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第九章 第十節

「そうですよ。勉強を全くしていないわけでもないのに、大袈裟すぎやしませんか? 多分、先生は真面目に考え過ぎなのです。あなたが思うほど、ライアン侍従長は期待していませんわ」

「そうでしょうか。ライアン侍従長は勉強が追い付いたらシェイラ様を適切な女学校に入れて、より高い教育を受けさせることを予定しておられます。時期についても、早いに越したことはないと仰せになりました」

「それはいつまでも自宅に置くわけにはいかないから、早く寄宿学校に送り出したいという話でしょう?」

「そういうことではありません!」

 ローガンはシェイラが傷ついたのではないかと思い、咄嗟に否定したが、後の言葉が続かなかった。ライアン侍従長の真意など知るわけがない。

「少なくとも、帰りが遅いことについては問題だとお考えです」

 仕方がなくそう続けた。メアリーはそれには答えずに、歩いてローガンの横をすり抜け、呆然と立っていたシェイラと、腕と腕が触れそうなくらいすぐ隣に並んだ。シェイラは成長途中だから、背はメアリーの方が少し高い。二人して美しい顔でローガンの方を見ている。シェイラは不安げな面持ちで、メアリーは不満や怒りではなく悲しげで、そして疲れたような表情をしていた。

「良いではないですか、勉強なんか適当で。シェイラ様には学問よりも、王妃様の機嫌を損ねないことの方がよっぽど重要です」

「上流階級のルールですか?」

「シェイラ様の立場なら当然です」

「私生児の立場など、あってないようなものですよ。もちろん王妃に気に入られるのも結構ですが、ではそれで、フランシス王妃がシェイラ様の面倒を一生見てくれるのですか? 保障してくれるのですか?」

「そんなこと分かりません」

「そうです、分かりません。迎え入れるのも追い出すのも、王妃や国王陛下の気持ち一つなんだから。厳しいことを言うようですが、いくらあなたたちが上流階級入りをあてにしていたって、彼らの気が変わったらそれで終わりです。けれど、勉強して身に付けたものは決して裏切りません。天涯孤独でも助けてくれるのが学問であったり、知識や教養なのです」

 メアリーの顔が一層悲しげになったように見えたが、気のせいだろうと思った。話しているうちに、だんだんと頭に血が上ってくる。メアリーを相手に本気になり過ぎていると分かっているのに、上手く抑えられないのが腹立たしかった。

「そうだとしても、シェイラ様はまだ十四歳なのですよ! お母様を亡くされて、ずっと悲しんでいらっしゃって、やっと王妃様のおかげで楽しく過ごせるようになったのに、あなたは水を差して、厳しいことばかり言う。もうシェイラ様にあれこれ言って、混乱させるのは止めてください。心置きなく王宮で楽しませてあげてください」

「混乱させているつもりはありません。私だって、心置きなく楽しんで欲しいと思いますよ」

 最初に混乱させたのは王妃の方なのに、……と言いたいのは我慢した。ここで声を荒げたら収拾がつかなくなると思った。

 ローガンはたまらずシェイラを見つめた。十四歳の少女は相変わらずただ困ったような顔をしているだけで何も言わない。どちらとも視線を合わせず空間を見ている。ローガンがいくら見つめても、何の意思も感情も読み取れなかった。ほとんど他人事のようである。

 しばらく沈黙があって、次にメアリーが口を開いた。

「では、もうごちゃごちゃ言わないでくださいね」

 ローガンは何も答えることが出来なかった。

「さあ、勉強を始めましょ」

 明るい口調でそう言うと、メアリーはシェイラの背中に手を当て、押し出すようにして机に着くように促した。ローガンはメアリーに抵抗したくなってこう言った。

「あなたの方は大丈夫なのですか? 遅れるなんて、ご実家で何かありましたか?」

「どうぞご心配なく、先生」

 メアリーは優雅な動きで身体ごとローガンの方へ向き直り、軽く会釈した。

「母の調子が悪かったもので、家を出るのが遅れてしまいました」

「付き添っていなくていいのですか?」

「ええ」

 それだけ答えて、メアリーは戻って来ると長椅子に腰を下ろしてしまった。脇机に手を伸ばして本を取る。ローガンは少し考えたが、敢えてこれ以上訊く理由もないように思えて止めにした。それきり帰宅時間の話も王妃の話も、一切誰も話さなかった。

 翌日になってもメアリーは機嫌が悪いままだった。おかげで気まずくて、ローガンは昨夜の帰宅時間を尋ねることが出来なかった。その翌日も、メアリーは相変わらずだ。まだ怒っているのかと思うと少し怖かったが、看病疲れかもしれないとも思った。シェイラの様子に変化はない。宿題は減らしたままだが仕上がっている。居眠りもあの一度きりだった。

 週明けに魔術師協同組合の舞踏会が迫っていた。メアリーの話では、どこから伝わったものか舞踏会のことを知ったライアン侍従長から指示が下り、すでに当日の三人分の衣装が手配されているという。その上、女中頭を通じて「お世話になった魔術師協同組合からの招待なのだから、失礼のないように出席し、そして若者らしく楽しんでおいで」というありがたい伝言まで仰せつかったとのことだった。ローガンはこれでシェイラとメアリーも、当日王妃の誘いがあろうとも、舞踏会に出席しないわけにはいかなくなったなと思った。

 しかしライアン家がローガンの分まで衣装を手配するとは、いささか有難迷惑の感があった。サイモンの返信以来、ローガンは普段着で正々堂々と乗り込む気でいたので、不思議と、却ってがっかりした。

 週末が過ぎ、舞踏会の当日になった。今日は四時ごろに再度ライアン邸に来るように言われている。そこで正装に着替えて、ライアン家の馬車で三人一緒に会場へ向かう予定になっていた。お茶の時間にその話題になり、流れが良かったので、ローガンは「今日は何時に王宮からお戻りになる予定ですか?」と聞いてみた。すぐに返事がないので、「準備の時間を考えると、忙しくなりますね」と続けた。

「今日は王宮には行きません」

 シェイラが答えた。そして彼女は、意外そうな顔をするローガンを見て、こう補足した。

「昨日も行っていませんし、今日も多分、お誘いはないと思いますので」

 そうして何事もないように平然として、お茶を口に運んだ。ローガンは驚いたという顔を作ったままメアリーを見た。メアリーは苦笑いのようなものを浮かべて、少し肩をすぼめた。

 何かあったのですか、という言葉を言おうか言うまいか迷っているうちに、メアリーが口を開いた。

「ナイトリー先生、もし良かったら、今日はもう神殿へ戻らずに、舞踏会までここで過ごしませんか?」

 ローガンは恐る恐るシェイラの様子を窺った。少し目を見開いて、驚いているように見える。メアリーの提案は彼女が突然言い出したものらしい。ローガンは予期していなかった誘いに飛びつきそうになる自分を抑えて、これを丁重に断った。午後からは神殿の仕事が入っており、簡単に変更できるものではなかった。これが分かっていれば予定を入れなかったのに、と悔やんだ。


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