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私が幸せであるために その4

 月のない夜である。

 いつもなら月明りに照らされて少しは辺りの様子が見えるものだが、今は目を凝らしてもほとんどわからないくらい真っ暗だ。


 常人には見通すにも進むにもさぞ難儀するであろう、この暗闇。

 しかしそれは、今ここに隠れ潜むベノーにとってこの上ない好都合だった。


 王城から貴族街区に至る十字路。

 その物陰で、彼はただひたすらに待っていた。


 時刻はとうに夜半を過ぎてしばらく。

 先ほどまでは夜会帰りの馬車が何台も目の前を通り過ぎて行ったが、いまだにベノーの目当ては現れていない。


 ちらりと、ベノーは後方に顔を向け、少し離れた道の向こうを見る。

 そこにある林の中に、自分が御者を務めるオルマイン侯爵家の馬車が停めてある。

 先んじて夜会を辞した主たちとともに直接この場にやって来たから、当然ながら当主のレドリックとセレッサ嬢は今もあの馬車の中で自分を待っている。

 これは、彼らが望んだことだった。


 ――徒花あだばなは摘み取れなかったわ。


 夜会を切り上げて馬車に戻ってくるなり、セレッサ嬢はそう告げてきた。


 徒花とは季節外れに咲く花のことであり、唐突にイングス王太子の婚約者となったリアーナ・バートリー伯爵令嬢のことを指す。

 それを排除できなかった、というのである。


 ベノーには信じられなかった。

 全ては手筈通りに進んでいたはずだ。

 バートリー邸の周囲にひそかに配置されていた警護の部隊を壊滅させ、シャード王家が事件を公表できないようにした。

 リアーナ嬢に毒の傷を刻み、社交の場に出られなくした。

 そして王家に迫ってリアーナ嬢が今日の夜会に参加せざるを得ない状況に追い込み、事前にそそのかしておいたシルダ・ゴルバート伯爵令嬢に怪我のことを問いたださせた。

 不名誉を免れるために王家はリアーナ嬢とバートリー家を切り捨てるより他なく、そうなれば王太子の婚約者の座は再び空席となる。

 王家が望む貴族令嬢はもはや国内にはおらず、王太子の婚姻こんいんを急がざるをえないために、今から他国の姫を求めるにも時間が無い。

 セレッサ嬢は、晴れて王太子の婚約者になれるはずだったのだ。


 だが、そうはならなかった。

 リアーナに刻まれているはずの傷痕は跡形もなく、彼女を婚約者の座から引きずり降ろすことは叶わなかったそうだ。

 逆に、騒ぎ立てたシルダ嬢を引き合わせたことを詫びるため、主たちは頭を下げなければならなかったらしい。

 そして遂には、イングス王太子とリアーナ嬢の結婚式の日取りまで発表されてしまったのだという。


 明日にもなれば、バートリー伯爵邸は名実ともに王家の庇護下となる。

 更に、結婚式の間近ともなればリアーナ嬢は王城に入ることになるだろう。

 これまでのこともあり、更に厳重な警備が敷かれることは想像にかたくない。

 手出しするのは容易ではないだろう。


 だからこそ、今夜のうちに事を為さなければならないのだ。

 セレッサ嬢を王太子の婚約者とするために。

 今度こそ仕損じることのないように、馬車に残る主たちはじかに確認するつもりなのだ。


 その時、王城の方からやってくる馬車の音が聞こえてきた。

 下級貴族が使うような安物馬車と比べて、走る時のがたつく音が圧倒的に少ない。


(あれだな)


