そして彼女は開祖となる
こつ、こつ、こつ。
陰湿で暗い地下牢獄の中を、幾人もの足音が通り抜けていく。
やがて、足音達は一つの鉄格子の前で立ち止まり、その中の一人が前に出た。
ここラハード王国の王太子たるグレイン王子である。
「聖女ミリア。
いや、今や魔女ミリアか。
この地下牢に入れられて五日、女のお前にこの汚い場所はさぞ辛かろう。
そろそろ、心変わりには良い頃合いではないか?」
「……ご冗談を。
主への信仰を捨てて殿下の奴隷になるなど、死んでもお断り致します」
そう答えながらも、ミリアは石畳の牢屋の中で跪き、目を閉じて手を組み、祈りを捧げ続けている。
顔は少しやつれ、身に纏う神官衣は薄汚れてしまっているが、その静謐な様子は聖女と呼ばれるにふさわしい居住まいだった。
「それこそ冗談だろう。
神に延命を祈りながらマンドラゴラに血を捧げて死ねば苦しみから逃れられる、などと人々をかどわかして何十人もの人々を殺めた邪教徒の言い草ではないな。
本来なら即刻死刑のところを、私からの寛大な処置で許してやろうというのだ。
感謝して敬ってもらいたいな」
「何度言われようと私の心は変わりません。
どうぞ、お帰りください」
「強情な女だ。
まあいい、処刑まであと五日もある。
早いうちに私に従ったほうが身のためだぞ」
では待っている、と言い残してグレインは身を翻すと、引き連れてきた護衛達と共に立ち去った。
(全く、諦めの悪い方ですね)
ミリアは心の中で嘆息する。
最初に出会った時から、グレインの印象は最悪だった。
国王に伴われて王都の教会に訪れたあの王子は、劣情の目で舐め回すようにミリアを見ていたのだ。
その瞳の奥に渦巻く邪悪な狂気を、ミリアは敏感に感じ取っていた。
あまりの嫌悪感に、その後しばらく怖気が止まなかったのを今でも忘れはしない。
隷呪を刻まれて彼の奴隷となったが最後、どんな扱いを受けるか知れたものではなかった。
そして、主への信仰を捨てろ、とは。
それこそミリアには有り得ない選択肢だった。
勇者達によって魔王が倒されて、かれこれ百年余り。
魔族や魔獣に脅かされることのない平和な世の中にはなったが、いまだに飢えと貧困に苦しむ人々は大勢いる。
一方で、王家や有力貴族達は私腹を肥やし、ただでさえ貧しい者達から更に富を搾り取るべく躍起になっている。
だから、ミリアは彼らを救うべく力を尽くしてきたのだ。
各地を回って神の教えを説きながら、神の力を借りて人々の病気や怪我を癒したり、心ばかりの施しを与えたりもした。
結果として聖女と呼ばれるようにはなったが、当のミリアは自分の力に限界を感じていた。
どんなに頑張っても、飢えと貧困は無くならない。
自分一人で頑張ったところで、それは微々たるものでしかないのだ。
人々を救うためには、もっと大きな力に動いてもらわなければならなかった。
ラハード王家や貴族達に助力を求めたりもした。
だが、彼らは考慮すると答えながらも、実は全くその気がない様子が窺い知れてしまった。
この方々は当てにならない。
主の威光も、彼らを動かす動機にはなってくれなかった。
だが、他にどうすれば人々を救えるというのか。
ミリアがアルラウネの存在を知ったのは、そう思い悩んでいた時期のことだった。
ある日、禁書の整理を任された時に、たまたま開いた禁書の頁で見つけた記述。
血を浴びたマンドラゴラは、その血の主の姿と記憶をそのまま受け継いだアルラウネになること。
そうして生まれたアルラウネは、今も実在しているということ。
打ちひしがれていたミリアは、これこそ天祐だと思った。
人であるがゆえに飢えるのだ。
人であるがゆえに貧しくなるのだ。
アルラウネであれば、そんな心配はしなくて済む。
幸福に生きたいという想いとともに、命をマンドラゴラに捧げるのだ。
そうすれば、アルラウネは想いを受け継ぎ人生を全うしてくれることだろう。
主は、祝福に値しないものを生み出したりはしない。
アルラウネこそが主の遣わした救世主なのだ。
迷いを振り払ったミリアの行動は早かった。
まずはマンドラゴラを集める必要があるが、死をもたらす叫び声をどうにかしなければならない。
禁書には犬に牽かせよと書かれていたが、それでは毎回犬を殺してしまうことになる。
