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御伽クライ  作者: 祭神輿
第二章
8/135

キャットファイト論破


 私はクッキーと茶葉をお土産に、離れに帰る道を歩く。最後のあのセリフを聞いた時の私の顔は絶対にスペースキャットになってた。


 なぜヴァイスさんがあの話を最後にしたのか――暗に、ヴィオさんがあのまま目覚めなければ、真実の愛とやらに見放された女性達のように燃やされていたという事だろう。

 まったく心底胸糞悪い。何がって、話して、軽口叩き合って、一緒にご飯を食べて。そんな人が生きたまま火葬されてたかもしれない事実がだ。


 初日の殺人未遂事件もそう。瓶詰めの殺し屋2人は奥様の側仕えが持っていったっきりで、何処かに行ってしまったらしい。たぶん証拠隠滅された。あの2人組を雇ったのは恐らく奥様だろう。


 ヴィオさんの魔法が消えた事から目覚めた事を知り、消しに来たんだ。朝のコックも、なぜ執念に朝食を作ろうとしたのか理解した。

 また毒でも盛る気だったに違いない。それが私に追い返されて失敗続きだったからボロボロだったのだ。今朝は折檻(せっかん)でも受けていたのだ。


 悪意、悪意、悪意。

 そこには醜い嫉妬と加虐心、憎悪が詰まっていた。


 奥様はなぜ手に入れたのにあんなにも憎み恨む?

 なぜヴィオさんがそんなモノに晒さなければならない? なぜその立場に甘んじているのか。その心が、私には理解できなかった。


 幼馴染(旦那様)が他の女に取られたのは自業自得だろう? 取られたくなかったのなら誰よりも先に行動に移せばよかったのだ。親を丸め込んで婚約者に立てるなど、やりようはいくらでもあっただろう。


 なぜ、ヴィオさんを眠らせる選択肢を取った。

 さっさと殺してしまえばよかっただろう?


 それをしなかったのはきっと、旦那様に汚い部分を見せたくなかったのだ。自分が薄汚れた汚い人間だという事を自覚したくなかったのだ。だから、目覚めなかった場合に火葬という正攻法で殺せる選択をした。自分の手を直接汚さなくていいから。


 でも、何でそんな思考になるのだろう。

 旦那様は知らないが、恐らく屋敷で働く皆が奥様の汚い部分を知っている。バレているなら隠す意味なんて無いじゃないか。恋に狂う女は理解できない。

 ヴィオさんも、なぜあんな理不尽を許容している? なぜやり返さない。相手は殺す気があるのだ。うっかりやり返したとて、誰もヴィオさんを責めたりしないというのに。


 攻撃するものは、相手にやり返される覚悟がなければならない。向こうもきっと、やり返されても文句は言いまい。


 人って本当に面倒くさい生き物に進化したよなぁ。脳が発達したぶん、思考回路が複雑すぎて疲れてしまう。私はお土産のクッキーを1つ口に入れた。


 糖分補給〜と鼻歌を歌っていると、前方を見てうげぇと顔をしかめた。ヴィオさんと馬鹿兄弟が何か話している。馬鹿兄弟の間には見知らぬ女性が俯きがちに立っているのも見える。彼女でも自慢しに来たのか?


「お前が寝こけてる間にレディ・アメリアは完全にお前とは婚約破棄、俺の婚約者になる事が決定した」

「ヴィオ兄さんは僕らが当主になんてさせないし、当主になれない奴にアメリア嬢は勿体無いでしょ? 第一、ヴィオ兄さんは寝てて成長止まってたから、年齢が釣り合わなくなってどっちみち結婚なんて出来ないけどねぇ」


 ああ〜修羅場ですね。ごちそうさまです。

 まじでこいつら何なの。暇なの?

 跡取りになるんなら旦那様について行って社会勉強するとか無いの? 小説でしかこんな場面見たこと無いよ。


「てやっ」


 私はヴィオさんの背後に立ち、膝をかっくんする。いきなりの事に「うわっ」と声を上げ、バランスを崩したヴィオさんの両脇に腕を差し入れ、固定するように支える。


「こんな所で何してるんですか?」

「いや貴方こそ、何してるんです?」

「いやぁ、場の空気を和ませようかなと」

「相変わらず難解な思考回路ですね……」


 「クレイジー……」と小さく呟くヴィオさんをジト目で睨む。失礼な、クレイジーじゃなくてエキセントリックと言ってほしい。不満を(あらわ)にした私に向かって鼻で笑うのはムカついたので、脇に手を刺した。ヴィオさんは「ぐふっ」と息を吐いててくずれ落ちた。ざまぁ。


