不穏な貴方
Q.痛い思いをした不審者さんに温情でクッキーを分け与えたらどうなりますか?
「答えは縮みます」
「誰に何を言ってるんですか?」
ヴィオさんが珍獣を見るかのような目で私をみている。その手には小さく縮んだ人間の入った瓶が握られていた。不審者2人組である。瓶は魔法で出したらしい。魔法って便利だなぁ。
「攻撃がうまく行き過ぎて自分の才能が怖い……いやぁ、生きてるって素晴らしい。この人たち殺意高かったから下手したら死んでましたよ。はぁ怖かった」
「怖かったと言う割には的確に急所を突いてた気がするんですが、本当に怖かったんですか?」
瓶を軽く揺らしながら、怪訝な表情のヴィオさんにむっとする。
「そりゃあ怖かったですよ。あれは度重なる未知とスリリングな状況に興奮してただけで、普段はか弱い乙女です」
「か弱い……ですか」
なんでちょっと顔引き攣らせてるんだ、おい、こら。トランク振り回せたのだってハイになった火事場の馬鹿力のおかげであって、普段だったらこんな馬鹿でかいもの振り回さないぞ。
「か弱い女子は人を殴るときにあんな思いっきり振りぬいたりしないし、そもそも殴りませんよ」
「なぁんかお腹空いてきましたね」
「脈絡っ!! 自由すぎでしょう貴方!!」
貴方と話してると疲れますなんて言ってヴィオさんは部屋を出ていくので、私も後ろをついていく。
「その瓶、どうするんですか?」
「とりあえず起きるまで様子見です。ところで、これもとの大きさには勝手に戻るんですか」
「この瓶の液体を飲ませると大きくなります」
サッとヴィオさんの目の前に蛍光色の液体の入った瓶をだす。
「そんなものどこで手に入れたんです……」
「拾いました」
「拾ったもの人に食べさせたんですか貴方」
「大丈夫です。私も食べたので」
「そんな得体の知れないもの食べたのか!?」
確かに、自分の行動省みると頭おかしい事してる。知らない人から貰ったお菓子食べてるじゃん……ノリって怖いな。次から気をつけよ。
話しながら屋敷の外に出る。屋敷の外はヴィオさんが言った通りに霧が晴れ、茨の蔦も消えてすごく見晴らしが良くなっていた。
「来たときは霧でよく分からなかったんですけど、このお屋敷の庭ってこんなに広かったんですね」
「そうですか? ここは離れですし、そんなに大きくないと思いますけど」
「離れだったのか……」
この規模の建物が大きくないとか……やっぱ金持ちの坊っちゃんは庶民とは規模が違うな。
「……貴方、本当に歩いてここまで来たんですか? その無駄にでかいトランク持って」
「もちろん。所持品はこれしか無いし、野宿する事になったらトランクの中で寝れますよ」
「なるほど。トランクの中はしっかり確認しましたか?あなた宛の手紙とか入ってるかもしれませんよ」
「手紙?」
手紙とはなんの手紙だろう。誰から誰宛て?
