冒険者トランの帰郷 その3
「はあッ、はあッ、はあッ!」
日が沈み、昏い森の中を、トランは駆け抜ける。
必死の形相だ。
時折後ろの様子を確認しながら、死に物狂いで走る。
逃げているのだ。
今もなお追ってくる、奴ら(・・)から。
「しつこいんだよ、アンタたちはッ!」
背負った矢筒の矢を三本引っ掴んで弓につがえ、タイミングを見計らって振り向きざまに射放つ。
同時に放たれた全ての矢が暗闇の中に消え、その先にいるはずの追っ手たちの気配が止まる。
どうやら、狙いは過たず命中したようだ。
だが、悠長にはしていられない。
まだ大勢の奴ら――アルラウネたちが追ってきているのだから。
「トラン、大丈夫!?」
「引退したての元冒険者を甘く見るんじゃねーよ。
それよりも急ぐぞ、シャニー」
並走する幼馴染の娘に答えると、トランは再び駆け出した。
「ごめん。
まさか、こんなにも行動が早いとは思わなくて」
「いや、この様子だと俺が村に帰ってきた時点で見張られてた。
俺としたことが、迂闊過ぎたな」
道すがら、おおよその話をシャニーから聞き終えている。
それによると、五年ほど前にミリア教徒などと名乗る神官が村を訪ね、村長宅に寝泊まりしていた時期があったらしい。
村人たちがおかしくなり始めたのはその頃かららしく、シャニーが気づいた時には村人の半数以上がアルラウネになってしまっていたのだという。
何とか事態を止めようとしたものの、その努力も虚しくホルバ村の住人は全てアルラウネにされてしまったのだそうだ。
にわかには信じ難いが、他ならぬシャニーの話だ。
下手な嘘をついている様子もない、とトランは信じることにした。
自分の故郷だから、と油断していたのは間違いなかった。
村の違和感に気付きながら村人たちを疑わず、その正体を見極められなかった。
そんな状態でありながらも森に入り、まっすぐ隠れ家を目指してしまったことも悔やまれる。
何よりも、森の老樹の前に仕留めた子鹿を何気なく捨て置いたのが一番の失態だ。
村の狩猟団の熟練者なら、あれが血抜きもされていない獲物だとすぐにわかるはずだ。
あんな場所に打ち捨てれば、自分があそこでシャニーと出会って逃げたのだ、と教えているようなものだ。
村に戻った自分を、今のホルバ村の住人たちは決して見逃しはしないだろう。
だが、それに気付いた時には全てが遅すぎた。
彼らは既に、近くまで迫っていたのだから。
――時はしばらく遡る。
「ようやく見つけたぞ、シャニー」
森の大樹から村とは反対側へと向かうトランとシャニーの後方から、聞き覚えのある声が響いた。
トランは背後を振り返り、薄暗くなった森の先に目を凝らす。
距離にして三〇歩ほど向こうだろうか、一〇人以上の人影が見える。
見覚えのある年配の顔も見られることから、おそらくは狩猟団の面々だ。
左右の茂みの向こうからも五、六人ほどの気配が感じられる。
そして、もう一人。
「トランもよくやってくれた。
ご苦労だったな。
さあ、二人とも村に帰ろう」
「……話はシャニーから全部聞いたよ。
全部アンタの仕業なんだってな、村長。
いや、村長の偽物と言った方がいいのかな」
既にシャニーから全ての話を聞かされていたトランの言葉に、温厚さを見せていた村長の顔が豹変する。
「偽物などではない!