「……仲が、よろしいんですね」


 私達の言葉の応酬を見ていた女性が遠慮がちに呟いた。


「そうですかね。歳も近いし、このくらいふつうでは? ところで、あなた様はどちら様でしょう。私はオトギと言って最近ヴィオ坊っちゃんの使用人になった者です」

「おいまて、坊っちゃんはやめろ」

「シャラップ! いま私が話しているのはこの女性です」

「……アメリア・リコリスと申します」


 アメリア・リコリスと名乗る女性はおずおずと礼をした。何か泣きそうなんだが、なんで? 私の顔、怖かっただろうか。


「はぁ、婚約者が居なくなったらほかの女に乗り換えか。男の名折れだね。せめてアメリアさんのいない所でやってよ」

「あ"ぁ?」


 私のドス声を聞いてリコリスさんが肩をビクッとさせる。いっけなーい殺意殺意☆ つい地で低い声を出して怯えさせてしまった。


「ん"ん"ッ(咳払い)、聞きづてならない事を聞いた気がするんですが。ほかの女に乗り換え? もしかしてその他の女とは私の事ですか?」

「ほかに女なんて居ないだろ?」


 おい、その駄目な生徒を見る顔を今すぐやめろ。肩をすくめるな顔を左右に振るな。


「どうしてそんな愉快な考えに至ったんですか? シンプルに不愉快です。私はただのいち使用人です。断じて、だ・ん・じ・て、その様な事実はありません」

「はっ、よく言うな。そいつが目覚めたということは真実の愛って奴をもたらす女が現れたってことだ。そして、君が目覚めさせた。つまりはそういう事だろう?」


 この言葉を聞いてリコリスさんがより一層顔を歪めた。

 いまから泣きます10秒前みたいな顔。


 つまり、どういう事? 真実の愛とか知らないんだが。


 はたして「やべぇこの人死んでる大丈夫??」って思うのが真実の愛なんだろうか。そんでもって何でそんなに裏切られたみたいな、悲劇のヒロインみたいな顔をしてるのだろう。訳わからん。あんたよりヴィオさんの方がよっぽど悲劇のヒロインなんだが。寧ろヒロインなんだが。


「私はいいんです。ヴィオ様が目覚められただけで……例え一緒になれなくても嬉しいですから……」


 顔を伏せ、目を閉じる。

 頬に美しい涙を一筋落とす様は可憐で、これぞか弱い女性の象徴であった。


「ヴィオ様の運命の人は、私ではなかったのですね」



 ――プッツン


 それは、私の堪忍袋の緒が切れた音だった。


 さて、私は自分に(あだ)なす奴が嫌いである。

 少しも考えず、ただいっときの感情でのみ相手を糾弾(きょうだん)するやつも嫌い。私が好ましいと思ってる人を悪く言う奴も嫌いだ。


 つまり、何が言いたいかというと――

 こいつらが心底嫌いだ。そりゃあもう本能的に。

 私は軽蔑の眼差しで3人を見た。


「運命の人とか、リコリスさんはたいそう頭の中がメルヘンチックな人なんですね。甘ちゃん過ぎて、砂糖が口からむせび出そうです」


 フッと鼻で笑うと、ここにいる全員が口を開けた。

 みな見事に同じ顔、間抜けっ面を晒している。


「運命の人とか言ってるけど、目覚めさせる条件で重要なのは運命の人かどうかじゃなくて愛の方でしょう。裏切られたみたいな雰囲気出してますけど、あなたが真実の愛とやらでもって起こして差し上げればよかったじゃないですか。婚約者だったんでしょう?」


 まさか自分が悪く言われるとは思っていなかったのか、焦った様子で反論しだす。


「そ、れは! だって、私は近づけなくて」

「じゃあもうしょうがないじゃないですか。あなたにはヴィオさんをどうしてでも助ける気がなかった。ヴィオさんがあなたを選ばなかったんじゃない。あなたがヴィオさんを助けに行かなかった、選ばなかった。全部、あなたの選択した末の結果でしょう?」

「そんな、ひどいっ!!」


 リコリスさんはついに泣き出した。

 男どもはそんなリコリスさんを見てオロオロとしている。

 取り乱しすぎてウケる。


「何が酷いんですか? 酷いのはそっちでしょう? 毒を受けた婚約者見捨てて、成り行きに任せて別の男の婚約者になって、見捨てたくせに謝りもしない。しかも? 運命の人じゃなかった? ははは―――片腹痛いんだよ」