首を傾げているとヴィオさんが説明してくれる。
「こういう時、大抵は子供か子供を拾った人宛に手紙が書かれたりしてるものなんですよ」
へぇ、この世界だと捨て子にお手紙書くのか。最後に優しさ見せるなんて酷いことをする。
それにしても、トランクの中か。来たばっかりの時は色々なことが置きすぎてあんまり触れてなかったな。
トランクは底部分にクッション生地がしいてあり、蓋部分にはポケットがつけてある。何かあるならポケット部分だが……。
「あっ、ありました手紙」
手紙は濃い赤のしっかりした封筒に入っていて、黒い色の封蝋がしてある。表には金の箔押しで「Bird Circus」と書かれていた。宛名は書いていない。何だか怪しい雰囲気のお手紙だ。
「鳥のサーカス?」
「ふむ、バードサーカスですか」
「うぉ、びっくりした……」
いつの間にか後ろに来ていたヴィオさんが私の肩からこんにちはしている。音もなく背後に立つのはやめて欲しい。
「はやく中の手紙読んでください」
「えぇ……」
何この人……人様の手紙なのにちゃっかり読む気満々じゃん。私に対して引いてたけど人のこと言えないじゃん。
引いてると早くしろと急かされ渋々封蝋を切る。
封筒の中には、しっかりした素材のメッセージカードが一枚入っていた。高級感のある金の箔押しの装飾のなされたそれには「お買上げ有難う御座いました。」と書かれていた。
「私はお買上げされていた?」
「へぇ? ふぅん……なるほどねぇ」
「何が? 何がなるほどなんです?」
ヴィオさんはこのメッセージカードだけで何かを察したらしい。やだ、すっごい悪い顔してる……。
「オトギさん、トランクのクッションの下辺りに何かありませんか?」
「クッションの下? ええと……」
言われた通りにクッションの下を探ると、直径15cmくらいの銀色の腕輪が出てきた。
蔦と星の装飾が綺麗なそれは、2つに割って腕にあてたらカッチンと留めるタイプの腕輪。ヴィオさんが「持って見ても?」と言うので腕輪を渡す。
「これは……かなり上等なものですね、ええ」
「そんなに良いものなんですか?」
「これ一つで一軒家が庭付きで買えるでしょうね」
「一軒家庭付き!?」
一軒家庭付き……家なんて買ったことないから知らないけど、それってすごく高額なのでは?
「……私はこの腕輪のおまけだったんでしょうか」
「いや、オトギさんとセットで買われたクチでしょう。この腕輪はつける相手がいないと無価値ですから」
私は腕輪とハッピーなセットだったのか。腕輪なんてつけてなんの意味があるんだろう。
「結局何に使うんですか? それ」
「………」
「?」
私が不思議そうに聞くとヴィオさんはニコリと笑い、手を差し出してきた。私はほぼ反射的にその手をとる。
何をするのかとヴィオさんの顔を見ていると、手元からカッチンという金属音がした。
下に視線を寄越すと、私の腕に腕輪がはまっていた。
「はぇ……?」
「この腕輪は身につける対象者に大きさがぴったりになるよう魔法がかけられているんですよ」
私の腕にきらきら輝く腕輪を見ながら、ヴィオさんはニコニコ笑っている。あれ? なんで腕輪がついてるのかなぁ。お空きれい。
「っていやいや、なんで? 何で私に腕輪を?」
「そんなに高度な魔法がかけられているわけでも、高い材料が使われている訳じゃないんですが、とっても高価でなかなか手が出せない物なんです」
なになに、ずっとニコニコしてて怖いんだけど。というか人の話聞いてなくない? なんでそんな高価なものをわざわざ私につけてるの。オトギちゃんわかんない……。
「これが高価な理由は一つ、この腕輪が大勢の手に渡るとたいへん危険な事態になるからです。だから簡単に手にできないよう高価な金額設定にしてるんですよ」
「そうだったんですね。というかこれ危険なんですね。まじで何で私につけたんですか? 外しますよ?」
私はサイズぴったりな腕輪を外そうと捻ったり引っ張ったりした。
「ってあれ……なにこれ、外れ……外れない!!?」
「その腕輪、『従属の腕輪』という名前でしてね。これを装着した人は装着させた相手に絶対服従。強制的に言うことを聞かせることができるんですよ」
ヴィオさんは「しかも……」ともったいぶった様な一言のあとに、更にとんでもない爆弾を落とした。
「この腕輪は装着させた人が外さなければ一生外すことはできません。まぁ腕を切り落せば外せるかもしれませんが……」
「やりませんよ!? というか待て待て待て、そんな呪いの装備みたいなものつけたんですか、私に!?」
「いやぁ、ふふ、非常にいい拾い物をしました」
「わっるい顔だなおい!!」
つまり、私は今後ヴィオさんがこの腕輪を外してくれるまでヴィオさんの言いなりってこと? 無理無理、だって何かこの人段々性格の悪さがにじみ出てきてるもん!
