茨の少年
茨の花弁で満たされた棺桶の中に静かに横たわる少年はふわふわとした長い白髪、透き通るような白い肌、薄い唇。顔のパーツがまるで作られたように整っている。
肌しっろ、まつ毛なっげ、鼻たっか!!
自身の女としてのプライドがボッコボコにされる!!
「なんだこいつ顔面国宝か? 保存状態も――アッ」
死体の顔を突こうとしたその時、棺桶の縁から手がずるりと滑り、私は死体に向かってダイブした。慎ましき日本人にあるまじき行為である。というか、死体にダイブするとかやばすぎでは? 仏様に土下座したくなってきた。
「ん、あれ……なんか」
――この死体、温かい……。
私は死体の頬に触れた。やはりほんのり温かい。
「うそ、もしかして生きてる?」
心臓部分に顔を寄せる。
しかし、心音は聞こえてこなかった。心臓も脈も完全に停止している。
「え、死にたて? でも蓋は埃だらけだったし、誰かが触った跡とかなかった……」
試しに頬を叩いてみる。反応なし。頬をつまむ。反応なし。皮膚が柔らかいから死後硬直とかはしてなさそう。
「おーい、起きて下さーい。死んでるなら死んでるって言って下さい」
反応なし……。
私はスゥーッと大きく息を吸いこみ、耳元に口を寄せ、大声で叫んだ。
「おきろーーーーーーーッッッッ!!!!」
我ながら惚れ惚れするような大声。これ110デシベルくらいは出ているのではなかろうか。これでこの人が生きてれば流石に起きると思うが。
「なんのリアクションも無し。やっぱり死んでるのかな」
そう言って顔を上げようとしたとき、少年の睫毛が微かに震えたのを見た。
瞼はゆっくりと上がっていき、透きとおった菫色が私を射抜く。夕日の光をうけてキラキラと輝くその瞳は、ずっと見ていたくなるくらいに綺麗だった。
「すごい……綺麗」
口から素直な感想がするりと溢れる。少年は数回瞬きしたあと、目を見開いてワタワタし始めた。おや? 顔が赤いような……。
「※※※※!?」
「なんて?」
少年が何かよく聞き取れない言語を喋っている。
何、何語なの? 日本語じゃないからわからない。アイアムジャパニーズ。何で日本語は標準語じゃないの? というか此処やっぱり日本じゃなかったの??
「この格好は破廉恥だ!!」
「エッ」
あれ、いま破廉恥って言ったよね。いきなり何言ってるか分かるようになった……それともこの国では破廉恥を破廉恥って発音するの? 破廉恥がゲシュタルト崩壊しそう。
「とりあえず僕の上から降りてください!!」
「アッハイ」
私はすぐさま棺桶から飛び降り、服の裾をサッと払う。
あんなに顔を赤くして……もしかして「綺麗ですね」って言葉に照れたのかな? 初心ですね!
少年はこちらを見て何やらもじもじすると、しばらく平常心を取り戻したようで、ゴホンと一息ついて話し始めた。
「さて、まずは貴方、誰ですか? 名前は?」
名前……名前かぁ。知らない人に簡単に本名名乗っちゃ駄目って兄が言ってたし、適当に偽名名乗っとこ。
「オトギです」
「ではオトギさん、と呼ばせていただきますね。僕の名前はヴィオ・ストレイトです。よろしくどうぞ」
そう言って少年は恭しく礼をした。えらく丁寧な口調と仕草だ。この子絶対お金持ちのボンボン。この屋敷に住んでた坊っちゃんでしょ。だって庶民の子供はこんな丁寧に礼しない。(偏見)
「それでその、貴方が僕を起したんですか?」
「そうですね」
事も無げに言うと、彼は目を見開いた。小声で「やっぱり、この子が……?」と呟く。
棺桶で生きてるかもしれない人が寝てたらとりあえず起こさない? 変じゃないよね?
