いてくるのに気づいた。
まっすぐ、この東屋へと向かってくる。
だが、アルーラは慌てない。
やがて月明りに晒されたその姿を確認すると、席を立ってにこりと微笑みかけた。
「待っていたわよ。
今日はいつもより遅かったわね」
「リアーナ!?……いや、その気安い口振りはアルーラか。
でも、なんで君がここに?」
夜にはばかって大声こそ上げなかったものの、人影の正体――庭師の青年オリオは驚いていた。
これからまた何かあってはいけないからと、リアーナとアルーラは夜の庭園への出入り禁止を申し渡されている。
だから誰にも気取られる心配はない、とでも思っていたのだろう。
「私にはお見通しなのよ、いろいろとね」
挙式の準備に追われて忙しいリアーナと違って、アルーラはとにかく暇だった。
しかも無理に寝る必要もない体質のせいで眠くならないため、夜は私室の窓から見える庭園の景色をただぼんやり眺める日々を過ごしていた。
だから、知っているのだ。
ここしばらく、彼が夜な夜なこっそりと庭園にやってきていることを。
東屋のそばにある物置小屋の中にいろいろと荷物を隠していることを。
そして何より、彼の今のいでたちだ。
いつもの簡素なシャツではなく厚手の革の上下を着込み、足元も使い古したサンダルではなく丈夫そうな長靴を履いている。
どう見ても、これから寝に入ろうという格好ではない。
「今夜、この屋敷を出ていくつもりなんでしょう?」
「……このままじゃあ、リアーナが嫁いでいくのを心から祝えそうにないから」
そう言って、オリオは寂しげにため息をついた。
オリオが父親と一緒にこの屋敷にやって来てから、年の頃が同じリアーナは彼によく話しかけた。
お互いに花のことが大好きで会話が弾んだのもあるが、やはり単純に気が合ったのだろう。
あっという間に打ち解け合い、いつしか互いに意識し合う仲になっていた。
彼と一緒になれたらいいのに、と一時はリアーナも思っていたくらいだ。
だが、身分の違いがそれ以上の関係となることをためらわせ、やがて二人はどちらからともなく距離を置くようになった。
その後、イングス王太子殿下から求婚され、リアーナは貴族令嬢としての務めを果たす道を選び、オリオへの想いを淡い思い出として心の奥にそっとしまい込んだ。
オリオもまた弁えた態度で自然に接するようになったため折り合いをつけたのかと思っていたのだが、どうやら彼の抱える想いは想像以上に深かったらしい。
「ただ近くで彼女の笑顔を見られればそれでいい、と思っていたんだけどな。
王子様と結婚して彼女がこの屋敷を出て行ったら、もうそれも叶わなくなる。
それを考えると、素直に喜べない自分に気づいてしまったんだ。
今の俺には、リアーナを笑って見送ることはできそうにない。
その前に仕事を辞めて出ていこうとしても、やっぱり理由は聞かれることになる。
隠し事が苦手な俺には、そこを嘘で押し通せる自信はない。
でも、今さら俺の気持ちを打ち明けたところで、きっとリアーナも伯爵ご夫妻も困ってしまうだけだ。
辛い目にあったリアーナには、これから何としても幸せになってもらいたい。
その邪魔になるような面倒事は起こしたくない。
だから、黙って出ていくことに決めたんだ。
頼むから見逃してくれ、アルーラ」
いつになく真剣な彼のまなざしを受けて、アルーラはほのかに笑みを浮かべた。
今の言葉こそが彼の本心だろう。
もしリアーナを自分だけのものにするために良からぬことを考えていたら、それこそ殺してでも止めなければならなかったが、それは絶対にないと断言できる。
疑うべくもない。
この庭園は様々な花々で彩られている。
ブルーローズ、ホワイトガーベラ、ラナンキュラスにローダンセまで。
もし彼の心が暗い感情に侵されていたなら、祝福を意味するこれらの花々がこんなにも美しく咲き誇りはしない。
ずっとリアーナのことだけを想い続けてきたオリオ。
その彼が、自ら身を引いて彼女の前から姿を消そうとしている。
リアーナと同じ心と記憶を持つ者として、アルーラには彼をただ一人行かせるのは忍びなかった。
「安心して、オリオ。
別にあなたを引き止めるつもりはないわ。
むしろ逆、私はあなたと駆け落ちするために来たんだから」
「駆け落ちだって?
……そうか、だから君もそんな格好なのか」
間近までやってきて、彼もようやくアルーラのいでたちの意味に気づいたらしい。
頭には白く縁どられた緑の頭巾、肩にかけた白茶色の厚い肩掛け、かかとの低い黒のスエード靴。
どれも外行き用の装いだ。
唯一、薄緑のドレスだけは例外だが、これはアルーラが土の中に居た時にリアーナの衣装を真似るために魔力を使って無意識に作り出したものらしく、下手な素材よりも丈夫な代物だ。
一種の魔法素材とも言えるので売りに出せばかなりの値段になるだろうが、アルラウネ由来の物と気づかれて出処を探られてはたまらない。
置いていっても後の禍根にしかならないので、着て行くことにしたのだ。
出て行く準備はすでに万端。
後はオリオを連れ出すだけなのである。
「どうせあなたのことだから、これから先の予定は出て行ってから考えるつもりだったのでしょう?
だったら、私の旅に付き合ってくれてもいいのではなくて?」
「いや、まあ、確かにその通りなんだけどさ。
そっちこそ、俺なんかがついていっていいのか?」
「もちろんよ。
何せ私はリアーナそっくりのアルラウネ、あまり顔を晒して行動するわけにはいかないわ。
その点、あなたが助けてくれると何かと都合がいいんだから。
さあ、一緒に行きましょう。
孤独な一人旅よりも、気心知れた者同士の二人旅の方がきっと楽しいわ」
そう言って差し出されたアルーラの手。
オリオは参ったとばかりに顔を綻ばせると、迷うことなくその手を取った。
「……わかったよ。
これからもまたよろしく、アルーラ」
「こちらこそ、オリオ」
そして、二人は姿を消した。
リアーナを始めとするバートリー伯爵邸の住人たちがそのことに気づいたのは、明けて翌朝になってからだった。




