人との距離
翌日の学校では昨日の水龍の話で持ちきりだった。
「公爵様って凄い方だとは思っていたけれど、あんな大魔法が使えるなんて」
「この目で見ても信じられない!俺は絶対スペンサリア家には逆らうまいと思ったよ」
と、内容は彼を褒め称えるものだ。幸い怪我人はいなかったようだが、訓練塔を破壊したとされる公爵は学院長に苦言を受けたらしい。
「ごめんなさい」
私は朝一番に教室に現れた公爵に謝った。
「なんの話?」
「昨日の件、先生だけに責任を押し付けてしまいました」
「それが大人の仕事。リズが気にすることじゃない。それに、訓練塔を壊したのは間違いなく僕が発動した魔法だから」
「それでも……」
私も一緒に学園長に頭を下げた方がよかったのでは無いだろうか。そう言おうと思ったが、公爵に鼻をつままれ私の発言は封じられる。
「なにふるんですか」
「かわいい、かわいい」
私は頰が紅潮するのを感じ、公爵の手を掴んだ。
「やめて下さい」
「君が嫌がる顔をするのが最高にかわいい」
「先生は最高に変態ですね」
なんで、そう言われて嬉しそうな顔するかなぁ。
「そういえば、リズの魔力だけれどやっぱり普通の魔力と明らかに異なっている。最早、別物と言っても良い。それにもしかしたら、君の魔力は人を介してようやく発動するのかもしれない」
「私は只の魔力補充装置ですか……」
「恐ろしいのはその威力だ。正直、魔力の器が大きい僕だから耐えられたけど、他の人には無理だろうね。唯一王族だったら耐えれるかもしれないけれど、御身に負荷が掛かることを考えたら、とても使って頂くことは出来ないね」
大した自身であるが、彼が言うならそうなのだろう。
「つまり私は、先生専用のブースター兼魔力補充装置といった所なのでしょうか」
「そのいい方はちょっと……」
何故照れる……。
この公爵の恥じらいポイントがわからない。
授業が始まり公爵が去っていく。
しかし、今日は珍しく休み時間に公爵が訪れることは無かった。
昼に待ち合わせた大食堂で本を読んで待っていると、息を切らした公爵が私の前に現れた。
「どうしました?」
「いや、なんだか今日はよくミュレーゼ嬢達に囲まれてしまってね。ここに来るのも大変だったんだ」
ミュレーゼ嬢とは前に私を睨んでいた、赤毛の伯爵令嬢である。私の過去を公爵に話していたのも彼女だ。
(先生のこと気にしてたもんなぁ。ついに行動に出たのかな)
「講師としてきているのだから、自分の研究ばかりでなく色んな生徒と交流を持った方が良く無いですか?」
公爵はキョトンとした顔をした。
「何故?授業はしているし、それ以外に生徒に構う暇なんてないよ?僕はそういう契約でここに来たのだし」
スペンサリア公爵は神様に愛された、特別な人間だと言われている。彼を一月も学園に滞在させるにはそれくらいの譲歩を学園側が要したのは必然かもしれない。
「先生がスペンサリア公爵様だと言うことを今思い出しました」
「その言い方は他人行儀で嫌だなぁ。ジルベールで良いよ、ほら呼んでごらん」
「……。ジルベール……先生」
「敬称は無しで」
「ジ、ジル……」
良いよ、と言われても遥か雲の上の人をそんな風に呼べる訳がない。
ふと公爵を見るとにやにやと私を見ていることに気がついた。
「何故そんなに楽そうなんですか?」
「えっ?そうかな?」
「もう、私で遊ぶのはやめて下さい!ほら、お店の方が来ましたよ」
注文を取りに、店員が私達の元にくる。公爵は昨日と同じようにコース料理を頼んだ。因みにメニューは日替わりなので、昨日と同じものが出てくるわけではない。
「私は……、水を下さい」
この流れで水だけ注文するのはとても恥ずかしい。
「どうしたの?お腹でも痛い?」
「いえ、ちょっと」
お金が無いんです。なんて言えない。
「ダイエット中で」
「ダイエット??元々こんなに痩せ細ってるのに?」
失礼なっ!
「ダイエットだとしても、昼はちゃんと食べた方が良いそうだよ?」
「良いんです、これで」
恥ずかしいから、もうこれ以上この話題を続けるのはやめて欲しい。
公爵は店員に向き直る。
「じゃあ、私が頼んだものを2つに変更して。パンはきゅうりのサンドイッチに変えて」
「かしこまりました」
「先生!?」
明らかに私の分だ。キャンセルしようにも公爵がした注文を男爵の私が異議を唱えても店員さんを困らせてしまうだけだろう。
どう考えても、今の手持ちを全部合わせても足りない。
「先生、私……おか」
お金がない、そう言おうとした時、彼はにっこり笑う。
「僕は女性と一緒に食事をする時、相手の女性に負担をかけるような人間じゃないよ?」
「でも……人に恵んでもらうのは不本意です」
「まず、君がなんでそんなに困っているのかが不思議ではあるけど。話すのは嫌?」
私はこっくりと頷く。
「じゃあ、こうしよう。僕はリズに協力をして貰って新たな研究をしている。食事代はその報酬の分だ」
「……それなら」
公爵が良かったと小さく言ったのが聞こえた。
「僕といる間に丸々と肥えるといい」
「だから研究動物扱いはやめてください」
私の元にも届く料理はどれも殿上人が食べるであろう味だった。惜しむべくは公爵が食べているパンがとても美味しそうで、昨日きゅうりのサンドイッチを好きと猛プッシュしてしまったことだ。
私達は食事が終わり、人目がない庭園のベンチに座り一息つくことにした。
「そんなに、美味しかった?」
公爵は始終、料理を口に運ぶ私のことを笑いをかみしめながら見ていた。
「もう食べれません。公爵様が如何に素晴らしい人かわかりました」
私が大袈裟に褒めると、公爵は私の頭をくしゃっと撫でる。
「よく出来ました」
頭をぐしゃぐしゃにされて不愉快な筈なのに、こんなことで褒められたのが嬉しい。
「それでは頭がくしゃくしゃになります。もっと優しくしくやって下さい」
「え?」
「?」
いつも通りに対応した筈なのに、なんでこんなに驚いているんだろう。
そこで、さっきの言葉が、頭をもっと撫でろという要求に他ならないことに気がついた。
「ち、違っ!私はただ、頭をくしゃくしゃにしないで欲しいという意味で言ったつもりで」
顔から火が出そうだ。必死に言葉を重ねた所為で、余計嘘っぽくなってしまう。
公爵は少し考えた素振りを見せ、私に向け腕を広げた。
「おいで」
その腕の中はとても魅力的だった。でもそこに飛び込めば、私が築き上げてきた一人の世界が決定的に崩れてしまう気がした。
私は人に甘える、という行為を知らない。そして、そんな弱い自分がこれから先をどうやって生きていくのか、生きていけるのか分からなかった。
どうしたら良いか分からず、固まっていると公爵はため息を吐いた。
(あ、だめ。待って。見放さないで)
そう思った瞬間、公爵に腕を引かれる。そして、気がつけば私は彼の腕の中にいたのだった。