第十一章 第一節 エミリアの手紙
シェイラが目に涙をいっぱい溜めているのに気づいていたから、ローガンは何も言うことが出来なかった。サイモンも眉根を寄せて、俯き加減で黙っている。沈黙の中でドノヴァン嬢がすうっと息を吸い込んだかと思うと、また口を開いた。
「それからエミリアには会っていないけれど、伯父様が会長の間は、何度か噂を聞いたわよ。製薬工場で働いて頑張っているみたいだ、って話をね。暴力夫に見つかって引っ越した、なんて言っている時があってドキッとしたけど、よく聞いてみたら全然違う男のことだったわ。伯父様は何か勘違いしたみたいね。……で、王妃の方はどうだったかというと、最初の方は、たしかに喜んでいた。魔術のことはずいぶんバカにされたけど、私のことはなんだか褒めてくれたりしてね。エミリアは一人で決めて出て行ったと思っていた。私が手引きしたことには、気づいてなかったと思うわ。でも、しばらくしたら、……また怒り狂うようになった。エミリアのこととは関係ない理由でね。とにかく、二重人格って治らないものみたい。……で、私はそのあと、体調不良で実家に戻って、そのまま宮廷魔術師を辞めたのだけど、これって別に仮病じゃないのよ。本当に身体を壊したの。……でも、あの事件の後、六か月も王宮で頑張ったんだから! 本当に、我ながらよく頑張ったと思うわ!」
ドノヴァン嬢はワインに手を伸ばし、それを喉に流し込んだが、その間も一同は何も言えなかった。
「さて……と、私が話せるのはこれで全部よ。もう行っていいかしら? 親戚に挨拶したいの」
そこでようやく、サイモンが我に返ったように顔を上げた。
「シェイラ、何か知りたいことがあったら、今なら聞けるよ。何か気になることがあったら、何でも聞いてごらん?」
シェイラは少し顔を上げたが、その途端に涙がこぼれ落ちた。彼女はすばやく掌を当ててそれを拭い去ると、濡れた顔を何事もなかったかのような表情に作って、ドノヴァン嬢を見た。
「はい。……いいえ、今は何もありません。ドノヴァンさん、今日はありがとうございました。それから、母を助けてくれてありがとうございました」
ドノヴァン嬢は目を見開き、恐ろしいという風にわざと身体を震えさせた。
「優等生に育ったものね、本当に母親そっくり」
そしていそいそと立ち上がると椅子の後ろに出て、またシェイラに話しかけた。
「あまり無理はしないことよ。……でもまあ、あなたを見てると、エミリアが頑張って育てたってことが分かるし、良い子に育って、きっと彼女も天国で満足してるわね。明日にでもお墓に寄らせてもらうわ。それじゃあね」
ドノヴァン嬢は妙に礼儀正しく微笑んで小腰を屈めた。テーブルの三人も立ち上がって礼をし、女魔術師は立ち去った。
「……行っちゃったけど、彼女の家なら分かるから、必要な時はいつでも聞いてよ」
サイモンはそう言うとテーブルを回って、シェイラの右隣に座り、さらに彼女のすぐ横へと椅子を寄せて、その涙に濡れた顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
シェイラの眼からまた涙の粒がこぼれ落ちた。ローガンは借り物の正装にたまたま入っていたハンカチをポケットの中で握りしめていたのだが、取り出すことを一瞬ためらった間に、サイモンがテーブルにあったナプキンを引っ掴んで、無造作にシェイラの顔を拭いた。それが窓でも拭くような雑なやり方だったので、シェイラは思わずしかめ面になって顔を後ろに引いた。サイモンは平然として、「鼻水出てるよ」と言ったかと思うとシェイラの鼻をナプキンでつまんで、ぐいと拭き取ってしまった。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。もう大丈夫です」
シェイラはやめてくれという風に両手をサイモンの方に向けて言った。涙と鼻水は止まったようで、困惑と警戒の表情になっていた。彼女は鼻を一つすすり上げてから二人に向かって、明るい調子でこう言った。
「でも、さっきのドノヴァンさんの話は、概ね予想通りだったと思いませんか?」
ローガンは、サイモンと一瞬顔を見合わせ、こう答えた。
「どのあたりが、ですか?」
「だって、王妃様は最初に謝ってくださったのです。国王陛下を愛するあまり嫉妬心を起こしてしまい、それで母に辛く当たってしまったと……」
サイモンはこれを聞くと苦笑いを浮かべ、首を傾げて独り言のように言った。
「愛するあまり、ねえ……」
ローガンはシェイラに向かって答えた。
「それで、王妃がお母様をいじめていたことは予想通りだった、と?」
「はい」
「……わたしの予想よりは酷い話でしたけどね……」
ローガンは沈痛な面持ちで、そう言わずにはいられなかった。しかしシェイラはあくまで明るく、こう続けた。
「けれど、もう謝ってくださったのだから、わたしは構いません。それに、王宮で王妃様は本当にわたしに良くしてくださるのです」
「でもそれは、ドノヴァン嬢の話によれば、裏切る前の下準備なのでしょう?」
シェイラは絶句した。二人はしばらく無言で視線を合わせた。少女は眉をひそめて、再び口を開いた。
「また、例の魔術を使っているとでも言うのですか?」
「わたしはドノヴァン嬢の話を聞いていて、そう思いましたよ」
「あれは十一年も前の話なのですよ」
「二重人格は変わらないのではないですか? わたしはそう思いますよ」
シェイラはむっとしたような顔をして答えなかった。そこへ、サイモンが割って入った。
「まあまあ、十一年あれば性格が変わる可能性もあるよ。王妃がどういうつもりかは分からないけど、今度王妃に会うことがあれば、気を付けるようにすればいいんじゃないかな?」
シェイラはまだ何か言いたげだったが、ただ「そうですね」と返事をした。サイモンがさっさと結論を言ってしまったので、同意するしかなかったのだろうとローガンは思った。




