ストーカー、本気出す
「ねぇ……今、なんて言ったの?」
「はぁ……だから、顔が良かったからお前と付き合っただけだって言ったんだよ生真面目女」
少女の震える声に嫌々嫌味を混じえながら答える男の声。
場所は校舎裏。災害時の避難所として使うことも考えられて、小山の中層辺りに建てられた校舎と裏に広がる坂道に挟まれ、日差しが差し込むことがないジメジメとした場所。人気も無くあまり長時間いたいとは思えない。
そんな場所で男女が一組いれば、何をするのかある程度絞れてしまう。告白か、情事か……別れ話か。
今回の一組はどうやら別れ話のようだ。
「うそ……だって、性格とか仕草も良いって……可愛いって言ってくれたよ…?」
「お世辞ってことにすら気づかねぇって、もうないわー。ほんとめんどくせぇ」
「…………」
男の発言はますます棘のあるものへと変わっていく。とことん目の前の少女を蔑んだ言い方に、少女は大粒の涙を浮かべ始める。
「うわっ……泣き出すとか、だっせ……こんなんで生徒会長とか、なんかコネでも使ってたんじゃねーですかー?」
「……っ……ぅ……」
涙が溢れて視界がぼやける。精一杯努力して、友人達も支えてくれてようやくなれた生徒会長という役職を貶されて、煽られて、馬鹿にされる。
悔しくて、悲しくて、何より男の本性を知らずに数ヶ月の間のうのうと過ごしていた自分がどうしようもなく恥ずかしくて、消えてしまいたい。
「あ、そうだ、俺の可愛い彼女を紹介してやるよ」
男は人を不快にさせるような笑みを浮かべながら自身の後ろに手招きをする。その方向から歩いてきた一人の女子生徒が男の隣までやってくると、必死に涙を堪える少女に見せつけるように男へ撓垂れ掛かった。
「ど〜も〜生徒会長さん!彼氏奪っちゃってごめんね〜」
軽い口調で男と腕を絡ませながらクスクスと笑い出す。髪先を栗色に染めカールさせたロングヘア。小柄でありながら大きめの胸を男に押し付けるようにしている。可愛らしい顔立ちで小動物を思わせる……内面が外見通りとは限らないが。
「ねぇねぇ、そういえばなんで会長と別れようって思ったの?」
「あん?そんなん、こいつがちっともやらせてくれようとしねーからだよ」
「あーなるほどー。どれくらい付き合ってたの?」
「3ヶ月くらいだな」
「うわ……それは可哀想に……あたしは甘やかしてあげるからねー」
卑猥な会話をしだす二人。男はもはや眼中に無いとばかりに元彼女であった少女を無視し、女はニヤニヤしながら横目でチラチラと見てくる。
少女はもう逃げ出したかった。1秒たりともこの場に居たくない。でもここで後ろを向き逃げ出したら、今まで自分が積み上げてきたものが何もかも崩れ去ってしまう気がした。生徒会長としての威厳とかはもう既に落ちてしまったのかもしれないけれど、一人の女としてこの二人に背中を見せたくなかった。
「ってことでお別れだ会長サマ。さっさと新しい男でも作ればいいんじゃねぇの?どうせそいつも俺みたいに幻滅させられるだろうけどな。ぶははは」
「会長ならストーカーでもいるんじゃない?その人なら暫くはもつと思うよ!」
「ハハハハ!そうだな、ストーカーと付き合ったらいいじゃん!何されるか分からないけどな!」
少女は俯き、悔しさで爪が食い込むほど固く手を握りしめる。だめ、こぼれないで。そう思っていても否応無しに頬を熱い雫が伝っていく。どこまでも人馬鹿にした発言に、でももし……もし、そんな人がいたなら……こんな男より数倍、私を見てくれている人なら……あるいは……
「いいんですか?」
「ほぇ!?」「きゃぁぁあ!?」「っ!?」
男の後ろから聞こえた唐突な第四者の声に三人が揃って驚いた。
「誰だテメェ!!」
素っ頓狂な声を上げてしまった男が怒りか恥ずかしさか顔を赤くしながら声を荒らげる。
男の後ろにいつの間にか立っていた青年。男と同じくらいの身長、180センチ近い背丈に引き締まったような程よい肉付き。ここにいる三人と同じ制服でネクタイの色も同じであるため、同学年らしい。体型だけなら注目を浴びそうではあるが、ボサボサに伸ばした前髪が両目を隠していて不気味さが目立つ青年だった。
