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執筆順に読んでいこう!

01:「ハイウェイ」

作者: 郡山リオ

 昼過ぎに目が覚める、車の中だった。私は助手席の後ろに座り、お父さんは車の運転をしてくれている。車は路地を抜ける。集まっては離れていく反射した光、ウインカーのちらつき、バックミラーの中の私……。聞こえなくなっていた蝉の鳴き声を思い出しているうちに、流れは高速へと入っていった。


 陽は高い。私は座席にもたれ掛かり、ぼんやりと眺めていた。

 狭い車の中。ほこりっぽい座席のシート。座席の間、フロントガラスの遠くの空。

 何も考えず、ただ見ることが好きだった。

 けれど、今はどんな世界を見ても、まるでテレビの向こう側のもののようにしか感じられなかった。

 美術館に飾られている絵と同じように、すぐそこにあるけれど、ふれられない、そんな感じ。


 呼吸を意識したとたん、段々と狭い車内に息苦しさを感じて、なんとなく窓の外へと視線を向けてみた。

 車と飛行機。書かれた白線、描いた白雲。どこまでも続くアスファルトと、風が走る青い空。それをただ、目に映してはぼんやりと遠くのほうを向いていた。


 雲の流れと一緒に車は進んでいる。車と雲。どちらのほうが早いのかな……。なんて、考えたりしていた。

 ふと気付くと、一台のバスが横に並んだ。文字を大きくプリントした車体。高速バスかなと、見上げた私の目に一瞬だけ映ったのは、大きな窓から年下くらいの男の子が楽しそうに話している姿だった。

 修学旅行かな。狭い窓から見上げていた私は納得し、その子たちから顔を隠すように、きちんと座り直す。だけど、なんとも言えない気持ちが込み上げてきてあふれそうになり、なんとなくうつむいて、じっと足元に視線を落とした。車は走る、何事もなく。楽しいことを思い浮かべ、落ち着いた私はそっと後ろを振り返ってみた。気持ちを振り切る、思い切ってバスに小さく手を振ろうと考えたのだ。だけど、ゆっくりと後ろへ消えていったバスは、私が振り向く頃には小さくなり、やがて見えなくなっていた。窓から見える空は、清々しいほどに青かった。


 無言のまま運転をしているお父さんは、たまに顔を上げて、バックミラーで私の様子をうかがっている。多分、修学旅行のバスも。私を気づかってお父さんが車のスピードを上げたのかもしれない。だから私は、確かめるようにはっきりと言った。

「大丈夫だから」

 それを聞いたお父さんは、

「そうか」と言って、すっと肩の力を抜き、運転を続けた。

 ごめん、うそ。口ではとても言えそうにないから、心の中でつぶやいた。


 車は走った。青かった空は赤みがかり、遠くに見えた山々や、その手前に広がる街、道沿いに並ぶ家々が夕暮れに染まっていく。過ぎ去る景色にため息をこぼしそうになる。ふと運転をしているお父さんが聞いてきた。

「お腹すいたか?」

 うーん、と、曖昧に返事を返す。ほとんど何も考えず外を眺めていただけだから、とくに空腹は感じない。けれど長い時間運転をしているお父さんのことを考えると、休憩が必要だと思ったから、私は軽く頷いた。

「うん」

 そしてまた、窓の外へと視線を向ける。

 本当は、お腹の辺りに違和感があった。きっと、お腹が空いているのかもしれない。お父さんに気づかれないように、私は遠くの空の深い紺色に染まり始めていくのをじっと見つめ、顔を隠した。


 お父さんがハンドルを横に切り、車は車線を変え、左折点へと入った。道沿いに植えてある木々が風で揺れている。もうすっかりと、辺りは暗くなっていた。車のライトで照らされた木の葉がうっすらと私の目に映っていた。