絶対この人危ない人だよ。だってまともなら一言も言わずに問答無用でこんな腕輪つけないもん。
「女の子に何でも言う事聞かせる卑猥なアイテムをつけるなんて……この人でなし!」
「誤解を招く言い方をしないでいただきたい」
ぎゃいぎゃい喚き立てるが、全く意に介してないどころかたいへん愉快そうな様子でもって私を見ている。ちくしょう、このサディストめ……。
これ、まじで一生外せないんだろうか。非常に困る。せめて手首じゃなくて腕とかに移動させてくれないかな。いや外してもらうのがベストなんだけど。
恨みがましい顔でヴィオさんを睨んでいると、バタバタっ足音が近づいてきた。
視線を寄越すと、一発で金持ちだと分かるような上品なスーツを着た男性が、信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開いて佇んでいた。
「ヴィオ……ヴィオなのか……?」
「はい、父上。お元気でしたか」
「嗚呼っ……!!」
男性はヴィオさんに駆け寄り、ヴィオさんを抱きしめた。
男性はおいおいと泣き、抱きしめられたヴィオさんは少し居心地悪そうに、でも嬉しそうにしていた。周りにいる仕えらしき人達も皆ハンカチを片手に嬉しそうにしている。
ヴィオさんのお父さんか。そら10年近く眠ってた我が子が起きたら感涙ものだよね。ただものすごく感動するシーンなんだろうが、私としては蚊帳の外すぎてアウェー感が半端ないんだが……。
「この日をどれだけ待ちわびていたかっ……もう目覚めないのかもしれないと心配していたんだよ!」
「父上……ご心配をおかけしました。しかし、もうご心配には及びません。僕は五体満足、なんの問題もなくここに立っていますから」
「ああ、ああ……本当に良かった!」
ワー、イイハナシダナー。
正直ここに至るまで怒涛の展開すぎて付いてけない。この感じはあれだ。さっきまで隣で話してた友達が道でばったりあった知り合いと話し始めて、会話に入れなくて右往左往するやつ。意識が遠のく……。
「ところで、そちらのお嬢さんは誰かな?」
「ひゃい!?」
いきなり話を振られたものだからびっくりして変な声を出してしまった。誰って言われてもちょっと困る。私がどう説明したらいいか答えあぐねていると、ヴィオさんが私の前に出てきて説明し始めた。
「この子が僕を起こしたんですよ」
「なんと!! そうだったのかい!?」
突然両肩をつかまれ、目を白黒させる。
私が引き気味に「ええ……まぁ」と答えると、涙を滝のように流しながらありがとう、ありがとうと何度も礼を言われた。勢いがあり過ぎてちょっと引くわ。
「あのぉ」
「ああ、すまないね。10年も眠りから覚めなくなった息子が目覚めたものだから感極まってしまって……改めて礼を言うよ。うちの息子を目覚めさせてくれてありがとう」
話す声が震えている。本当にヴィオさんが起きたのが嬉しいんだなぁ。
「いえ、私はたまたま森で迷っていただけの、ただの通りすがりですし、目覚めさせたと言っても耳元で大きい声出して呼びかけただけですから」
そんな大した事してないのにこんなに感謝されると居たたまれなくなる。なんとなく居心地が悪くなって肩を竦めていると、ヴィオさんとヴィオさんのお父さんは目を見開いてこちらを見ていた。なになに? 怖いんだけど。
「ヴィオを目覚めさせたとき、君は呼びかける事以外、何もしてないのかい?」
「そうですけど……」
ヴィオさんのお父さんは顎に手をやり、黙り込んでしまった。何か問題でもあったのだろうか。
「父上、実は父上が来る前に不審者に襲われたのですが、何か心当たりは?」
「何!?」
ヴィオさんは瓶を顔の前まで持ってきて軽く振る。中の小人がギャーギャー騒いでいるので気絶から覚めたのだろう。
「僕が起きた時、この2人組に襲われたところをこの子に助けてもらったんです」
「なんと! そうなのかい?」
「いえいえそんな」
助けたのなんてただの成り行きだから、そんなにきらきらしい目を向けないでほしい。なんだか照れてしまう。私はエヘヘと言いながら頬をかいた。
「それと、この子はあのバードサーカスから命からがら逃げて来たらしく、身寄りが無いから雇ってくれるなら『従属の腕輪』で生涯の忠誠を誓うと言うのです」
「!?」
思わず二度見した。今なんて言ったコイツ……雇ってくれるなら『従属の腕輪』で生涯の忠誠を誓うだって?