「……あなたが言ったではありませんか」
「ああん?」
感情が伺えない淡々とした話し方で青年が話す。前髪に隠された瞳はたった一人しか写していなかった。
「ストーカーですよ……会長の」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ぶっはははははは!マジかよ、マジでストーカーがいんのかよ!」
「うわぁ……気持ち悪っ。ストーカーとかムリなんですけど〜」
男は腹を抱えて大笑いし、女は軽蔑したような目を青年に向ける。しかしそんな周囲の反応などどうでもいいとばかりに少女との距離を縮める。くっ付いていた男と女の間を自然に割きながら。
二人ともイラついた反応を見せるが、青年の不気味さが勝って特に声を荒らげることはなく、青年に道を譲る。
青年は少女の目の前までやってくると胸ポケットから綺麗に折り畳まれたハンカチを取り出し、呆然と見上げてくる少女の濡れた頬を優しく拭う。
前髪に隠れて見えることがない青年の顔は、下から見上げる少女には良く見えた。
恐ろしく整った顔。まるで漫画の世界から抜け出した王子様のようで、しかしそれ故に現実味がなく違和感を感じてしまう異様さ。右目の下の泣き黒子が男性であるのに艶やかさを与え、僅かに下がった目尻の垂れ目が優しさを感じさせる。
通りを歩けば誰もが二度見するような容姿を持つ青年だったが、少女が目を釘付けにされたのは、少女だけを見つめる青年の瞳からありありと感じ取れる熱だった。
「もう、隠さなくても……いいですか?」
隠しきれない、隠すつもりもない焦がれるような熱い想いが青年から嫌になるほど伝わり、涙の代わりに汗が頬を伝った。
「あなたは覚えていないのかもしれませんが、僕はずっとあなたをお慕いしていました。小学校の頃、この容姿のために孤立していた僕に唯一声を掛けてくれた人。初恋の女の子。ずっと話したいと思っていた想い人」
まっすぐ少女だけを見つめて、ワイシャツが皺になるくらい胸の位置を握りしめて、長く秘めていた想いを吐露する青年。
「でも、僕があなたに近付けば迷惑になると思っていました。僕の見た目は普通じゃないから……かっこいいとか綺麗とか言われても、その一言だけ言ってみんな離れていくから……もし僕があなたに声を掛けて、それを他人に見られれば、どうなるかは分かっていました」
「だからせめて、あなたのことを幸せにしてくれる人が現れるまでは、と……ストーカー紛いの……いや、ストーカーそのものの行動をしていました。目立たないように顔を隠して、あなたの迷惑にはならないよう注意して……そしてようやく、あなたが付き合うことになりました。…………そこの男と」
半歩足をずらし少女から視線を男に移す青年。少女からは青年の顔は見えなかったが、その視線の先にいる男女が顔面を蒼白にして震えだしたのは見えていた。
青年が少女に視線を戻すと、もうその瞳には少女しか写っていなく、ただただ頬が引き攣るような熱視線が飛んでくる。
「そして今、あなたは悲しんでいた。苦しんでいた。その男が原因で。僕はあなたに幸せになって欲しい。苦しむ姿なんて見たくなかった。あの男の悪い噂は多少なりとも僕の耳に入っていたのに、僕はあなたを止めることなく、僕はただ見守っていればいいと自分自身に言い聞かせて……それがこの現状です」
固く目を閉じ、自分を戒めるように握りしめた拳が震える。
少女は青年の姿に声をかけることが出来なかった。
「これは僕の怠慢です。自ら何も行動しなかった僕の……!少なくとも……僕があなたのそばにいたとしたら、周りからの視線は多いかもしれないですけど、少なくともあなたを悲しませることは、苦しめることだけはしなかった!こんな涙を望んだわけじゃない!僕を救ってくれた時のような、太陽のように明るい笑顔のあなたが見たかった!」
真っ直ぐな瞳。目端に涙すら浮かべた真摯な想いに……少女の目から一滴の雫が落ちる。
おかしいな……さっき、さんざん泣いたはずなのに、まだ涙が残っていたのかな?
