リーロン君再誕す
まるで底が見えない深淵の中に意識が沈みこんでいく。これが死か。剣が貫いた瞬間はあまりの痛みに意識を失いかけたが、所詮痛みなど危険信号の一つだ。気合でこらえればまるで熱い何かがこみ上げてくるかのような感覚の後、冷たくなっていく身体を認識するぐらいであった。危険を警鐘する意味などなくなったのだろう。つまり死だ。呆気ないものだ。
勇者は凱旋し、しばらくは子飼いのように大事にされるだろう。しかし、しばらくすれば邪魔になり、始末しようとするはずだ。もとより平民出の彼女を面白くは思わない者は多いだろうし、強すぎる力は手元に置いておくには恐怖だろう。彼女が状況を把握し、危険が迫れば、我が放っていた間者が介入し、帝国へと逃がす手はずだ。
もとより世襲制の王国では平民である彼女が上に登り詰めることはないだろうが、我が帝国であれば違う。力が全てだ。皇帝である我と互角に戦い、打ち負かした彼女であれば、民は受け入れるだろう。新しい皇帝として頑張って欲しい。そうなるように戦ったし、そうなるように帝国を創り上げた。残してきた信頼できる配下がサポートをしてくれるだろうし、後は彼女次第だ。そこまでするのに、我は多くの血を流しすぎたがな。
きっと地獄行きであろう。その程度背負う覚悟なく生きて来たつもりはないが、最後の最期で楽しい時間であった。願わくば、その先を共に見据えることができればよかったが、それは贅沢だろう。
まどろみの中にいるような感覚の中、不意に一筋の光が視線に入った。動かすだけでも億劫な身体を動かし、無意識にその光に手を伸ばすと、一気に思考は真っ暗な闇の中へと消えていった。
「おいっ! おいっ! 起きろこのガキが!」
「……むぅ?」
脇腹に痛みを感じ目を覚ますと、無精髭の汚らしい格好の男が目に入る。どうやら我は寝ていたようで、起こすために蹴り上げているようだ。
「そう蹴ることもあるまい。起こすぐらいで大げさではないか」
「あん? こいつこんなに目つき悪かったか……?」
がばりと起き上がり、衣服を叩いて汚れをはたきおとす。しかし、いつから我はこんな薄汚れた生地の服を着ていた? 心なしか身体も薄汚れている。というよりも、小さくなっているか?
「いいからさっさと起きて水くみを再開しろ!」
「全く、いちいち怒鳴らなくても聞こえておるわ」
「てめぇ……なんだその口の利き方は!」
まだ起きたばかりで覚醒しきれていないそばで、がみがみと怒鳴られると耳障りである。周囲を見渡すと、同じようなぼろきれを着た子供が水を汲んでいるようだが、その表情は怒鳴る男への恐れへと染まっているようだ。その中には信じられないようなものを見る目で我を見ている者もいる。
「怒鳴る暇があるなら自分が運べばよかろう」
「くっそがぁ! ガキがなめやがってぇ!」
口うるさい男が激高しながら殴りかかってくる。ふむ、短慮な男である。この程度の打撃、我がサウザ流理論の一つ、サウザ流理論【後ろに飛び退いて威力を殺したか!】で無効化できる。相手の拳が身体に触れると同時に、その動きに合わせて後ろに飛び退く。よし、完全に威力を殺した……と思うものの、強烈なめまいが我を襲い、後ろへと倒れ込むと頭部に衝撃が走る。
「はんっ! 生意気するからだ!」
完璧に受け流したはずの我の意識は、また暗闇の中に沈んでいってしまうのだった。