表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/65

第十章 第九節

 計画は順調に進んでいます。レイチェルはエミリアの様子を観察し、王妃にそう報告した。実際、彼女が日に日に弱っていく姿を見ていると、自殺まで三か月とかからないだろうと思われた。

 ところが、三か月経っても、半年経っても、エミリアは自殺しなかった。

 一年が経ち、エミリアはまだ生きていた。そして、レイチェルもまだ味方のふりを続けていた。解説書に従うのならば、徐々に距離を置いてターゲットを完全な孤独に追い込まなければならないのに、踏み切れずにダラダラとここまで来てしまったのだ。

 レイチェルは王妃が怒り出すのを恐れていた。彼女はいじめそのものを楽しんでいる風でもあったが、当初の目的を忘れたわけではなかった。幸い、上手くいかなかったときの批判を免れるためか、解説書には期間についての記載がない。レイチェルは、知人でこの魔術を使った者の話ではターゲットは二年後に自殺したそうです、などと適当な嘘をついてごまかしていた。これで王妃がいつまで納得してくれるか分からない。フランシス妃は表では人格者のようにいつも泰然としていたが、本性は気分の波が激しく、レイチェルが思いも寄らない理由を付けては突然嵐のように怒り出すこともしばしばだった。急に呪いの魔術を止めて、毒殺しろと命令を下すのではないかなどと考え始めると、レイチェルは恐ろしさに身が縮み、自分の精神が徐々に破壊されていくような気がした。

 とにかく、エミリアが早く自殺してくれればこの苦しみから逃れられるのにと思う半面、そうなることは今よりもさらに恐ろしいのではないかという気持ちも、心の奥底にへばり付いていた。エミリアが状況に慣れたのか、一時期よりも回復しているように見えるのに、レイチェルの精神の疲弊は進む一方だった。

 フランシス妃の第一王女の誕生日を祝う行事が一段落したころの、ある午後に、レイチェルはエミリアの部屋を訪れていた。その日はフランシス妃が外出していて、王宮はとても静かだった。エミリアは先程まで赤ん坊のシェイラに乳を飲ませていたが、今は抱き上げて、ゆらゆらと身体を揺らしている。レイチェルはその様子をソファーで横になりながら眺めていた。その時は不思議と平和な気分だった。エミリアは赤ん坊をベッドに寝かせてキルトを掛け、静かな美しい声で歌を歌いながら、その小さな身体をトントンと優しく叩いた。ごく幼い子供というのは、そのようにすると安心して寝つくらしい。

 エミリアの子守歌はレイチェルも知っている歌だった。彼女の白い横顔を眺めながら、レイチェルはふと、今も実家で元気にしている自分の母親が、赤ん坊の自分を同じように寝かしつけている姿を連想した。すると、涙が出そうになった。

(あーあ……エミリア、なぜこんなことになったのか、わたしも分からないよ……)

 レイチェルは身体を起こし、潤んだ眼を手で拭いながら、心の中でそうエミリアに話しかけた。そのとき思わずため息が漏れたが、エミリアは娘を見つめていて気づいていないようだった。

 始めのうちシェイラは、眠りに落ちる寸前の半目を開いた可愛いというよりは不気味な顔で母を見ていたが、しばらくすると完全に眠ってしまった。寝顔は安心しきっていて、レイチェルが見ても天使のように可愛らしい。

「この子は私がいなくなったら生きて行けるかしら……? ぜったいに無理よね、まだ一歳なんだもの」

 エミリアが娘を見つめたまま、独り言のようにつぶやいた。エミリアは続けた。

「何歳になったら一人で生きて行けるようになるのかしら? 十歳……十三歳……十六歳……? いいえ……二十歳なのかな?」

 エミリアは、レイチェルには背を向けたまま、娘の寝顔を見入っている。レイチェルはそれが独り言なのか、自分に話しかけたのかが分からず黙っていた。エミリアはそれ以上何も言わず、こちらを見もしない。レイチェルは沈黙が苦しくなって、不自然に間が空いた後だったけれど返事をした。

