神父様は未だ花嫁と結ばれず
「……何これ」
文化祭の準備中に、ほぼ口を開く間もなく着替えさせられたのは神父の祭服だ。
クラスメイトが口々に「あー」「分かるわ」「似合う」と言ってる中で、俺だけが話についていけない。
「え、本当、何これ」
首からぶら下げられた大きめの十字架が揺れ、クラスメイトが顔を見合わせた。
そして全員が「ほら」と「あれ」と同じ方向を指し示す。
眉を寄せながら振り向いた先には、白いタキシードを着込んだオミくんと文ちゃん。
オミくんは男の子だから、分かる。
良く分からない状況だけれど、分かる。
でも文ちゃんは女の子だろう、と叫びたくなった。
叫びたくなったが飲み込み、似合っていることを確認して溜息を吐く。
オミくんはいつもの長い前髪を左目を隠すためだけに残し、それ以外オールバックに上げられている。
本人は凄く不満そうで、露出した眉が中央の眉間に寄せられてシワが出来ていた。
文ちゃんは胸元まで伸びていた髪を、後ろで一つにまとめている。
いつも髪を下ろしているので新鮮だ。
後はあまり観察するのも気乗りしないが、胸を潰しているらしくスーツがピッタリと直線的に出来上がっていた。
「……カッコイイね」
素直に思ったままの感想を言えば、二人の背後に控えていた着付けをしたらしい面々が、喜色満面で胸を張る。
勿論、着付けられた本人達は褒められてもどうでも良さそうだが。
「ほら、隣のクラスが貸衣装するって言ってたじゃん?」
「え?あー、うん、そんなこと言ってた気もするけど……」
隣にいたクラスメイトが自慢げに鼻を鳴らし言うので、ぼんやりとした記憶を引っ張り出して頷く。
ちなみにうちのクラスはコスプレ喫茶という、ベターだが確実な収益を得られるものだ。
「んで、まだコスプレ決まってない面々が、いくつか貸衣装で置いてあるやつ引っ張ってきて、こう」
「こう……こう、かぁ」
何となく目が遠くなる。
高校生というのはエネルギッシュで――個人差はある――とりあえず行動に移すタイプが多いらしい。
巻き添えを食らったのは、クラスの中でも美形と呼ばれるオミくんと文ちゃんで、まあ、納得と言えば納得の人選だ。
じゃあ俺は、と言えば、周りのオミくんと文ちゃんまで顔を見合わせて、更に「ん」と扉の方向を指し示す。
文化祭の準備期間ということで、放課後も賑やかなのだが、そのざわめきがよりいっそう大きく、大きく――開いた口が塞がらなかった。
純白で、裾が長く、肩が大きく開いたドレスに、薄いレース素材のヴェール。
ウエディングドレス、だ。
当然白いタキシードに揃える服といえばウエディングドレスだが、その薄いヴェールの奥にある顔は、顔は「作ちゃん?!」素っ頓狂に大きな声が出た。
「……何」
ヴェールの奥で綺麗な顔が歪んだ。
隣にいた赤い髪を複雑に結い上げていたMIOちゃんは、至極楽しそうにケラケラケタケタ、花嫁姿に似つかわしくない笑い声を上げる。
やはりというか、二人の背後に控えていた着付けをしたらしい面々が、ドヤ顔をしていた。
どんなもんだ、とその顔に書いてあり、美術部で絵を描き続けている俺はそれを描き消すように絵の具を取り出したい気分になる。
「……知ってる、MIOちゃん」
「あはっ、なになに?」
固まった俺からMIOちゃんへ視線を移した作ちゃんは、静かに桃色に色付いた唇を開いた。
MIOちゃんは何とか笑い声を堪えて、作ちゃんの方へと身を寄せる。
華やかかつ、白が強くて目が焼けそうだ。
若干震える手でかけていた眼鏡を押し上げる。
「女の子が結婚式前にウエディングドレスを着ると、婚期が遅れるそうだよ」
作ちゃんは至極真面目な声を出した。
抑揚のない声なので淡々としているが、本人はMIOちゃんの表情をじっと見つめ、観察している。
周りのクラスメイトは、二人を観察しているのだが。
MIOちゃんは一瞬、薄い茶色の目を丸めて、次の瞬間には破顔する。
ほとんど表情筋の動かない作ちゃんに比べて、MIOちゃんはよく笑い、思っていること考えていることが顔に出るタイプだ。
真逆とも言える二人だが幼馴染みで、とても仲が良い。
「大丈夫だよ!うちのホープがいる!!」
曇り空の隙間から覗いた晴れ間のような笑顔で、MIOちゃんはドレスにも関わらず駆け出し、オミくんの腕を引いた。
そして、その細腕にどれだけの力があるのか、ドン、オミくんのしなやかな筋肉をまとう体を押す。
「うわっ。オミくん、大丈夫?」
「ああ……」
青筋を立てたオミくんを、両手を突き出す形で受け止めた作ちゃん。
MIOちゃんに比べて背を反らし、オミくんが少しでも体重を傾けようものなら潰れてしまいそうだが。
「MIO!」
「行き遅れたらオミくんや文ちゃんがいるからと思って!良かれと思って!!」
「法律的に私は無理」
「え、ボク文ちゃんに介護して貰うって漠然と思ってた」
上から怒ったオミくん、親指を立てて笑うMIOちゃん、呆れたように目を細めて首を横に振った文ちゃん、ヴェールの奥で目を瞬く作ちゃん。
