第十二章 第一節 最後の授業
約束通りに現れたライアン家の馬車の中で、シェイラは二人分のコートに包まれてよく眠っていた。ライアン邸に着いても起きる気配がないので、ローガンの脳裏に抱き上げて運ぶという妄想が浮かんだが、幸いその時は正気だったので声をかけて起こした。屋敷に入ると使用人のカプラン夫人とリディアがまだ起きていて出迎えてくれた。シェイラはリディアと一緒に部屋へ引き上げた。カプラン夫人はメアリーの心配をしていたので、ローガンが差し障りのない範囲で説明しておいた。応接室で着替えて正装を返し、自分の下宿に帰った時には午前一時をまわっていた。くたくたに疲れていたが、今夜の様々な出来事を思い返さずにはいられなかった。眠りに落ちる瞬間まで、ローガンは考え続けた。ドノヴァン嬢が行った『呪いの魔術』とは本当に魔術ではないのか。なぜエミリアはそこまで医者を拒んだのか。証拠の指輪を見もせずにシェイラを認めた王室は、エミリアが書き残した希望通りにシェイラを支援している。そこに、国王陛下の気持ちを読み取ろうとするのは安易すぎるだろうか。
翌日から、年末の日常が慌ただしく過ぎて行った。メアリーの母親は新型の薬のおかげか小康状態に移行し、油断は出来ないものの、今のところ落ち着いているらしい。シェイラは勉強への集中力を取り戻した。ライアン夫人と子供たちはメレノイに戻ることはなく、ライアン侍従長から所領の屋敷を訪ねることもなかった。
年末年始は神殿の儀式のために大いに忙しかったが、それがローガンには有難かった。もし暇だったら一日中シェイラのことを考えていたかもしれない。十二月三十一日と一月一日はさすがに両立できないとして、授業の方は休みにした。年末の祭事が無事に終わり、年越しの夜は隣の教区も含めて神官の仲間と、神殿の奴隷たち、それに教区民の面々と交流して、和気あいあいと過ごした。時々、年越しの予定は特にないと言っていたシェイラのことを思い出した。メアリーは実家に戻ると言い、ライアン侍従長は王宮の行事のため屋敷には帰れないだろうという話だった。
年が明け、年始の祭事も無事に終わった。達成感と、緊張が解けた解放感でいい気分になりながら、ローガンは月曜日から家庭教師の副業に戻った。シェイラとは実際よりもずいぶん長い間会っていなかったような気がした。年越しの話を聞くと、カプラン夫人とリディア母娘の一家と共に、教区の神殿へ礼拝に行ったということだった。
新年から一週間がたち、フランシス王妃に動きがあった。メアリーから伝え聞いた話によると、王妃はシェイラを王宮で預かりたいと申し入れて来たらしい。ライアン侍従長からこの話を聞いたシェイラは、その場で断った。さらに、今後は真剣に勉強をしたいので、もう誘わないでほしいと逆に願い入れたという。それはほとんど絶縁宣言と思えたのでメアリーはぎょっとしたのだが、ライアン侍従長はすんなり受け入れ、フランシス王妃に伝えると約束したのだった。
こうして王妃関係の確執が解けたからなのか、シェイラはますます打ち解けて接してくれるようになった。そのためローガンは、自分自身への警戒心を強めなければならなかった。彼は、何かの動作の勢いで誤って、という場合であっても、手でも肩でもシェイラの身体には一切触れないように注意した。このまま気持ちを暴走させて、かつて母親と彼女を苦しめた、頭がおかしくなった男たちのリストに自分が書き加えられることだけは避けたかった。
王妃との関係を絶ったシェイラは、何かに取り憑かれたように勉強に没頭するようになった。聞けば、寝食と礼拝の時間以外のすべてを勉強に充てているという。いつの間にか、ローガンがいない時の指導役をメアリーが担うようになった。メアリーがどのような教育を受けたのかという話は一切したことがなかったが、彼女がシェイラに教えた形跡を見ると、そもそも改めて家庭教師を雇う必要はなかったのではと疑うほど出来が良かった。ただし数学はあまり得意でないようで、難しい問題にぶち当たった翌朝には、怒ったように「この問題はとても説明できないわ!」と言って、ローガンに後を任すのだった。
シェイラの勉強は、理数系は一歩一歩進んだが、人文系は飛躍的に進歩を遂げた。文章を読むことが出来ると自覚した彼女は読書に目覚め、その勢いは留まるところを知らずに展開していった。ローガンが用意した書物を読み尽くすとライアン邸の図書室に進出し、そこにある年齢相応の書物を制覇すると、今度は街の貸本屋に遠征した。もちろん本を読むことが出来ても、分からない言葉が出てくるので完全に理解できたわけではない。そんな時にはライアン邸の図書室に揃えてある大振りの辞書と百科事典が彼女の味方になった。シェイラは目を輝かせて事典を繰った。そして説明文に分からない言葉があると、さらにそれを調べて芋づる式に知識を増やしていった。
シェイラは屋敷で勉強する一方、貸本屋に行くという用事のために、外出もするようになった。ローガンは本を選ぶのにアドバイスが欲しいと言われて、午後からの用事がない日はこれに付き合うことにした。そんな日には昼食をライアン邸でごちそうになってから、メアリーも一緒に三人で街へ出かける。この上はないだろうというぐらい楽しいひと時だった。




