私が幸せであるために その2
「まさか、リアーナの血を受けたアルラウネとはな」
ただでさえ愛娘に起きた事件で大いに悲しみ、今後の対応を苦慮している最中だというのに。
侍女メディアと庭師オリオからの報告を聞き終えたバートリー伯爵家当主ジュリアンは、思わず大きな溜息をついた。
今日も王城勤めの行政官としての仕事を何とか終えて我が家に帰ってきた彼は、出迎えた妻のヴァレリーから重大な報告があることを伝えられた。
彼女に促されて応接間に赴くと、真っ先に目に飛び込んできたのは二人に増えたリアーナの姿だったのである。
もう大したことで驚くことはないと思っていたのだが、あまりに意外過ぎてしばらく唖然となってしまった。
ふと見ると、部屋の中央にある大きなソファーでは気まずそうに座る老執事モーリスの姿があった。
驚きのあまり腰を抜かしてしまったらしく、だから妻が代わりに出迎えたのだなとジュリアンは納得していた。
とにかく、話を聞かなければ何もわからない。
落ち着きを取り戻したジュリアンが話を促すと、そばに控えていたメディアとオリオから事の経緯とアルラウネの話について聞かされたのだった。
「それで彼女――アルラウネのリアーナ様をどうなさいますかな、旦那様」
判断を仰ぐべく、モーリスがジュリアンを見る。
「お前はどう思う?」
「アルラウネと言えば、伝え聞くは恐るべき魔物。
本来なら即刻退治して然るべきですが……あまり気が進みませぬな」
オリオから聞いた話が正しければ、心優しく思慮深いリアーナの血を受けたこのアルラウネもまた同じような性格をしていることになる。
ということは、このまま放っておいても実はそれほど害はないのかもしれない。
ましてやリアーナの姿をしているのだから、モーリスの言う通り退治するのは確かに心苦しいというものだ。
「それならいっそのこと、この家に住んでもらうのはどうかしら。
子供が増えたみたいで賑やかになるかもしれないじゃない。
外に出られないリアーナにとっても、きっと気安い話し相手になってくれるでしょうし」
そう提案するヴァレリーの顔には、目の前にいるアルラウネに対する恐れが全く見えない。
彼女も話を聞いて驚いただろうに、今は笑みさえ浮かべて受け入れる気満々でいる。
元はグラーディス侯爵家の三女となると、胆の据わり方も違ってくるのだろうか。
それとも、リアーナ以外の子供に恵まれなかったこともあって天からの授り物とでも思っているのかもしれない。
だが、それは破滅と隣り合わせの選択だ。
「魔物が住んでいるなどと周囲の人々に知られれば、ただでは済まないのだぞ。
罪に問われて、一族郎党処刑となりかねん。
いや、巷ではアルラウネを崇拝する邪教の徒が暗躍しているという話もあったか。
それなら寧ろ、連中共の仲間とみなされ、館を囲まれて焼き討ちにされてしまうかもしれない。
どちらにせよ、伯爵家当主として危ない橋を渡るわけにはいかないな」
ジュリアンの言葉にむう、と不満を露わにしたヴァレリーだったが、それ以上の反論はできなかったらしくそのまま押し黙った。
残る選択肢は、このまま放逐するぐらいだが。
いや、それも危険だ。
既に社交の場に何度も出ているリアーナはその顔を広く知られている。
もし娘を知る者にその容姿を見られれば、不審に思われることは間違いない。
さらにアルラウネだと気づかれようものなら、それこそリアーナに何かあったのだと気づかれてしまうだろう。
残念だが、やはり死んでもらうのが無難だろうか、とジュリアンが思ったその矢先。
「あの、発言しても宜しいでしょうか」
おもむろに手を挙げたのは愛娘、ではなくアルラウネのリアーナである。
顔を見ただけではとても見分けがつかない。
わかったのは、彼女があの事件の日の服装――切り裂かれて使い物にならなくなったはずの薄緑のドレスを着ているからだ。
「……聞こう」
少しだけ考え、ジュリアンは頷いた。
リアーナは機微に聡い娘だ。
