私が幸せであるために その3
無情にも時は過ぎ、運命の日。
今宵ついに、シャード王家主催の宮廷夜会が催される。
夜の装いに姿を変えた王都オルシャードの街中を、招待された貴族達の馬車が次々に駆けていく。
その中でも一際豪奢な造りの馬車が、会場たる王城の入り口前に到着した。
屋根の片隅に据え付けられた小さな旗には、シャード王家の紋章が描かれている。
王家に許された者しか乗ることを許されない専用馬車、その中から降り立ったのはバートリー伯爵家の二人である。
現当主ジュリアン・バートリー。
そして、彼の娘であり王太子の婚約者たるリアーナ嬢。
病気療養中で長らく社交の場に出てこなかった彼女が、ついに姿を現したのである。
今までの夜会では見たことのない薄緑のイヴニングドレス。
二の腕まで隠れる乳白色の長手袋に、同色の肩掛けを羽織っている。
いつもよりは控えめな着飾り方ではあるが、それゆえに本人の美しさが存分に引き立てられていた。
ほう、とその場にいた誰もが思わず溜息をつく。
「お父様。
久しぶりの夜会、楽しみで仕方ありませんわ。
さあ、早く参りましょう」
「む、そうだな」
そんな周囲の様子には目もくれず、二人は城内へと向かう。
笑顔を見せて進んでいくが、内心ではともにひどく緊張していた。
当然である。
この夜会における一挙手一投足が、伯爵家の命運を左右するかもしれないのだから。
「よく来てくれた、リアーナ。
病気療養していたそうだが、思ったよりも元気そうでよかった」
夜会会場たる大広間に入るなり、さっそく気づいた王太子イングスが側近を伴ってやってきた。
濃い緑を基調としたシャード王族の正装をまとうその姿は、見惚れずにはいられないほど凛々しい。
「ご無沙汰しておりました、殿下。
この通り、何の心配もございませんわ」
うやうやしく淑女の礼をとって、彼女は王太子の言葉に応える。
「バートリー伯爵もようこそ。
本来なら邸宅まで出向くのが習わしだが、都合によりできなくてな。
まったく、嘆かわしいことだ」
「お気遣いなく、殿下。
我々も、重々承知しておりますゆえ」
恐縮しながらそう応えたジュリアンに、イングスはわずかに頷いた。
イングスの言う通り、本来なら王太子であっても夜会の時には婚約者を自ら迎えに赴くのが通例だ。
だが、それが叶わなかったのは『王家の呪い』と呼ばれる不幸の連鎖に理由があった。
元々、イングスには兄がいた。
利発的で、ゆくゆくは立派な王になるのではと周囲からも期待されていた。
だが、ある日突然原因不明の病に倒れ、数日も経たないうちに帰らぬ人となってしまったのだ。
それが五年前のことである。
話はそれにとどまらない。
正妃の他にいる二人の夫人の子息子女たちもまた全員似たような病を患い、命を落とした。
王弟ネクシャード公爵は住まいである邸宅が全焼する大火事に見舞われ、一家ともどもあえない最期を遂げた。
更にそれ以前にも、先代国王の兄弟姉妹たちまでが何らかの不幸により、既にこの世を去っている。
呪われたように、王家の血筋の者たちがほとんどいなくなってしまったのだ。
残る直系王族は、現国王と王太子であるイングスのみ。
シャード王家の血統を守るためとあれば、慣習を守らないことに文句をつけられるはずもなかった。
「さて、こんなところで立ち話していては他の招待客の邪魔になる。
父上と母上もお待ちかねのことだし、そろそろ行くとしようか」
「お待ちくださいませ、王太子殿下」
奥に控える国王夫妻の元へ二人を促そうとしたイングスを横から遮ったのは、凛とした女性の声だ。
見ると、やってくるのは一際目立つ三人の存在だった。
先んじて中央を歩くのは、気品に満ちた若い令嬢である。
自信と魅力に溢れるその美貌は、男性のみならず女性までも惹きつけてやまない。
燃え上がるような鮮やかな赤髪を揺らめかせ、深紅のドレスで華やかに着飾るそのさまは、この場にいる誰よりも艶やかだった。
その左隣にいる壮年の男も、付き添いに相応しい威容だ。
大柄な体躯で堂々と歩く姿は、燕尾服を着てなお覇気に溢れている。
王太子であるイングスを前にして、臆するどころか笑みさえ浮かべてみせる余裕。
