可燃性の愛
―屋敷の裏庭―
「ぬああにが暇だこちとら毎日毎日お前らの仕事押し付けられてるせいで暇じゃないし疲労困憊じゃい!!!」
なんだったんだあれは。本当に同じ人間か、人間の心が無いのか!? パワハラセクハラし放題だし、しかも最後のメイドと馬鹿兄のあの顔!! あの人を小馬鹿にしたような顔!! 未成年に対する仕打ちじゃないだろあれ!!
「お前らの血は何色だァッ!!」
庭の雑草をブチブチ引きちぎりながらキレ散らかす。屋敷の掃除をボイコットしないあたり、私もどんなに人間性が汚物だろうと目上の人に対しては逆らえない性だったのだ。
旦那様とヴィオさんに恩義がなきゃお前らなんてこの雑草みたいになってたんだからな!!
「はああ、叫んだらちょっとスッキリした。全く、こんなん毎日されたら誰だってキレるって」
仏の顔も三度どころかその10倍くらい我慢した私はすごいと思う。この怒りを掃除にぶつけて消化しよう。
「?」
庭の中央、誰かがしゃがみこんでいる。
目を凝らして見ると、口元に紅茶の缶を当てていた。
なぜ紅茶缶? もしかして具合が悪くなって吐きそうだから咄嗟に持ってた紅茶缶にリバースを……?
ちょっと心配になって近付いてみると――
「許さない許さない絶対許さないからなぽっと出のでしゃばりのくせに偉そうに命令するばかりで自分は何もしない金を浪費するばかりで誰の利にもなってない生きてる価値がないのはどっちだ呪ってやる呪ってやる誰がお前らが生活する環境整えてやってると思ってるんだ代々旦那様一家が大切にしてた物も勝手に売りやがってブツブツブツ……」
「ヒェッ」
紅茶の缶に向かって恨み言を呟いていた……え怖い。目が死んでいる。そこではたと気づく。この人、よく見たら奥様に頬ぶたれてた使用人の人だ。
使用人の人は私に気がつくとスッと立ち上がり、この世の地獄のような顔を一変、柔和な笑みを浮かべた。その変わり様はもはやプロ。
「これはこれは、オトギさん。私、支配人のヴァイス・クルールでございます」
胸に手を当て礼をする目の前の人は流石支配人と言うべきか、動き一つ一つが洗練されていた。何だろう、"本物"を見たって感じだ。さっきのメイドと大違いである。
「この度はヴィオ坊っちゃんを目覚めさせていただいたどころか、専属召使いにまでなっていただき、感謝致します。挨拶とお礼が遅くなってしまって申し訳ございません」
「いえいえ。全然気にしてませんのでどうぞお気遣いなく」
「おやおや、お優しいんですね」
ヴァイスさんはクスクスと笑うと、私にお茶は如何ですかと聞いてきた。いまは仕事中なのでと答えると、裏庭は花を愛でる人が旦那様サイドの人間しか居ないから誰か来ても大丈夫ですよとの事だ。神か? お言葉に甘えよう。
「あなたが嫌がらせを受けているのに気づいていながら、何もできず、本当に申し訳ございませんでした」
ヴァイスさん、嫌がらせについて知ってたんだなぁ。
まあ、奥様は旦那様にバレないよう徹底はしているが使用人達には旦那様への口止め以外にしていないようだし、当たり前か。
多分、あの女は誰かが告げ口したり止めに入るとまたものを投げたりするんだろう。なら、現状維持で無視してもらった方がいい。
「あんなヒステリックな人誰だって怖いですし、しょうがないですよ。旦那様が帰ってくるまで私が我慢するだけです。他のみなさんに怪我して欲しくないですし」
「オトギさん……」
とても申し訳なさそうな顔をされた。
私自身、暴力はあのコップを投げられたときの1回だけで、殆ど陰口や悪口、仕事を押し付けられる事しかされていないので、そこまで気にしなくても良いと思っていた。
むしろこちらが悪い気になってくるので気にしないで頂けると心持ちが軽い。心配してくれるのはありがたいんだけどね!