私は今までも、そしてこれからもホルバ村の村長だ!」
よりにもよって、シャニーの父親であったはずのこの男が全ての原因だというのである。
それも、その理由が馬鹿げている。
「ミリア教の神官に誑かされたんだってな。
今のままの平穏なホルバ村を永遠のものにすることができる、だったか。
それで自分をアルラウネにしてもらって、村人たちも自分に従うように仕向けて殺してアルラウネを生み出したそうじゃないか。
そりゃあ、娘も家出するわけだ」
「黙れ、小僧。
永遠の平穏を望んで何が悪いのだ。
全ては村のためだというのに、なぜわからぬ。
お前も、シャニーも、お前の両親もだ!」
「それは、アンタだけの理想だろう?」
向き直ったトランの双眸が、村長を冷たく見据えた。
「誰も自分が死ぬことなんて望んでいなかったはずだ。
なのに、アンタが強引に村の人間を殺してアルラウネに替えてしまったから、ホルバ村は歪になっていったんだ。
そうと知ったから、親父とおふくろはアンタに従わなかった。
その二人を、アルラウネにするわけにはいかなかった。
だから村にいなかったんだ。
病気で死んだなんて嘘つきやがって……アンタが二人を殺したんじゃないか。
絶対に許さねえからな!」
すかさず、トランは懐の隠しからこぶし大の赤い宝珠を取り出して前方に投げつけた。
地面に叩きつけられて割れた宝珠が強烈な光を放ち、森の中が眩い光に照らし出される。
魔術師ザルファーから強引に持たされたこの特製の宝珠は、もともとは救援信号として使うためにあの老人が自作した物らしい。
ただし、放出された魔力の光を直に見ると視覚が一時的に使い物にならなくなるため、パーティーに居た頃は目潰しとして利用していたのを覚えている。
追い詰められそうになったら使え、とは聞いていたが、まさかこんなにも早く使うことになるとは思ってもみなかった。
村長たちが目を眩ませている隙にトランは素早く弓を構え、矢継ぎ早に連射する。
高速の矢が、村長と狩猟団員たちの胸を的確に撃ち抜いていく。
魔光に満ちた森の中を、トランだけは見通していた。
かつてのパーティーリーダー、騎士ユークからの餞別である防魔の首飾りのおかげだ。
魔力の影響を大きく軽減できるこの首飾りを身につけているからこそ、魔光の影響を受けずに済んでいる。
だが、そのトランが目にしたのは、矢に貫かれてなお平然と立っている村長たちの姿だった。
(くそッ。
やっぱり、この程度じゃあ倒せないか)
アルラウネのしぶとさを改めて思い知らされたトランは、思わず舌打ちする。
ほどなく宝珠の効力も落ち着いて、ただ辺りを照らす程度になってしまうだろう。
その前に、不利を補わなければならない。
仕方なくトランは狙いを変え、再び連続で矢を放つ。
狩猟団員たちが手にする弓を次々に射抜き、破壊していく。
これで少なくとも、この場にいる狩猟団員の面々に弓を射かけられる心配はなくなった。
「よし。
逃げるぞ、シャニー!」
「ええ!」
もはや長居は無用とばかりに、トランは隣のシャニーの手を引いた。
宝珠のことを事前に知らせておいたシャニーは目を背けて難を逃れており、逃げるのに支障はない。
「ええい、小癪な真似を。
追え、二人を絶対に逃がすな!」
ついに宝珠の光が収まり、背後から聞こえてくるのは村長の怒号。
急いで逃げ出した二人は、それから半刻ほど追っ手をあしらいながら逃げ回ったのである。
(ここまでは、どうにか凌いで来られたが……)
これまでのことを思い起こしつつ、トランは背中の矢筒に右手を回した。
残る矢数はあと五本。
アルラウネたちを相手取るには、絶対的に数が足りない。
最初に村長たちと弓を狙って惜しみなく矢を射かけた上に、ここまでの道中でも追っ手の足を止めるために少しずつ消費してしまったためだ。
これ以上の無駄使いはできない。
(……正直、これほど精神的にもキツい戦いは、今までの冒険でもなかったな)
トランは思わず自分の胸に手を当てる。
ここまで彼が弓を向けた相手は、アルラウネとはいえ元はホルバ村の住人――それも知り合いだった人たちばかりだ。
人間ではないと分かっているものの、親しかった人物の姿をした者を攻撃するという行為はトランの心を想像以上に揺さぶり苦しめていた。
(強く心を持たないとやられるな、これは)
そんなことを考えていると、茂みの中を突っ切ってきたらしい追っ手二人が左右から襲いかかってきた。
左からの一人に対して、シャニーが投石紐を振り抜き、石つぶてを放つ。
掌に収まる大きさの石がガツン、と鈍い音を立てて追っ手の頭部に直撃し、その身体を大きく後ろに吹き飛ばした。
拠点に通うようになったシャニーは、狩猟にも興味を示した。
最初にトランは弓を教えたのだが、どうにも狙いが定まらなかったのと胸当てが窮屈で苦しいという理由で、早々に投げ出してしまった。
そこで次に教えたのが、弓が扱えない小さな頃に父から教わった投石紐だった。
一見頼りないが、小動物ぐらいならこれでも仕留められるし、大型の獣でも当たり所さえ良ければ昏倒させられるかもしれない。
