第十一章 第七節
「お母さん、ドノヴァンさんのこと書いてないですね」
やがてシェイラは顔を上げ、涙で鼻が詰まったのか喘ぐように口で息をしながら、手紙について話し始めた。
「迷惑をかけると思ったのかもしれないですね」
「ハートさんは、よくこれで王室に問い合わせようと思ったものだわ。普通信じませんよね?」
「そうですね……、証拠の指輪というのは?」
「そうか、それがありました」
「証拠があって良かった。それで王室もすぐにあなたを本物だと認めたのでしょう」
「あの指輪は、これだけは絶対に質屋に持って行くなと言われていたのです。けれど結局、指輪は王室には見せていないのですよ。ハートさんには見せたけど、これは最後の切り札だから、大切に持っているようにと言われて」
「それじゃあ指輪は今もあなたの元にあるのですね。良かった、お母様の形見が王室に取られてしまわなくて」
「そうですね。今はライアン侍従長のお屋敷の、私が使わせてもらっている部屋に隠してあります。財産としてもすごく価値があるから盗まれないように、ってハートさんが言うので、飾り戸棚の隠し引き出しに入れたんです。カプランさんに、貴重品はここに入れたらいいよって教えてもらって……」
「ああ、もういいですよ、隠し引き出しの意味がなくなる」
「そうですね、すみません。……あの指輪って、国王陛下の贈り物なんですよね。……多分そうだろうとは思っていましたけど……」
「そのように高価な指輪なら、プロポーズの時に渡したものかもしれませんね」
「お母さん、国王陛下のこともほとんど書いてない」
「まあ、そもそも魔術師協同組合宛ですから」
「そうだけど……」
シェイラは言い淀んで暫く沈黙し、溜息をついた。
「お母さん本当にかわいそう……。どうして国王陛下に付いて来てしまったのかしら……」
やるせなさと非難の混じる調子で、そう言った。その非難は、なぜかローガンの心にもチクリと刺さる気がした。
「指輪を渡した時には、陛下は本気で結婚するつもりだったのだと思いますよ、嘘偽りなく」
思わず国王を擁護するような言葉が出たことに、ローガンは自分で驚いた。何しろドノヴァン嬢の話を聞いていた時には、最低の男だと心の中で最大限の非難を浴びせていたのだから。
「きっとそうなのでしょうね……。男の人って、綺麗な女性を見ると頭がおかしくなってしまうところがあるじゃないですか? 国王陛下もきっとその時はおかしくなってしまわれていて、庶民の女性と結婚できるなんて思ったのでしょうね。お母さんはそれを信じるなんて、なんてバカなんだろう」
「それだけ陛下のことを愛しておられたのでは?」
「まあ、お母さんの方にも非はあると思います」
ローガンは一瞬絶句してしまった。
「非……ですか……」
シェイラは犯人が誰かを暴く刑事のように、自信と正義感に満ちた調子で続けた。
「けれどやっぱり、陛下のしたことは許せません。お母さんは普通の人と結婚していれば幸せになれたかもしれないのに、その可能性を奪うなんて。……本当に迷惑なんですよね、あの……なんて言うんですか? 男の人が色恋沙汰で我を失っている時の自分勝手なエネルギー。眼が正気じゃなくて本当に怖いの。お母さんは美人で損をしている人だったんです。いつも外に出る時はフードで顔が見えないようにしていました。それでも言い寄ってくる男が何人もいて、私が知っているだけでも……五人はいたわ。その中でもたちが悪かったのが一人……、いえ、二人ね。もう来ないで下さいって、はっきり断っているのに、自分に都合がいいように何か勘違いをして、付きまとうのです。そのせいで引っ越したのが二回! 転職は三回ですよ! 私たち、節約をして貯金も少しはあったのに、その度にお金が無くなってしまう。その手の問題が起きるたびに、魔術師の方たちにもどれだけお世話になったか……!」
ローガンは血の気が引く感覚に襲われ、何も応えられなかった。シェイラの男たちに対する非難は、そのまま自分に対する非難に思われ、自分が拒絶されたと感じずにはいられなかった。シェイラは続けた。
「分かっています、そんなこと、今さら言ってもしょうがないって。ああ……この手紙、お母さんがどう考えていたのかってことは何も分からないですね。他に遺書と言えるようなものはないし、これしかないのに、……最期までお金の事ばっかり……!」
「シェイラ様、確かに直接あなたへの思いが書かれているわけではないけど、どれだけあなたを想っていたかはよく分かる手紙ではありませんか? あなたが大切だからお金の心配をするのです」
「それは分かります。でも……これからどうしたらよいのかを教えて欲しかった……」
興奮と悲しみが、同時に彼女に押し寄せているようだった。そこまで話して、少女は不意に涙を流すと、次には唐突に立ち上がって時計を見た。
「まだ時間はありますね。ナイトリー先生、もう少しだけ話を聞いてくださいませんか?」
「もちろんですよ」
「実際のところ、お母さんは……私が殺したようなものなのです」
シェイラは崩れるようにソファーに座ると、そう言って大粒の涙を流し始めた。
「どういうことですか?」
「先生、お母さんが私に残してくれた最期の言葉が何だったか分かりますか? お母さんの最期の言葉は『医者は呼んじゃダメよ、ぼったくられるから』です。わたしは言いつけを守りました。何も考えずに言われた通りにしたのです。お母さんはすごく苦しそうだったのに、何日も医者を呼ぶなと言い続けました。私はだんだん怖くなってきて、ハートさんの事務所に行きました。ハートさんは医者ではないから、呼んでも構わないと思って。ハートさんはすぐに来てくれて、お医者様を呼んでくださいました。ハートさんは、お母さんは私が殺したと思っています」
「まさか、そんなことは思っていませんよ」
「いいえ、思っています。その時、呼ぶのが遅すぎると言って、めちゃくちゃ怒られたのですから。私が、『お母さんが医者を呼ぶなと言ったから』と言うと、『アホか!』って怒鳴られました」
「ひどいな……」
「いいえ、叱られて当然なのです。でもあの時は分かっていなかった。私はずっと『良い子』で通してきましたから、あんなに思いっきり大人に叱られたことは今までなかったと思います。ハートさんに叱られたことがとにかくショックで……。でもそれから、お母さんは気を失って、最期まで意識は戻りませんでした。わたしは何故あれほど叱られたのか理解しました。けれど……私はお母さんが死んだということも、私のせいで死んだということも、何もかも受け入れられませんでした。とても、とても、受け入れられませんでした」
シェイラは渾身の力を振り絞って、号泣しそうになるのを堪えているようだった。
懸命に打ち明けてくれる気持ちを、どうしたらきちんと受け止めることが出来るのだろうか。ローガンは分からないままに、ただただ涙が込み上げた。口元を引き締めて泣くのをこらえ、シェイラの濡れた瞳を覗き込んだ。
「シェイラ様、誰しもそうなのですよ。恐ろしいことが起きた時に、すんなり認められる人なんかどこにもいません」
嗚咽と共に、また少女の瞳から涙があふれた。
「あれから色んなことがあって、色んなことが変わりました! でもわたし、本当はずっと考えていたんです。何故こんなことになったのだろう? 何故ここにいるのだろう? って。……でもね、ナイトリー先生、今日はドノヴァンさんの話を聞いて、お母さんの手紙を読んで、色々なことが分かったから、今やっと、心から理解した気がするんです。……ああ、もう、お母さんはどこにもいないんだ、って」
そしてシェイラは、少しだけ笑った。