「ああ、ヴィオ坊っちゃんは良い従者を見つけて来ましたね。これで辞めていかない使用人は初めてです」
「初めて?」
「はい。ヴィオ坊っちゃん付きになった使用人達は奥様と奥様の連れ子のせいで買収されるか、嫌がらせをされて居なくなるものばかり。私たちの様な旦那様サイドの使用人は遠ざけられ……こんなにも長くヴィオ坊っちゃんの側に居てくれたのは、あなたが初めてなのです」
なんと。離れの使用人が私1人とかやばくないかとは思っていたが、そんな理由があったのか。てっきり離れはそんなに広くないから1人でも平気だろとか思われているのかとばかり。
「というか、連れ子だったんですね。あの2人」
「おや、ヴィオ坊っちゃんから聞いてないのですか? この家のこと」
「本人に聞いていいのかわからなくて……なんだかトラウマあるみたいだし」
「出会ってまだ日が浅いにも関わらず事情を察し、ヴィオ坊っちゃんのお心を守る為にあえて何も聞かないなんて……なんてお優しい方なんだ!」
ヴァイスさんは感涙状態だ。空気読んで黙っただけなのに大袈裟では? 旦那様といい、この屋敷の住人は気遣いの意識が低く過ぎないか。
「ヴィオ坊っちゃんは前の奥様の子供なんですよ。ヴィオ坊っちゃんと奥様はそれはもう瓜ふたつで……旦那様は前の奥様の忘れ形見であるヴィオ坊っちゃんをそれはもう愛しているのです。その事が気に食わないダリア様はヴィオ坊っちゃんを邪険に扱っているんですよ」
眉をさげ、さも困りましたという雰囲気で話し始める。これは長くなるやつだな。私は出されたクッキー片手に聞く体制をとる。
「旦那様とダリア様は幼馴染でして、ダリア様は幼い頃から旦那様と結ばれると思っていたらしいのですが、旦那様はヴィオ坊っちゃんの母君を見初められ、猛アタックの末に結婚したのです」
あれ、あの兄弟2人はヴィオさんのお母さんが略奪したって言ってたけど……ああ、あっちが嘘か。
「ダリア様は散々文句を垂れていましたが、やがて別の人と結婚しました。しかし、母君は病気で帰らぬ人となり、それを知ったダリア様は夫と離婚し、旦那様を丸め込んで再婚なさったのです」
なるほどねぇ。ずっと狙ってた幼馴染が別の人と結婚しちゃって、やっと手に入れても旦那が自分から幼馴染を奪った女に激似の息子をめちゃくちゃ可愛がっていて面白くない訳ね。それで嫌がらせしてると。はぁーっ、くっだらね。
「ヴィオ坊っちゃんは幼くして母君を亡くして間もなく、ダリア様同様、トニオ様とライト様にまでいじめ抜かれ、ずっと否定され続けて来ました。あの2人に婚約者までも奪われたのです。ヴィオ様は使用人も、婚約者も、跡取りの地位すらも奪われたのです」
うっわぁ……想像以上にエグいな。
自己肯定感が低かったり依存気味なところがあるとは思ってたけど、何もかも奪われ尽くしてたらああもなるか。
「我らはヴィオ坊っちゃんの母君がご健在の頃より坊っちゃんを見てきました。しかし、使用人ごときがダリア様にかなうはずもなく、手をこまねいていたのです」
そりゃあなぁ。あんないきなりキレてすぐ暴力振るうヒス女、誰だって関わりたくない。DQNのテンプレみたいだもんな、あれ。逆らったらすぐにクビにされそうだし。
「ヴィオ坊っちゃんが毒を受け、眠りについたのも、実はダリア様の仕業なのです。坊っちゃんの髪はそれはそれは美しい藍の髪だったのに、毒を受けたせいで色が抜けてしまって……嗚呼、おいたわしい」
待て待て、今サラッと重要事項が出なかったか? 毒を受けたの奥様のせいかよ。そいえば奥様はヴィオさんに死ねばよかったのにって言ってたな。うわぁ、明確な殺意があるし、普通に殺人未遂なんだけど……。
「それって訴えたりできないんでしょうか」
私が紅茶を飲み終えたカップを魔法で浮かせて遊ばせていると、ヴァイスさんの手元にカップが吸い寄せられ、新しい紅茶が注がれる。
この世界にも元の世界同様に法律というものが存在している。国によってだいぶ違う特色の法律が存在しているが、今いるここはふつうにふつうの法律が適応されているっぽいのだ。だから、奥様のやる事が度を越していれば訴える事も可能だろう。
「証拠が無いんですよ。その日、不自然に旦那様の使用人達が奥様から遠ざけられていたんです。奥様が毒を盛った所を誰も見ていないし、奥様の使用人たちは金を握らされたのか、皆口を合わせて奥様のアリバイを語るので……」
なるほど。奥様もただ感情だけで動く馬鹿ではないという事か。
「奥様が毒を盛ってない可能性は?」
「使用された毒の小瓶を奥様が持っていたんです。しかも、その毒がこの世に一つしか存在しない物でして。だから、盛ってない可能性は低いかと。それに訴えたとして、大した罪に問われない可能性があります」
思わずえっ、と声がでる。
この世界は毒盛っても罪に問われないの?