時間が経てば、傷心に漬け込んで、だとか思うかもしれない。でも今、この瞬間、疑う余地のない想いが詰まったこの瞳に救われたことは確かだった。
今自分はどんな顔をしているのだろう?
涙に濡れる泣き顔か、嬉しい言葉を聞いた笑顔か……
どちらにしろ、数分前の胸を締め付ける苦しさは、もう感じなかった。
「これからは僕があなたを幸せにします。あなたが許してくれる限り、僕はあなたのそばを離れませんよ」
少し背筋がゾッとしたが……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌日の早朝。朝のホームルームが始まる40分ほど前。
「おぉぉお〜、何そのテンプレ展開」
生徒会室にて、会計役を務める女生徒が書類を整理しながら件の少女である生徒会長が語った話に感嘆の声をあげる。
「ただ……ストーカー、なんだよねぇ…その王子様」
「べ、別に王子様って訳では……まあ、顔はすごい整ってたけど」
昨日、こちらが溶けそうになるほどの熱視線を送ってきた青年の顔を思い出してほんのりと頬を紅く染める。自分は傷心していたし、青年はストーカーであると分かっていても、あの顔とあの熱視線に加えて『あなたが大好きです』オーラ全開の言葉を全力投球されれば、気持ち悪いと思うより先に胸が高なってしまうのは仕方が無いだろう。
「で、会長。そのストーカーくんと付き合う気はあるの?前のクズよりは幾分マシだとは思うけど」
「う〜ん……まだ彼のことよく知らないし、なんとも言えないかな……」
書類整理の手を止めずに悩ましそうに考える少女。すると、コンコン、と生徒会室の扉をノックする音が響く。
「早朝のお仕事の最中、失礼します。生徒会長はいらっしゃいますでしょうか?」
男子生徒の声だった。会長と会計役は月一で朝の書類整理をしていて、その事を知っているのは生徒会担当の先生と他の生徒会役員だけである。生徒会役員の男子生徒は2人で度々会話もしているので声は覚えている。そのどちらでもない声だ。誰なのか分からず頭にハテナを浮かべながら会長が扉を開けると……
「はい、私はいます、け……ど……っ!?」「…………んぇ!?」
会長は息を飲み、会計役は女子として出してはいけないような声を上げた。
扉の前にいた人物。背が高く、良く鍛えられているように見える広い肩幅。乱雑に切られた黒髪が所々跳ね返り、しかし少量のワックスで整えられているため野性味ある貴公子風というよく分からないけど何故かイケてる感を醸し出す。優しさ満載のほんのり垂れ目、スッとした鼻筋、白く並びもいい歯が僅かに見える口。控えめに言って魅惑の王子様な男子生徒が佇んでいた。
「…………ぇ、あっ……えっと……どちら様、でしょう?」
沈黙すること数十秒、いち早く復帰した会長がバクバクする心臓を宥めつつ質問する。
心境を述べてしまえば、「え、ちょっ、え?こんなかっこいい人学校にいたっけ?あれ、でも待って、なんか見たことが……」である。
「忘れてしまったんですか?昨日は僕、結構勇気出して会長の前に出て行ったんですが……」
苦笑しながらポリポリと頬を掻く男子生徒、もといあの青年。
「昨日って…………え、嘘!?だって、髪……とか雰囲気、とか……違って……」
「僕はあなたのそばにいると言いました。だったら、可愛らしくも美しいあなたに見合うよう、僕自身が変わっていかなくちゃいけないと思ったんです。それで、まずは簡単に変えられる見た目を少し整えてみました」
どこが少しなのかさっぱり分からないが、なるほど昨日の青年か、と納得する少女。昨日突如現れたストーカーの青年は完全に目が隠れるほどの長いボサボサの髪に猫背で、近寄りずらさと話しかけにくさ満載の状態だった。それが今は堂々と胸を張り、イケメンすぎるスマイルを浮かべる好青年である。
顔の作り自体は幼い頃から変わらず、作り物のように整いすぎていて不気味と言われるほどなのだが、現在の青年は現状維持を望んだ過去の生気が感じられない表情とは異なり、生き生きとしている。それが決して作り物ではなく、べらぼうにかっこいいだけの青年である、と示しているのだ。
今この場に会長とフリーズしている会計役以外に女子生徒がいたならば、某有名アイドルが突如校内に出現した並の騒ぎになるかもしれない。それほどまでに青年は変わった。
青年は自分の姿と向き合えるようになったのだ。