この世界に身寄りが無いのは事実だけど生涯の忠誠を誓うとか一言も言ってないんだけど!?
ヴィオさんのお父さんはそりゃあもう感動しましたと言わんばかりに私を見つめる。嗚呼、そんな目で見ないで……言ってないから! 誤解だから!!
「ヴィオを目覚めさせただけでなく、悪党から守ってくれて忠誠まで誓うとは……私は感動したよ!! 君はヴィオの恩人だ。身寄りがないなら家で過ごすといい! 君が忠誠を誓うと言うのであれば雇うのも大歓迎だよ!!」
何この流れ……完全に外堀埋められて逃げ場、全ッ然ないんですけど!? 後ろに付いてる使用人たちも凄くニッコリ頷いてるけどいいの? 私みたいな身寄りが無い得体のしれない人間が仕えるのとかふつう止めない?
「そうだ、君の名前を聞いてなかったね。よかったら教えてもらえないだろうか」
「ああ……はは、オトギといいます。ハイ……」
「オトギくん、これからよろしく頼むよ」
ヴィオさんのお父さんは満面の笑みで手を差し出してきた。私は差し出された手を取り握手する。
ヴィオさんをチラッと見ると、これまたあくどい顔をしてこちらを見ていた。住む場所が見つかったのは良かったがその対価が生涯かけての忠誠とか聞いてない!!
「ああそうだ、父上にお願いがあるのですが」
「なんだい? なんでも言いなさい。今からでもヴィオの願いを聞き届けるよ」
「実は……この不審者を過去に屋敷内で見たことがあったんです。だから屋敷に帰るのは少し怖くて……僕は離れで暮らそうと思っているんです。だから、この離れの設備を整えて欲しいんです」
眉をハの字にして目の下に手を当てるヴィオさん。恐怖と悲しみでいっぱいですという風貌だが、私には分かる。あれは演技だ。
「屋敷内で……わかった。不審者の件については調べておくから安心しておくれ。離れは今から綺麗にして寝具を屋敷から運んでこよう。明日になったら本格的に設備を整えるよ」
「ありがとうございます」
こうして不審者の入った小瓶はドナドナされていった。
ヴィオさんはにっこにこである。怖いとか白々しい。絶対怖がってないだろ。むしろ利用してるだろ。さてはこの離れのお屋敷を私物化する事を眠る前から計画だててたな?
「今日は疲れただろう。広間と個室を先に使えるようにしてくるから、外でディナーを楽しんで待っていておくれ」
ディナー……そういえば私、こっち来てから碌なもの食べてなかったんだった。思い出したらお腹減ってきた。もうなんか疲れすぎて腕輪の事とかふっ飛んだよ……。
私は案内されるままいつの間にか外に用意されたテーブル前に腰をおろした。
メイドさんがテーブルの上に置いてあるランプを鍵でトントンすると、ポゥッとオレンジの淡い光が灯る。すごい、これも魔法なんだろうか。しかしなぜ鍵で……。
「そうだ、ヴィオさんに色々質問してもいいですか?」
「食事が来るまで暇ですし、僕が答えられる範囲なら答えましょう」
「さっき、"あのバードサーカスから逃げてきた"って言ってたじゃないですか。結局バードサーカスって何なんですか?」
さっきからちょっと気になってたワードをヴィオさんに
聞いてみる。
「バードサーカスというのは闇オークションの名前ですよ。大昔に盗まれた絵画、宝石、人から人魚まで、ありとあらゆる物をオークションにかける、悪趣味な催しです。開催場所や期間は一切不明。招待される条件は分からず、警察も手に負えないんだとか」
おおぅ、この世界の深淵を覗いてしまった……。
というか人魚いるの? ロマンだね!