 他の侯爵家の高級馬車は、全て先に通り過ぎていった後だ。

 すなわち、今やってくるあの馬車こそがベノーの標的――リアーナ嬢とバートリー伯爵を送るシャード王家専用馬車に間違いない。


 夜目をらし、近づいてくる四頭立ての馬車にえ付けられた王家の紋章旗を確認した上で、ベノーは自身の剣を鞘からゆっくりと引き抜いた。

 刃にわざわざのこぎり状の加工が施された、やや小振りの小剣ショートソード

 その刀身はぬらりと濡れている。

 ベノー特製の秘毒である。


 最初にリアーナ嬢を襲撃した時に用いた毒は、古くから奴隷などに刻印を刻み込むために使われていた代物である。

 危険性こそ低いが体内から毒素が抜けにくく、そう簡単に解毒できないはずなのだが、よく治療できたものだ。

 もっとも、この世界には魔法もあれば神の力を借りる神蹟しんせき術なるものも存在しているという。

 だから、絶対に癒せないわけではないということを、ベノーは理解していた。


 しかし、今回は違う。

 ただでさえ即効性も致死性も高い猛毒にマンドラゴラの粉末を混ぜてその特性を強化し、人間ならわずかに触れただけでたちまち死に至る、即死毒だ。

 解毒の猶予など、ありはしない。

 王族たちも、バートリー家についていた護衛たちも、これによって死んでいったのだから。


 今度こそ失敗はしない。

 オルマイン家仕えの暗殺者の名にかけて、リアーナ嬢とバートリー伯爵を確実に仕留める。


 間もなく馬車が目の前を通り過ぎるというところで、ベノーは動いた。

 物陰から飛び出して素早く駆け寄ると、軽い身のこなしで馬車の乗り口にひらりと飛び乗る。

 馬車内は明かりがともされて明るいようだが、窓掛けに遮られて中の様子をうかがい知ることはできない。

 それでも気にせず、入り口の扉を開け放った。


「ッ!」


 すかさず中から突き出されたのは、剣の切っ先。

 驚きながらも落ち着いてその突きをかわしつつ、ベノーは馬車内に視線を巡らせた。


 居た。

 後部側の座席の奥に、驚きの表情でこちらを見るリアーナ嬢が座っている。

 だが、問題はもう一人の方だ。

 ベノーに攻撃を仕掛けてきたのは、彼女の父であるバートリー伯爵ではなかった。


「やはり来たか。

 私の乗る馬車を襲撃する不届き者め」


 それはまさしく、イングス・シャード王太子殿下その人。

 王族を暗殺するにあたって全員の人相を覚えたから、見間違うはずがない。

 

 なぜ王太子殿下自らがリアーナ嬢の護衛に当たっているのか。

 その意味を、ベノーは瞬時に悟っていた。


(誘い込まれた、というわけか)


