第十章 第二節
会場となるセントロイスホテルはメレノイ市の中心部にある最高ランクのホテルだ。馬車は多少の渋滞に遭ったものの想定内で、開始時刻の二十分前に到着した。ホテルに入ると、ロビーにはすでに正装の男女がちらほらといる。案内表示を確認して二階に上がると、すぐに会場となる大広間の入り口が見えた。正装をした二人の男性が招待状を確認している前に四、五人の列が出来ている。そこから広い廊下を挟んだ反対側にクロークがあり、三人は取り敢えずコートを預けた。
ローガンは念のため、女性二人に「入りますか?」と訊いた。メアリーが「ええ」と頷いた。ホテルのロビーや通路が宮殿のように豪華だから、期待が膨らんだのだろうか。メアリーもシェイラも表情が明るくなり、その美しさがますます増していた。
広く開け放した入り口から見える会場の内部はここよりもさらに明るい。ローガンは受付を何事もなくクリアして、とりあえず二人の令嬢を順調に会場まで連れて来られたことに胸を撫で下ろした。
入ってみると、中はやはり十分に明るく、しかも暖かい。天井から無数のシャンデリアが照らしている。広間の両端には白を基調にセッティングされた丸テーブルが二列に並び、それでも中央にダンスホールとなる十分な空間があるという広さである。丸テーブルの列がどこまで続くかと奥に目をやると、はるか向こうの壁際に少しだけ高くなった舞台があり、楽隊のメンバーがまだ準備中らしく立っていたり座っていたりした。
ローガンとメアリーは二言三言、互いに会場を褒め合い、それにシェイラが無言で頷いた。そして席が決まっていないので、まず席を取ろうということになった。メアリーが食事が近い方が良いと言って、三人は料理のテーブルがある会場の前の方へと移動した。
テーブルはまだ半分以上が空いているし、会場が広いからか立っている人も少なく見える。けれど舞踏会が始まったら徐々に増えるのだろう。この大空間が人で埋め尽くされたら、サイモンに会うことが出来るのだろうか。舞踏会の非日常に気を取られて忘れそうになるが、ローガンの今日の目的は、王宮の内情を知る人物に会って話を聞くことなのである。
メアリーとシェイラが気に入ったテーブルを確保したところで、ローガンはサイモンを捜しに行くことにした。
ローガンは広間の真ん中あたりに出て、注意深く辺りを見回した。この魔術師協同組合主催の舞踏会が普通とは違うことには、すでに気づいていた。服装自由と招待状に書かれていたことに嘘はなく、普段着の人々がいる。煌びやかに着飾った紳士淑女もいれば、略式の正装という人も多い。驚くのは、見たところ、それが単に服装の違いではないということだ。作業場から直接駆けつけた労働者のような一団が、テーブルを二つ占拠して料理を貪っている。土埃で汚れたままのズボンに、汗まみれで変色したシャツを着た者は田舎の農民にしか見えない。それどころか、路上生活者のような風貌の者さえいる。あまりに不潔だったり下品な者は、遠巻きにされていて、それを見て眉をひそめる者もいたが、この会場に入れること自体が、尋常ではないだろう。それ以外には、汚くも貧乏臭くもないが、変な格好をしている人がいる。フードつきの長い外套で頭から足の先まで覆い隠している人や、サーカスの道化の衣装の人、仮面を被っている人などである。これも服装自由の一環なのだろうか。
人がだんだん増えてきたがサイモンは見つからない。舞台では楽隊の椅子が埋まりつつあった。広間の奥の左手側にはもう一部屋が繋がっていて、そちらも会場になっている模様だったが、ローガンのいる場所からは中にいる人までは見えなかった。
このまま会えなかったら何のために来たのか分からない。ローガンは受付に行って、もう来ているかどうかを確認してもらい、来ていないならそこで待つ、という方法を思い付いた。初めにそれをするべきだったと悔やみながら、入り口に向かって歩く。すると、向こうからサイモンが、同年代の青年二人と一緒に歩いてくるのが見えた。
何やら楽しげに談笑していて、すぐには気づかなかったが、前を見た時に分かったようだ。右手を顔の辺りに挙げた。ローガンも呼応して同じ動作をした。二人ともそのままの速度で歩いて行って、やがて出会った。
「すごいね。どこの王子様かと思ったよ」
サイモンの第一声がこれである。表情は子供のような嫌みのない笑顔だった。
「そんなつもりはなかったのですが、ライアン侍従長の計らいでこのように」
「そうなんだ」
ローガンとは対照的に、サイモンは正装とは程遠い格好で来ていた。ゆったりとした毛織りのズボンの上に、太い糸で編んだセーターを着ている。漁村の漁師といった感じで、メレノイでは見かけない出で立ちだ。そのセーターもまたサイズが大きめなのでますます子供っぽく見えた。
サイモンは舞踏会が始まる直前の胸が膨らむような雰囲気と同調して、にこにこと笑っていた。その後ろから、彼よりも背の高い二人の若者が、まじまじとローガンを見つめている。
「こちらはローガン・ナイトリーさん。フォースター嬢の家庭教師です」
サイモンはこう言って紹介した後に、一緒にいる二人について、「ローガン、こいつはクリスで、こっちはジェイク」と付け足した。
クリスと呼ばれた方は、面長で品の良い顔立ちをして、黒のテールコートを着ている。「お噂はかねがね」と言いながら笑顔で寄って来るので、ローガンも笑って「よろしく」と言った。ジェイクの方は、短く刈り上げた髪に日焼けをして、この中では一番男らしい顔立ちをしている。背が高く細身で、襟付きの上着を着ているものの、どう見ても安物だった。目が合うと「どうも」と会釈したので、ローガンは「こんばんは」と返した。サイモンが、シェイラとメアリーは来ているかと訊いて、ローガンは何処にいるかを説明した。
合流しようということになり皆で歩きだした時に、近くにいたクリスが興味深そうにローガンを見ているので、ローガンは話しかけた。
「お二人は魔術師なのですか?」
「ええ、一応」
クリスはすぐに答えた。
「今日は驚いたのですが、とても立派な舞踏会ですね。魔術師がこんなに大勢いるなんて知りませんでした」
「そうですね、今年も製薬事業でめちゃくちゃ儲かりましたから。ここ数年、年末の舞踏会は豪華になる一方です。ただ、ここにいる全員が魔術師ではありませんよ。知人を招待できるので。それに、魔術師といっても色々ですから」
「あ、製薬ですか、なるほど。魔術師協同組合は薬を作っているのですね」
「ええ、他にも色々ありますが、メインは製薬です。今では製造から販売までやっていますよ」
「へえ、そうなのですね」
ローガンはハイマントでの学生時代に何度か目撃したことがある魔術師の姿を思い出していた。魔術師が作る薬の存在は知っていたが、その魔術師たちは薬を作っていたのではなく、箒に跨って空を飛んでいた。クリスは社交場でよく見るような作り物の微笑を浮かべている。訊けば感じ良く教えてくれそうな青年だ。
あなたは空を飛べるのですか、という質問が胸をよぎって、ローガンはなんだかドキドキした。けれど、そんな質問を嬉しそうな顔でしてしまうのは、いかにも子供っぽい気がして言い出せずにいるうちに、前を歩いていたサイモンはシェイラたちを見つけ、足早に近づいて行った。