 本当、滑稽だ。こんな思想の女、物語にしかいないだろと思っていたがまさか実在するとは。これがシンデレラ・コンプレックスと言うやつだろうか。

 大体、何をしてでも助けに来ない時点でこの女に真実の愛とやらは備わってなんかない。ヴィオさんの元に来れても目覚めさせるなんて無理だっただろう。


 その事を告げると、リコリスさんは下を向いていた顔を上げてキッと私を睨む。


「だって、ヴィオ様は勉強ばかりで私を全然見てくれなかったわ!! 私は毎日優秀なお兄様たちに囲まれてッ、毎日比べられて……トニオ様やライト様はたくさん私を励ましてくれたけど、ヴィオ様は一緒に勉強しましょうだなんて……当てつけのつもり!?」

「いやそれ関係ないから」


 なんで自分のことこれみよがしに下げて話すかな。被害妄想マシマシホイップクリームがけか。それ嫌味で言ったんじゃなくて一緒に勉強して認めてもらおうって話じゃないの?


 思わずヴィオさんを見ると、ヴィオさんも何言ってんだこいつみたいに私を見る。いや私にもわからないですって。


「私ばっかり責められて、私がどんなに辛かったか知らないくせに!!」

「リコリス嬢……」


 馬鹿兄弟がリコリスさんの肩を抱き、「リコリスさんは悪くないよ」とか「君は頑張ってる、素敵な子だよ」とか言っている。なにこの茶番。


「はぁ。何か当て馬にされた気分。最悪だ……もう帰ってご飯にしましょう」

「え、あっハイ……そうですね?」


 ほら行った行ったとヴィオさんの背中を押す。

 こんなツマラナイ茶番さっさと切り上げて、さっき貰った紅茶入れよ。


「実はここに来る前、ヴァイスさんから紅茶とクッキー貰ったんですよ。夕飯食べる前に少しお茶しましょう」

「は、おい待て、どこへ行く」


 ヴァイスさんの名前を出したらヴィオさんの顔色がちょっと良くなった。懐いてるのかな?


「ヴァイスさんからですか。いつ仲良くなったんです?」

「今日」

「無視するなってば」


 うんうん、ヴァイスさん物腰柔らかだし子供に優しいし、ヴィオさんが懐くのも当然だよね。私も秒で懐いたわ。


「お・い!! 無視するな!!」

「もう、何ですか? せっかく丸く収まってたのに」

「いや何も収まってないぞ!?」


 しつこい男だな。こちらは煩わしい空間から抜け出せて、そちらはこのままリコリスさんを慰めていい雰囲気になる。パーフェクトな展開じゃないか。何が駄目なんだ。


「何処もかしこも駄目な事だらけだろうが!! こんなにもか弱い女性を泣かせて、罪悪感とか無いのか!?」

「ちょっと、私もか弱い女性なんですけど」

「何処がだ!!!」


 なにこいつ、失礼な。何処からどう見てもか弱い美少女だろうが。目ん玉ついてんのか、喧嘩なら買うぞこら。



「別に不幸自慢する為に来たんじゃないでしょう。婚約破棄の話は済みましたよね。はい会話終わり、ちゃんちゃん!」

「ちょっと、レディを泣かせたのに謝罪も無し!? ありえない。酷すぎじゃない!?」


 この馬鹿兄弟しつこいうえにウザい!

 (らち)が明かなそうだしもう無視して帰りたいが、なんか離れまでついてきそうで嫌だ。実際についてきたら困るし、どうしようか。


 ……ふむ。


「私、今までまともに女の子扱いされて来なかったんです」

「は……?」



 ―回想―


 幼稚園生の時、ブランコの長い列に並び、ようやく私の番が回ってきた頃、ブランコに乗って3秒で同じクラスの女の子に変って欲しいと頼まれた。乗ったばかりだからと断ったら、泣かれて後から先生に怒られた。その時、先生は言った。


