渇望の果てに
王都ゼキアから南に向かう街道の途中、道端に立つ小さな木の下でロムズは一人胡坐をかいていた。
抜き身の直剣を抱え込み、昂る心を抑えながら、ただひたすらに待っているのだ。
しばらくして、南側に人影が見えた。
流れの行商なのか、大荷物を担いで歩いてきている。
たった一人で不用心極まりないが、護衛を雇う金を渋ったのだろうか。
北側を見やれば、まだ人が来る様子もない。
絶好の機会である。
やがて、行商の男がロムズのそばまでやってきた。
互いの距離は四、五歩といったところか。
ようやくロムズが抱え込む剣に気づいて小さな悲鳴を上げるが、残念ながらその位置はすでにロムズの間合いだ。
すかさずロムズは立ち上がると、瞬時に踏み込み剣を一閃させる。
「うぎゃぁッ!」
直後、断末魔の悲鳴が上がり、左の肩口から深く切り裂かれた男はどさり、と地に倒れた。
(この感触、たまらないな)
息絶えてなおびくびくと痙攣し、血溜まりに沈む男の死体を見下ろしながら、ロムズは満足気に舌なめずりしてみせた。
三〇年もの長きに渡る大陸戦争は、ついに終焉を迎えた。
大陸統一を掲げて覇を唱えた西の大帝国エインジアは内乱の果てに滅び去り、東部諸国連合側の勝利で幕を閉じたのである。
戦後処理は今もなお続いているが、これから当分先は平和な時代が続くことだろう。
だが、それはすなわち戦争で稼ぐ傭兵達の存在が必要なくなることを意味する。
職にあぶれた彼らは、新たな道を選択しなければならなかった。
ロムズもそんな傭兵の一人だった。
大陸中東部に位置する諸国連合の盟主でもあったゼクート王国の傭兵部隊に参加したのが一七の頃。
それから五年、戦争に身を投じてきた。
必死になって剣を振るい、殺した敵の数はもはや数える気にもならない。
何度も死を覚悟しながら、どうにか生き延びることができた。
戦争が終わり、帰ってきたロムズもまた新しい仕事を探そうとはしたのだ。
だが、無理だった。
(殺シたい、殺シタい、殺シタイ)
人が集まる場所に行く度に、殺戮の衝動が鎌首を上げる。
思えば、戦争の終盤は敵を斬り殺すことに喜びと快楽を得る自分がいた。
若くして過酷な状況下で生と死を垣間見てきたロムズの精神は、大きく歪み狂ってしまっていたのである。
心が、身体が、渇いている。
だが、この渇きを潤すことができる戦場はもう無くなってしまった。
獣ならばどうか、と西の森に入って狼を斬り殺してみたが、満たされることはなかった。
人を殺す味を覚えてしまったこの体が満足するには、やはり人を殺さなければならないらしい。
(心の赴くままに人を殺しながら生きるには、どうすれば良いか)
悩んだ末にロムズが選んだ道――それが、辻斬りに身をやつすことだったのだ。
西へと続く街道が通された森の奥。
深い茂みの陰に、ロムズは身を潜めていた。
南の街道での辻斬りから、すでに十日が経っている。
斬り殺した商人の荷物の中から食料と金目の物を可能な限り持ち去り、手元に残す物以外は全て街で売り払った。
今回はなかなかの収入で、当分稼がずとも暮らしていける資金がある。
だが、腹は満たされても血肉の飢えはやってくる。
殺しを終えて間もなくは問題なかったが、今はもう耐えがたい渇望に苛まれてしまっている。
思い通りの暮らしができる今、この欲求に抗う気などロムズには毛頭なかった。
彼が辻斬りを始めてかれこれ三ヶ月、襲った相手は一五組にも上る。
当然表沙汰にならないわけもなく、騎士団は捜査を開始し警邏隊を組んで見回っているが、犯人がロムズであることはいまだにバレていない。
一人旅の男から貴族の乗った護衛付きの馬車まで、多少人数が多くても全員殺せると判断すれば迷わず襲った。
まさか一人で多人数を惨殺しているとは思わないようで、どうやら複数人の強盗団の仕業だろうという見当違いの見立てで捜査しているらしいのだ。
更に、ロムズは一ヶ所に留まらず、街道の東西南北で狩場を変えている。
ほとぼりが冷めるまで狩場に行かないこともあるし、大胆にも騎士団が調査を終えた少し後に同じ場所で辻斬りをしたこともあった。
戦争からの復興もあって人手が回らないため警邏隊の規模が大きくならないことも幸いし、ロムズは悠々と辻斬り稼業に勤しんでいた。
数日前に街で警邏隊と思しき騎士の一団が南へ向かうのを見届け、ロムズは西の街道の森にやってきていた。
ここに来るのは、辻斬りを始める前に狼を試し斬りに来て以来だ。
他の街道では派手に仕事をしてきたが、この西側はまだ手つかずで捜査の手は入っていない。
存分に堪能させてもらうぞ、とロムズは不敵な笑みを浮かべずにはいられなかった。
