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冒険者トランの帰郷 その2

 三〇歩ほど先の深い茂みから、二匹の鹿が飛び出した。

 親子なのだろう、大きい鹿とやや小ぶりな鹿だ。

 トランはすかさず愛用の弓を向けると、流れるような動作で矢を射放つ。

 ヒュン、と風を切りながら、矢は駆ける小さな鹿の首に突き刺さった。

 子鹿はそのまま絶命して倒れ、親鹿はそれを尻目に遠くへと逃げ去って行く。


「この大きさなら、アイツへの手土産に手頃かな」


 トランはそう呟きながら狙い通りに仕留めた小鹿に駆け寄ると、突き刺さった矢を引き抜いた。


 この矢は、彼が自前で作ったものだ。

 それも、元々は幼い頃に狩人であった父から教わった技である。


 父には感謝しなければならない。

 幼い頃から弓の扱い方を教わり、十二歳になった時には村の狩猟団に参加させてもらえるまでの腕前になれた。

 一獲千金を目指して冒険者になりたいと告げた時も、母と共に背中を押して旅立ちを認めてくれた。

 弓士アーチャーとして仲間と共に幾多の修羅場をくぐり抜けることができたのは、父直伝の弓術のおかげと言っても過言ではない。


 そうした経験を積み重ねてきた今のトランにとって、慌てて逃げる鹿を射抜くことなど造作もないことだった。


 それにしても、とトランは周囲を見回す。


 久しぶりに入ったこの森の中は、草木がしげり過ぎて随分と進みにくい。

 通る人間が少なすぎて、人の道が無くなりつつあるのだ。

 そのせいなのか、周囲に溢れる動物の気配もまたあまりに多過ぎる。

 ここしばらくは、この森で狩りが行われていないことがうかがい知れた。


 森に動物が増え過ぎると、自然の実りだけでは動物達の腹を満たせなくなる。

 そうなると、森の動物達は人里に現れて畑の農作物を食い荒らすようになる。

 それを防ぐためにも、狩猟というものはホルバ村にとって必要不可欠なことだと言っていい。


 今は夏場、ちょうど農繁期のうはんきだ。

 理由はともかくとして、狩猟が行われていないなら尚更のこと、害獣への対策が為されていなければならない。

 だが、トランがざっと見た限りではホルバ村の畑周辺でそういった対処はされていなかったように思われた。

 そしてそれにも関わらず、害獣の被害に困っている様子は全くない。

 一見喜ばしいことではあるが、普通ならありえないこの状況がトランの疑念を更に深めていた。


 ――森の動物たちが近寄りたくないような存在がホルバ村にいる、と。


(それも含めて、アイツに訊ねてみないとな)