幸いというべきか、アルラウネにはその叫び声が効かないらしいので、ミリアは自分のアルラウネを作って全てを託すことにした。
各地を巡りながらマンドラゴラを探し、それらしき野草を見つけては己の血を分け与えていったのである。
一番最初に血を分け与えたマンドラゴラは、今頃アルラウネとなってミリアの想いを果たしてくれていることだろう。
グレイン王子の言っていた行いをしたのも、きっとミリアの姿をしたアルラウネに違いない。
そのために無実の罪に問われて処刑を待つ身となっているのだが、ミリアは決して後悔などしていなかった。
――私が死んでも、悲願は成就される。
誰もが飢えもせず貧しさに困ることもない、真なる平和な世界。
やがて来たるその未来を自分の目で見られないのは残念だが、あとは彼女らに任せよう。
この願いを成し遂げるのは、何も自分である必要はないのだから。
処刑執行の日の朝。
やってきた兵士に促されて牢屋を出され、ミリアは連行されていく。
地下牢の出口まで来たところで、グレイン王子が待ち受けていた。
「結局、私に泣きついては来なかったか。
お前の見せかけの信仰とやらが命を代償にしてまで守り抜くべきものとは、俺には到底思えんのだがな」
「あなたがそう思うのは、自分の事しか考えていないからです。
信仰を捨ててあなたに従うということは、人々を助けるのをやめるということ。
それは、私には決して受け入れられません」
「死ねば、どのみち助けられんだろう。
私に従えばお前の命だけは助かるというのに、頑迷なことだ」
「……あなたには、一生わからないのでしょうね」
嘲笑うグレインに、ミリアは冷ややかに答えた。
そもそも彼ら高貴な血筋の方々が民草のことをもっと気にかけてくれたなら、最初から臣従しているはずなのだ。
いくら王家の人間とはいえ、人を顧みない人物に従う気は毛頭なかった。
「これ以上の話は時間の無駄のようですね。
ではさようなら、殿下」
「ああ。
その澄ました顔が、恐怖に染まるさまを見るのが今から楽しみだ」
愉悦の笑みを浮かべるグレインの横を通り過ぎていく。
やはりこの人は、性格がひどく捻じ曲がっているようだ。
――でも、その余裕がいつまで続くかしら。
ラハード王家はミリアを処刑すれば万事解決と思っているかもしれないが、大きな間違いだ。
ミリアの分身たるアルラウネ達は、これから次々に現れるはずだ。
これは終わりではなく、始まりなのである。
そのお言葉がご自身に返らないと良いですわね、とミリアは他人事のように思うのだった。
やがて辿り着いた刑場には、すでに大勢の人々が詰めかけていた。
罵詈雑言を浴びせられるだろうかと覚悟していたが、ミリアが見たのは大半の人々が自分のために手を組んで拝んでくれている光景だった。
(こんなにも、私に共感してくれた人達がいる)
自分のやってきたことは決して無駄ではなかった、とミリアはようやく実感することができた。
悲しまないで。
すぐに、あなた達の元に救いの手が差し伸べられるだろうから。
「どうか皆様方に、主の祝福があらんことを」
縄で固く縛られた両手を胸元で組み、ミリアは駆けつけてくれた人達を前に最後の祈りを捧げた。
聖女ミリアの処刑は執行された。
邪教に堕ちた魔女として、火に焼かれたのである。
業火に包まれながらも、ミリアは苦悶の声一つ上げることはなかったという。
彼女は最後まで、敬虔な聖女としての威厳を守り通したのだった。
人々はその姿を哀れみ、彼女は魔女ではなかったのだ、と王家を糾弾した。
更にその後も、死んだはずの神官ミリアの姿が同時期に各地で報告されるようになった。
ようやく事態の深刻さに気付いたラハード王家だったが、既にミリアのアルラウネは国中に散らばってしまっている。
ラハード王家は各地に派兵して収拾を図っているが、ミリアの教えに賛同する者は多く、沈静化には至っていない。
処理を任されたグレイン王子は対応に苦慮し、日々大いに荒れているという。
やがて人々はミリアを讃え、その教義をミリア教と呼んで信仰するようになった。
今もミリア教は密やかに、そして着実にその勢力を広めている。
各地を巡る、ミリアの姿をした何十人もの神官達の手によって。