周りはいつものことだと、微笑ましそうな目で四人を見守っている。
「え、て言うか待って」
はい、手を上げる。
全員――ウエディングドレスやタキシードの面々も俺の方を見た。
「これ、俺がなんか、擬似結婚式的なのを取り仕切るの?そういうあれなの?」
十字架を揺らしながら問えば、クラスメイト達が「まぁ」「そりゃあ」「ねぇ?」「なぁ?」と口々に言い始める。
MIOちゃんが俺の顔を見て、自分の口元を覆い隠しながら笑っていた。
口元が綺麗に三日月を作っている。
文ちゃんは先程の俺と同じように静かに眼鏡を押し上げ、オミくんに至っては露出した右目に悲哀を滲ませて俺を見た。
作ちゃん、は、ヴェールの奥を無表情で整えながら「オミくんでも良いよ。介護」と言うけれど、そもそも待って何で介護。
「ねぇねぇ、オミくん」
「だから何」
「ボクもうこれ肩寒いから、着替えたいから、もう結婚しよう」
抑揚のない声だが気力も感じられず、本当にもう着替えたいという気持ちが伝わる。
ほらほら、と突き出す作ちゃんの薄い肩は、顔同様に白く血の気がないような青を差していた。
オミくんが「……まあ、俺は良いけど」俺の方へ視線を寄越し、作ちゃんのヴェールに手を掛けようとしたところで、俺は置きっぱなしにされた俺のカーディガンを手に取り「その結婚待ったぁ!」二人の間を手刀で割る。
それを見越していたように一歩下がったオミくんに対して、黒曜石のような目を瞬く作ちゃん。
「着替えさせて来ます!!」
カーディガンを作ちゃんの肩に引っ掛けて「え、うあっ」カーディガンごと作ちゃんを持ち上げる。
フリルのあるドレスで重さが加算されているが、足腰に力を入れてバランスを取り、裾の長いドレスを腕に巻き上げた。
ヴェールの奥で喉を引き攣らせたのは作ちゃんで、クラスメイトは歓声を上げて、教室を飛び出した俺の背中に色々な声が飛ぶ。
下手くそな口笛や指笛に「神父が花嫁攫った」「ヤバい」「お幸せに」とかが聞こえて、小さく後ろを振り向けばMIOちゃんがドレスを持ち上げた状態で身を乗り出し、やはり親指を立てていた。
***
他のクラスからも色々な声を掛けられながら屋上に向かえば、作ちゃんが俺に抱き上げられた状態で、自分の胸に腕を突っ込む。
「作ちゃん?!」顔を逸らすが「鍵」端的な答えが返ってくる。
暫くしてから、ガチャリ、鍵の開く音がして作ちゃんが扉を押し開けた。
「ねぇ、重くないの」
「……作ちゃんは重くない」
屋上へ出れば作ちゃんは静かに俺の肩を押して、俺も作ちゃんを下ろす。
足元を見れば、ドレスに隠れる前に見えたのは白いパンプスだ。
用意周到、という言葉を浮かばせるが「ドレスは重いね」という作ちゃんの声で霧散する。
「はぁ、無理。肩が寒い冷たい」
もそもそと俺の掛けたカーディガンを手繰り寄せる作ちゃんは、眉を寄せる。
いつも長い前髪が隠す表情も、斜めに流された前髪でスッキリとして見えた。
更にはいつもサイドで結えられた癖のある髪も、MIOちゃんと同じように後ろで複雑にまとめ上げられている。
「さ、作ちゃん」
「何?」
「ドレスとか、着てみたかったの?」
「いや、全然」
振り向いた作ちゃんの一刀両断な答えに、え、間の抜けた声が漏れた。
「オミくんとか文ちゃんが拉致られて、MIOちゃんがノリノリだったから」
あまりにも自分がない答えに、ですよね、と答えそうになったが唾液と飲み込む。
クラスメイトの顔を思い出し、俺達のことを面白がっていただけでは、と一つの可能性が浮上した。
「て言うか、アレだね。崎代くん」
「俺?」
「うん。黒、あんまり似合わないね」
祭服の裾を小さく持ち上げた作ちゃん。
「そ、うかな」答える声が若干引き攣るが、気にした様子もなく、うん、と頷きながら俺の周りを回る。
四方八方から俺を見る作ちゃんを、俺はなるべく動かないように視線だけで追う。
周知の事実として、俺は作ちゃんが好きで、作ちゃんは俺に答えない。
『好き』に返ってくる言葉といえば『無理』で、続けて『嫌いじゃないけど恋慕の好きでもない』削り取るようにハッキリと言う。
変に濁すよりもいいと思うが、俺の体力ゲージはもうゼロだ。
「じゃあ、俺も白いタキシード似合うかな」
「それは気取り過ぎでいまいち」
「あ〜」
俺の目の前で足を止めた作ちゃん。
薄いヴェールが風に揺れている。
「俺は、作ちゃんと一緒に白いタキシード着たいけどなぁ」
ドレスの裾に向かって吐き出した言葉に、作ちゃんは一歩近付く。
ヴェール越しに見る黒目は、いつもの透明度を濁しているように見えた。
透き通った、それでも感情を見せず、目に映るもの全てを反射するだけのような瞳を、何も隔てることなく見たいと手を伸ばす。
「じゃあ、オミくんと文ちゃんから、タキシード剥ぎに行こう」
「え」
「ボクもドレスよりそっちの方があってる気がしてきた」
意外と握力はある作ちゃんが俺の手首を掴み、早くと急かす。
そうじゃないんだけど、と片手でヴェールを軽く引いてみた。
まだまだ俺には、そのヴェールを捲る資格はないらしい。