難しい選択を迫られていた時も、不意に発言した彼女の言葉に従ってみると良い結果になったのは一度や二度のことではない。
こうした時の判断は、自分やヴァレリーよりもよほど冴えている。
今、当のリアーナは悲しみに暮れており、とても頼れる状態ではない。
その娘のために思い悩んでいる自分達とて正しい判断を下せる自信はない。
となると、この場において一番冷静に物事を考えるのは、以前のリアーナの生き写しでありながら魔物としてのしたたかな心胆を併せ持つこのアルラウネではないだろうか。
この意見は聞いておくべきだと感じたのである。
「元より今は、王太子の婚約者である私――いえ、リアーナが襲撃され怪我を負わされたという事実を隠している状況。
このままでは、どのみちバートリー伯爵家に明るい未来はないと思うのです。
私がアルラウネとしてここにいるのは、きっと主の思し召し。
悲しむリアーナのためにも、何か力になりたいのです。
どうか、私をここに居させてくださいませ」
こちらを見つめるその目には、揺るぎない信念が宿っている。
まさに希望に満ち溢れていたかつてのリアーナそのものだ、とジュリアンは心の中で感嘆していた。
言われてみればそうだ。
襲撃事件のことはいつまでも隠しおおせない。
遅かれ早かれ、事実を明かさなければならない時が来る。
それが世間に露見すれば当然その責任を取らなければならず、伯爵家の将来はきっと閉ざされることだろう。
結局のところ、このアルラウネのことがなかったとて大差ない結果が待っているのだ。
(思し召し、か)
いまだに、この現状を打開する良い手立ては思いつかない。
手をこまねいているだけでは何も変わらない。
ならば、託してみても良いではないか。
バートリー伯爵家の命運を、彼女の言う思し召しというものに。
「……よし、決めたぞ。
彼女は当分この家に住まわせる。
幸いにも、我が家の使用人達は信頼のおける者達ばかりだ。
不用意に外部に秘密を漏らすことはあるまい。
モーリス、そのように取り計らってくれ」
「承知いたしました、旦那様」
その場に集う面々を見渡しながら当主としての決断を下したジュリアンに対して、モーリスが座ったまでうやうやしくかしこまる。
リアーナ、ヴァレリー、メディア、オリオもそれに従い、静かに同意を示した。
「ありがとうございます、伯爵様」
「お父様でいい。
リアーナの姿で他人行儀に呼ばれるのは、あまり気分の良いものではないからな」
頭を下げるアルラウネのリアーナを、複雑そうな表情で見るジュリアン。
だが、その眼差しは本物の娘に語るかのようにとても優しげなものだった。
そして、一緒に暮らすなら名前が無いと何かと不便よ、とヴァレリーが言うので名前をつけることになった。
意見を出し合って考えた末に決まったのは、安易だが呼びやすいものだった。
アルラウネということと、リアーナの名前の響きに倣って、『アルーラ』。
こうして彼女――アルーラは伯爵家の一員となったのである。
人生は何が起こるかわからない、とはよく言ったものだ。
そのことを、メディアは身に染みて感じていた。
将来の王太子妃となるであろうリアーナ伯爵令嬢の専属侍女として選ばれたことに、心から喜んだ。
そのリアーナ嬢が何者かに襲われ、人には見せられないほどの醜い傷痕を刻まれたことに、心から悲しんだ。
そして今、目の前の状況に、心から戸惑っていた。
四人掛けの円卓には、手の込んだ料理が盛られた大皿が幾つも並べられている。
それぞれの席には紅茶も置かれ、こじんまりとした部屋の中は芳しい香りに満ちていた。
現在、この一室では伯爵家の限られた面々が集まり、午後のティータイムを過ごしている。
なぜか、侍女でしかないメディアまでもがそこに同席させられているのだ。
メディアから見て右手――部屋の奥側であり上座に当たる席には、赤いドレスのリアーナ嬢の姿がある。
だが、彼女は本物のリアーナ嬢ではない。
今日のリアーナ嬢には青いドレスを着せたのだから。
彼女達の衣装を選んでいるのが他ならぬメディアである以上、間違えるはずもない。