令嬢と同じ鮮やかな赤髪は、血の繋がりを示すものに他ならない。
侯爵令嬢セレッサ・オルマイン。
そして、彼女の父親であり現当主のレドリック・オルマイン侯爵。
この二人の名を知らぬ者など、ここにいるはずもない。
今やシャード王国随一の権勢を誇る大貴族の父娘なのだから。
「セレッサ嬢にオルマイン侯、何用か。
私はこれから、リアーナ嬢とバートリー伯を案内せねばならんのだが」
「そのお二方に関係することなのです。
正確には、用があるのはわたくしではなく父とその連れなのですけれど」
気勢を削がれて不機嫌さを隠そうともしないイングスだが、セレッサ嬢はそれを気にするそぶりも見せず、右後ろにいる自分の父親をわずかに顧みた。
「いやはや、娘がお呼び止めしてしまって申しわけございませんな。
ですが、これも火急の要件があってのこと。
ご容赦願いたいものですな」
慇懃な物腰で無礼を詫びるオルマイン侯爵。
しかし、その物言いは妙にわざとらしく、心からの言葉とはとても思えない。
「実は、我が侯爵家と縁のあるゴルバート伯爵家の令嬢が是非とも王太子殿下に直接申し上げたい儀があるとのことでして。
私どもも話を聞いたところ、これはすぐにでも確認すべきことだと思った次第であります。
どうか、聞いてやっていただけませぬかな?」
その言葉を受けて、セレッサ嬢の左後ろに控えていたもう一人――シルダ・ゴルバート嬢がずい、と一歩前に出る。
(これは、噂以上だな)
改めて彼女を間近で見たイングスは、思わず顔をしかめた。
彼女の生家であるゴルバート伯爵家は、商会の経営で財を成す資産家貴族である。
それは良いのだが、金持ちであることを自慢したいのか、彼らは高価な装飾品をこれでもかと身につける悪癖があった。
目の前のシルダ嬢もその例に漏れない。
髪留め、耳飾り、ペンダント、ブローチ、指輪、白地のドレスや靴の細工に至るまで、確かに珍しい一品で揃えてある。
ただ、それがほどよく整っていれば煌びやかになるのだが、残念なことにそれぞれの色の調和がとれていない上に無駄に大きな細工ばかりでごてごてしく、全体的な見た目がよろしくない。
せっかくの名品の数々も、これでは台無しである。
そして、その衣装を着ているシルダ嬢本人もまたいけない。
派手なのが好みなのか、度を越した化粧を顔に施しているのだ。
肌色を通り越してすっかり真っ白になってしまった顔に黒い目元と真っ赤な口紅だけが太く際立つその面容は、正直美しいとはとても言い難い。
もっとも、当の本人は奇異の目に晒されていることを自身の美しさが注目されているのだと思い込んでおり、いたく満足しているようだ。
つまりこの令嬢、極めてずれた(・・・)美的感覚の持ち主なのである。
「……いいだろう、話を聞くとしよう」
「ありがとうございます、殿下」
少しの迷いの後に出されたイングスの許可を受けて、シルダは不敵に笑みを浮かべた。
独特な化粧の効果も相まって、その笑顔はおとぎ話に出てくる魔女のように不気味だった。
「これは我が家に出入りする信頼のおける情報屋から仕入れた話なのですが。
そちらのリアーナ嬢、これまで社交界に出てこなかったのは病気ではなく大きな怪我を負ったためらしいのです。
しかも、その身体には醜い傷跡が残ってしまったのだとか。
もちろん今まで、そのような話は巷の噂にも耳にしたことがありません。
ですがこれが本当の話なら、バートリー伯爵家が意図的に事実を隠し続けていることになります。
殿下の婚約者を傷物にしておきながら世間に申し開きもしないとなれば、そのような家の人間を王家に迎えるのはいかがなものでしょうか」
得意げに話すシルダの話に、リアーナの父ジュリアンは内心ぎくりと動揺した。
ついにこの話が切り出されてしまった。
それも、数多くの貴族が集まるこの宮廷夜会の場で。
まさか、あまり関わることのなかったシルダ嬢がこのような行動に出るとは思わなかった。
もっとも、彼女のことだ。
同じ伯爵令嬢でありながら富豪である自分よりも脚光を浴びているリアーナのことが、ただただ気に食わなかっただけかもしれないが。