 私は車を降りた。

 むしっとした空気が体を包む。サービスエリアには車はまばらで、駐車場の真ん中には、ぽつんと街灯が灯っていた。


 トイレを済ませた私は、足早に隣のレストランへと向かう。ガランとした店内。お父さんはまだ来ていない。だから私は、窓際の席に座った。

 氷を入れたコップを、カチャカチャと鳴らしながらお店の人が歩いてくる。コップをテーブルにそっと置いた。私は、すぐにメニューを開いて、適当に目に入ったものを指でさす。

「えっと、これを一つ」

「……ご注文は以上でよろしいでしょうか?」と、私の頼んだものを繰り返し、奥のほうへと消えていくお店の人を私は目で追う。それでも、お父さんはまだ来ない。

 注文を済ませ、することがなくなった私は、まだ車に居るのかなと思い、そっと窓から覗いてみた。

 駐車場は、窓のすぐ外に植えられた木で遮られていて見えない。だけど、風が吹いたのか、葉が揺れて枝が動いたとき、ほんの少しだけ駐車場の明かりが見えた。でもそれは、車ではなく街灯の……。

 しばらく、じっと窓の外を見ていると、お客様と呼ばれ、振り向く。

「こちら、シーフードピラフでございます」

 私はさっと窓からテーブルへと向き直り、笑顔を作ってごまかした。

「ご注文の品は以上でおそろいでしょうか」と、笑顔でお店の人は私に言った。

 私は、「はい」と、テーブルを見つめながら小さく、短く、答えた。

 顔が熱くなり、声が少し震えていた。


 レストランから出ると、遠くの空に月が出ていた。

「本当は、もっと大きいのに」と、ビー玉くらいの月を見上げながら、私は広い駐車場を渡った。真ん中にある街灯を過ぎ、車へと。お父さんは車に乗っていた。ハンドルに頭を乗せてぐっすりと眠っている。その姿を助手席のガラス越しに見た私は、開けるのを止め、起こさないようにそっと車から離れた。

 月はまだ、浮かび上がったばかりのようだ。ぼんやりとした月明かりが、足元に揺らめいている。見上げれば、手が届きそうなほどに輝く光の粒に、思わずため息がこぼれた。

「幸せは、幸せなときには気づかないもの」お父さんに教えてもらった言葉が自然に出てきた。私は、やっとそのことに気づける歳になったと思う。そんな自分自身を鼻で笑って顔を向けた先、駐車場の隅にベンチが置いてあるのを私は見つけた。すぐそこへ歩いていき、軽く手で払って座る。顔を上げ、車を確認してから、背もたれに体を預ける。ちょうど、お父さんが目を覚ましたときに、まっすぐに見える位置。

 お父さんはまだハンドルに頭を預けたまま寝ている。遠くの山の中腹あたりで、光が道に沿って流れ、現れては消えていった。

 ふと目線を車に戻す。お父さんの眠る車の塗装に、星の瞬きが映っていた。

 お母さんは、本当に優しい人だったらしい。だけど、私の物心がつく前のことで、私になにか思い出がある訳でもなかった。

 車の中で眠くなって、こくこくする私の頭を撫でてくれるお母さんの手は、とても暖かかった。思い出は、それくらいしか残っていないし、その記憶ですら曖昧だから、微笑んでくれたような気もするし、なにか声を掛けてくれていたのかもしれない。ある日、なんの前触れもなく、お母さんは車を降りていったらしい。いつもそばに居たのに。何で、降りることに気づけなかったのだろう。お父さんもだ。いつもそばに居て、どうして、なんで。そう思ったところから私の記憶がはっきり続くようになったことは皮肉でもある。やさしく、風がかすかに抜けた。ぶるっと体がふるえた。

 少し冷えてきた。そう思ったとき、お父さんが顔を上げ、まぶたをこすった。私はすっと立ち上がって、車へと歩いていく。助手席の後ろのドアを開けて車に乗ると、私は言葉をこぼした。