 おそらく王家は、一連の出来事が全てオルマイン侯爵の仕組んだことだと目星をつけている。

 なんとか侯爵を捕らえる口実が欲しい王家は、オルマイン侯爵がリアーナ嬢を蹴落とすことに失敗したのを好機とみて、王太子とリアーナ嬢の結婚式の日取りを発表した。

 娘を王太子と結びつけたい侯爵は急がざるをえない。

 今夜のうちにリアーナ嬢を物理的に排除しようと、必ず動く。

 そうなるようにと、今度は王家側から仕掛けられたということだ。


 イングス自身が守っている、というのも実に厄介だ。

 オルマイン侯爵の思惑に気づいているがゆえに、ベノーが王太子であるイングスを殺すわけにはいかないということを良くわかっている。

 しばらくすれば、王家の手勢がやってくる手はずに違いない。

 それまでの時間を稼ぐつもりだろう。

 そのために自ら前に出て戦うのだから、大した気概きがいである。


 ――もっとも、それでこのベノーを止められると思っていたら大きな間違いだが。


 再び、イングスが剣を突き出してきた。

 鍛錬された鋭い攻撃だが、いかんせん貴族用の四人乗り馬車の車内では普通の剣は大振りできない。

 必然的に突きしか来ないのだから、あとは切っ先の向きさえ見れば狙いを読むのは造作もない。


 ベノーは半身はんみになって突きを躱しつつ、馬車の入り口との狭い間に上手く身体をねじ込んで一歩中へ踏み込むと、剣を握るイングスの右手首を掴んで強くひねり上げた。


「ぐあッ!」


 あまりの激痛に、イングスはたまらず剣を取りこぼす。

 そのままベノーはイングスに足をかけて体勢を崩させ、床に転ばせた。

 なるべく長く激痛にもだえるように捻ったから、事が済むまでは邪魔されることはあるまい。


 わずかな時間ながらイングス王太子を無力化したベノーは、改めてリアーナ嬢に向き直る。


 間近で見る彼女は、それは美しかった。

 セレッサ嬢の圧倒するような華やかさとは真逆で、まるで見る者たちが癒されるほど静かで和やかな美だ。

 人を惹きつけてやまないという点においては、どちらにも優劣はつけがたい。

 セレッサ嬢が気を揉むのも無理はない。


 今まさに命の危機にあるというのに、こちらを睨むリアーナ嬢は気品ある居住まいを崩さない。

 現れたベノーを前に醜く慌てふためく姿を見せた王族たちや侯爵令嬢たちとは大違いである

 たかだか庭師でしかない若造が身を挺して守ろうとするほどだから、かなりの人望もあるのだろう。


 正直に言えば、殺すには惜しい人物だとは思う。

 だが、これもひとえにセレッサ嬢の夢のため。

 命令を受けた以上、その遂行に何のためらいもない。


「お覚悟」


 せめてもの礼儀とばかりに一言そう告げると、ベノーは右手の鋸剣を小さく振り上げた。

 それを防ごうとしたリアーナ嬢だが、その動きより早く剣刃がぴたりと彼女の左首筋に当てられる。

 鋸状の刃が引かれ、柔肌やわはだに粗く裂き傷を刻み、リアーナ嬢は秘毒によって事切れる。

 そうなるはずだったのだが。


 ――ガガッ。


 意外な手ごたえに、ベノーは思わず目を見開いた。

 鋸剣はリアーナ嬢の首筋は引き裂くどころか、硬い感触に阻まれてわずかに肌に引っかかる程度にとどまった。

 そんな馬鹿な、と驚いたのも束の間。

 鋸剣を握る右手が、がしりと掴まれた。


「覚悟するのはあなたの方よ」


 リアーナ嬢から発せられたのは、怒気をはらんだ荒々しい声。

 これまでの穏やかさをかなぐり捨て、憎悪と狂気に満ちた視線がベノーを射抜く。 


 ぞくり、と怖気おぞけが走る。


 本能的に逃げなければならないと判断したベノーは掴まれた手を振りほどこうとするが、まるでびくともしない。

 その細腕からは想像もつかない怪力だ。


 そうこうしているうちにリアーナ嬢は右手を振りかぶり、ベノーに殴りかかってきた。

 華奢な女性の、不慣れな叩き方である。

 仕方なく、ベノーはそれを左腕で受けようとした。

 

 だが、やってきたのは重い鈍器で殴られたかのような凄まじい衝撃。

 ベノーは受け止めきれず左腕ごと頭を強く殴られ、そのまま馬車の壁に頭から打ちつけられた。

 激しい痛みに思わず顔をしかめるが、すぐに掴まれたままの右手が引っ張られる。


「あなたたちのせいで、バートリー家は存亡の危機に立たされた」

 

 ガツン、と。

 強烈な一撃が、今度はまともにベノーの頭部に叩き込まれた。

 頭の中が揺さぶられ、ぐらりと視界が歪む。


「私たちだけじゃない。

 王家にも、他の侯爵家にも、不幸になった人たちが大勢いる」


 更に一度、二度と。

 冷徹な視線を向けながら、リアーナはベノーを殴りつける。


(何なのだ、()()()は)


 意識が飛びそうになるのを何とか堪えながらも、ベノーはそう思わずにはいられなかった。

 

 リアーナ嬢が、王家の精鋭一〇人をも手玉に取った自分を打ち負かせるほど強いなど、有り得ない。

 しかも、一度は傷を刻んだはずのその柔肌やわはだにほとんど刃が通らないというのも、有り得ない。

 そもそも、人間ならば触れるだけで死に至るはずの即死毒を受けながら、いまだに死んでいないこと自体が、まず有り得ない。


 ――だとすれば、目の前のこの女は、人間ではない。


「そして何より、()()()()の幸せな未来を踏みにじった。

 許せない、絶対に許さない!」


 ひときわ大きく、リアーナ嬢が右手を振りかざす。

 怒りに身を任せた渾身の一撃が来る。

 喰らえば、きっと生きてはいられまい。

 何とかしようにも、身体が言うことを聞かない。


 ここまでかと、ベノーは死を覚悟した。


「……でも」


 だが、その一撃はやってこなかった。


「ここであなたを殺しては、あなたの行いの全てが立証できなくなる。

 そうなればオルマイン侯爵を罪に問うこともできず、事件に決着をつけることも叶わなくなる。

 そんな結末こそ、断じて認められないわ。

 だから、あなたはここで死なせない。

 全てを洗いざらい話して、オルマイン侯爵ともども罪に服すのよ」

 

 そう言って、リアーナ嬢は振り上げた右手を静かに下ろした。

 彼女は一度深呼吸して感情を落ち着かせると、先ほどの鬼気迫る気配は嘘のように消え失せた。

 今目の前にいるのは、やはりどう見てもリアーナ伯爵令嬢そのものにしか見えない。


(見分けがつかないほど本物とそっくりで、毒も効かない、人外の化け物……?)