『男の子なんだから、女の子に優しくしなさい!』


 ――先生、私、女の子です。



「親には女だろうが関係ない、強くあれと言われて育ってきました……」



 ―回想―


 小学生の時、同じ班の男子に筆箱をゴミ箱に捨てられ、それを拾っていたらテストを回収しそこねた。後から先生に怒られ、訳を話したら一喝。


『そんな事関係ねーんだよ!! なんでテスト取りに来なかったか聞いてんだよ!!』


 先生、ゴミ箱から散らばった文房具探すのに必死で気づかなかったって、理由になりませんか? なりませんかそうですか……。


 兄に話したら『女だからって舐められないよう強くなれ!』と励まされた。




「強くならないと生きていけなかったんです。でないと、心が壊れちゃうから……なのに、そんな強くあろうと努力した私の今までを否定するんですね……大人はいつもっ……いつもそうだ!!」


 頬から水滴がポタリと一筋、地面に落ちる。


「もうこんな理不尽沢山だ!!」


 私は悲壮感たっぷりに叫ぶと、離れの方に走り出す。

 後ろからヴィオさんが私を追いかける足音と、馬鹿兄弟の困惑した声がフェードアウトしていくのが聞こえた。


 ※※※


 思いっきりダッシュしてしばらく、後ろからいまにも死にそうなヴィオさんがヘロヘロになって走ってきていた。体力なさ過ぎか? とうとう力尽きてペショッと(しお)れたヴィオさんを、そこら辺に落ちていた木の棒でつっつく。


「大丈夫ですか? 体力、なさすぎじゃないですか?」

「ぜぇっ……ぜぇっごほっ……うぇっうるさい……」

「あっはは、息切れすっげ」


 私はヴィオさんが落ち着くまで背中を擦ってやる。いやほんと、悲しいくらい体力無いなこの人。これが10年間眠っていた弊害(へいがい)か。


「貴方……ぜぇっ、さっきまで……泣いてたのに……ごほッ、ふつう、過ぎません? ……おぇっ」

「そうですね、別に悲しくないですから」

「は……?」


 ヴィオさんは「だって、泣いて…」と困惑している。

 私はその顔をみて得意げな顔をした。


 ポケットに手を突っ込んあるものを取り出し、瀕死のヴィオさんの目の前にぶら下げる。


「女の涙は武器だとよく言いますが、あっちがそれを掲げるならばこっちも同じものを掲げてぶつけるまでです」


 ぶら下げたもの、それすなわち目薬。

 そう、実はあの時こっそり忍ばせておいた目薬をバレないようにさしていたのだ。もしも相手が泣き出し、こちらが劣勢になればお前も泣け、泣きわめけと兄から教えられていたが役にたったよ兄さん。キャットファイトには目薬、ボイスレコーダー、男が三種の神器って本当なんだね!


「じゃあ、あの時言っていたのは嘘……?」

「嘘ではないですよ。実際に女らしい扱いは受けたことないし、強かでないと今頃鬱で廃人になってましたよ」


 ヴィオさんはそれを聞くと、地面に大の字になって狂ったように笑い始めた。


「アッハハハッ……ゴホッ! ゲホッゴホ、ヒィ!」

「どうしました? 気でも狂いましたか?」

「だって、見ました? あの3人の顔ッ……ブフッ!」


 確かに、あの3人の唖然とした顔の後に泣かせた罪悪感に濡れた顔は見ものであった。人をいじめる癖に年下の女の子を泣かせたらあんなにも顔が青くなるとは。情緒ぶっ壊れてるな。


「スカッとしましたか?」

「ええ、よいデトックスでした……っふふ」

「またつまらぬツボスイッチを押してしまったか……」


 楽しそうで何よりだ。

 一応、元婚約者だった訳だし、あれは言い過ぎだとか言われるのかと思っていたけど、全然気にしてないな。寧ろデトックスとか言ってる時点で楽しんでるじゃん。大変結構。


「ヴィオさんって、根っこは何されても許しちゃうお人好しの聖人君子だと思ってたんですけど全然違いましたね。聖人君子は人の青い顔見て笑いませんもん」


 最終的に家族だからって許しちゃう弱虫で芯のない人かと思ったけど、どうやら勘違いだったみたい。


「僕をそんな損しかしない様な奴と一緒にするな」

「えぇ、実際損ばっかりじゃないですか。ヴィオさんちゃんと性格悪いし頭いいんだから、どうにだってできるでしょ」

「性格悪いはよけいだろ」

「性格が多少でも悪くないと、生きづらくなりますよ」


 ヴィオさんはなんだそれ、とため息をつく。この人、ため息ばっかりつくな。これのせいで幸が薄いのではないか?