私が首を傾げると、彼はああ、と一言呟いた。
「実は、僕はとある事情により毒を受け、長い間眠らされていたんですよ。起きるためにはある条件を満たさないといけなかったので、貴方がその条件をクリアしたのかと思いまして」
「は???」
にっこり説明するヴィオ少年は、何だか胡散臭い。
「いま何か失礼なこと考えました?」
「頭の中覗けるんですか?」
「失礼なこと考えた自覚がお有りなんですね」
ヴィオ少年はジト目である。詭弁に語る目だな。口ほどにものを言うとはまさにこの事。
好感度ゼロ、警戒心マックス。まぁ、私は不法侵入してるもんな。そら警戒しますわ。
しかし、だ。はたしてこの子が私の運命の人とやらなんだろうか。矢印の送り主は私に何をして欲しいんだろう。分からない事が多すぎる。
「ところで、貴方はなぜここに? この屋敷の周りの森には僕の『迷いの魔法』がかけられていたはずですが……」
「魔法? ここ、魔法が使えるんですか!?」
「今更何をそんなに驚いているんです? 魔法なんて皆当たり前に使ってるでしょうに」
ここは日本どころかそもそも世界線が違ったようだ。
そりゃ毒受けて心臓止まっても生きてるってやばくね? とは思ったが……魔法の世界なら何か不思議な力でどうにでもなるよね! 納得!
「その『迷いの魔法』とは?」
「森に霧が立ち込めていたでしょう。あの霧は人が近づけないよう迷わせてしまう魔法なんですよ」
「へぇーー」
「なので、なぜ貴方がここに居るのかが疑問です」
「ふむ」
さて、どう説明しようか。「実は私、この世界の人間じゃ無いんですよ」とか言ったら多分頭の心配される。警戒レベルが爆上がり不可避だろうな。うさぎに突き落とされた部分は省いて、森に捨てられていたとこから話そうか。
「実は、起きたらこのトランクの中に詰められて、森に捨てられてたんですよね」
「えっ」
「捨てられる前のことは、あまり覚えてなくて……」
「捨て……!」
「当て所なく森を彷徨っていたらこの屋敷についたんですよ。ここなら雨風凌げるかなって」
嘘はついてない。もし何も手がかりが無ければ、この屋敷の部屋で寝泊まりしようとしていたし、この屋敷にたどりついた経緯も間違ったことは言ってない。
あくまで私はほんとの事を言ってるだけ。だから警戒レベル上げないで、私は怪しい人じゃないですよ?
「だから、何故ここに来れたのかは私にもわからないです」
チラッと様子を伺うと、ヴィオ少年はすごく哀れなものを見る顔をしていた。
確かに哀れまれるのも納得な不運に見舞われてるけど、兄や友達にこの事話したら確実に馬鹿笑いされる、最高のエンターテイメントだと思うんだけど……。
「貴方……何故そんな平然としてられるんです?」
「何がですか?」
「貴方見たところ同い年くらいでしょう? 普通ならもっと悲しみにくれて意気消沈していそうなものですけど」
私はそうですかね? と首を傾げる。そういうものだろうか。誰かに捨てられた覚えもないし、いきなりこんな世界に来て正直困惑という感情が勝ってるので別に悲しくはない。
「普通のさじ加減は人によって違うので。とりあえず私は全然悲しくないです」
「そ、そうですか……」
釈然としてない様子だが今の状況に納得はしてくれたみたいだ。うんうん、僥倖僥倖。
「ところで、私帰る家が無いので、居場所が見つかるまでここに置いてくれると助かるんですけど……」
「貴方、けっこう図太いですね……どうぞお好きに。僕は危害が加えられなければ気にしません。掃除は自分でしてくださいね」
「まじ!? やった!」
チャラリラッチャラ〜、オトギは拠点を手に入れた! ダメ元で言ってみたが普通に要望が通った。やったね!
聞くと、茨の蔦や『迷いの魔法』は眠っている間、無意識に発動した言わば自衛手段だったらしく、目覚めた今は必要なくなったので消えているらしい。
これで迷わないからいつでも出ていけるね!
