夢の正体
「─────余が病は全く癒えぬ。エリスが活ける
屍を抱きて千行の涙を濯ぎしはいくたびぞ。大臣に随ひて帰東の途中に上がりしときは、相沢と議りてエリスが母に微かなる生計を営むに足りるほどの資本を与え、あはれなる狂女の胎内に遺しし子の生まれむをりの事も頼みおきぬ─────」
午後五限目。
現国の時間。
私の右隣の席の男子生徒が、教科書の『舞姫』を朗読している。
静かな授業中。咳一つしない。
私は教科書に目を落としながらも内心、ぼんやりと例の夢のことを考えていた。
昨夜も私の体は宙に浮いた。
一昨日も、その前の晩も……
そして最近は、昼間でも私の体はどこか所在無げだ。
突然、ぶわっと宙に浮かび、そのまま空の果てまでも飛んでいってしまいそうな気がするのだ。
私は、その感覚と必死で闘っていた。
あ……また─────!
授業中だというのに、私の額はまた突然に反応し始めたのだ。
額は光を感じている。
頭の中へいつのまにか、例の呼び声が聴こえてきた。
今にも体が溶けて消えてしまいそうな感覚に、私は、額に念を集中させながら全身で耐える。
─────アルティシア……!─────
一際高い、その声を聴いた時、私はビクッと教科書から目を、上げた。
恐る恐る、後ろを振り返る。
確かに背後から聴こえてきた。
そして私の目が捉えたものは。
翳りと静けさを湛え、まっすぐ私を見つめている。
彼────加川ルカの姿だった。
「こら、杉室。何を見とる」
教師の声で、私ははっと前を向いた。
「加川のことでも眺めとったか」
その言葉に、皆がくすくすと笑い始める。
私は赤面し、俯いた。
「教科書の続きを読め。と言いたいところだが、もう済んでしまったしな。うむ、ところで杉室。鴎外の作品には他に何がある」
「……『高瀬舟』があります」
「うむ。『高瀬舟』か。あれは短編ながらもいい作品だな」
と、白髪混じりの痩せた教師は、『高瀬舟』について、滔々と解説を始めた。
私はまだなお、耳に残る呼び声を聴いていた。
そして私の脳裏には、夢の中で私を呼ぶ彼の人と加川ルカの顔とが、紛れもなく一致して浮かび上がっていた。