「僕は、自分に自身が無い……どんなに頑張っても、どんなに努力しても、認められた試しがないんです。嫌がらせの事だって何度も父上に話そうとしたけど、母様を亡くしたばかりの父上には心配をかけるわけにはいかなかった」


 ままなりませんねと自虐的に笑う。こんなに酷くされても、自分を犠牲にしてしまう自己犠牲精神はいただけない。


「本当は、どうにでも出来てしまうんです。父上は悲しまれるかもしれないけど、僕も自分の身が可愛いので……でも、あと一歩が踏み出せないんです」


 声が小さくなっていき、苦しげに独白は続く。


「もし信じて貰えなかったら? もし父上にも否定されたら? そんな事になれば、僕は居場所がなくなってしまう」


 ヴィオさんは抱えた膝に顔を埋めて小さくなる。いつもの生意気な態度じゃない、年相応に悩む少年が、そこにいた。


「ヴィオさん、」


 私はヴィオさんの手を掴み、上に引っ張りあげる。潤んだ瞳と視線がかち合う。


「一歩が踏み出せないのなら、私が背中を押しましょう。もし自分でできないのなら、私が代わりになりましょう。あなたが私に一言、やれと言うならば」

「なにを」


 ゆらゆら揺らめく目からは不安が読み取れる。ヴィオさんの抱えるものはこの年の子供が背負うには重い家庭事情だ。この人には頼る人が少なすぎる。

 しかし、ここに使い捨てるには、寄っかかるにはちょうどいい人間がいるじゃないか。


「全部私のせいにしてしまえばいい。私が嫌がらせされた事を報告するついでにヴィオさんのされていた事を報告しましょう。消してほしいと言うならば、どんな汚い手を使っても消してあげましょう。全部、私がやってあげますよ」


 私はニコリと笑う。

 安心させるように、努めて柔らかく。


「告発する事で、旦那様が悲しむ事になるのが怖いんですよね。だって、どんなにクズでも旦那様の幼馴染ですもの。再婚するくらいには旦那様も彼女に情がある。だから、彼女の仕打ちを旦那様に打ち明けられない。何より、優しい旦那様が自分が再婚したせいで、息子が死にかけた事実を知ったら、それがいちばん旦那様を傷つけるから」


 ヴィオさんはヒュッと息をつまらせた。


「何をしたって、もう旦那様が悲しまない選択肢は望めないのです」


 旦那様は多分、自分の幼馴染がしてきた事を知っても、自分の息子が苦しんでることを知っても、どうしたって傷つくだろう。知り合った期間が短い私でも分かることだ。


「だから、旦那様が悲しむのはお前が報告なんてしたからだって、私に八つ当たりすればいいのです」

「は……」


 目の前の顔は変なものを見るみたいな顔になった。口がぽかんと空いていて、なかなかの間抜けっ面だ。


「全部私のせいにして、八つ当たりして、さっきみたいにスッキリしてしまえばいいんですよ。悪者になったって、私はこの屋敷の中でいちばん新参者ですから、この屋敷内であぶれ者にされた所で何も気にしません」


 もし旦那様に奴らの所業をチクってクビになったり、追い出されたりした大勢を路頭に迷わせる事になろうと、それは奴らが悪い事をしたツケが回ってきただけ。

 それで私が遠巻きにされても、ヒソヒソ噂されても、今と何ら変わらない。だから、とくに気にする事でもない。


「なんで……どうして僕にそこまでしてくれるんですか? 僕にはもう何も無いし、最後には皆離れていくのに……」

「私は離れていきませんよ。腕輪つけたのヴィオさんじゃないですか」

「腕輪が無かったら貴方は僕から離れていきます」

「ご主人様はヴィオさんでしょ? 拾ったんなら最後まで面倒みてくれなきゃ困りまーす」


 どうしても卑屈(ひくつ)な考えが抜けない人だ。全部独りで抱え込んで、誰にも相談してこなかったのだろう。

 どうせ誰も話なんか聞いちゃくれない、理解してくれないとか思ってそう。世話の焼けるご主人様を持つと苦労するなぁ。さて、あともう一息。


「ヴィオさんはもう、我慢しなくてもいいんです。溜め込まなくていいんですよ。嫌なら嫌ってちゃんと言える人間にならないと。ほら、助けてって、言って」


 水分を含んだ瞳は膜を張る。

 やがてそれは決壊し、次から次へと溢れていった。


 幼子のごとく泣き出したヴィオさんは、濁点だらけで一言、助けてと呟いた。

 


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