そして、青年が変わる決め手になった原因は他でもない、少女のそばにいたいから。それだけだった。
「…………かっこいい……」
思わず心の声が盛れてしまう生徒会長。いつものキリリとした威厳は全くない。
「っ!……そう言って貰えるなんて……嬉しいです!」
にぱっと笑みを浮かべる青年。少女の顔はますます紅くなり、会計役は鼻血が出始める。
「………………はっ!?私は何を……数秒前の記憶が無い……」
そりゃ脳が停止していたから当然ではある。そんなことよりも!とブンブン頭を振り、気を持ち直す。……鼻血は盛大に飛び散った。
「えっと……君が、会長の話に出てきたストーカー君?」
「はい、会長のストーカーをさせて頂いています」
ぺこりと綺麗な礼を見せる青年。対して会計役は不満げな、何かを心配しているような表情だった。
「私は第三者だし、昨日のその現場にいた訳じゃないから強く言える立場じゃないんだろうけどさ。やっぱり私は会長が心配なんだよ。会長がクズの言葉で傷ついて、弱っている所に漬け込んだように見えちゃうの」
「待って!彼はそんな風には――――」
「会長の意見は尊重したいけど、友達として見過ごせないの」
少女が反論するように声を上げるが、重ねて言われた静かな、しかしよく通る声音に口を噤む。真剣な顔で会計役の女生徒は少女を見つめた。生徒会の関わりではなく、一人の気の置けない友人として心配しているのだと訴えてくる。青年も、彼女が友人である少女を心の底から心配しているのだと感じ取り、姿勢を正す。
「ねぇ、ストーカー君。ストーカーって普通、気持ち悪いとか関わり合いたくないって言われるものだよ。それを分かってて言ってるよね」
「はい、もちろん客観的な印象を知った上で言っています。僕は会長のストーカーです」
「そんな君が会長を幸せに出来ると?そういうの?」
「確証がないことは言いたくありません。ですが会長が心の底から幸せだと思えるように、努力することは誓えます」
「…………なら、もうストーカーはやめるってこと?」
「……周囲からストーカーと思われるような行為はしません。しかし会長のことが好きである限り、行動に起こさなくなっても本質はストーカーと変わらないと思っています。ですから…………簡単にやめるとは、言えません」
「……………………はぁ」
息をすることすら難しい、気の張りつめた沈黙の後、長い溜息の音だけが生徒会室に流れた。会計役の女生徒とストーカーの青年が緊張を解いた。まだガチガチに固まっているのは自分の事なのに一言も話せなかった会長少女だけである。
「取り敢えず、君が誠実そうってことだけは分かったよ……試すようなことしてごめんね」
「いえ、僕としてもこれほど会長のことを心配してくれる友人がいると知ることができたので、嬉しい限りです。あなたとも良き友人になれるよう、これからの行動で示していきたいと思います」
「会長もなかなか面白い人に好かれたね〜……ん?会長ー?……戻ってきてー」
「…………ったはぁ……えっと……真剣なお話、終わった?」
ふにゃふにゃに脱力する少女を優しく見つめるのは会計役と青年だ。一人蚊帳の外……ではなく蚊帳の中で金縛りなっていたような状態だったので、相当言いたいことが溜まっていたのではなかろうか。
「もう〜!心配し過ぎだよ!私は子供じゃないんだからね!」
「ごめんごめん、でも私の気は済んだからあとは会長が好きに話せばいよ」
「好きに話すって……何を話せば……あ、そういえば君はどうして此処に?」
行動不能から立ち直った少女が青年が生徒会室に来た理由を尋ねた。非常に今更な質問だが、緊急の用事ならば急いで対処しなければならないから。
「手伝いに来ただけですよ。今日は書類整理の日でしたよね」
「えっ、なんで知ってるの?」「……これがストーカーの力か…」
会長は単純に疑問を感じている様子。会計役は戦慄しているご様子だ。
「会長のことならなんでも知ってますよ」
イケメンスマイルでさらなる爆弾発言をする青年に女子二人は違う意味で色めき立つ。
「な、何でもは流石に……」「いやでも……会長、取り敢えずなんか聞いてみてよ」「なんで私が!?」「会長のストーカーだからね」
「じゃ、じゃあ……」「今日の会長の下着の色は?」「ちょっと待って何聞いてんの!?」
「今日だけでなく何時もしr―――――「それでなんで知ってるのぉ!?」