「おそい」

「……ごめんな」

 お父さんはそう言って自分の頬をパシパシ叩くと、よしっと気合を入れて、

「じゃっ、行くか」と、言ったので私は驚いて、思わず口を開いた。

「ご飯は食べないの?」

「え?」

 少し考えるようなそぶりを見せた後、お父さんは返事をした。

「あ。ああ」

 まだ少し、寝ぼけているみたいだ。





 外の景色をじっと見ている私。

 ……見たことのない町並み。道に面した建物は、すべて高層ビルで、夜も構わず、にぎやかに人が行きかっていた。初めての都会。……あこがれていた、都会。こんな形で来ることになるなんて、思いもしなかった。

 交差点で信号が赤になり、車が止まった。私はお父さんを斜めから見る。だけど、すぐに窓の外へと顔を戻した。憧れていたものがドアを開ければ、手を伸ばせば、すぐのところまで来ている。……のに、私の手には届かない。

 今はお父さんのほうが大切だから。信号が青に変わり、車が走り出す。

 動き始めた景色を、私はじっと見ていた。

 お父さんは、私が都会に来たがっていることを知らない。だから、信号に止まらない限り車の速度が落ちることはなかった。いつかまた、ここにくるからね。

 小さく、心の中でつぶやいた。


 車は走った。にぎやかだった町を抜けていく。

 人込みでごった返していた歩道が、時間が経つにつれて、人気のない寂しい通りへと変わっていった。

 今、何時なんだろう。今、どこら辺にいるのかな。今……。

 

 お父さんがつぶやいた。「大丈夫か」

 私は、微笑み、答えた。

「大丈夫だよ、調子もいいし」

 震える声で言い返して、顔をガラスの向こう側に向ける。過ぎ去る景色に、聞こえないくらい小さな声でつぶやき返していた。一緒に居たい、ただそれだけ……、だけれどね。

「まだ車からは、降りないから」

 私を乗せた車は、何事もなく走り続けた。

おまけ的あとがき「作品と作者の関係をだらだらと」


 この作品は、私が高校の時に書いたものを大学卒業後に二回書き直した作品です。


 高校卒業から大学在学中、私が物語に登場させられる人物は最大二人でした。一人はどうにかイメージできても、もう一人までは想像が及ばないのです。そこで登場したのは、私の父親でした。ですが私の父親は、こんなに物分かりもよく、一人の人間として私を扱ってくれることもなく、何かとうまくいかなければすぐに怒り始める、そんなろくでもない父親でした。ですが、愛情はどの親にも負けないくらい注いでくれたようにも今の私は思います。不器用な愛情表現をする親を持った私は、反抗期に入り、いつしかほかの親たちへと目を向けるようになるのです。そんな、ある意味理想的父親像のお父さん、と、私を名乗る少女は冒頭、車に乗っているところからこの物語は始まります。

 私の記憶も、ある日突然に始まり、生まれてからしばらくのことは存在しなかったように忘れてしまっています。人生とは、自分の覚えていないところすべて、写真のようなものや、動画のような記録や、知っている人たちからの話によって、成り立っているのではないでしょうか。私は、窓の外に憧れます。手の届かないものこそ、美しさを感じてしまうため、ひきつけられるのです。ある日突然に始まった人生は、まるで何か乗り物に乗っているように、気が付けば知らないところにまで進んでいました。小学生、中学生……。不器用な親のいうとおりにして来た私は、自分から何かをするということができません。ですが、このままではいけない。でも、どうすればいいのだろう。ぐるぐると回る問いは、漠然とした不安に私を巻き込みます。東京に住んでいた私は、高校への進学を機に長野での寮生活を始めました。このままではいけないと思い、私は親から距離を開ける選択をしたのです。親から離れ、東京から離れた私は、毎日が新鮮さと輝きに満ちていました。そんな高校生活の始まり、入学式で出会った人が、私の初恋の相手でした。それから2年と半年後、どう気持ちを伝えればいいのかわからなかった私は、いろいろ考えた挙句、この作品を書き上げ、この作品を読んでもらうことになるのですが、部活をやっていた私は、そんなに時間がたくさん余っていたわけでもありません。少ない時間は、いろいろなところへと行きました。諏訪湖を自転車で一周したり、高原に向かって公道を進んでみたり……。桜の季節は、あたり一面が薄桃色に染まり、花火の季節が来れば、野原は一面、蛍が舞い上がって星の瞬きのように自分の存在を私に教えてくれるのです。空を見上げれば、満天の星空。川の石を動かせば、逃げるさわがに。風になびく稲穂が日に日にしなり、実りの秋が近づく足音は優しく、吹く風の冷たさはその先の冬の気配を教えてくれるのです。真っ白に降り続ける雪は、東京と比べ物にならないほど積もります。雪が音を吸い取り、夜明けの朝、早い時間は本当に音がしない不思議な景色が広がっていました。少し離れたところには、露天のついた素敵な温泉があり、とても安く、平日はほとんど貸し切りでした。温泉から見える木々の葉を通り、こぼれる木漏れ日に、吐く息が白く染まります。気が付けば私は、この土地が本当に好きになりました。そんな毎日の合間に読んでいた本を書きたいと思った高校二年の時のお話は、また別のお話。