わざわざこの機会を狙った意図は理解できる。
バートリー伯爵家だけを悪者に仕立てるためだ。
ただ王太子の婚約者が襲撃されたと王都中に噂を広げると、バートリー家のみならずシャード王家も警護の不手際を問われることになり、その名に傷をつけることになる。
事件となれば王家も介入するだろうし、それでは都合が悪い。
そこで、あえて情報を流さず今日この時までひた隠しにすることで、この場に集まる人々にバートリー家が隠し事をしていたかのように印象付けたのだ。
特に、怪我を負った、としか言わないところがまたいやらしい。
襲撃事件のことを切り出しにくいことを見越して、言葉に詰まらせようとしているような言い口だった。
ひそひそと、周囲にはバートリー家を疑う声が広がりつつある。
「ほう、それは突拍子もない噂話だな。
もしそれが本当なら、そもそもリアーナがこの場に来られるはずがない。
そうであろう、伯爵?」
それに対して疑うべくもない、とばかりに軽い調子で訊ねるイングス。
だが、答えなければならないジュリアンにとっては残酷な選択である。
実際、リアーナが負傷したという話は紛れもない事実なのだ。
事実ではない、と言えば王家の人間に対して嘘をつくことになってしまう。
それでも、このままむざむざと相手の思い通りにさせるわけにはいかない。
ジュリアンはすでに腹を括っていた。
馬鹿正直に答えて、このまま破滅の道を進むわけにはいかないのだ。
「もちろん、そのような事実はございません。
きっと、どこかの誰かが殿下の婚約者となった我が娘を妬んで噂を流したのでしょうな」
「火のないところに煙は立たぬ、とも言うではありませんか」
ジュリアンの言葉を自分への揶揄と受け取ったのか、シルダは少し声を荒げて反論する。
「シルダ嬢、つまり君は何が言いたいのだ?」
「はい、殿下。
私はただ噂の真偽をはっきりしたいだけなのです。
見れば、今日のリアーナ嬢はいつもにも増して肌の露出を控えた装い。
肩掛けを羽織ったその背中と、長手袋で隠れた二の腕――それだけでも何もないことをこの場にて確認させていただければ、もはや何も言うことはございません」
「と、言っているようだが。
どうする、リアーナ?」
婚約者に問われ、静かな居住まいを崩さずにいたリアーナは一度大きく溜息をついた。
シルダ嬢は間違いなく正確な情報を知り得ている。
襲撃事件の当事者しかわからないはずの、リアーナが傷つけられた箇所を把握しているのだから。
だが、彼女の提案を断ることは噂が真実だと認めることに等しい。
この場に集う貴族達、そして王家の方々からの信用も地に落ちることだろう。
隠した素肌を晒さなければならない状況に追い込まれ、もはや選択の余地はない。
「……わかりましたわ」
意を決して、リアーナは肩掛けを掴み、するりと取り払った。
両腕の長手袋も傷めないように気を使いながらゆっくりと外していく。
その上で、シルダ嬢に見せつけるように開けた背中を向ける。
「これでご満足いただけるでしょうか」
「こ、これは、何てこと!」
シルダは目を疑った。
リアーナが晒したその肌には――話に聞いていた傷痕など、欠片も見当たらなかったのである。
「病気明けの身体に障ってはいけないからと少しでも暖かくなるようにしていたのですが。
どうやら、勘違いさせてしまったようですね」
「なるほど。
やはり、噂は噂でしかなかったということだな」
「そんな、まさか。
あの男は確かに、間違いなく傷痕が残っていると言っていたのに」
「……ふむ。
先ほどから気になっていたのだが、シルダ嬢がそれほど信頼するその情報屋の男とやらに非常に興味がある。
この私の婚約者のあらぬ噂を吹き込んだのだ、もしかすると我が国に流言を広めるどこぞの手の者かもしれん。
是非とも別室にて、詳しい話を聞かせていただこうか」
イングスが傍らの側近に目配せすると、側近はすぐさま近くの衛兵を呼んだ。
やってきた二人の衛兵が側近の指示に従い、シルダの両脇を抱え込む。
「ちょっと、いきなり何をするの。
私は何も悪いことなどしていないのに。
殿下、これはきっと誤解なのです。
殿下、殿下!」
