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第十章 第七節

 初め、フランシス妃のことをただの世間知らずのお姫様だと思っていたレイチェル・ドノヴァンは、近いうちに慣れない外国で傷ついた皇太子妃から、宮廷魔術師として占いという名の人生相談を持ち掛けられるだろうなどと勝手な予想をしていたくらいだったが、やがてその評価は彼女を見くびり過ぎているものだったと知った。生まれながらに王女であるフランシス妃は、王室にとって理想的な皇太子妃がどんなものであるかも、権力者たちの特性も、女性社会で主導権を握る方法も、よく知っていた。彼女は王族に気に入られ、上流社交界に存在感を示し、王宮の女官たちを手なずけた。新皇太子妃がギャザランドの王室に溶け込んだことに、国王と王妃は満足し、そして皇太子も満足した。

 皇太子は妃のことを熱烈に愛しているわけではなかったが、それなりに気に入っているようだった。その証拠に、夜は皇太子妃と共に過ごすこともあれば、愛人のエミリアの元に行くこともあった。その日数がおおむね半々だったのは、彼なりの配慮だったのかもしれない。

 皇太子妃と愛人の上下関係は歴然としているので、二人が対立するようなことはなかった。フランシス妃はエミリアを嫌がるどころか、むしろ傍に置きかわいがった。その為か、もともと穏やかな性格だからか、エミリアは皇太子に対してもフランシス妃に対しても、心の中ではどう思っていたにせよ、表立ってはもちろん、陰で悪く言うことも一切なかった。表面上は何も問題がないように見えたこの頃、宮廷魔術師のレイチェル・ドノヴァンは皇太子妃に重用され、そのおかげで王宮の女性たちに多少の影響力を持つようになっていた。今思い出してレイチェルは後悔するのだが、フランシス妃が自分自身と同一であるかのような勘違いを起こし、彼女の信奉者となっていた時期である。同じくフランシス妃のお気に入りだったエミリアとは、よく話す仲になった。当時は気づいていなかったのだが、大人しい性格のせいかエミリアには他に親しい者はおらず、話し相手は皇太子と妃を除けば、レイチェル以外にはいなかった。

 フランシス妃の婚礼から一年が経ったころ、先の国王陛下は崩御され、皇太子が即位した。そのとき、フランシス妃とエミリアは二人とも妊娠していた。ひと月後に、エミリアが先に女の子を出産した。

 側近くに仕えていながら、このとき、レイチェルは気づいていなかった。

 フランシス妃が、耐えていたということに。

 エミリアが出産したその日を境に、明らかに、王妃に変化が起こった。人前で話す時には要所要所で微笑むことを忘れなかった彼女が、土気色の顔色をして、全く笑わなくなった。ある夜、妊婦の体調を心配した女官が横になることを勧めると、王妃は寝室に引き上げるので全員部屋から出て行くようにと命じた。

 ただ、レイチェルだけは引き留められた。王妃に導かれて、宮廷魔術師は幾つかの部屋を通り抜け、迷路のような宮殿の最奥にある小さな部屋へと連れて行かれた。レイチェルは王妃の側近のつもりだったが、その部屋を見たのはこの時が初めてだった。家具は丸テーブルと椅子が二脚に、何も入っていない戸棚が一つしかない。奥の壁にはカーテンらしき赤い布が掛かっていたが、その向こうに本当に窓があるのかは分からなかった。

 王妃は丸テーブルの隣でレイチェルに背を向けたまま佇んだかと思うと、両手を握りしめて、突然、渾身の力で振り絞るように叫んだ。

「あああーーー! もう限界! わたしはもう限界よーーー!」

 呆然とするレイチェルを振り返り、王妃は声を裏返らせながらまた叫んだ。

「絶対に流産すると思ったのに、無事に生まれてしまった! 神はわたしを見放したわ!」

 レイチェルは彼女が何を言っているのかを悟った。

「王妃様、エミリアのことなど、どうかお気になさらないでください。取るに足らない、ただの妾です。それに女の子だったのですから……」

 何の影響もありませんと言おうとしたところを、王妃の叫び声が遮った。

「あの女の名前を言うなーーーー!」

 レイチェルは震え上がった。

「レイチェル、あなた、魔術師だというのなら、あの女と赤ん坊を魔術で呪い殺すぐらいできるはずよね?」

 レイチェルはヒッと小さく悲鳴を上げたきり、声が詰まって答えられなかった。女魔術師を食い殺さんばかりに睨み付けている王妃の眼を見れば、冗談などではないことは明らかだった。

「お時間を下さい、魔術書を調べるお時間を……。そう長くはかかりませんから!」

 やっとのことでそう答え、その日は無事に小部屋を出ることが出来た。

 しかし、レイチェルの胸の中は絶望感で一杯だった。王妃の要求に応えることは出来そうにないと、すでに分かり切っていたからだ。

 これは多くの魔術師が知っていることだが、伝統的な、人形に釘を打つような方法というのは、現実には効果が確認されておらず、信用できる呪いの魔術は今のところ存在しないというのが、調査の末に導き出された魔術師協同組合の公式見解なのだった。要するに、魔術を使って物理的に人を傷つけたり、魔術で毒薬を作ることは出来ても、直接手を下さずに呪うだけで人を殺すことはできないのである。

 このことを王妃に伝える気にはなれなかった。レイチェルは、替わりに実家に帰るための休暇を申し出た。代々魔術師の家系であるレイチェルの実家には魔術書がある。魔術書を調べるというれっきとした理由があるので、この申し出はすんなり通ると思ったが、王妃は二週間だけという条件を付けてきた。レイチェルは、王宮から馬車でなら一時間とかからない実家の近さを呪った。このまま外国に逃げてしまいたいと思わずにはいられなかったが、実家に帰るより仕方がなかった。最初の二日間は魔術書を見る気にもなれず、鬱々として過ごした。調べたところで、無駄なのである。全然万能ではない、という魔術の現実を知ったとき、フランシス妃の怒りは宮廷魔術師の処遇をどのように変えるのだろうか。それを考えると、レイチェルはベッドから起き上がれないほど落ち込んだ。


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