「僕の家は代々不動産や家具、輸入品を取り扱っている家ですから、客から噂が入ってくるんですよ。なんでも、複数開催場所が設けられていて、オークションは完全に止められた試しが無いんだとか。しかも、捕まったオークションのスタッフは3日以内に独房で不審な死を遂げるらしいです」
「ワァオ、詳しんですね」
「勉強しましたから」
彼はニコリと答える。
そっか、跡取りだもんね。そりゃ勉強してるよね。
それにしても闇オークションとは……競売ににかけられた覚えなんてないんだけどな。
服はヒラヒラした白い服に変わってるし、靴も違うものを履かされている。元々持ってたものなんて拾ったスマホしかないし。そういえば、スマホ見てないな。何か通知来てたりしないだろうか。
「おや、貴方メルヒェフォン持ってるんですか?」
メルへ……? あぁ、スマホの事か。
ちょっと言いづらすぎてなんの事かと。
「ああーなんか、私のっぽいです。目覚めた時に手元にあって。外の事自分で調べろって事ですか……ね」
「どうかしましたか? 顔が愉快な事になってますけど」
「……」
通知が来てるときは気が付かなかった。
暗くなったスマホの画面の向こう。
ランプの光で反射して見えた、全く別人の顔。
――大きな瞳と目が合う。
「オァアアアッ!! 誰だこれ!!」
「ウワッ、いきなりなんですか」
「ここれ、これ私の顔じゃない……私の顔じゃない!!」
「ちょっと落ち着きなさい!」
落ち着けって、落ち着けるわけ無いだろ!!
待って待って、てっきり私が小さくなっちゃったと思ってたけどそもそも別の人間の体に入ってただけで私自身じゃなかったパターン? 私の体どこ行ったの、この子誰!?
錯乱してる私にヴィオさんが深呼吸しなさいと言う。あ、背中さすってくれてる……ぬくもりティー……よし、深呼吸しよう。
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
「ふざけてますか? ふざけてますよね?」
ヴィオさんは「ふざける余裕があるならもう大丈夫ですね」と言ってプンスコしながら席に戻った。怒り方ぷりぷりしてるね!
「で? 自分の顔じゃないとはどういう事で?」
「そのまんまの意味です。私ほんとは22歳の成人女性だし、顔もこんな美少女顔じゃなくてもっと、こう……昆布みたいな地味顔でした」
「真剣な話してるのは分かるんですが昆布に全部持ってかれる……」
顔面情報が一番重要である。なんせ昆布顔が美少女の中にいるのだ。昆布の癖に美少女とかおこがまし過ぎて死にそう。日本人の謙虚さを舐めないで欲しい切実に。
おっと、脱線した。そろそろ話を戻そう。「昆布……フッ」と昆布顔に思いをはせているヴィオさんを現実に引き戻す。というか今鼻で笑ったな!? 全国の地味顔に謝れ!
「とにかく、何か別人になっちゃったんです」
「体に何か異変があったりは?」
「視線が低いなって事以外は特に何もないです」
体を動かすと痛いとか、違和感があるとか、右腕が疼くとかそういう症状は一切ない。至って健康である。
「じゃあいいじゃないですか。バードサーカスに売られる生物は皆等しく魔法薬でドーピングやらされてますから、精神がまともなだけマシです。昆布がベタに生まれ変わったと思ったらいいんじゃないですか?」
めちゃくちゃ適当じゃん。しかも昆布からベタって微妙に煽りよる。海藻から観賞魚とか劇的ビフォーしすぎだろ。私の前の姿見てから言えや。でも、ヴィオさんの言う通りなので何も言い返せない。
まぁ、理由がわからない以上、なってしまったものはしょうがないと割り切るしかないだろう。
「なんか心が凪いできました。わからない事をいつまでも考えてたって時間の無駄なので、これからは美少女の皮を被って過ごしていくことにします」
「言い方」
軽口叩けるくらい落ち着いた所で食事が運ばれる。異世界はご飯が不味いとか聞くけど普通に普通の洋食だった。ローストビーフ、美味しいです。
しばらくすると掃除をしていた人たちが屋敷から出てきて、一緒に食事をとる。ささやかな会食会場みたいになった。