ワイワイガヤガヤとしながらも、会計役が上手く指示を出してくれて、青年が加わり作業効率はぐんと上がった。青年に二人が質問を投げ淡々と答えていく会話だが、会長の赤裸々な事実が出るわ出るわ……これ青年への質問のはずなのだが……
何時もならば朝のホームルーム直前までかかってしまう書類整理も十分な時間を残して終えることが出来た。
主に弄られていたのは会長一人で、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして騒いでいたため、昨日の事を振り返って落ち込む時間は皆無だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その日、学校に激震が走った。
朝のホームルームから授業一限目が始まる間のわずか10分。その噂は学校中を駆け巡った。今まで一人浮いていたぼっち男子に席に見知らぬイケメンが座っていた。
最初にそのイケメンを目撃したのは毎日朝一番に教室にやってくる女子三人組である。誰もいない教室を独占出来る感覚が気持ちよく朝のホームルームから三十分程度の余裕を持って登校している。
今日もいつも通り人一人いない教室を三人で満喫しようと入ってみると、なんと先客がいるようではないか。誰だろう?としっかりと意識を向けると、その男子生徒の恐ろしく整った顔が三人の目に飛び込んできた。「あ、かっこいい」とか「イケメンだ〜」所ではない、なんじゃそりゃレベルのイケメン度。ゆったりと椅子に座り本を読む姿はまさに王子様だった。
女子三人組は入ったばかりの教室で綺麗な回れ右をしてすぐさま教室を飛び出した。朝練中の友人や先輩後輩関係なく、この驚きを知って貰おうと騒ぎながら学校中を走り回った。
そんなこんなで瞬く間に広まった王子様出現の噂。その噂を聞き駆けつけた生徒により、王子様が座っている席は元々不気味な根暗君が座っていた席だったとか、以外にも根暗君の体格はしっかりしていて現在席に座っている王子様の体格と似ているだとか、色々の推測がなされ、結果、根暗君=王子様という構図が定着した。ここまで僅か二十分。その後も興味本位で学年問わず立ち寄る生徒達で教室前は溢れかえり、先生数人がかりで散らすことになった。
「……肩が凝りましたね」
「注目されると緊張しちゃうからね」
放課後の生徒会室で話をする少女と青年。梅雨が近づく時期のため、非常時の傘の貸し出しに関する内容の話し合いをする予定である。今は他の生徒会メンバーの到着を待っている時間だ。
「…………今更なんだけど、なんで君が此処に?」
「会長補佐役を生徒会担当の先生から頂きましたので」
「そ、そんな簡単になれるものだっけ?その補佐役」
「会長の素晴らしさを熱弁したら頂けましたよ?」
「それ先生が気圧されて頷いちゃっただけなんじゃないかな…?」
「ともかく、これで会長のそばにいることが出来る口実は手に入れました。必ず会長を振り向かせて見せますよ」
ニコリと微笑む青年の素直な言葉に顔が熱くなる。
「ほ、程々にしてもらえると、助かるかなぁ……」
「善処します」
これは随分厳しい戦いになるのだろう、と少女は考える。
もし彼を拒むのなら、という言葉を付け加える必要があるが。
そしてその予想は当たることになる。青年のハイスペックさが如実に現れ始めたのだ。
とある日の生徒会室。特段やることは無かったのだがついつい来てしまった。
(ん……ちょっと喉が乾いたかな……)
「会長、どうぞ」
コトリと置かれたコーヒーカップ。湯気が仄かに昇るミルクが多めのコーヒーだった。
「え?……あ、ありがとう」
何故此処に?という言葉を発することはもう無い。少女は理解していた。自分が拒否しない限り彼は大抵そばに現れる。もう気にしても仕方が無いのだ、と。
カップを手に取ると微かに暖かい。コーヒーを一口、ミルクの甘さとコーヒーの苦さが自分好みに調整されている。温度もとても飲みやすい。
「えっと……なんで私が喉乾いてるって分かったの……?」
「会長、あまり水分をとっていませんでしたから」
「……そっか」
これまた別の、とある日の生徒会室。会長少女と会長補佐の青年の他に会計役、書記役の二人がいる。ちなみに会長補佐になった青年のことは生徒会メンバーだけでなく既に学校中に知れ渡っている。青年が周囲の目を気にすることも無く、コバンザメのごとく会長少女のそばに引っ付いているので周知の事実となっていた。
(少し足が冷えるかな……?)