衛兵達に連行されながら喚き散らす声と共に、シルダの姿は大広間から消えていく。
その様子を最後まで見送ると、オルマイン侯爵とセレッサ嬢がイングスに向き直り、頭を下げる。
「殿下。
こたびはシルダ嬢の戯言に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでしたな。
とはいえ、きっと彼女も悪気があったわけではありますまい。
ここは私の顔に免じて、どうか彼女に恩情を」
「わたくしからもお願いいたします」
「彼女の態度次第ではあるが、善処しよう」
では我々はこれにて、とオルマイン父娘は身を翻し、自分達の一派が集まる一角へと去っていく。
心なしか、腹立たしげに見える歩みだった。
居並ぶ貴族たちが注視する中、楽隊が奏でる円舞曲とともに一組の男女が踊り始める。
よどみない足運び、そして自然で流麗な所作。
互いにパートナーを組むのはこれが初めてとは思えないほど、二人はまさに一体となって華麗に舞っていた。
夜会の最初を飾るのは、主催者側によるダンスである。
そもそも、今回の夜会の主目的は王太子イングスとその婚約者であるリアーナ・バートリー伯爵令嬢の婚約が確固たるものだと示すためだった。
この婚約に反対する声は多い。
その大半の意見は、家格の低い伯爵令嬢を選ぶのはいかがなものか、というものである。
リアーナが病気で社交の場に出なくなってから、その圧は更に強まった。
彼らを黙らせるためには、リアーナ自身が王太子妃として最もふさわしい存在であることを示さなければならない。
その重要な場面で今、リアーナとイングスはダンスに望んでいるのである。
身長が高くすらりと足も長いイングスの大きな足取りにも、リアーナは全く後れを取らない。
イングスと息をぴたりと合わせてみせる堂に入った動きは、彼女が身分差のある伯爵令嬢であることを忘れさせてしまうほどだ。
それでいて、二人は身を寄せ合いながら、周りに聞こえない声で何事かを話し合う余裕ぶりまで見せている。
社交の場において、ダンスとはただパートナーを組んで踊るだけのものではない。
演奏の音に紛れて、公然と二人きりで密談できる絶好の機会なのだ。
貴族同士の繋がりを深めたり、令息令嬢たちの出会いの場になったり、他国からの賓客が相手であれば国家間の問題について意見をやり取りすることさえある。
外交の場に出ることもある王太子妃となれば、なおさらのことだ。
王太子と対等に踊りながら臆することなく対話してみせるリアーナの姿は、まさしく王太子妃としての資質を備えていることを証明するものだった。
それにしても、微笑みながら見つめ合う二人の様子の、なんと仲睦まじそうなことか。
彼らの仲を裂くことはできそうにない、と考えを改める貴族たちもいる。
そして見守る貴族令嬢たちの多くは、どのような愛の言葉を囁いているのかと勝手に想像を膨らませずにはいられなかった。
もっとも、実際に踊っている最中の二人はというと、決してそんな甘い会話を交わしているわけではなかったのだが。
「私の真意を汲み取って、よく来てくれた。
心から感謝するよ、アルーラ」
「やはりご存じでいらしたのですね、殿下」
開口一番にそう告げられ、リアーナ――もといアルーラはほのかに笑みを浮かべた。
招待状とともに夜会用のドレスが届けられたあの日。
恐怖に怯えるリアーナの様子に誰もが動揺する中、一人アルーラだけはほっと胸を撫で下ろしていた。
国王夫妻とイングスの人となりは知っている。
婚約発表の少し前、リアーナが父ジュリアンと母ヴァレリーとともに召し出され、人払いした一室で顔合わせしたことがあるのだ。
非公式の場で対面した夫妻の印象を一言でいえば、誠実そのもの。
イングスのことを支えてやってくれ、と直に頼まれ、リアーナは思わず感激したものだ。
あの方々が、陰険に人を陥れるような真似をするはずがない。
そもそも、彼らが襲撃事件のことでバートリー伯爵家を罰するつもりなら、ただちに王命を出して登城するように求めてくるはずだ。
ましてや、わざわざ一か月後に自分達が主催する夜会を利用して何事かを画策するなどと、悠長で回りくどいことはしないだろう。
