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第十一章 第四節

 シェイラは、まさか親身になって聞いてくれているように見える真面目な家庭教師が、心の中ではダンスのことを考えているなんて、思いも寄らないだろう。彼女はまた、ひどく落ち込んだ調子で話し始めた。

「実は、思い当たることがないわけではないのです。王妃様は、わたしの周りの人たちのことを、決して良くは言ってくださいませんでした。メアリーさんのお母さんのことも、王妃様が教えて下さったのです。それで、ああいう病気は親から子へ受け継がれるから、メアリーさんもそのうちに気が狂って発狂すると言うのです。だから、メアリーさんとは付き合わない方がいいって……。でも、そんなの嘘ですよね? だってメアリーさんはあんなにテキパキしていて賢い人なのに、気が狂うなんて有り得ないって思いませんか?」

「それは、わたしには何とも……」

「王妃様のサロンの方たちは、みんな王妃様に賛成していました。でも、私は違うのではないかと思って……」

「普通に考えたら、百パーセントではないと思いますよ。確率が高いのかどうかは、専門家に聞けば分かるかもしれませんね……」

「そうですよね、百パーセントではない! メアリーさんはきっと大丈夫だって、わたしは信じています。それに狂ってしまったとしても、いきなり何かされるわけではないと思うのです。現にメアリーさんはお母さんをずっと看病していても無事なのですから。それを今から付き合わない方が良いだなんて、やっぱりそれは、少し違うと思うのです。……それから、王妃様は魔術師のことやライアン侍従長殿のことも、とても悪いように仰るのです」

「なるほど。ライアン侍従長殿とはそもそも仲が悪いそうですよ。ちなみに、どんな風に悪く言うのですか?」

 つい興味が湧いてそう訊ねると、シェイラは何度も口ごもりながら遠慮がちにこう答えた。

「えっと……、魔術師は……、あ、あ、悪魔の力で人を操って、金儲けをするから気を付けた方が良いとか……。それから奴隷出身者は、出世の為ならどんな卑劣な手も使う……れ、冷血漢だから、利用されないように気を付けなさい、とか……、そんなようなことです」

「確かにひどい言われようだ!」

 ローガンが笑うと、シェイラの表情も安堵したように緩んだ。

「王妃は何としてでもあなたを自分の側に取り込みたいのですよ。味方のようなふりをして、信用させて、他の人間から引き離して、支配してしまおうとしているのです」

 これでシェイラの目を覚まさせてやろうと、ローガンはそう言い切った。シェイラは無表情になり沈黙したかと思うと、突然眉間を寄せ、泣き始めた。ローガンはうろたえた。

「結局……全て偽りだったということなのですよね……」

 涙声が、嗚咽の間に消え入りそうになる。彼女が目を閉じると、溜まっていた涙が一気にこぼれ落ちてドレスを濡らした。シェイラは俯き、肩を震わせて泣いた。

 ローガンの頭の中を、幾つもの慰めの言葉が駆け抜けていった。そして結局、どうしたら良いのか分からず呆然とする。両手が気づかない内に彼女の肩を抱く寸前まで伸びていた。ローガンはその手を引っ込めようと努力した。何故だか呼吸が浅くなり息苦しさを覚える。次に気が付いたとき、ローガンはソファーの上で身体を寄せ、腕の中にシェイラを抱いていた。

「どうか泣かないでください。あなたが泣くと、ぼくの心も潰れてしまいそうだ……」

 シェイラは泣き止むどころか、さらに激しく嗚咽して泣いた。彼女が身体を預けるようにして頭を胸に押し付けて来たのが分かった。ローガンはそっと抱きしめて、震える背中をさすった。何を言うべきなのか全く分からず、口を開くのが怖くもあった。

 シェイラが泣くのは自分の言葉がそれほどまでに彼女を傷つけてしまったからなのだ。ローガンはそこにあるテーブルに自ら頭を強打させて自分を罰したい衝動に駆られた。そして無意識に出てしまったその後の言葉を思い出すと、自分の舌を引きちぎって永遠に何も言えなくしてやろうかという気持ちになった。

 徐々に激しい嗚咽はなくなり、シェイラは落ち着きを取り戻していった。静かに啜り上げて泣いている細い身体を抱きしめていると、否応なく愛おしさは満ち、このままこの女はずっと自分の腕の中にいるべきなのではないか、などという気持ちが湧き上がりそうになる。ローガンはそれを抑え込んで、なんとか消し去ろうとする努力を続けなければならなかった。

 その時、シェイラが身体を離そうとしたのでローガンは腕を解いた。

「ごめんなさい、こんなに泣いてしまって」

 まだ涙交じりの声で言うと、シェイラは両手の甲と掌を使ってしきりに濡れた顔を拭いた。ローガンはハンカチを手渡した。しかしシェイラはそれでローガンの方を拭こうとする。

「濡れてしまったかもしれない」

 ローガンは、胸の辺りを拭こうとして差し出された少女の手を、そっと掴んで自分から離した。

「私は大丈夫。自分を拭いてください」

 シェイラは「はい」と返事をして、顔や手を拭った。その様子を、ローガンは一瞬も目が離せずに見つめた。やがて拭き終わると、彼女は顔を上げた。

「洗濯して返しますね」

 燭台の炎に照らされた薄暗い中で、シェイラの本来は深緑色の瞳が黒っぽく見えていた。

「それは借り物なので、そのままライアン邸に返してください。それより、どうか謝罪をさせてください。私がどう思おうと、あなたにとってフランシス王妃は大切な人だった。私はそれを理解せずに、さっきあなたに酷いことを言いました。本当にごめんなさい」

「いいえ、いいのです。あなたが正しいのだから。私がバカだったのです。本当に……ああ、バカみたいだわ……」

 シェイラはやるせなげに首を振って、深くため息を吐いた。


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