「会長、これを」
青年が手渡したのは水色の小さめのブランケット、つまり膝掛けである。ふわふわで触り心地がいい生地。冬に愛用している手袋と同じ生地のものだった。
これを尋ねるべきなのか、しばしの葛藤。返ってくる応えは分かりきっているのだが、取り敢えず聞いておこう。
「……なんで足が冷えるなーって思ってたこと、分かったの?」
「寒そうな様子だったので」
だったら暖房の温度を上げるとか、上着を持ってくるとか方法は色々有るだろうに、何故にピンポイントで膝掛けなのか……
…………うん、愚問だった。彼の思考が分かるようになってしまった自分に呆れながら、それでも少女の口元は青年の優しさに触れてにやけてしまっていた。
横目で気づかれないように、微笑ましいものを見たようにクスリと笑う二人のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。その後真っ赤な顔で必死に弁解をする羽目になった。
「うーん……点数は良かったんだけど、最後の問題だけ分からなかったなー……」
定期試験の結果が返ってきた。見つめるのは数学の問題。平均が60点代なのに対して少女の手元の解答用紙には92点の赤文字。文句なしのクラストップだったのだが、先生が大学入試対策として入れた難解な証明問題が解けなかったのでモヤモヤしていた。
「……それは虚数含めた場合分けをしてから背理法で一つずつ省いて証明するしかありませんでしたよ」
背後からここ最近聞き慣れた声。顔だけで振り返ると、想い人のそばにいることが出来て嬉しいオーラ増し増しの、いっつもニコニコしている青年の姿が。
「場合分け……背理法……ああ!分かった!そっか3つに分ければ……あー分かった!いい所までいけてたんだー!」
青年にヒントをもらい、悔しがりながらも解けて喜ぶという器用な芸当をしてみせた。ひとしきり喜んだ後、先の言い方からこの難問を解いたと思われる青年の頭の良さに驚きを露わにする。
「凄い頭いいんだね。知らなかった……」
「会長の補佐役として相応しく有りたかったので、気合を入れましてね」
「き、気合でこれが解けるの……?」
「あ、いえ、元から大学に向けての勉強はしていましたよ。会長がどこの大学に行ってもいいように」
「…………そう」
つまりいくら高偏差値の大学を目指したとしても彼は余裕で追ってくるという意味なのだろう。このストーカーは笑顔でこういう事をサラッと言ってくる。見ず知らずの人に言われればゾッとする言葉のはずなのだが……青年の性格というか、本性を知っている身としては「あぁ、なるほどね」くらいの感想しか持てない。大分毒されて来たとも言える。少なくとも言われて嫌な言葉ではない……いや、正直少し嬉しい。
それにこういう時、顔が良いというのはズルい。正面から彼の目を見れない。顔が、耳が熱い。頬が緩む。
少女は顔を見られたくなくて、手に持った解答用紙で顔の下半分を隠すのだった。
「ぅぅ〜〜……はぁ……もうどうすればいいのぉ〜……」
「…………」
机に突っ伏して悩む少女。その向かいには少女にジト目を向ける女生徒。放課後の生徒会室にて、会長と会計役が生徒会に一切関係ない話題で悩んでいた。……訂正、悩んでいるのは会長のみで会計役は冷めた目で会長を見下ろしていた。
「最近、彼をまともに見れなくなってきた……」
会長少女、今世紀最大の悩みである。真剣な表情で「ちょっと困ってることがあって、相談してもいい?」と声掛けて来た親友を慮って気を引き締めて聞けばこの悩みである。頬が赤くなるくらいまで抓った。これくらい許されるべきだろう、と会計役。
現在、件の青年には生徒会室の備蓄の買い足しに行ってもらっていて、授業以外では少女のそばに青年がいない珍しい時間となっている。
「そんなに見たくないなら彼に言えばいいんじゃない?」
「いや、『見たくない』って訳じゃなくて『見れない』のであって、それにいつも隣にいてくれると妙な安心感があってね…」