 ふと、一つの可能性に思い至る。

 ベノーが挙げたその条件に全て当てはまりそうな存在に、心当たりがあった。

 

 ――アルラウネ。

 血を吸った対象そのものの姿になるとされる植物の化け物。

 毒草であることでも知られるマンドラゴラが変異した存在なのだから、毒に耐性があってもおかしくはない。

 しかも、ベノーの秘毒には仕上げとしてそのマンドラゴラの粉末まで用いられているのだ。

 頼みの毒の効果はほとんど意味を為さなくなるだろう。

 

 確か、リアーナ嬢を襲撃したのは庭園の中だった。

 たまたまそこに紛れて生えていたマンドラゴラが彼女の血を吸った、という極めてまれなことが起こったと考えれば、有り得なくはない。

 

 それはあまりに突飛な可能性ではある。

 だが、絵空事でもない。

 実際に、秘毒の精製に利用しているマンドラゴラは、巷で話題のミリア教の信徒である本物のアルラウネとの裏取引で手に入れていたのだから。


 何にせよ、先ほどの言葉からもこのリアーナ嬢が替え玉であることは確信した。

 おそらく本物のリアーナの毒傷は癒えておらず、今もバートリー邸にいるのだろう。

 その事実を白日の下に晒し、夜会に居たのがやはり偽物だったのだと知らしめれば、結婚式の日取りが決まった後とはいえリアーナ嬢は王太子の婚約者ではいられなくなるだろう。


 もっとも、その機会が訪れることはもうなさそうだが。


 馬車の外で物音がする。

 王家の手勢が集結してきたのだろう。

 足元で痛みに悶えていた王太子も、ようやく回復して立ち上がろうとしているようだ。

 そして、自分はリアーナ嬢の替え玉に打ちのめされ、逃げることもできない。


 もはやこれまで、だ。


(叶えてさしあげたかったのだがな)


 思い浮かぶのは、王家が自分を受け入れない理由を知り、悔しさをこらえるセレッサ嬢の表情。

 目を伏せて静かに肩を震わせていたあの姿は、あまりに悲痛だった。


 ベノーが暗殺者であることを、セレッサ嬢はすでに知っている。

 暗殺者という都合上、使用人という立場にもかかわらず頻繁に休暇をとることを許されていた。

 だが、彼が帰ってくるたびに他家の不幸話が舞い込んでくるのをいぶかしく思ったセレッサ嬢からある日問いただされ、正直に打ち明けたのである。

 それでも彼女はベノーに信頼を寄せ、感謝の言葉すら述べてくれている。

 侯爵家のために危険を冒してくれてありがとう、と。


 事実、ベノーは現当主レドリックの命令に従って数多くの役目を果たしてきた。

 オルマイン家がここまで急拡大できたのは、彼の裏での働きによる割合がかなり大きい。


 しかし、急激に自分の勢力を強めたオルマイン侯爵を、シャード王家は危険視したのだろう。

 王太子の婚約者候補として、セレッサ嬢の名が挙がらなくなった。

 あからさまに避けられているのは明白だった。

 皮肉なことに、ベノーの尽力はかえってセレッサ嬢の未来に悪影響を及ぼしていたのである。


 何とか挽回すべく、レドリックから下された指令をひたすらに遂行していった。

 邪魔な他家の侯爵令嬢たちを襲撃したり、無実の罪に陥れたりもした。

 王城内に侵入して王族たちを毒殺するという恐れ多い任務も、いとわなかった。

 王太子の婚約者に選ばれたリアーナ嬢を襲ったのも、そうだ。


 だが、結局はこのような結末を迎えることになってしまった。

 ここまでやってさえ、王妃になりたいというセレッサ嬢の望みを叶えることだけはできなかったのだ。

 やはり、責任は取らねばならないだろう。


(本当に果たさなければならない時が来るとは)


 かつて、セレッサ嬢と密かに交わした約束。

 もし、ベノーが任務に失敗して捕まった場合にと、彼女からじかにお願いされていたのだ。

 それは、明らかに当主レドリックの意に反する言葉だった。


 侯爵家に従う立場のベノーとしては、特に守る必要のない約束だ。

 しかし、セレッサ嬢の幸せを奪ってしまったという負い目が、彼をさいなんでいる。

 更に、その胸中に抱く穏やかならざる思いまで打ち明けられれば、とても無碍むげにはできなかった。


 王族殺しの大罪人である自分を、王家はもちろん許すまい。

 どんな処罰も受ける覚悟はできている。

 だが、罪滅ぼしの一つくらいはしておかなければ、セレッサ嬢に申し訳が立たない。


(どのみち、これが最後の奉公なのだからな)