すなわち、この招待状は王家が敵側ではないということを意味しているのだ。
もし事件が王家の仕業だったなら、バートリー家が生き残るためには国外逃亡するしか手は残されていなかった。
その最悪な状況ではなかったことに、アルーラは安堵したのである。
そして、一見リアーナへの当てつけにも見える薄緑のイヴニングドレス。
ここまであからさまに事件の日とほとんど同じ色と装飾で揃えたところを見るに、王家は襲撃のことをすでに承知済みなのだろう。
当然、いまだに精神状態が不安定なリアーナがこの衣装を着たがるはずもない、ということもわかりきっているはずだ。
それにもかかわらず、このドレスを送りつけてきたのは、なぜか。
あれほどバートリー家が守ってきた秘密が、こんなにも容易く王家側に筒抜けている。
となると、襲撃事件の前から王家と通じる人間が身近にいたということだ。
ならば、やはり知っているに違いない。
このドレスを着てリアーナの代わりを務められる存在が、伯爵邸に隠れ住んでいることを。
――行かなければならないのは、私だ。
そう答えを導き出したアルーラは伯爵家の面々を何とか説得し、リアーナの身代わりとして今日この夜会の場にやって来たのである。
「よく私がリアーナではないとお分かりになりましたわね。
義父も義母も、いまだに一目で判別がつかないというのに」
「本物のリアーナなら、必ず侍るべき人間がいるはずだ。
そう命じてあるからな」
「……やはり、メディアは王家から遣わされていたのですね」
その通り、とイングスが頷く。
当初、アルーラはこの夜会の共連れとして侍女のメディアに来てもらうつもりだった。
それができなかったのは、リアーナお嬢様のおそばを離れるわけにはいかないのです、とあえなく断られてしまったためだ。
今にして思えば、彼女のその言葉はまさしく王家からの指示だったのである。
「メディアは元々王家に仕える侍女で、リアーナと同い年ながら優秀ということもあって王太子妃付の侍女に指名したんだ。
バートリー邸に送り込んだのも、リアーナに慣れてもらうためとしてあらかじめ決められていたことなんだよ。
いくら伯爵が口止めしたとて、我々が情報を求めれば王家に仕える者として答えなければならない立場だ。
どうか彼女を責めないでやってほしい」
「そういうことでしたか」
メディアがバートリー邸にやってきてから、まだ半年にも満たない。
だが、侍女としてリアーナのために甲斐甲斐しい働きを見せ、今やリアーナにとってなくてはならない存在となっている。
当主であるジュリアンと先代からの直臣であるモーリスも感心するほどで、あまりに有能過ぎて不思議に思っていたのだ。
それも王家が寄越した侍女と言われれば納得である。
「彼女が言っていたよ。
君は他の誰よりもリアーナのことを案じていた、とね。
バートリー家の人々も君に元気づけられたと聞いている。
だからこそ、今日この場に呼んだんだ。
リアーナのためにも、我々に協力してくれるはずだとね」
「信用していただけるのですか?」
「していなければ、今こうしてアルラウネの君と踊ってなどいないさ」
そう言って、イングスは不敵にも笑みを見せた。
王家の正統な血筋を引く最後の後継者であるイングスが、魔物であるアルラウネとこんなにも接近するなど、本来あってはならないことだ。
だからこれは、彼が示せるアルーラへの最大限の誠意に他ならなかった。
「さて、時間は限られているが説明しないとな。
私が婚約者に選びさえしなければ、リアーナが襲撃されることなどなかったはずなのだから」
「それは、つまり。
リアーナは王家の問題に巻き込まれてしまった、ということでしょうか」
「そういうことだ。
今回の事件、バートリー家には何の非もない。
我々王家が君たちを罰するつもりはないから、安心してくれ」
そう前置きすると、イングスは語り始めた。
現在、シャード王家の血筋を引く者は現国王と王太子のイングスをおいて他にはいない。
ただでさえ王族がほとんどいなくなってしまった上、貴族たちを統括し睨みを利かせていた王弟ネクシャード公爵が急死したことで、王家の発言力も大きく低下してしまった。