「掃除といえば、この屋敷って誰か出入りしてました?」
「いえ……さっき言った通り、迷いの魔法でここに来れません。そもそも僕に会いに来る人なんていませんし――滅多な事がない限りは誰もいない筈ですが……なぜそのような事を?」
「はじめて来たとき、屋敷の外が中に比べて妙に綺麗だったので、誰か掃除しに来てたのかなと思って」
――チカッ
「掃除に来る人なんか来るはずない。多分立ち入り禁止にされてます」
――チカッ
「そうだったんですね。でも、じゃあなんであんなに綺麗だったんでしょう。窓なんか誰かが磨いたみたいにピッカピカで……あ」
――窓の外、誰かいる。
「っ!!」
「わっ、ちょっと! なんです!?」
私は咄嗟にヴィオ少年を自分側に引き寄せ、頭を抱き込む。そのすぐあと、窓がバリンと音をたてて割れ、窓ガラスの破片が辺りに飛び散った。
床には大きな石が落ちていた。これが投げ込まれて窓が割れた事は一目瞭然。
ヴィオ少年を移動させて良かった。そのままにしてたら石が頭に直撃コースかガラス片で体ボロボロコースの2択だっただろう。
更に少年をしゃがませ、一応トランクを盾にしておく。すると、頭上で何かがすごい速さで通り過ぎる。振り返るとそこには壁に刺さった矢があった。どっから射ってんだ。2階だぞここ。
「!?!?」
「あ~、これ中に入ってきたかなぁ」
蔦消えたって言ってたし、すぐ上がってくるよなこれ。
「ヴィオ少年、とりあえず別の部屋に隠れましょう」
「は、え、なに……?」
「はは、混乱極まってるぅ」
片っぽにトランク、もう片っぽでヴィオ少年の手を掴み、隣の部屋のドアを少し開けてもうひとつ隣の部屋に入る。
今なら少し開けておけばその部屋に逃げ込んだと思って探してくれる事に100円かけちゃう。
「ヴィオ少年、落ち着きました?」
「あれはなんだ!?」
「矢ですね」
「そんな事わかってます!! 無駄にキリッとした顔で言うな!! なんでそんなに落ち着いてられるんだよ!?」
「どうどう、言葉が乱れてますよ。慌てたって何にもならないじゃないですか。大きい声出すと気づかれますよ?」
ヴィオ少年はハッとして口を塞いだ。落ち着いてくれたようで良かった良かった。
「さっき話してたとき、外でチカチカ光ってたので確認したら矢をかまえてる人がいたんですよ。外の窓ガラスが妙に磨かれてたのは中の様子がいつでも確認できるようにしてたんですかね」
窓ガラスが綺麗な理由がもしそうなら、なかなかの殺意を感じる。この少年は何をしてしまったんだろう。
「ところで、矢をかまえる奴が1人、石を投げ込んだやつが1人で計2人は不審者がいる訳ですが、何か恨まれるような事しました?」
「あるわけ無いでしょう!? 僕はここで毒によって10年近く眠ってたんだ! 意識はあれど動けないんだから恨みを買うまねなんかできませんよ!」
「待って、10年近く眠ってたとかその間意識あったとか聞いてない」
さらっと凄い情報を聞いてしまった。この人いま幾つよ?次からヴィオさんって呼ぼ!