毒殺し放題じゃん。
「どうしてですか。殺人未遂ですよ?」
「あの毒は長い間仮死状態になるものです。完全に死ぬわけじゃない、条件さえ満たせば目が覚める。よって殺意があったと判断されにくい非常に面倒な毒なんですよ」
つまり、毒は毒だが死ぬわけじゃないから殺意があっても言いようによっては殺意は無かったことになると……。
だからって無罪にするか? 死ななきゃセーフなの? 毒を人に盛ること自体ギルティーなんじゃないのか? この世界の住人、倫理観を母親の腹の中に置いてきたのだろうか。
「この世の中は少し楽観視が過ぎるのです。毒を受けても、運命の人の真実の愛によって長い眠りから目覚めたら、それはもうハッピーエンド。大団円だなんて、馬鹿馬鹿しい。今まで虐げられてきた者たちの気持ちが消化不良ですよ」
「ゴフッ」
私は紅茶を吹き出した。
全体的に凄い事を言っているが、今、何といった?
運命の人の真実の愛?? ほぁ??
「ヴァイスさんて結構毒舌なんですね。それはそうと運命の人の真実の愛とは?」
「あの毒から目覚める為の条件です。この毒は一昔前、女性が恋人が真に自分を愛しているのか確かめるために作られた薬だったのですが、眠り続ける人が倍増した上、ただの魔法薬ではなく呪詛が使われていた事から販売を永久停止された劇物です」
それ、何処のいばら姫??
ヴァイスさんは滑稽ですよねぇとニンマリ笑っている。目が紅茶缶に恨み言を言っていた時と同じ目だった。こっわ……。
というか、その理屈だと私がヴィオさんへの好き好きパワーで起こした事になりませんかね!?
「てっきり眠るヴィオ坊っちゃんの余りの美しさについ口づけをしたのかと思ったのですが、違うんですか?」
「なっなんですかそれ! 違いますよ!」
「おや、違うのですか?」
ヴァイスさんは「残念です」と言ってにっこにこしている。なんか気恥ずかしい。私はちゅーなんてしてない……あ、駄目だこれ恥ずかしいぞ何だこれ。
私は赤くなった顔を誤魔化すために紅茶を煽った。それを見てヴァイスさんはさらにクスクス笑った。完全にいじられてる!
「冗談はさておき、本当に感謝してるんですよ。坊っちゃんは孤独なお方。迷いの魔法で誰も近づけない様にされてしまい、さらにはダリア様が婚約者も、旦那様でさえ坊っちゃんに近づくのを邪魔なさっていたのです。もう、坊っちゃんは一生目覚めないと諦めていたので……」
それはもう、ヴィオさんが目覚めた事を心の底から嬉しがっている様子だった。この人はヴィオさんをとても大切にしてるんだなぁ。
「オトギさんは、あの毒で目覚める事ができなかった彼女たちがどうなったか、わかりますか?」
いきなり脈絡のない事をきかれ、少し考える。
「眠った女性を本当に愛してくれる人を募集したとか?」
ヴァイスさんは綺麗に笑ってこう言った。
―――燃やされました。100年経っても相手が現れなかったので。