 オルマイン侯爵家のためではなく、ただセレッサ嬢だけのために。

 初めて自らの意志のみで選んだ道を、ベノーはもう迷わなかった。






 夜陰の林の中に、オルマイン侯爵家の馬車が佇んでいる。

 車内はやはり暗く、足元に置かれた角灯ランタンのわずかな灯火ともしびのみが、席に座るレドリック・オルマイン侯爵とその娘セレッサ嬢の姿を浮かび上がらせていた。


「遅い、遅すぎる。

 ベノーは何をしているのだ!」


「お静かに、お父様。

 オルマイン侯爵ともあろうお方が取り乱していては、威厳が損なわれますわよ」


 苛立ちを隠さない自分の父親を、セレッサは声を抑えつつたしなめた。 


 今夜のうちにリアーナ伯爵令嬢を亡き者にし、その生死をこの目で確認する。

 そう決めたのは他ならぬ自分であろうに、どうしてこの父は大人しく待てないのだろうか。


 いや、セレッサにもわかってはいるのだ。

 何でも自分の思い通りにならなければ気が済まない――それが、父の性分なのだと。

 

 誰もがひれ伏す絶対的な権力を手にして、この国の支配者となる。

 父がこれまでやってきたことは、ひとえにそれに尽きる。

 派閥を急拡大させたことも、裏工作で他の侯爵家の力を削いだのも。

 そして、セレッサを未来の王太子妃にえるために容赦ない手段を取ったこともそうだ。

 王家と言えども自分に従わないのは許さない、と言わんばかりに。


 だが、リアーナ・バートリー伯爵令嬢の存在は状況を一変させた。

 まさか王家が彼女を選ぶなどとは思ってもみなかった。

 急いでベノーに命じて襲撃させたものの、癒えない傷を負ったはずの彼女が先ほどまでいた夜会では傷一つない姿で現れた。

 そして、王太子イングスともに見事な円舞を披露し、王太子妃に足る器の持ち主であることを証明してみせた。

 

 結婚の日取りまで発表され、このままでは父の野望もセレッサの夢もついえる。

 もはや手段を選んでいる場合ではないのだ。


 それにしても、確かに遅い。

 御者として連れてきていたベノーを向かわせてから、随分と待たされている。

 もちろん、リアーナ嬢を乗せた馬車が来るのがただ遅れているだけなのかもしれないが、負傷から回復したばかりの彼女が遅くまで夜会に参加し続けるとは思えない。

 いいかげん、帰宅の途についていてもおかしくはないのだが。


 外に出て確認したい気持ちに駆られるが、自分たちがここに居ることが知られるのはまずい。

 明かりが漏れないように厚い窓掛けで遮っているのも、林の暗がりに停められたこの馬車が見つからないようにするためだ。

 迂闊うかつな真似はできない。


 やはり、おとなしく待つよりほかない。

 そう思っていた、その時。


 ――コン、コン。


 外から馬車の扉がノックされた。


「やっと終わったようだな」


 言いながら、レドリックが立ち上がる。

 しかしこの時、セレッサはなぜか妙な胸騒ぎを覚えた。


「お父様、お待ちを。

 安易に開けては――」


「バートリー家の小娘一人仕留めるのに、やけに時間がかかったではないか。

 確認するから案内せよ、ベノー」


 すぐさまセレッサが止めようとしたが間に合わず、レドリックは扉を開けてしまった。


 直後、外から伸びてきた手に腕を掴まれ、レドリックは馬車の外に強く引っ張り出された。

 勢い余ってつんのめり、そのまま地面に転倒する。


「ぐおッ!

 いきなり何を――」


 悪態をつきながら顔を上げたレドリックは、そこで絶句した。


 そこにいたのはベノーではなかった。

 掲げられた松明の火に照らされ、緑の軍服の集団――約五〇名もの王国近衛部隊が馬車を取り囲むように居並んでいたのである。

 その中にあって、一人だけ王族であることを示す立派な正装に身を包んだ人物が、一歩前へと進み出る。


「これは、オルマイン侯、先程ぶりだな。」


「イングス王太子……殿下が、なぜここに?」

 

「なに、せっかく我が婚約者のリアーナが来てくれたのだ。

 ならば、じかに送り届けるのが紳士としての礼儀だろう?」


 内心の焦りを落ち着かせつつ訊ねたレドリックに対して、イングスは肩をすくめて答えてみせる。


「それよりもけいの方だ、オルマイン侯。

 セレッサ嬢の体調不良により一足先に夜会を後にしたと聞いていたが、こんな物陰で一体何をしている?