血統を絶やさぬためにも、権威を取り戻すためにも、唯一の後継者であるイングスの結婚は急務と言える。
しかし、だからと言ってその相手が誰でも良い、というわけではない。
貴重な王家の血統であるがゆえに、その伴侶となる者には高貴な血筋の者を、という声は貴族たちからも強く上がっている。
その中でも顕著だったのが、先ほどのレドリック・オルマイン侯爵を長とするオルマイン派である。
曰く、どうして最も力ある貴族家の令嬢を王家に迎えないのか、と。
新興貴族たちを次々に取り込んで急激に勢力を拡大し、今では他の侯爵家の追随を許さぬ一大派閥となった彼らの物言いは、無遠慮であからさまなものだった。
今、シャード王国において一番の発言力を持つ貴族家は、彼らの派閥を束ねるオルマイン侯爵家に他ならない。
すなわち彼らは、オルマイン侯爵令嬢セレッサを婚約者にせよ、と暗に迫っているのである。
確かに、家格だけを見ればセレッサ嬢ほど王太子の結婚相手としてふさわしい相手はいない。
それでも王家が拒むのは、ひとえにレドリック・オルマインという人物への不信からだった。
元々は王家に忠義を尽くしてきた歴史あるオルマイン家は、あの男に代替わりしてから王家にまるで従わなくなった。
派閥の権力に物を言わせて、王家の政にも我が物顔で口出ししてくるのである。
あれは、危険極まりない男だ。
己の野心をまるで隠そうとしない。
自分の娘を王家に嫁がせようとしているのも、もしかするとオルマイン家の血で王家を乗っ取ることを企んでいるのかもしれない。
そう考えると、王家を守るためにもセレッサ嬢を迎え入れるわけにはいかない。
別の候補を選ばなければならなかった。
そして悩みに悩んだ挙句、イングスが見出したのがリアーナだった。
生まれこそ伯爵家ではあるが、母親はグラーディス侯爵家の息女であり高貴な血筋であることは間違いない。
父親のジュリアン・バートリー伯爵も、グラーディス侯爵が娘を嫁がせるほどには有能な行政官である。
問題のリアーナ自身にしても、なぜか王家に嫁ぐのに十分な気品と教養まで持ち合わせているし、理知的で機転も利く。
最終的に、出入りの商人の連れに扮してバートリー家を訪ね、直に見定めた上で、リアーナを気に入ったイングスは婚約者にすることを決めたのである。
「……とまあ、ここまでがリアーナとの婚約の経緯だな」
「まさか殿下ご自身が当家に足を運んでくださるなんて、夢にも思いませんでしたわ。
礼儀作法は幼い頃におじい様――グラーディス侯爵から勧められて始めたのです。
お恥ずかしながら、あれが王侯子女が受けるような英才教育だったなんて、メディアに指摘されるまで気づきもしませんでしたけれど」
「そうらしいな。
だが、そのおかげでリアーナが高位貴族にも引けを取らない存在であることを見せつけることができる。
グラーディス侯には感謝せねばならないな」
「私としては、少し複雑な気分ですわ」
古い記憶を思い起こしながら、思わずアルーラは乾いた笑みをこぼす。
あれは本当に厳しい躾だった。
侯爵家からの紹介でやってきた先生方は、伯爵令嬢であるリアーナに対しても容赦しなかった。
一挙手一投足を細かく指摘され、何度も何度も同じことを繰り返させられた。
数えきれないほど泣かされ、挫けそうになったことも一度や二度ではない。
けれども、めげずに頑張ってきたのだ
それらを乗り越えてきたからこそ、今の淑女たるリアーナがある。
アルーラが今この夜会の場で無難に立ち振る舞えるのは、まさにその努力の賜物なのである。
「でも、おかしいではありませんか。
代わりというだけなら他の侯爵家にもご令嬢がたが大勢いらっしゃるはず。
その方々を差し置いて、リアーナが選ばれるはずがないと思うのですが」
「察しが良いな。
確かに、最初は他の侯爵令嬢から選べばよいかと思っていた。
ところが、それができなかった。
誰もかれも、原因不明の病や事故で療養中だったり、不祥事で修道院送りにされたりしていたんだ。
奇妙なことに、王族を襲った数々の不幸と同時期にな」
意味深な言い回しである。