今も優雅に紅茶を飲んでいる赤いドレスの彼女こそ、リアーナ嬢の血を受けたアルラウネ――アルーラだった。
(まさか、魔物であるアルラウネとお茶を飲む日がくるなんて)
アルーラが現れてから、かれこれ五日。
この家に暮らすことになった彼女のために、物置にしていた部屋の一つを片付けて与えていた。
だが、アルーラは時間の許す限り落ち込むリアーナを付きっきりで慰めようと努めており、それまで部屋を利用する時間とすれば人々が寝静まる夜の間ぐらいだった。
ところが、今朝になって彼女はリアーナ嬢とメディアに午後のお茶を一緒にどうかと誘ったのである。
場所は、彼女に与えられたこじんまりとした一室――すなわち、今いるこの部屋のことだ。
リアーナのためだから、と言われれば断ることもできず、メディアはリアーナ嬢と共にこうしてこの場にいるというわけである。
その本物のリアーナ嬢はというと、メディアの左手――入り口側の下座の席に座っていた。
最初に手元の紅茶に一度口をつけた後は、憂いに満ちた表情で静かに俯いたままだ。
アルーラの献身の甲斐あってか少しは落ち着きを取り戻しているものの、精神的に立ち直るにはまだまだ時間がかかることだろう。
この家の中では伯爵とその夫人に次いで序列が高い彼女が座るべき席ではないのだが、対面にいるのはリアーナ嬢の血を受けているとはいえ怖い逸話で有名なアルラウネなのである。
万が一のことがあってはならないと、仕方なく一番離れた席に座ってもらったのだ。
幸い、ここにいるのは家中の者だけ。
席次について、とやかく言われる心配はない。
もっとも、もう一人の参加者はそんなことを言える立場にすらないのだが。
残る一席、メディアの対面に座らされているのは、何と庭師のオリオ青年である。
かわいそうなことに、このような場に慣れているはずもない彼は申し訳なさそうに縮こまっていた。
「あの、俺、こんな席に座っていて本当にいいんですか……?」
「気にしなくていいのよ。
私はあくまでリアーナとそっくりなだけのアルラウネであって、貴族でも何でもないのだから。
それに、わざわざモーリスに頼んでこの場を設えてもらったのも理由があってのこと。
居てもらわないと、私が困るわ」
おずおずと訊ねるオリオに、アルーラは優しく微笑みかけながら言い聞かせている。
そういえば、アルーラとモーリスが朝食前に何やら相談している姿をメディアは目撃していた。
伯爵夫妻が娘として扱っているためか、モーリスを始めとした伯爵家に仕える者達からもアルーラは普通に受け入れられている。
アルラウネという魔物であることを気にしなければリアーナ嬢そのものである彼女の頼みということで、あの御仁も快く引き受けたのだろう。
あの後、アルーラの部屋で張り切って使用人達を働かせていたようなのだが、どうやらこのためだったらしい。
既にモーリスの姿はここにはない。
最初に齢六七とは思えぬ手際の良さで淹れ立ての紅茶を全員に配り終えると、それではごゆっくり、と一言だけ言い残して部屋を後にしたのである。
あの老臣は先代の頃から長らく執事を務め、今や家を取り仕切る家令の役目も兼任している。
リアーナ嬢の一件もあって彼自身とても忙しいだろうに、よくここまで準備してくれたものだ。
あとで、一言だけでもお礼を言っておかねばならない。
それにしても、アルーラがこの場を設えた理由とは一体何だろうか。
集まった面々を見れば、おのずと共通点は見えてくる。
リアーナ嬢襲撃事件の当事者である。
自分の失態があの事件を招いてしまったのだ、と今も悔やんでいる。
ついにそのことを責められるのだろうかと、メディアは緊張せずにはいられなかった。
ことり、と。
それまで手に持っていた紅茶のカップを静かに置き、アルーラはおもむろに居住まいを正した。
「さて、みんなにこの場に集まってもらったのは、実はただお礼を言いたかっただけなの。
アルラウネである私がこうしてこの家で暮らせるのも、みんなのおかげだと思うから」