 部活が終わり、卒業が迫り、私は戸惑います。小説家になりたいと夢を抱いた私は、それ以外何もなかったのですから。これからの将来、どこに向かえばいいのか、私はどうしたいのか、親の決めた道を何も考えずに進んでいった私は、高校を機に、赤信号や、交差点や、一方通行のある道へと進んだのです。ちらりと窓の外を見れば、周りのみんなが見えます。当たり前のように、今まで通りの日常の中、きっとこれからもそれが続いていくのでしょう。でも、私は高校の終わりとともに東京へと戻らなければなりません。親と音信不通になっていた私には、当然おこずかいもなく、友達付き合いが本当に悪く、どこに行くのも謝り断っていました。電車を乗り継ぎ、どこかで遊ぶほどのお金を私は持ち合わせていなかったのです。だけど、それを言い訳に距離をとっている自分にも気が付きました。ガラスの向こう側の景色は、本当に美しかったし、憧れた。でも、もしかしなくても、手を伸ばせば届いていたかもしれない。私自身が、私とほかの人たちとの間に壁を築いていた。軽蔑すらしかけた私の親のように、とても不器用な生き方をしていたのです。私は本当に父親が大嫌いでした。でも、そんな不器用な生き方しかできない親の背を見て育った私は、気が付けばその生き方しか知らなかったようです。

 私は好きな人にこの作品を渡して、読んでもらいました。あきらかな若気の至り、そんな恥ずかしいこと、今ではできません。でも、その時の私にとって、その選択肢しかありませんでした。今ある何かを変えたい、その一心で。そして、その時の感想が、今でも作品を書き続けるための言葉になったことには変わりありません。今でも、たまにその人のことが新聞やインターネットの記事に出てくると懐かしさと切なさがこみ上げてきます。私が覚えている好きだった人とは、もうだいぶ変わってしまっているでしょう。もっと素敵になっているかもしれません。私がかけがえのない思い出と思っている日々も、その人にとっては、他愛もないただの普通の日々だったはず。私のことすら、もしかしなくてもそんなに覚えていない、それだけの接点の関係でした。

 この先も道は続いていく、私たちはどこへ向かうのでしょうか。様々な人と出会い別れ進んでいく中、それでも血を分けた家族は最後まで隣にいてくれます。不器用で、大嫌いな父親。でも、嬉しそうに私が生まれた時の話をするのも、またこの父親なのです。だから、私は、隣にいてくれる不器用な父に不器用に言うのです。「まだ車からは、降りないから」この言葉は、一回目の書き直しに付け加えた言葉です。その言葉が意味することは、これを読んでくださった皆さまの想像にお任せします。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもちょくちょくと作品を書いていきますので、お付き合いいただけたら幸いです。(2016.10/23 0:33自宅の布団の中にて)

(加筆修正 2017.02/04 23:32 自宅の机にて)

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