 見たところ、御者の姿が見当たらないようだが」


「その、ですな……うちの御者は仕事熱心な男でして、体調が悪いのをひた隠しにしておったのですよ。

 何やら()()()()()らしく、林の奥へ向かったきりですが、しばらくすれば戻ってくるかと」


「いや、それはないな」


 咄嗟についたレドリックの言い訳が、即座に否定される。

 その後ろから、両腕を拘束された猿轡さるぐつわの男が二人がかりで連れられ、イングスのそばにひざまずかせられた。


「先刻、我々の乗った馬車が急襲されてな。

 恐ろしい手練れで大変だったが、この通り何とか捕らえることができた。

 この男がお前たちの御者をしていたことは、すでに調べがついている」


「ぐッ……!」


 思わず、レドリックは歯噛みする。

 取りたてて特徴のない、一見くたびれたようにしか見えない壮年の男。

 だが、それこそまさしく、先ほど遣わしたベノーに違いなかった。

 この腕利きの暗殺者が、そう簡単に捕まるはずがない。

 予め入念に対策を練ったうえで、再び襲撃を仕掛けてくる機会を狙われたのだとようやく気づいたのである。


「この私を謀りおったな!」


「さて、何のことやら。

 襲われたから返り討ちにした、ただそれだけのこと。

 この男には今回だけでなく、王家及び他の侯爵家、そしてバートリー伯爵家への襲撃の容疑がかけられている。

 そしてオルマイン侯、卿にはこの者にそれらを実行するよう命じた主犯の疑いがある。

 帰宅の途中で申し訳ないが、話を聞かせてもらわなければならぬ。

 ご足労願おうか」


「……何を言うかと思ったら、馬鹿馬鹿しい。

 そんな命令など出したこともない。

 仮にその者がそれらの事件を引き起こしたのだとしても、それはそやつが勝手にしたことで、当家には一切関わりないこと。

 確固たる証拠も無しに、貴様らに連れて行かれる謂れなどないわ!」


 ベノーが捕らえられてしまった以上、王家によってレドリックこそがすべての首謀者であることが暴かれるのは時間の問題だ。

 だが、逆を言えば、現時点においてレドリックとベノーを繋ぐ証拠を王家は掴めていない、ということでもある。

 そこを突いて言い負かすことができれば、まだ逃れるすべはある。

 レドリックがなおも強気の姿勢を貫いていたのは、そうした確信をもってのことだった。


「あら、証拠ならありましてよ」


 しかし、背後から浴びせられた一言が、その希望をあっさりと打ち砕く。

 思いもよらぬ言葉に驚き、レドリックは弾かれたように後ろを振り返った。

 それが、己の最も身近な者の声であったがゆえに。

 果たしてそこには、オルマイン家の馬車からゆっくりと地面に降り立つセレッサの姿があった。


「いきなり何を言い出すのだ、セレッサ!

 私の、オルマイン家の命運がかかっているのだぞ!

 わかっているのか!」


「ええ、もちろん承知の上ですわ」


 セレッサはそれだけ答えると歩き出し、地べたに膝突く自分の父に気を留めることなくその横を通り過ぎた。


 歩を進める彼女の目に、捕まったベノーの姿が映る。

 先ほどまでリアーナ嬢の命を狙っていたとは思えないほど、静かに佇んでいた。

 その双眸そうぼうは、まっすぐにセレッサへと向けられている。

 彼女が馬車から降りる前、その中から様子を窺っていた時から、ずっと。


 そのひたむきな眼差まなざしに、セレッサは彼の決断を悟った。


(ありがとう。

 私のわがままに付き合ってくれて)


 今回ついに失敗し、捕縛されたベノーのことを責めるつもりは、セレッサにはない。

 むしろ、よくここまで捕まらずにいられたものだと感心するほどだ。

 父が侯爵位を受け継いでから下された多くの無茶な命令を文句一つ言わず引き受け、しかもそれらを全て一人で任務を遂行して無事に帰ってきたのだから恐れ入る。

 オルマイン家がここまで大きくなれたのも、セレッサの夢を手の届きそうなところまで近づけてくれたのも、彼の働きなくしてありえなかっただろう。


 その忠実だったベノーが、自分との約束を果たそうとしてくれている。

 今がその時だと促しているのだ。

 ならば、応えないわけにはいかない。

 