「お礼、ですか?」
意外な言葉に、メディアは当惑する。
記憶を辿ってみても、これまでアルーラに対して何か礼を言われるようなことをした覚えはない。
思わずリアーナ嬢とオリオを見ると、二人もまた同じらしく困った表情を浮かべている。
「そう、お礼よ。
まずはオリオ、あなたはリアーナの危機にいち早く駆けつけてくれた。
助けてくれてありがとう」
「い、いえ、そんなことは。
お嬢様が危ないと、ただ必死で。
それに、結局のところ犯人には逃げられてしまいましたし」
「でも、あなたが来てくれなかったら、リアーナはもっと多くの傷をつけられていたかもしれないわ。
あんな酷い傷痕をずっと見ることは、今の私にはとても耐えられないそうにない。
リアーナとこうして普通に話すことができるのは、本当にあなたのおかげなのよ」
おどおどしながら謙遜するオリオをそう褒めるアルーラだが、その顔に浮かぶ笑みはどこか感傷的だった。
まだ伯爵夫妻にアルラウネであることを報告する前、自分が偽物であることを確認するため、彼女はリアーナの肌に残る傷痕を直に見ている。
どす黒く腫れ上がった醜いそれを目にした途端、気が触れたかのように落ち着きを失うと、決して自分にその傷痕を見せないで、とアルーラは顔を背けながら荒々しく言い放ったのだ。
怒りと悲しみが入り混じったような恐ろしい形相で声を震わせる彼女の姿を、メディアは今も忘れることができない。
あの時のアルーラが何を思ったかは知る由もないが、彼女は今そのことを思い起こしているのではないだろうか、とメディアは推察した。
ふう、とアルーラは一度大きく溜息をついて気を取り直すと、今度はその顔をメディアに向けた。
「次にメディア。
あなたはいつもリアーナに寄り添っていてくれた。
傷を負わされ、王太子の婚約者としての地位も危ぶまれる今であっても。
そばで見守るあなたがいなければ、リアーナは絶望に押し潰されていたかもしれない。
今も一緒にお茶の時間を過ごせるのは、あなたの存在があってこそ。
心から感謝します」
そう言って真深く頭を下げたアルーラを見て、メディアは慌てて声をあげた。
「ア、アルーラ様!
私のような侍女になど、みだりに頭を下げないでください!」
「私はリアーナでも貴族でもないと、さっき言ったでしょう。
あなただって気にする必要はないのよ」
「リアーナ様のお姿でそんなことをされては、気にせずにはいられないのです!」
メディアは、アルーラのことをリアーナ嬢と同等に扱うことを心に決めている。
敬愛するリアーナ嬢の血によって育ちその記憶を受け継いだ彼女は、まさにリアーナ嬢と血を分けた存在だと言える。
その精神の本質がリアーナ嬢のものであるのなら、魔物の身体だからとぞんざいに扱うのは真の侍女の振る舞いではない、と彼女は思うのだ。
それは、自分のせいで深い傷痕を刻まれることとなった今のリアーナ嬢を拒絶することと同じだと思うから。
「私には礼を言われる資格などありません。
あの時、おそばを離れていなければこの身を挺して刃を受け、せめてお逃げする時間を稼げたかもしれないのですから。
王太子妃となられるお方を守れなかった私の罪は、到底償えるものではありません。
けれど、そんな私を罰することなく、リアーナお嬢様も、そしてご当主様と奥方様もこの屋敷に留め置いてくださいました。
この恩義に報いるためにも、私は一生を捧げてお嬢様のおそばに仕えなければならないのです」
今まで誰にも言わずにいた悲痛の覚悟。
途中で泣きそうになるのを必死に堪えながら、メディアは言い切った。
そんな痛々しげなメディアを労わるように、アルーラはそっと声をかける。
「ねえ、メディア。
律儀なあなたのことだから、あの日の件で重い責任を感じているのだと思うけれど。
リアーナから受け継いだ記憶を辿った上で、私はあなたに非はなかったと思ってる。
あの時、リアーナはいつものように庭園の東屋で紅茶を飲みたいと望んだ。
あなたはただ、その願いに応えようとしただけでしょう?