「…………はぁ」
「そんな、あからさまなため息吐かなくてもぉ……」
人差し指同士をつんつんしていじける少女。元々身長も低く見た目が可愛らしいためかなり似合う仕草である。もういっちょ抓ってやろうか……
「……私、どうしちゃったんだろう……?」
「分かってるくせによく言う」
「う……だって、別れて半年で別の人を好きになるって、なんか軽い女みたいで……ちょっと嫌だから」
人を好きになることは自分の意思でどうこうできる問題ではない。でもこの子は根っからの真面目だから自分を責めてしまう。別れ方がアレだったから、別の人に拠り所を求めるのも何らおかしなことでは無いのに。
「そもそも会長はあのクズ男のことホントに好きだったの?」
「それは……その……」
「どうせ言葉に流された、とかなんじゃないの?」
「うぐっ……」
「会長は昔からそういう所があるからね……」
やれば?やってみたら?と促されたら頷いてしまう癖があることは自覚している。だから癖を治す目的を持って、大きな責任を負うため簡単に頷くことができない生徒会長という役職にも着いた。流れに任せず、ちゃんと自分で判断できるようになったと思っていた所で、例の男の強気な告白に流された。実際、男のことは何度か話したことはあるものの親しいと言えるほどでもなく、自分は流されていない、付き合ってから知っていけばいいと楽観視していたことがあの振られ方に至った一因かもしれない。
「いいんじゃない?素直になっても、さ」
間違えたのなら、今後気をつければいい。確認しながら進めばいい。今、失敗に怯えて一歩を踏み出せなければ、この少女はずっと踏み出せなかった自身を責め続けてしまう気がする。それは自分にとっても、少女にとっても……そしてあのストーカーくんにとっても、本当の幸せではなくなってしまうだろう。だから、
「別に、直ぐに答えを出せってわけじゃないんだから。素直な自分の今の気持ちを伝えればいい」
「今の……」
「彼は急かさないよ」
「……うん」
ぎゅっと胸の前で手を握りしめ、少女は自分も気持ちを、あの青年に伝えたい言葉を決める。急がなくていい、今の気持ちを、正直に……
コンコンとタイミング良くノックの音。
「失礼します。会長、備品買い終わりましたよ」
「…………名前」
「……え?」
「……だから、会長とか、あだ名じゃなくて、名前で呼んで欲しい……かなって」
まだ、今はここまで。彼は確かにグイグイ好意を伝えてくるが、踏み入って欲しくない話は絶対しない。こちらの気持ちを第一に考えてくれる。だから次は私から……
「そんな名前でなんて恐れ多いですよ!」
「…………」「…………」
こやつは少女の事を神聖視でもしているのだろうか?
せっかく……せっかく勇気を出して踏み出した一歩目でけだくりされた気分だった。引くつく眉と頬。少しだけ力を込めてもう一度、
「名前で、呼んで?」
「だからそれは恐れおお――――「な・ま・え♪」「はぁ……ストーカーくんの方も課題一杯かな……」
とある日の生徒会室。
少女と青年の距離が少しだけ近づいた……近づいた?かもしれない出来事。
二人の関係はゆっくりと変わっていく。
幸せ一杯の未来へ向かって。
会計役「結局、校舎裏であのクズ男とビッチから去る時ってどんな感じだったの?会長とストーカーくんが逃げるような感じ……ではないよね?」
会長「うん……どちらかというと逆だったかなー?私からは彼の顔は見れなかったんだけど、なんか顔青くして一目散に、ね」
会計役「…………ストーカーくん、何したの?」
ス「特に何も。こうやってポケットからシャーペンを出して握って…………フッ……と嗤っただけですよ」
会長・会計役「あー……なるほど」
拙い部分が多々あったと思いますが、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました!