ミストン家①
公爵の風魔法で制服を乾燥させて貰い、私は馬車に乗り屋敷に帰る。
自室に直行し入りベッドに倒れこんだ。別館にある質素な部屋に質素なベッド。大凡令嬢とは思えない部屋だが私はこの部屋を気に入っていた。
唯一心安らぐ場所だからだ。
公爵と過ごした放課後を反芻する。
(今日の思い出は絶対忘れたくない。別にあの変態公爵なんてどうでもいいけど)
それなのについ、笑顔を思い浮かべてしまう。どんなにかき消してもあの顔が浮かぶのが鬱陶しくて仕方がない。
枕に顔を埋めていると、ノックの音がした。
「はい」
慌てて起き上がり、衣服を整える。この家で隙を見せることは許されない。
「リズ様、わたくしです」
男爵の執事だ。
「どうしましたか?」
「ご主人様がお呼びです。執務室へいらして下さい」
「えっ?男爵様が私を?お姉様ではなくて?」
「そうです。何度も言わせないでください」
「はい」
(珍しい。いつも私のことなんて視界に入れるのも嫌がるのに)
私は執事と、男爵の部屋に向かう。今日は何を言われるんだろう。私に話なんて悪い話と決まっている。
私はうんざりした気持ちを全部溜息で吐き出し、気持ちを切り替える。
「男爵様、リズ様をお連れしました」
「入れ」
私は執事の後に続き入室する。男爵は大きな執務机の椅子に腰掛けている。私を待ち構えていた様に、肘を立て指を組んでいた。大きな体に太い指。下品な装飾で自身を飾り立ててもその顔の醜悪さはちっとも薄れていない。
「男爵様、お久しぶりでございます」
私は制服のスカートを持ち上げ、礼をする。
「ああ、こうしてお前と顔を合わせるのは久しぶりだ。元気にしていたか」
ニタニタ笑う顔がとても不気味だ。男爵がこの様な笑みを浮かべるのは最初に出会った時以来だ。
「はい。この通りでございます。それで、この度はどの様なご用件でしたでしょうか」
「ああ、それなんだがな」
男爵は組んでいる指をうねうねと動かす。この癖が気持ち悪くて仕方がない。
「お前、スペンサリア公爵様とご縁があったそうだな?」
ドクン、と心臓の音が鳴る。この男はどこまで知っているのだろう。
「はい。我が学園の臨時講師として参られました」
「それだけじゃないだろう?ありがたい事に頻繁に声を掛けられているそうじゃないか。何故教えてくれなかったんだい?」
そういうことか。昨日行っていた夜会で仕入れた情報だろう。
猫なで声に吐き気をする。
「申し訳ありません。なかなか報告する機会がございませんでした」
「気にするな」
「お心遣いありがとうございます」
「それで、お前は自分の果たすべき役割をどこまで理解しているか確認したいんだ」
役割?公爵を紹介しろとでもいうつもりだろうか。彼が私の家に興味を持つとは思えない。そんな暇があったら研究室の掃除でもしていた方がまだマシだとでも言われそうだ。
それに、私の養父がこんな人物だと知られるのが恥ずかしいというのもある。
「申し訳ありませんが、公爵様は研究以外に興味はございません。わたくしのことも単なる好奇心で……」
頭を下げ、そこまで言った所で頰に痛みが走った。
「!?」
「思い上がるな!誰がお前の意見なぞ聞いた!!」
ゴンっと後ろの方で音がなる。床に何か硬いものが落ちた音だ。それで漸く何か硬いものが私に投げられ頰を掠めたのだと気がついた。
身体が固まる。
(また始まった……)
男爵は気に入らないことがあるとこうして癇癪を起こす。こればっかりは小さい頃から慣れることはない。身が竦みただただ恐怖を感じる。
「いいか!お前を拾ってやったのは魔力があったからだ!それが無ければ今でも孤児院で飢えながら暮らしていたのだぞ」
「はい。承知しております」
「だったらその顔でも体でも使って、我が家の為に縁を結ばんか!」
「かしこまりました」
男爵の話に頷かなければ、この時間はずっと終わらない。
私の答えに満足した男爵は再びにんまりとした顔に戻り猫なで声で話す。
「きちんと勤めを果たすのだぞ」
執事が執務室の扉を開けた。もう退出していいらしい。
私は礼をして部屋を出る。その際、先程物が投げられた方向を見ると、そこにはインク瓶が転がっていた。
(今日は蓋が開いてないみたい。よかった)
私は一人自室に戻る。すると、本館と別館を繋ぐ通路に人影が見えた。
(ダリア姉様だ)
腕を組み壁に持たれ掛かっている。この通路を通らねば、私の部屋に帰れない。明らかな待ち伏せである。
私に気がついたお姉様は扇子を広げ口元に当てた。
「あー、嫌だ。平民のにおいがするわ」
じゃあ、なんでいるんだろう。
黙っていると、ダリア姉様は私にススっと近づく。姉様はこの家の実子であり、去年学園を卒業している。
「あんた、父様にお呼びされたそうね?精々、体でも使って公爵様を誘惑しろとでも言われたのかしら?」
「ダリア姉様には関係ないことです」
私が冷たくあしらうと、姉様は顔がカッと赤くなって私を突き飛ばした。
「あんたの取り柄なんて顔だけでしょ?期待された魔力だって使えず仕舞いで!!いつまでこの家に居座るつもりなのかしら。この恥知らず。父様に呼び出されたからっていい気にならないことね」
「わざわざ釘を刺さなくても、そんなのわかってるわ」
ダリア姉様はふんっと鼻息荒く去って行った。
学園では無視されるだけ。そちらの方がどんなに私にありがたいことか。
幼い頃、私はこの容姿と高い魔力があると期待されミストン家に引き取られた。魔力が高いことは貴族の誇りだ。貴族の端くれであるミストン家はほとんど魔力をもっておらず、そのコンプレックスが強くある男爵は、孤児院にいた私を引き取った。
その娘が、実は魔法も碌に使えないとは夢にも思わなかっただろう。男爵家の私への当たりは年々強くなる。こんな家でも最低限の食事、衣服の支給、勉強ができるだけまだ孤児院よりもマシだ。
私は自分の部屋に着くと、なけなしのお金で買った薬箱を取り出し、頰に白い絆創膏を頬に貼る。
(明日にはあざになってるんだろうな)
こんな家にスペンサリア公爵を呼べるはずも無いだろうに。
翌朝、登校し自分の席に着く私の顔を公爵は覗き込む。
「顔、どうしたの?」
「転んで打ちました」
「女の子なんだからもっと大事にしないと」
「別に顔なんて私にはどうでも良いことです」
「そんなことないよ。僕は君が怪我をしたら悲しい」
不覚にも胸を打たれ、目頭がジワッと熱くなる。
「ん?どうかしたの?」
「なんでも無いです」
私は他所を向いて、涙を飲み込む。
この人と縁を切ればもう男爵に無茶な要求をされることはないかも知れない。
それでもそれをしないのは、私は人間の……この人の温かさを知ってしまったからだった。