ヴィオさんワンチャン年上説に軽く衝撃を受けていると、廊下からドタドタと複数人の足音が聞こえてきた。どうやら屋敷内に乗り込んできたらしい。
さっきまでいた部屋を物色する音が聞こえる。ガチャンだのバリンだの、「どこ隠れやがった!!」だの言ってる。物騒だな。
もう聞いてるだけで殺意高めだし、早々に安全地帯に逃げてしまいたい。とりあえず屋敷の外にこっそり出たりできないだろうか。
「この屋敷、隠し部屋とか隠し通路があったりとかは」
「しませんね」
「まぁじか」
こっそり屋敷の外に脱出は無理。
「降伏したら助かったり」
「この状況で? 降伏して助かるとお思いで?」
「Oh」
詰みである。逃げるための経路は階段を降りるしかないが階段は不審者がいる部屋側にあるんだよなぁ。ばれる確率高すぎ。誰だよ最初にこの部屋入ったやつ。馬鹿じゃねぇの? 私じゃねぇかざけんな。作戦ガバじゃないか。
「……もう、当たって砕けろ作戦しかないな」
「なんですって?」
「いや、もう逃げられない原因を消すしかないなと。相手を小さくしてプチッと潰す方法と、こっちが巨人になってプチッと潰す方法があるんですけど、どっちがいいですか?」
今、私の目はとても濁っているだろう。でもね、この世は弱肉強食。狩られる前に狩らねばか弱い生き物は生きてはいけぬのだよ。
「思考回路サイコパスですか? なんで選択肢の終着点が潰す一択なんですか? あと脈絡ってご存じです?」
「小さくしてプチッとする方ですねかしこまりぃ!!」
「話聞いてないですね!?」
やると決めたらやる、それが私である。
隠れていてもいずれはバレるだろうし、死んだらそれまでの人生だっただけだ。運命に抗えってね!! さて、トランクからクッキーを取り出しポケットにしのばせておく。
ドアに耳をあて、部屋の外の様子を伺う。まだガチャガチャやってる音に混じって、1人分の足音が近づいてきているのが聞こえる。
トランクを両手でもって構え、足で勢いよくドアを開ける。するとドアの向こう側から「ガッ」と汚い声が上がった。この部屋に入ろうとしてたのか。あっぶね。
図らずも相手に不意打ちを食らわせたドアに感謝しながら、私は純粋無垢な少女ボイスを喉からひねり出す。
「はわわ、ごめんなさぁい! ドア向こうに人がいるなんて知らなくって……お詫びにクッキーあげますね!!」
私は鼻を抑えて悶絶している男の脛に、思いっきりトランクをぶつけた。一回転したので遠心力で効果は多分2倍だ。合掌。
「いってぇ!!」と叫び、脛を抑えて蹲る瞬間を見計らって口にクッキーを放り込み、顎あたりにロケット頭突きすると、男は白目を向いて気絶した。
「なぁんだ、頭突きで気絶するならクッキーいらなかったな」
男が完全にノックアウトしたのと、弓を持った男が「どうした!」と言ってこちらに向って来たのは同時であった。
「なっ……!! てめぇ何しやがった!!」
「頭突きですが?」
「はぁ!? 何頭おかしい事言ってやがる!!」
素直に答えたのにdisられた……オトギちゃん悲しい。
「ところで、後ろのそちらはどなた?」
「は?」
男は後ろを振り返る。その隙に私は一気に間合いを詰め、男の顎めがけてトランクを下から上へ振り上げた。男はフラついている。私はそのまま男の背後に回ってひざ裏を蹴っ飛ばす。所詮、ひざカックンである。
男がひざをつき、姿勢が低くなった所で男の脳天めがけてトランクを撃ち抜くと、男はとうとう倒れた。
良い子は過剰防衛で引っかかるかもしれないから真似しちゃ駄目だぞ。
「こんだけ音たてれば他に仲間がいたら来そうなもんだけど、誰も来ないしいないのかな?」
辺りを観察していると、いつの間にやら部屋から出ていたヴィオさんがドン引きした顔をしていた。
「貴方、随分と容赦がないですね」
「身内に甘く、敵は完膚なきまで叩きのめすがモットーですから!」
「はぁ……」
「それに死んでないのでセーフです」
「その考え方がすでにアウトですよ」
ヴィオさんはそれはそれはマリアナ海溝より深いため息をついた。助かったんだから呆れてないで喜べばいいのに。
ちなみに私は無事生還できた嬉しみによりアドレナリンがドバドバ状態である。さっきから愉快で仕方がないので、平常心皆無であった。そのため、行動に歯止めがきかなくなっていた。
「とりあえずこの男にもクッキー食わせましょう」
私は100点笑顔で男の口にクッキーを突っ込んだ。