 終わらせよう。

 この忌まわしい事件の全てを、私たちの手で。


 イングス王太子の手前あと五歩というところで立ち止まると、セレッサは膝を落としてこうべを垂れる臣下の礼を取った。

 華やかな真っ赤なドレスの裾が土に汚れるが、もはや気にもならない。


「殿下、この度はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

 これまで王家の周囲で起こった不可解な事件はみな、父レドリックが画策したこと。

 その証拠となるものは全て、ここ王都のオルマイン邸にある私の自室に保管してありますわ。

 そちらにいるベノーも私の味方、『失敗して捕まった時は嘘偽りなく全てを話す』と約束を交わしておりますゆえ、証言が必要とあらば幾らでも協力してくれることでしょう。

 慈悲を望むつもりはありません。

 どうか、我らオルマイン家に厳正な処罰をお願いします」


 周囲から、ざわめきが起こる。

 それはそうだろう。

 自分の親の悪事を庇うどころか、全てを暴いて自分達に罰を与えてほしい、と言うのだから。


 当然、レドリックが黙っているはずもない。


「セレッサ、この親不孝者め!

 今日まで大切に育てて、お前が王太子妃になれるように計らってやったというのに。

 私を裏切るとは、どういうつもりだ!」


 激昂のあまり自分の娘に背後から掴みかかろうとするが、すぐそばで見張っていた兵士に即座に取り押さえられ、地面に組み敷かれる。

 なおも喚き散らす声を背中越しに聞きながら、セレッサはせせら笑った。


「親不孝者、ですって?

 せっかく、あなたの下手なやり方に文句一つ言わず付き合って差し上げたのに、ひどい言い草ですこと。

 私は怒っているのですよ。

 由緒あるオルマイン侯爵家に生まれ、誰もが羨む美貌にも恵まれ、最高級の英才教育を受けてきたこの私が、どうしてわざわざつまらない小細工に頼らなければならないのか、と。

 そんなことをせずともただ王家に従順でさえいてくだされば、今頃私は王太子妃の座を得ることができていたはず。

 お父様も、それこそ思うがままに振舞えるほどの地位と権力を手に入れられたでしょうに」


 これは決して大言壮語ではない。

 事実、このシャード国内においてセレッサと競い合えるほどの令嬢はいなかったのだから。

 唯一、趣の異なる美をまとうリアーナ嬢だけが気品においては勝るとも劣らない存在だったが、やはり彼女は伯爵令嬢、家格においてはセレッサに及ばない。

 そもそも本来、お家存続のために婿を取るべき貴族家の一人娘は余程のことがない限り嫁にしないよう配慮するのが王侯貴族のしきたりである。

 したがって、父レドリックが何事も起こしていなければ、こうしてリアーナ嬢が王太子妃の候補として立ちはだかることさえなかったはずなのだ。


 セレッサは立ち上がると振り返り、取り押さえられている自分の父親を見下ろした。

 その双眸は恐ろしいほどに冷たく、肉親への情など微塵も感じられない。

 

「それに、裏切ったのはお父様、あなたの方ではありませんか。

 先祖代々守ってきたシャード王家への忠節を破って。

 己の権力を強めるために、姑息な手段で他家を陥れて。

 一向になびかない王族の方々を、ためらいなく死に追いやって。

 ご自分の野望が思い通りに進んで、さぞ愉快だったでしょうね。

 実は最初から道を誤り、行き着く先は破滅の未来だということにも気づかずに。

 結局、あなたの目論見はこうして失敗し、王家に嫁いでいずれは王妃になるという私の夢も叶わずじまい。

 長らく続いたオルマイン侯爵家の栄華もこれで終わり。

 まったく、無様ですわね」


「ぐッ……!