 トランは気を取り直して仕留めた子鹿を担ぎ上げ、先を急ぐことにした。

 肉の味を左右するので血抜きを行いたいところではある。

 だが、日が傾きつつあり、ただでさえ薄暗いこの森の中で悠長にしていては、日が暮れて暗闇になった森の中を進まねばならなくなる。

 さらに、血の匂いで夜行性の獰猛どうもうな肉食獣を引き寄せてしまう可能性も考えると、辺り一面深い茂みばかりで見通しの悪いこの場所ではあまりに危険だ。


 幸い、目的地はそこまで遠くない。

 もうしばらく進んだ先にある大きな川を、手前にある大きな木の枝を渡って越えれば、すぐそこだ。

 血抜きを行うのは幼馴染と会ってからでも遅くはない――この時のトランは、そう考えていた。






 森の中心部に、一際巨大な老樹が一本そびえている。

 村ができる前からあったと言われているから、樹齢は千年をゆうに越えているだろう。

 一〇人以上の大人が手を繋いでも囲めないほどの幹回りを持つこの大木は、地面に露わになった幾つもの太い根で辺りの地面を覆い、この近辺だけは他の草木を寄せ付けない。


「懐かしいな」


 目の前にそびえ立つ巨木を見上げながら、トランは感慨深く呟いた。


 初めてこの大樹を目の当たりにした時は、あまりの大きさに驚かされた。

 今にして思えば森の守り神として崇められていてもおかしくないような古木なのだが、ホルバ村ではそんな信仰はなかった。

 せいぜい、一五歳に満たない子供は危険だから森に入ってはいけない、という村の決まりがあったぐらいだ。

 だが、村の狩猟団に参加することを許されたトランだけは別だった。

 そして、当時まだ一五歳未満だった彼にとって、他の子供がやってこないこの森の大樹は格好の遊び場となった。


 もちろん、トランはただ昔を懐かしむためにここにいるわけではない。

 この場所が目的の場所だからである。


 その時、今まで見ていた高い位置にある太い枝ががさりと揺れるとともに、木の上から人影が飛び降りてきた。

 体勢を崩すことなく見事に着地して見せたのは、やはり見覚えのある面影の女性だった。


「待っていたわ、トラン」


「やっぱりここにいたな、シャニー」


 かつて村にいた頃のように互いに気安く声を掛け合うと、彼女はにこりと微笑んだ。


 十五年ぶりに会った幼馴染は、すっかり大人の女性になっていた。

 一緒に遊んではしゃぎ回ったとは信じられないくらい、女の色気を身につけている。

 短かった栗毛は長く伸ばしたようだが、後ろで馬の尻尾のように束ねて邪魔にならないようにしているのは明朗快活な彼女らしい。

 冒険者稼業で各地を巡り、多くの女性に出会ってきたが、今のシャニーはその誰よりも魅力的に思えた。


 思わず見とれてしまいそうになるのをぐっとこらえて、トランは再び目の前の巨樹を見上げた。


 鬱蒼うっそうと茂る枝葉の奥にうっすらと見える、家屋の輪郭。

 それは、トランが村に居た時に自分で作りあげた隠れ家だった。


 狩猟団に参加するようになったトランは、小動物の狩りと野草の採取であれば単独でおこなってよいと許しを得ていたので、これ幸いと森に入っては合間を見て何度もここに通った。

 最初はただよじ登ったり飛び降りたりして楽しんでいただけだったが、次第に狩猟や採取の拠点みたいなものを作りたいと思い立った。

 丈夫そうな木の枝を利用し、下から見上げたくらいでは見づらい程度の高い位置に土台を設置した。

 虫が落ちてくるのが嫌だからと、四隅に柱を立てて屋根も作った。

 どうせなら雨風もしのげて休めるようにと壁板を張り、樹上の小屋ができあがった。

 必要な道具や簡素な寝具も持ち寄り、ついに拠点を完成させたのである。


「この上から来たってことは……まだ残ってるのか、アレ」


「そりゃあもう、ちゃんと手入れまでしてあるわよ。

 今もアタシが利用させてもらってるんだから」


 自作の隠れ家の居心地を一人で満喫できたのは、たったの二〇日程度だった。


 その日、トランが単独の狩りで仕留めた野兎を手に拠点の大樹まで戻ってくると、そこにはめそめそ泣いているシャニーの姿があった。


 元々、自由を好むシャニーは厳格な父親だった村長と反りが合わなかったらしい。

 その二人の仲を取り持っていた母親が、ちょうどその頃に亡くなったのである。

 結果、束縛を強めた村長と激しい口論になり、シャニーは家を飛び出したのだ。


 他に行く当てもなくトランの家に向かったが、もちろんそこに彼はいなかった。

 おそらくはここにいるのではないか、とトランの父から森の大樹の場所を教わり、この場所にやってきのだという。


 この隠れ家の存在を、トランは村の皆には秘密にしていた。

 両親にも森の中に住処を作ったことだけは伝えたが、詳しい場所までは教えていない。

 それなのに、あっさりと居場所を当てられてしまったのだから、トランは驚きつつも自分の父親の勘の鋭さに感心するしかなかった。


 それからというもの、父親と何度も喧嘩して家を出るたびに、シャニーは隠れ家に通うようになったのである。


「相変わらずだな、お前は」


「そんなことないわ。

 ずいぶんと変わってしまった。

 私も、あの村も」


 うつむいたシャニーの表情が、かすかにくもる。

 だが、すぐに毅然きぜんとして顔を上げ、まっすぐにトランを見た。


「すぐに出発しましょう。

 あなたは、ここに帰ってきてはいけなかった。

 急げばまだ逃げられる。

 私のために持ってきてくれたようで申し訳ないけれど、その仕留めた鹿はここに置いて行って。

 邪魔になるわ」


「捨てなきゃ駄目か?

 もったいないな」


「そうしないと、()()にすぐ気づかれてしまうから。

 全てはあなたの安全のためよ」


 そう言うと、シャニーはくるりと振り向き、森の奥へと向かって歩き出した。

 仕方なくトランは担いできた獲物の子鹿を放り捨て、シャニーの後を追いかける。


「……そんなに不味い状況なのか。

 村がおかしいとは何となく思ってたけど、一体何があった。

 ()()ってのは何だ?」


 トランの言葉に、シャニーの歩みが止まる。

 詳しい話は道中話すけど、と前置きすると、シャニーは振り返らぬままにこう告げたのである。


「今あの村にはもう、生きている村人は一人もいないの。

 皆、村人達を元に生み出されたアルラウネっていう化け物なのよ」

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