夜の水辺で談笑しながらゆったりご飯を食べるのは楽しいなぁ。ヴィオさんのお父さんがやたら話しかけてくるのは気になるけど。息子と会話すればいいのに……10年間の溝埋めるとかさぁ。
私がひたすらパンを食べて話の受け答えをしていると、遠くのほうから「お戻りください!!」という声が聞こえてきた。何ごとかと振り向くと、真っ黒なドレスに赤い靴をはいた女性がズンズンとこちらに歩いてきていた。
女性が目の前まで来ると、ヴィオさんを見てあからさまに顔を歪めた。
「旦那様、今日はトニオとライトのピアノを一緒に聞く約束だったでしょう? どうしてこんな所にいるのです?」
「いや、ピアノを聞く約束は20時からだろう? まだ2時間もあるじゃないか」
「トニオとライトは今から聞いてほしいと言ってるのです。もう準備もしてありますから、わたくしと一緒に行きましょう?」
女性がヴィオさんのお父さんの腕をグイグイ引っ張って行こうとする。お父さんは女性とこちらを交互に見て困惑している。そんな様子を見て使用人の一人がおずおずと女性に近づく。
「あの、奥様……ヴィオ坊っちゃんは10年ぶりの旦那様との会話を楽しんでおいでなのです。ですから、お約束の時間になるまでは何卒……」
「おだまりなさいッ!!!!」
ピシャリッと激しい音があたりに響く。使用人は頬を打たれ、テーブルと共に倒れてしまった。女性はヒステリックに叫ぶ。
「いったい誰に口をきいているのッッ!? 使用人の分際で生意気なのよ!!」
うわぁ……なんか悪役のテンプレみたいなセリフ言ってるよ……ぶたれた使用人の人大丈夫かなぁ。
女性は他の使用人たちの「おやめ下さい」の声を「うるさい」の一声で皆を黙らせる。
「10年間眠っていたのなんて、そいつの自業自得じゃない!! わたくし達には関係ないわ!!」
女性はヴィオさんのお父さんの静止の声を無視してヴィオさんの前まで来ると、またヒステリックに叫び始める。
「大体、どうしてお前は生きているのです! 散々邪魔だと言ってきたのに、随分と生き汚いこと。お前なんか、眠ったまま死ねばよかったのにッ!!!」
女性は右手を高く挙げて、さっきの使用人の様にヴィオさんを叩こうとした。
私は咄嗟に割って入り、女性の手を思いっきり叩き落とした。ノリと勢いに任せたハイタッチ並に手が痛い。
女性は突然目の前に現れた私に驚き、瞬時に怒りに染まった顔に戻る。
「見ない顔ですわね。こんなブスな小娘、初めて見たわ?」
「はじめまして、奥様。私は今日からヴィオ様の側仕えになりました、オトギと申します」
「あら、そうなの」
「はい、以後お見知りおきを」
庶民なりにとても丁寧な挨拶と礼を心がけた。これはケチつけようもないのでは?
「あら嫌だわ、わたくし、あなたなんかに興味なんて無いの。だから以後も何もなくてよ? 小汚さが移るから喋りかけないで頂戴。病気になりそうだわ?」
このオバハン、黙って聞いてりゃ何なんだまじで。
いてこましたろかいゴラァ。
「ダリア!!」
とうとう我慢できないといった様子でヴィオさんのお父さんが叫ぶ。奥様はダリアというのか。
なんというか、過激な人だ。私よくこんなDQNの前に出れたな。普通に近寄りたくない人種なんだけど。
目の前では旦那VS嫁の戦いが火蓋を切っていた。
「オトギくんはヴィオを目覚めさせてくれた恩人なんだぞ!? 何故そんな失礼な態度をとるんだい!?」
「そんなのわたくし知りませんわ。それに、そこの出来損ないの役立たずのグズに取り入るなんて随分と切迫しているのではなくて? この歳で男に擦り寄るとは、なんて卑しいのかしら」
もうボロクソに言うじゃん。怒りも一周回ってもはや虚無。ヴィオさんはずっと下向いて黙ってるし、旦那様は奥様のセリフを聞いてさらに怒っている。
「だから、どうしてそんな酷いことを言うんだ! 彼女には身寄りも、帰る家もないんだ。そんな辛い状況下にいても他人を守り助ける彼女が卑しいものか!!」
あああああやめて、そんな聖人みたいに言わないで……私はそんな聖人みたいな人間じゃないんです! やられたら死ぬまでやられた事を根に持つねちっこい心の狭い人間なんです!