もちろん、それに気づかぬアルーラではない。
「それは……確かに、偶然と片付けるには奇妙ですわね」
「奇妙なのはそれだけではないぞ。
この際だから君には打ち明けてしまうが……表向きには事故や病気によるものとされている王族の面々の不幸は、全てが毒による他殺なのだ。
しかも、用いられたのは王家が管理していない毒だという。
さて、君はどう思う?」
「……まさか、一連の出来事は全て何者かの画策、ということでしょうか?」
「そう考えて間違いないだろう。
王族たちの暗殺、婚約者の選定外となった侯爵令嬢たち、そしてリアーナ襲撃に先ほどのシルダ嬢の騒動――細かいことを除いても、これだけのことを引き起こしたことになる。
その首謀者となると、考えられるのは誰かな?」
わずかに俯き、考える。
自分を糾弾しようとした令嬢の顔が真っ先に浮かんだが、すぐにそれを否定する。
「シルダ嬢……ではありませんわね。
かと言って、ゴルバート伯爵様でもないかと。
お二方とも、リアーナが襲撃されたことを本当にご存じないようですから」
シルダ嬢が連行された直後、彼女の父親であるゴルバート伯爵は慌てふためきながら二人の前にやってきた。
青ざめた顔で娘の無礼を平に謝るその様を見るに、彼の知らないうちに事が進んでいたということなのだろう。
「そうだな。
多分だが、シルダ嬢は利用されただけなのだろう。
おおかた、情報屋の男とやらに何かを吹き込まれて、リアーナの怪我について問いただすよう仕向けられたにちがいない。
それに、商魂たくましい実利主義のゴルバート家の仕業にしては、これまで得た旨味が無さすぎる。
たかだか伯爵家でしかない彼らが上位の貴族に手を出す危険には見合わないな」
そう、真に挙げるべき人物は明白だ。
ここ五年間で最も利益を得た者。
王家や侯爵家を相手取れるだけの権力の持ち主。
そして、目的のためなら手段も選ばない人物と言えば。
「つまり、全ての元凶はレドリック・オルマイン侯爵――そういうことなのですね」
「状況的に見て、他には考えられないな。
思えば、オルマイン家の動きが活発化し派閥を拡大し始めたのも、ちょうど王族たちの不幸が始まった頃からだ。
よその侯爵家の令嬢もことごとく災難に見舞われていたのに、セレッサ嬢だけは不自然に難を逃れているしな。
私とセレッサ嬢を結びつけるためにここまで露骨に舞台を整えられれば、嫌でも気づくというものさ」
そう告げるイングスの口調は、あくまでも淡々なものだ。
顔には笑みさえ浮かべているが、その眼差しはまったく笑っていない。
さんざん身内の王族たちを死に追いやった相手だけに、腹に据えかねるものがあるのだろう。
「そこまでわかっていて、処罰することはできないのですか?」
「残念なことに、それを裏付ける証拠がない。
先ほども肝心な話はシルダ嬢にさせておいて、自分達は後ろで控えるのみだったしな。
シルダ嬢に情報を流した男というのもオルマイン家からの間者なんだろうが、今更捕らえに向かったところで既に姿をくらましていることだろう。
さすがに一大勢力を率いる侯爵だけあって、抜け目ないことだ」
忌々しげにそう吐き捨てると、イングスはいら立つ自分を落ち着かせるように一度大きく溜息をついた。
「一番良いのは王族を毒殺した実行犯を捕らえることなんだが、それこそが難しい。
なにしろ、兄君や腹違いの弟妹達に毒を盛るために、王城に何度も侵入してきた輩だ。
しかもその姿を誰にも見せずに済ませる実力の持ち主など、そうはいない。
おそらくはオルマイン家の子飼い――それも、かなり手練の暗殺者による単独犯だ。
手口からして、他の王族たちや侯爵令嬢たちに危害を加えたのも同一人物なのだろう。
もちろん、リアーナを傷つけたのもな」
「……そんなにも恐ろしい相手だったのですね」
やはり、あの襲撃者は最初からリアーナの命を奪うつもりなど無かったのだ。
そうでなければリアーナも、そして目撃者であるオリオも始末せずに捨て置くはずがない。
「そして、君たちには謝らなければならない。
私の婚約者となったリアーナが襲撃されることは、あらかじめ予想していたんだ。