どうして罰さなければならないというの。
私は、あなたを憎まない。
そんなことはきっと誰も求めていないはずだから。
そうよね、リアーナ」
「ええ、その通りよ」
間髪入れずに返ってきたその答えに、思わずメディアは振り向いた。
いつの間にか、リアーナは顔を上げていた。
ドレスの袖に隠れた左腕の傷痕を手で押さえながら、申し訳なさそうな目でメディアをじっと見つめている。
「あなたがここまで思い詰めていることにも気づけないなんて、今の私が本当に情けない。
この傷は、あなたと離れて一人きりになってしまった私自身の責任。
それをあの場にいなかったあなたのせいになんて、するわけがないじゃない。
だから、もうこれ以上自分を責めないで。
償おうだなんて思わなくていいのよ。
あなたは今も、私に尽くしてくれる自慢の侍女。
これからもどうか、そばにいて助けてほしい。
私達が、一緒に笑って生きていけるように」
「リアーナお嬢様……」
思いがけない言葉に、メディアは心を打たれた。
危急の事態にそばにいなかった自分は恨まれているものと思っていた。
だが、リアーナ嬢から責められることはなく、それどころかこんなにも信頼を寄せてもらっていた。
王太子との婚約が決まってからリアーナ嬢の侍女として仕えることになったメディアは、共に過ごした時間の短さを埋めるべく、それこそ親身になって尽くしてきた。
そんな彼女のことを、リアーナ嬢はしっかりと見ていてくれたのだ。
これからも、この信頼に応えて仕えていきたい。
新たな決意を伝えたいのに、言葉が喉元からうまく出てきてくれない。
今まで堪えていた涙がいつの間にか溢れ出ていたことに、メディアはようやく気づいた。
リアーナ嬢はメディアの涙を見てほのかに笑みを浮かべると、アルーラを真っすぐに見た。
「私が言わなければならなかったことを、あなたが代わりに伝えてくれた。
ありがとう、アルーラ」
「言いたいことを言っただけよ、礼には及ばないわ。
それに、お礼を言いたいのは私の方だしね」
「私、あなたには何もしてあげられなかったと思うのだけれど……?」
「もちろん知ってるわ。
だって、あなたが自発的にしてくれたことではないのだから。
けれども、私にとってはとても重要なこと。
それはあの事件の日に、あなたの血を貰えたことよ」
そう言って、アルーラはこの場にいる三人を見渡す。
「リアーナから受け継いだ記憶で、オリオの持ってる植物図鑑を見せてもらった時に聞いた話があってね。
どうやら、アルラウネにならなかったマンドラゴラも大きくなったら地上に出て活動するそうなのよ。
それがもし本当なら、リアーナの血を受けなかった私は理性のない化け物としてみんなの前に姿を現していたかもしれない。
そうなっていたら、今頃もっと大変なことになっていたかもしれないわ。
まあ、いろいろなことがありすぎて、みんな今まで思い至らなかったようだけれどね」
「あー、そういえば……」
「聞き覚えのある話ね……」
さらりと話すアルーラとは裏腹に、思い返すオリオとリアーナの顔が青ざめていく。
メディアもまたそうだ。
運が悪ければ自分達はもちろんのこと、伯爵家にいる全ての人間が命の危機にあったかもしれないというのだから。
背筋が凍るような話のせいで、先ほどまでの感動もどこかへ消え失せてしまった。
怖がらせてしまったことに気づき、話を続けるアルーラの口調が優し気なものに変わる。
「リアーナ。
あなたの身に起こったことは、確かに不幸な出来事よ。
けれど、そのおかげで私は心根の優しいアルラウネとして覚醒し、あなた達を襲わずに済んだ。
お父様にも言ったけれど、私がアルラウネとしてここに居るのはきっと主の思し召し――あなたの力になるために遣わされたのだと思っているわ。
この困難を乗り切るのに、私ができることなら何でも協力するつもりよ。
あなたとその身近な人々がみんな幸せでいられるように。
そして、あなた達を害する人々から守るために。
最悪の事態を免れることができたのだから、きっと乗り越えられるわよ」
「アルーラ……ありがとう。
そうね、このままくよくよしてばかりではいられないわね。
私も、いい加減に立ち直らないと」
「その意気よ。
でも無理せず気長にね。
どのみち、次までには間に合わないと思うから」
リアーナに微笑みかけたアルーラの顔が、ふと真剣味を帯びた。
「先の襲撃事件、あれは始まりに過ぎないと思っているわ。
おそらくはリアーナと王太子殿下の結婚を阻むためでしょうけれど、リアーナに毒の刃で手傷を負わせだだけで済ませるとは思えないもの。
必ず、何か動きがあるに違いないわ。
それも近いうちにね」
「まさか、また襲撃があるっていうんですか!?