頭の中で自虐フェスティバルな私を見て奥様はこれまたべったり塗られた真っ赤なルージュの唇を釣り上げた。
「身寄りも帰る家も無いなんて、同情を買う為の嘘に決まってるわ。
そうやって家に取り入る気なんでしょう? きっと金品を盗んで逃げる気なんだわ!!」
何 で そ う な る。
金はまぁ、生活できる程度には欲しいけど犯罪を犯してまで欲しい訳じゃない。それに腕輪のせいでヴィオさんの召使いルート確定したから生活は保証されたようなものである。
あれ、保証されてるんだよね? ちょっと不安になったが、私は生きてご飯が食べられるならそれ以上は望まない。よって盗みなんて働かないぞ私は。
「給料が貰えて寝床を貰えれば、それ以上のものは望みません。贅沢しなくても生きていけますから。それに、盗んだ物を売った金なんてすぐに無くなります。そんなはした金より、長く働ける職場で地道に出世したほうが将来性があります」
私は貰った対価分はしっかり返すタイプである。礼には礼を、好意には好意を、悪意には悪意を返す。呪いの装備を付けられたのは不服だが、しっかり給料を払ってくれるならその分働くし、下剋上もしない。
奥様は自分が見下している小汚い娘に言い返されたのが癇にさわった様で、顔を真っ赤にして怒っている。瞳孔が開き、鼻息が荒い様はまるで鬼神、鬼婆である。
「死にぞこないのグズが調子に乗るな!!」
奥様はテーブルの上にあったグラスをひったくると、私に向かって大きく振りかぶった。咄嗟に避けようとしたが、石に躓いて反応が遅れる。あ、やばいなこれ。グラス直撃コースだわ。
「……っ!!」
頭に手をやってぎゅっと目をつぶる。
しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。
そっと目を開けると、いつの間にか側に来ていたヴィオさんが私の前に立っていた。その手には私が首から下げているのと似たような鍵を構えていた。
足元には水を頭からかぶった奥様が額から血を流して気絶している。私が目をつぶってる間に一体何が……。
奥様は使用人達によって回収されていった。どうやら奥様が思いっきり投げたグラスをヴィオさんが魔法で跳ね返してくれたらしい。物投げるとかマジやばいなあのDQN。
「危うくびしょ濡れになるとこだった……跳ね返してくれてありがとうございます。……あれ、ヴィオさん?」
ヴィオさんは俯いたまま動かない。少し、震えてる?
「……貴方は、働いた分の対価を支払えば、それ以上のものを求めたりしないと言いましたよね」
「言いましたけど……」
「それは、事実ですか?」
ヴィオさんは私の腕を掴み、顔を近づける。腕を掴む力がどんどん強くなり、ちょっと痛い。
夕日に照らされていた時はキラキラと輝いていた菫色の双眼は、今は暗く濁っている。月を背にして立っているから、逆光でより暗く見えるのかもしれない。
「もちろん。ふつうなら放り出される様な状況なのに雇ってくれるってんです。給料に見合う働きはしますよ」
「……そうですか」
私の言葉を聞いて、ヴィオさんは心底安心したように微笑んだ。もしかして、私があの女の言った通りに盗みを働くと思ったのだろうか。ちょっと失礼では? 私はそんな恩を仇で返すような礼儀知らずじゃないやい!
「こんな騒ぎが起こってしまっては食事どころではないでしょう。食事はお開きです。オトギさんの部屋は2階の左奥の部屋です。屋敷の間取り図と明日からやる仕事のメモが置いてあるそうなのでよく読んでおいてくださいね。では」
そう早口に言うと、ヴィオさんは足早に立ち去っていってしまった。