「あら、女の子は一生、一人でなんか生きて行けないんじゃない?」

 すると、斜め後ろから見たエミリアが一瞬だけ、口元を歪ませて苦笑したのが分かった。

 レイチェルはまた溜息をついてソファーに横になったが、しばらくして不意に、あることに気が付いて、むくりと起き上がった。『呪いの魔術』が効かない理由が、そのときはっきりと分かったのである。

 このまま魔術を続けたって、エミリアは自殺なんかしない。

 少なくとも、シェイラが大きくなるまでは。

 王妃が嫌がらせをしている時、きっとエミリアの頭には自分のことではなく赤ん坊のことだけがあったのだ。エミリアはこの一年の間、自分がどうというよりも赤ん坊に危害を加えられることを恐れて、彼女を守ることに全力を傾けていたのではないだろうか。思い返してみれば、エミリアは決して赤ん坊を誰かに預けることはなかったし、食べ物は必ず自分がまず食べてから与えていた。嫌がらせやちょっとした暴力に無抵抗だったのも、彼女としては対象が自分自身ならむしろ何も問題はなくて、下手に逆らって矛先が娘に向かってしまってはいけないという考えだったのかもしれない。

 エミリアは死なない。

 呪いの魔術は失敗だ。

 そう確信した時、湧き上がったレイチェルの気持ちは、本人も全く予想していないものだった。振り返ったエミリアが目を丸くして見つめる先で、レイチェルはソファーに座り、安堵してむせび泣いていたのだった。

「それで私、我に返ったの」

 十四歳になったシェイラと、二人の青年が息を呑んで聞き入る中で、ドノヴァン嬢は話を続けた。

「それこそ呪いが解けたような感じだったわ。散々泣いたら、気持ちも頭の中もなんだかすっきりして、やっと物事を普通に考えることが出来るようになったのよ。それで良く考えて、思いついたの。王妃は、別にエミリアが死ななくても、娘と一緒に王宮から消えていなくなってくれさえすれば、満足なんじゃないかって。もちろん、国王陛下も後を追えないように、姿を消すの。エミリアに計画を話したら、彼女、一も二もなく飛びついてきたわ。まあ当たり前よね、王妃たちに散々いじめられて、逃げられるものなら逃げたかったのよね。でも現実的には、女が一人で赤ん坊を抱えて、働きながら生活していくなんて、無謀もいいところよ。さすがに魔術師協同組合も、生活費を全部出してくれるわけじゃないしね。それでエミリアと話し合って、シェイラがなるべく大きくなるまで、我慢できるだけ我慢して、限界までは王宮にいよう、ってことになったの。わたしは王妃の前ではエミリアをいじめているふりを続けたわ。呪いの魔術のことは、なんだかんだと嘘をついて誤魔化してね。エミリアも頑張った。彼女、娘と二人で平和に暮らせる日を夢見てたわ。それで二年経って、また王女の誕生日が巡ってきたわけだけど、その頃には、もう限界よ。わたしは王妃が怖くて怖くて、夜も眠れなかった。毎日睡眠薬を飲んでたわ。魔術師協同組合が開発した、あの良く効くやつを……、本当よ。王妃はしょっちゅう、例の秘密の小部屋で怒り狂うの。いったい何回、椅子を投げつけられたか……! 私が裏切っていることがばれたら、絶対殺されるって思ってた。エミリアもそのころは、子供を殺されるって思い込んで気が変になってた。ほとんど寝てなかったと思うわ。自分が眠っている間に殺されてしまいそうで、怖くて眠れないって言ってたわ。二人とも目の下に隈を作ってさ、二人して気が狂ってしまう前に逃げなきゃね、なんて話して、それで計画を実行したわけ。エミリアとシェイラを、誰にも気づかれないように隠れて伯父様のもとへ行かせたの。……そうそう思い出したわ。最後にエミリアに置手紙を書かせたのよ。『オトイックシティに帰って人生をやり直します』『親戚の元を頼るから大丈夫です』『捜さないでください』……そんなような内容よ。だから、国王陛下がどれくらいエミリアを捜したかは知らないと言ったけど、陛下は手紙を信じて、捜さなかったのかもしれないわ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