麻を編んで投石用の紐を作って使わせたのだが、これをシャニーはいたく気に入り、一人練習に励んでいた。
あれからどれほど修練を積んだかは知らないが、その腕前はかなりのものになっているようだ。
見知った仲であるはずの相手にも躊躇いなく撃ち込めるその非情さを、今は見習わなければならないだろう。
「接近戦は弓士の本分じゃないんだけどな」
トランもまた右の一人を迎え撃つべく、腰の山刀を引き抜いた。
短剣を抜いて迫る男が逆手で振り下ろす瞬間に合わせ、トランは山刀を薙ぎ払う。
狙い澄ました一撃がその手首を勢いよく刎ね飛ばし、更に返す刀で脳天から叩き割ると、男は崩れ落ちた。
(すげえな、この山刀)
他ならぬトランが、この切れ味に驚いていた。
この山刀は長らくトランが愛用していた物ではなく、別れ際にバーツが押し付けて渡してきた一品だ。
作りこそ以前の物とあまり変わらないが、見た目以上に軽いうえに丈夫で鋭い。
試しに振った時はあまり気にしていなかったが、剣の扱いにそれほど長けているわけではないトランがこうしてアルラウネの頑丈な身体を難なく切り裂けるのは異常なことだ。
おそらく、目立たない箇所に魔力付与を施してあるのだろう。
これなら何とかなるかもしれない、とわずかな期待を膨らませて背後の様子を顧みたトランだったが、それは甘い考えだった。
仲間が剣で切り伏せられるのを見た他の狩猟団員たちは接近するのをやめ、短剣を一斉に投げていたからだ。
その数、約一〇本。
一、二本なら山刀と左手の弓で防げるかもしれないが、二〇歩程度の距離からアルラウネの力で投げつけられれば、見てから避ける猶予などない。
やられる、と思った次の瞬間、トランの目の前にシャニーが両手を広げて立ちはだかった。
一斉に投げつけられた短剣のうち、トランに当たるはずだった四本をその身で受け止め、シャニーの身体が後ろによろめく。
「シャニー!」
トランはすぐさまシャニーに駆け寄って体を支えるとともに、傷の具合を確かめた。
胸の中心、左肩、右脇腹、左太腿に短剣が深く突き立っている。
特に胸の中心は普通なら致命傷だ。
ところが、刺さった部分からは一向に血が滲み出てこない。
そして、当の本人であるシャニーはほとんど痛がる様子を見せていない。
「……ごめんね、トラン。
言い出せなかったんだ」
「お前は何も悪くないんだろう?
気にするなよ」
トランは気遣って、悲しい表情を見せるシャニーの頭をそっと撫でた。
薄々、気づいてはいたのだ。
森の大樹の高い場所から、難なく着地していたこと。
冒険者である自分が息を切らして走っていたのに対し、彼女は何の苦もなく走り続けていたこと。
ただの投石紐による石つぶての衝撃で、アルラウネが異常なくらい吹き飛ばされていたこと。
アルラウネに関してあまりに詳しすぎたのも気になっていた。
決定的だったのは、シャニーとともに逃げようとしてその手を取った時だ。
人間では有り得ない冷たさと感触に、はっきりと気づかされてしまった。
彼女もすでに、人ならざる身であるということを。
「わかったであろう、トランよ。
シャニーももはや我らと同じアルラウネなのだ。
ともに在りたいのであれば、私とともに来い。
悪いようにはせんよ」
言いながら、遅れてやってきた村長が姿を現した。
散り散りになっていたのが集結したのか、新たな狩猟団員を六人もそばに従えており、そのいずれもが弓を構えてトランに狙いを定めている。
短剣を投げ終えた追っ手たちも、逃がすまいとじりじり近寄ってくる。
「トラン、駄目よ。
絶対に信じてはいけないわ。
私が少しでも足止めするから、あなたは逃げて」
「女を見捨てて逃げろって?
そいつは聞けない相談だな」
覚悟を決めて振り向くと、トランは村長に山刀を向けた。
「シャニーとアンタを一緒にするな。
アルラウネは、元の人間の遺志に固執して生きるそうだ。
このシャニーは、アルラウネとして生まれてなお俺のことを助けてくれた。
それに比べて、アンタはどうだ。
自分の理想のために村の皆を殺し、実の娘まで死に追いやった。
結局は俺も殺して、アルラウネの偽物と交代させるつもりなんだろう?
アンタに従うのは死んでも御免だぜ」
「……そうか。
ならば望み通りにしてやろう。
皆の衆、トランを殺すのだ!」
村長の号令の下、決死の戦いが始まろうとした、まさにその時。
突如として、トランとシャニーの後方からバリバリと音を立てて紫電が迸る。
それは二人を避けるような軌跡を描きながら、今まさに襲い掛かろうとしていた村長たちを撃ち抜いた。
村長たちはなおも倒れはしなかったが、電撃によって痺れて自由に動けないでいる。
見覚えのある魔法だと気づいたトランは、はっとして後ろを振り向いた。
いつの間にか、そこに浮かび上がっていたのは魔力によって描かれた大きな魔法陣。
その前に、一人の人物が立っていた。
「ふむ、どうやら間に合ったようじゃの」
トランの姿を認めて、彼は安堵の笑みを浮かべる。
果たしてそこにいたのは、王都にいるはずのかつてのパーティー仲間、老魔術師ザルファーだった。