 こんなことをして、ただで済むと思っているのか。

 この私が罰せられるということは、一家ともども連座で罪を負うことになるのだぞ。

 お前の母も、兄も、もちろんお前自身もだ。

 オルマイン家が取り潰しとなれば、使用人たちもみんなが職を失い路頭に迷うことになるのだ。

 少しは心が痛まないのか、セレッサ!」


「痛むわけがありませんわ。

 私が王太子妃になれそうにないと知った途端、誰もがころりと態度を変えてしまったのですから。

 母上は私をさげすみ見向きもしなくなり、兄上もそれにならう始末。

 使用人たちも、母上からの指示で雑な世話しかしなくなりましたし。

 真に理解を示してくれたのはただ一人、ベノーだけ。

 ご自分の野望に夢中で家庭を顧みなかったお父様は、当然知るはずもありませんわよね。

 もちろん、私も覚悟はできていますとも。

 将来の王妃になるためだけに生きてきたこの私に、他の生き方などありえないのですから。

 こんな家に、人生に、もはや何の未練もありませんわ。

 ベノーともども地獄までご一緒しますので、ご心配なく」


 あまりに酷薄な娘の物言いに、レドリックは絶句する。

 それを頃合いと見て、成り行きを見守っていたイングスが頷いた。


「王家に見放され、娘に見放され、運にも見放されたか。

 哀れなものだな、オルマイン侯。

 言いたいことがあるなら、あとは王城でいくらでも聞こうではないか。

 さあ、連れて行け」


 イングスの合図で、近衛部隊がすみやかに動き出す。

 悪あがきで暴れようとするレドリックに三名が駆け寄り、取り押さえていた一人と合わせて四人がかりで縛り上げ、護送用の馬車へと強引に引き連れていく。

 ベノーもまた促されて従順に連行されるが、もはや逃さないとばかりに一〇名も隊員が周囲を固める厳重さだ。


 そして、セレッサだけが残された。


「礼を言う、セレッサ嬢。

 まさか君が我々に味方してくれるとは思わなかった。

 おかげで、オルマイン侯を処罰するのに余計な手間が省ける。

 だが、何も君自身が犠牲にならずとも良かったのではないか?」


 セレッサ嬢はあえて自分が捕まる道を選んだ、ということにイングスは気づいている。

 暗殺者ベノーを味方に引き込めたなら幾らでもやりようはあっただろうに、その手段を採らなかった。

 自分の人生を台無しにした家族を破滅に導く、という気持ちはわからなくもない。

 だが、そのために自分の命を賭けるとなれば尋常ではない。

 それをこそ望む理由がある、ということだ。

 

「……五年前、建国祭の祭典の後、父に問われたのです。

 お前が王妃になるなら、どちらの王子と一緒になりたいのか、と。

 私は、同い年で凛々しいイングス様が良い、と答えました。

 数日後、夜遅くにどこかへ出かけていくベノーをたまたま見かけたその翌朝、イングス様の兄君が身罷られたことを知らされました。

 父は、これでお前の望み通りになるぞ、と笑ったのですよ」


 再びイングスに向き直ったセレッサは、ほのかに笑みを浮かべた。

 何とも悲しげな笑みだった。

 

「もうおわかりでしょう。

 私は殿下の兄君を死に導いた女なのです。

 父に選ばされたとはいえ、王族殺しに加担した罪悪感は今も消えることはありません。

 それでいて殿下の隣に並ぶことに期待を抱いていたのですから、浅ましいことこの上ない。

 私もまた、償わなければならないのです」 


「そうだったのか……」


 兄の死の真相を知ったイングスの心境は複雑だった。

 セレッサ嬢が自分を選んだがために殺された兄のことを思えば、もちろん悔しいに決まっている。

 しかし、もしそうでなければ死んでいたのは自分の方だったのだ。

 彼女のおかげで唯一の王家の後継者として生き永らえているのだから、責めることなどできない。

 そもそも、一二歳でしかない五年前の彼女にオルマイン侯爵の野望を押し止める力などあるはずもない。

 だから、このことでセレッサ嬢を罪に問うつもりはなかった。


 もっとも、そう告げたところで彼女の決意は変わらないのだろう。

 栄えあるオルマイン侯爵家が王家に背いたこと自体を恥じているのだから。

 そして、父親の所業をかんがみれば、どのみち連座による処刑を免れることはできない。

 イングスができることといえば、少々の手心を加えてやるぐらいだった。


「……君をここで捕まえることはしない。

 御者と女性隊員の護衛を付けるゆえ、オルマイン家の馬車で王城に戻り、自らの口で告発するように。

 オルマイン侯爵には全ての責任を負ってもらう。

 君の母君に兄君、そして侯爵家の使用人たちにも相応の報いを受けさせる。

 それでいいだろうか」


「そこまでしていただけるなら、何も言うことはありません。

 お心遣いに感謝致しますわ。

 それではこれにて失礼致します、殿下」


 そう答えて優美に淑女の礼を見せると、セレッサはそのまま颯爽と自分の馬車へ向かった。

 あくまでも表向きは、完璧な淑女の姿を演じたままで。


(さようなら、最初で最後の愛しいお方)


 心の中で、セレッサは呟いた。

 実は一目惚れだったのだと、真実を告げることはない。

 もう二度と、自分と彼の運命が交わることはないのだから。


 わずかに一粒、涙がこぼれ落ちた。

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