「……むッ!?」
さらにしばらく獲物を待ち構えていると、ふと背後から穏やかならぬ気配を感じた。
とっさにロムズは剣を抜き放ち、振り向きざま横に薙ぎ払った。
「ギャウンッ!!」
その一撃は飛び掛かってきた狼を見事に捉え、ざくり、と深く斬り裂いた。
運良く致命傷になったらしく、地面に落ちた狼はそのまま動かなくなった。
しかし。
(何だ、これは)
ロムドが以前に狼を斬った、その感覚ではなかった。
肉を斬る生々しい感触も、骨を断つ硬質な手応えもない。
まるで丸太を斬ったかのように無機質で妙な斬り心地だった。
(こいつは一体……)
だが、ロムズはそこで考えるのを止めねばならなかった。
茂みの奥から同じような気配が多数、向かってくるように感じたからだ。
「畜生が!!」
やむなく、ロムズは茂みから飛び出し、街の方角へ走った。
一刻も早くこの森から抜けたいが、ここは森の奥深くだ。
この気配全てがあの狼達ならば、とても間に合わないだろう。
だから、次善の策を取るしかない。
「……見えた!」
道中見つけた、この森の中でも一際高くて太い大木。
丈夫そうな枝が人間三人分ほど上の高さにあり、これに登れば狼ごときが登ることはできまい。
ロムズは剣を放り捨て、急いで大木に飛びついて一気によじ登った。
背後から一匹の狼が飛びかかってきたが、間一髪かわして高い枝の上まで到達することができた。
ほっと一息ついたロムズだったが、眼下の状況を目にして背筋が凍った。
五、六匹程度かと思っていた。
いつの間にか二、三〇匹ほどの狼の群れが大木の下に集まり、唸り声を上げていたのだ。
これだけの数を相手にまともに戦えば、無事に済むはずがない。
だが、とロムズは思い直した。
数の多さに一瞬怯まされたが、所詮は奴らもただの狼。
この大木の上までやって来られるはずがない。
登れない腹いせに唸ってみせているだけなのだ。
しばらく待てば、そのうち諦めて去っていくにちがいない。
「なんだ、てめえら。
俺を食おうってのか。
やれるもんならやってみやがれ。
ここまで登れてこられるならなぁ、はっはっは!」
だから、ロムズは狼達に罵声を浴びせ、高らかに笑ってみせたのだが。
集団の後ろにいた狼のうちの一匹がおもむろに後方へ下がり、大木から距離をとった。
やがて反転し、狙いを定めるかのようにロムズを仰ぎ見ると、その狼は駆け出した。
力強い助走から一気に加速して、跳躍。
信じられないほど速く、信じられないほど高く、狼が空を翔けていく。
樹上に立つロムズ目がけて、まっすぐに。
油断しきっていたロムズは全く反応できなかった。
瞬く間に飛び付かれ、喉笛を深くかみ千切られた。
そのあまりに強烈な勢いにロムズの身体は吹っ飛ばされ、狼とともに宙を舞う。
(馬鹿、な)
信じられなかった。
普通の狼が跳躍しても届くはずのない高さにいるロムズを、この狼は難なく飛んできた。
それも、あり得ない速度と勢いで、だ。
驚愕のあまり、ロムズは自分が瀕死の重傷を負ったことにさえ気づいていなかった。
僅かな滞空時間の後。
ロムズの身体はどさり、と重い音を立てて背中から地面に落ちた。
高いところから落ちた割には、あまり痛みを感じない。
逃げなければ、と起き上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。
力が、入らない。
視界の中に、狼の顔が入ってきた。
一匹、また一匹と、次々に集まってくる。
憎々しげに睨んでくるその双眸の全てが、なぜか同じもののように思えた。
まるで、今まで自分が快楽のために斬り殺してきた人々の怨念のように。
その怨念達が今、自分を殺そうとしている。
ロムズは心の底から恐怖をかきたてられた。
違う、と叫ぼうとしたが、できなかった。
声の代わりに漏れるのは、食い破られた喉から溢れるおびただしい量の血ばかりだった。
違うのだ。
俺の渇きを潤すには、もうこれしかなかったのだ。
そのために必要な犠牲だったのだ。
頼む、死にたくない。
助けてくれ。
声ならぬ声で身勝手に言い訳し命乞いするが、その懇願が届くはずもない。
口元を血で濡らした狼が一吠えし、それを合図に狼達が飛びかかってきた。
もはや身体を動かすこともできないロムズには抗う術もない。
断末魔の悲鳴を上げることすらできず、ロムズの命は無残にも食い散らかされていった。
ロムズが隠れていた茂みを更に分け入った場所に、月日が経って朽ち果てた狼の屍が打ち捨てられている。
そのそばに――なぜか二、三〇ほどの穴が不自然に掘り空けられていた。