もちろん、王家は何もしていなかったわけじゃない。
国家機密でもあるから君たちには伝えなかったが、バートリー邸の周囲には王家直属の特務部隊が密かに配置されていたんだ。
選りすぐりの精鋭が一〇人、それだけいれば襲撃者を捕縛できると思っていたし、リアーナに危害が及ぶことはないはずだった。
だが、この見通しは甘かった。
我々が送り込んだ警護達は一人残らず物陰で変わり果てた姿で発見され、リアーナもまた毒の刃で傷つけられた。
極秘の特務部隊が王太子の婚約者を刺客から守り切れなかったなどと、とても公表できることではない。
まったく、我ながら情けない話だ」
「あの襲撃の裏でそのようなことが起こっていたとは、思いもしませんでしたわ。
てっきり、王家の力添えは無かったものと考えていましたから。
リアーナも、それだけ手配していただいたことに感謝こそすれ、殿下の判断を非難することはないでしょう」
「いいや、これは襲撃者の力を見誤った私の手落ちだ。
このまま野放しにしていては、リアーナに合わせる顔がない。
幸いというべきか、君のおかげでオルマイン侯の目算を狂わせ、出し抜くことができた。
予想外の事態にあの男が浮足立つ今こそ、またとない機会なのだ。
この際だから、このまま一気にこちらから畳みかけてしまおうと思っている。
そのためには、リアーナの身代わりとなる者がどうしても必要なのだ。
アルーラ、身勝手なのはわかっている。
どうか力を貸してほしい」
イングスの真剣なまなざしが、アルーラの瞳を射抜く。
(やっぱり、こういうことになったわね)
リアーナの、心配げな表情が脳裏をよぎる。
バートリー邸を出発する直前、彼女はアルーラに抱きついてきて言ったのだ。
どうか無理をしないで、必ず無事に帰ってきて、と。
自分ではなくアルーラが呼ばれたことの意味を、彼女は何となく悟っていたに違いない。
敵は予想をはるかに超える存在だった。
首謀者は格上の大貴族で、襲撃者は凄腕の暗殺者だという。
これを相手取るとなれば、いくらアルラウネの自分といえど無事では済まないだろう。
けれど。
これでバートリー家を救うことができるのなら。
これでリアーナの未来が拓けるのなら。
この身を投げ打つことに、何の迷いもない。
「……一つだけお約束くださいませ。
必ず、リアーナを幸せにすると」
「言われずとも、そうするつもりだ。
実は朗報もあってな。
リアーナを蝕む毒のことだが、治せるかもしれないのだ」
「それは本当ですか!?」
思いもしなかった吉報に、アルーラは思わず顔を綻ばせた。
「本当に治せるかどうかは、直に診てもらうまではわからないけどな。
そもそもあれは解毒の難しい毒を更に魔力で強化した、呪いに近いものであるらしい。
イステリア教会の本部にもこれを癒せる者がいるかわからないそうなのだが、とある国にいる人物なら治せるかもしれないそうだ。
事件に片がついたら、すぐにでも手配することを約束しよう。
せっかく治してもらっても、また襲撃されたら意味がないしな」
「わかりました。
そういうことなら、喜んでご助力いたしますわ」
「ありがとう、リアーナ
助かるよ」
気づけば、円舞曲はすでに終盤に差し掛かっていた。
何とか時間内に話をつけることはできたが、思ったよりも随分と長く話し込んでしまったようだ。
「あれほど夢中に話していたというのに、踊りにまったく澱みがない。
見事なものだな」
「そういう誉め言葉はリアーナ本人に仰ってください。
きっと喜んでくれますよ」
「ほう、それは良いことを聞いた。
ではなおさらのこと、この忌々しい出来事にさっさと決着をつけてしまわないとな。
リアーナの笑顔を見るために」
「リアーナの笑顔のために」
互いの同じ決意と共に、二人は笑みを交わすのだった。
最初から最後まで乱れることのなかった素晴らしい円舞が終わり、居並ぶ人々は舞い手の二人に惜しみない拍手を送った。
ふと、王太子イングスが父である国王に向けて頷いて合図を送った。
それに国王も頷くと、おもむろに玉座から立ち上がり、高らかに宣言したのである。
――イングスとリアーナの結婚式を半年後に執り行う、と。