だったら、一刻も早く迎え撃つ準備をしないと……」
「大丈夫ですよ、オリオさん。
そのために旦那様もモーリスさんも、そして私もこれまでに万全の体制を整えてきましたから。
それに、動きというのは何も襲撃とは限りません。
そうですよね、アルーラ様」
「ええ、メディアの言うとおりよ。
あの襲撃者の背後には、きっと黒幕がいるはず。
お父様の話ではリアーナの襲撃事件のことはまだ王都で噂にすらなっていないらしいし、ここまで意図的に情報を隠されれば何らかの狙いがあるのは明白ね。
もっとも、情勢に変化があるまではこちらも迂闊に動けないけれども。
しばらくは様子見するほかないでしょうね」
そこまで言い終えると、アルーラは両手をパン、と打ち鳴らして顔を緩ませた。
「さて、真面目な話はこれでおしまい。
今のうちにこのひと時を楽しみましょう。
私もここまで頼んではいなかったのだけれど、こんなにも豪勢な料理まで揃えてもらったことだしね」
「そ、そうね。
言われてみれば、私も何だかお腹が空いてきたわ。
あまり食べられないかもしれないけれど、いただこうかしら」
「ええ、お好きなだけどうぞ。
ほらほら、オリオもメディアも遠慮しないで」
「は、はい」
「……では、お言葉に甘えまして」
それからは、誰もが思い思いにこの茶の席を楽しみ始めた。
アルーラは紅茶を手に、まったりしながら茶会の雰囲気そのものを堪能していた
初めてなのに久しぶりの気分なのよね、と独り言ちるのは、自分がリアーナ本人ではないと知りつつもその記憶を持ってしまっているがゆえに、感覚のずれがあるのだろう。
一方、無遠慮に料理に手を伸ばし、自分の取り皿を山盛りにしているのはオリオだ。
ナイフとフォークの扱いに慣れていないせいで、ぼとりと何度もテーブルの上に落としてしまっているが。
目も当てられない有り様ではあったが、彼に貴族の行儀作法を求めるのも酷というものだ。
そんなオリオを、リアーナ嬢がくすくす笑いながらも応援している。
時折、思い出したように野菜を挟んだパンを少しずつかじっていた。
絶望に打ちひしがれて笑うことのなかった彼女が、心からの笑顔を見せている。
自分からすすんで食べすすめているのも驚きだ。
今朝までは、出された食事を仕方なくわずかに口に入れる程度だったというのに。
彼女は今、自らの意志で懸命に立ち直ろうとしているのだ。
そのことが、メディアにはたまらなく嬉しかった。
アルーラがこのお茶の会を開いた理由が、今ならわかる。
これは彼女なりの励ましだったのだ。
あの日の出来事で特に当事者となった自分達を元気づけるために、この場に集めたのだ。
感謝と称して労わりの言葉を添え、言葉巧みにみんなの心の傷を癒してくれたのである。
彼女には感謝しなければならない。
何と言っても、リアーナ嬢の笑顔を取り戻してくれたのだから。
それによって、自分とオリオが抱えていた鬱屈した気持ちも取り払われた。
あの笑顔を見れば、伯爵夫妻やモーリス、屋敷にいるみんなもきっと大いに感激することだろう。
途中、紅茶の残りが少なくなってきたと思ったところに年配のメイドが湯の入ったポットを持ってきてくれたので、メディアは一言断り席を立った。
新しい紅茶の用意をしながら、そっと円卓の様子を窺う。
スコーンやケーキといった普段彼が食べることもできない料理に顔をほころばせるオリオ。
あまり食べることができない代わりとばかりに、努めて明るく話すリアーナ嬢。
そして、紅茶を嗜みながらそれに応えて微笑み返すアルーラ。
事件の日以来、久しく無かった穏やかな時間が今、確かにそこにあった。
(この幸せが、もっと長く続いてくれればいいのに)
だが、それが決して叶うことのない願いであることを、メディアはただ残念に思うのだった。
それから五日の後、伯爵邸に一通の招待状が届けられた。
一か月後に開催される夜会への参加を要請するその招待状の封蝋に捺されているのは、まぎれもなくシャード王家の印だ。
そして、招待状とともに届けられた当日用のドレスを見たリアーナは、恐怖に身体を震わせた。
色、そして大まかな装飾の配置。
形状こそ違えど、それはまさに襲撃事件の日に彼女が着ていたものと酷似したものだったのである。




