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第十一章 第二節

「さて、クリスたちはどこに行ったかな?」

 サイモンは立ち上がって会場を見回した。

「まだそっとしておいた方がいいのではないですか? 後でクリスさんに恨まれそうだ」

 ローガンはあの二人にまだ戻ってきてほしくなかった。

「なんで?」

 サイモンが無邪気に聞いてきた。クリスのあのあからさまな態度に、彼は気づかなかったのかと思い、ローガンは少し得意になって答えた。

「だって、いやに積極的にバラノフさんを誘って行ったでしょう? 今になっても戻らないということは上手くいっているようだし、邪魔をしては悪い」

 サイモンが驚いたという風に、あっと息を呑んだ。

「いや、あれは違うんだよ。ドノヴァン嬢を連れてくることが出来たら、メアリーを連れてどこかへ行ってくれるように、ぼくが頼んでいたんだ」

「えっ」

「とても個人的な話だし、人が多いとドノヴァン嬢も打ち明けにくいだろうと思って」

 ローガンは恥ずかしくて、赤面するのを抑えられなかった。

「……けれど、バラノフさんは自分が誘われたと勘違いしたのではないですか?」

 窮地に立たされたような気がして、反射的にサイモンを責める発言をしてしまう。ローガンは自分が嫌で堪らなかったが、気づいたときには言った後なのだ。

「まさか、メアリーさんは分かっていましたよ。私に気を使って、外してくれたのだと思います。私にはそういう風に見えましたけど?」

 シェイラがこう答えて、ローガンはさらに叩きのめされた。シェイラに分かったことが、自分には分からなかったらしい。そして、それが何故なのかということに考えが及ぶと、恥ずかしさは倍に増えるのだった。

「もしかして私、ジェイクさんを帰らせてしまったのかしら? 申し訳ないことをしました」

 シェイラがサイモンに謝ると、サイモンは笑って答えた。

「あいつは元々、夕食を食べに来ただけだよ! 仕事が朝早いのも本当だし、君とは関係ないよ」

 ローガンは早く二人にこのやり取りを忘れて欲しかったので、新しい話題がないかと大広間を見回した。すると、クリスとメアリーが人込みの向こうから現れこちらに向かって来るのが分かった。彼らは一見して様子がおかしかった。クリスがメアリーを脇に抱きかかえている。二人ともゆっくりと歩いてはいたが、メアリーの方は身体に力が入っておらず、クリスが支えて歩かせていた。

「おい! どうしたんだ?」

 異変に気付くや否や、サイモンが飛び出していった。そこからはクリスとサイモンが両側から支えてメアリーを連れて来た。椅子に座らされたメアリーは、顔色が悪く茫然として、唇を震わせている。始めは酔っ払っただけという想像をしたローガンだが、その様子を見てようやく何か悪いことが起こったのだと気が付いた。

「何があった?」

 サイモンに訊かれて、クリスはメアリーの様子をチラチラと窺いながら、困惑した表情を浮かべた。

「さっき、ライアン侍従長殿のお屋敷から使いの者が来て、バラノフさんに緊急で伝えなければならないことがあるといって、手紙を渡されました……」

「それで?」

 クリスは答えずに、メアリーを見た。メアリーはすがるような眼でサイモンを見上げ、手に握りしめていた紙を彼の手に押し付けるようにして渡した。

「これです。構いませんので、全部読んでください」

 それだけ言うと、両手で顔を覆って俯いた。

 サイモンはすぐに読み始めたのだが、ローガンも後ろから覗かせてもらうことにした。シェイラだけはただ不安そうに、その様子を見つめていた。

 手紙には急いで書いたと思われる筆跡でこうあった。

『メアリー・バラノフ嬢に急ぎご連絡いたします。バラノフ家に雇われている看護人を名乗る女が、我が屋敷を訪れまして、申すには、バラノフ夫人の病状が夕方より急激に悪化し、抑えることが出来ず、とうとう台所の刃物を見つけてそれを振り回し、暴れて使用人に襲い掛かりますので、やむを得ず警察を呼んだところ、警察が取り押さえて逮捕し、連行した、とのことでございます。急ぎ、ご実家にお戻りください。  レベッカ・カプランより』

 ローガンはライアン邸の女中頭からの手紙を最後まで読んだが、まるで意味が分からなかった。

「これってどういう……。誰が逮捕されたのですか?」

 すると、クリスがそっと耳打ちした。

「さっき本人から聞いたのですが、彼女のお母さんは精神病を患っているのです。発作を起こすと狂暴になって暴れると……」

 ローガンは思わずクリスを凝視した。クリスは沈痛な面持ちで頷いて、それが事実であることを示した。

 サイモンは俯いているメアリーの前に屈み込み、彼女の両肩を両手で掴んで引き上げるように強く揺さぶった。

「メアリー、しっかり!」

 メアリーは弾かれるように顔を上げた。

「今から、ぼくと一緒に警察署にお母さんを迎えに行くよ。いいね?」

「はい」

 彼女は頷くと、すっくと立ち上がった。未だに事態を飲み込めないローガンをよそに、この二人の顔つきはすでに覚悟が決まっていた。メアリーは興奮のためか身体を震わせながらサイモンに言った。

「実はハートさんが紹介してくれたお医者様に、まだ診てもらっていないのです。予約がいっぱいで三か月待ちだと言われて……。ここのところ、ずっと調子が悪かったのに……、ああ、無理にでも診察してもらえばよかったわ! でなければ、教えてもらった新しい薬だけでも買えばよかったのに! そうすれば、こんなことにならなかったんだわ!」

「そうだ、薬だ! 医者と一緒に留置所に行ったらいい。それが無理なら新薬だけでも持って行こう」

 それからサイモンはクリスに向かって五、六人の医者の名前を挙げ、その詳しい住所やこの時間に診察可能かどうかなどを話し合い、最も有望な者の目星を付けた。そしてメアリーに家の場所を聞くと、管轄の警察署と留置所の場所もすっかり分かったようだった。今夜中に取り戻さないと、精神病院に搬送されてしまうかもしれない、とサイモンは言った。


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