第九章 第九節
「時間が経てばこの世界にも慣れるでしょう。どうでしょうか、王妃のサロンに来るご友人たちは、教養が高そうですか?」
シェイラは暫く考えてから答えた。
「高いと思います、たぶん。だって色々なことを知っているし、サロンで本を読んでいらっしゃることもありますから」
ローガンは少し笑ってしまった。
「そうでしょうね。彼らが文盲ということはまずないでしょう」
「学校に行っているということですね」
「まあ、そうです。教区の小学校に行くことはまずありませんが。子供の間は、普通家庭教師です。その後は家庭教師だったり、寄宿学校だったり色々ですが、男子なら大部分が大学まで進むし、女子でも近頃は女子大学に進む人が増えているそうです」
「わたしと違って、皆さんたくさん勉強をしているということですね……」
シェイラが苦笑いを浮かべた。ローガンは心に嫌な感じが浮かんだが、舌が自動的に動いて頭の中にある話が口から出て行くのを止められなかった。
「私などは、学問をして身を立てようと考えます。けれどそれは労働者の発想なのです。上流階級はそんなこと思いません。彼らは物心ついたときから勉強させられています。本人が望もうと、望むまいと。私の大学の同級生たちもそうだったし、家庭教師をしていた子供たちも、みんなそうでした。向学心の欠片もない金持ちの子女を、あの手この手で無理やりに勉強させるのです。時には庭に逃げてしまったのを走って追いかけて、なだめたりすかしたりして、なんとか勉強部屋に連れ戻したりしましたよ」
「はあ、すごいですね」
と言って、シェイラは薄い苦笑いを浮かべている。
「ですから彼らは……、王妃のサロンであなたと遊んでいる彼らは、教養があって当たり前なのです。……私はシェイラ様のことを、とても頭の良い人だと思っています」
「まさか、そんなことありません」
シェイラがすかさず否定する。
「いいえ、そうなのです。あなたは間違いなく優秀な頭脳の持ち主です。何人も家庭教師をした私が言うのだから、それは間違いない。……いいですか、王妃のサロンのご友人たちは、元々の頭脳の優秀さではあなたの足元にも及ばないかもしれないのに、確実に今のあなたより優れているでしょう。上流階級の仲間内で頭が悪いと噂されて、陰で物笑いになっているような人物ですら、今のあなたの百倍は物を知っているでしょうね」
少女は神妙に頷いた。その様子を前にして、ローガンは思わず勢いづいてしまいそうになる自分を感じた。
「一緒に遊んでいて楽しくても、あなたは彼らとは違うのだということを自覚した方がいい。赤ちゃんに戻って時間を取り戻すことは出来ないのだから、彼らの何倍も真剣に取り組まないと、追いつくことは出来ませんよ」
「はい、そうですね……」
少女は暗い顔をしてただ頷く。何か言う気配はない。この状態になってしまっては、ローガンには果たして自分の言わんとするところが彼女の胸に届いたのかどうかを、判別する術はないように思われた。ただ沈んでしまった心を浮上させなければという気持ちが湧いて、こう言った。
「大丈夫ですよ、今は遅れているというだけです。あなたは理解が速いし記憶力もいいのだから、しっかり頑張れば追いつけるし、それ以上にだってなれます」
シェイラは頷いた。表情はなかった。
すると、扉をノックする音が響いて、ローガンは飛び上がりそうになった。心臓が大きく鼓動を始める。早く返事をしなければと思いながらも、話に満足していない彼はこれが最後と言葉を繰り出した。
「どうか、どうすることが本当にご自身の為になるのかを真剣に考えてください。他人というのは自分の都合で好き勝手なことを言います。そういう無責任な言動に振り回されないで欲しいのです! 私が言いたいのは、ただそれだけなのです」
心臓の音が思考を邪魔して舌さえもつれる有様だったが、なんとか言いおおせて、扉を開けようとしたら、向こうから開けられた。ローガンは息が止まりそうになる。
メアリーが入ってきた。今まで見たことがない憮然とした顔をしている。彼女はいきなりこう言った。
「ナイトリー先生、そんな風にあなたと王妃様の板挟みにしてしまっては、シェイラ様が可哀相ではないですか?」
「それは、確かにその通りですね」
聞かれていたと思うと恥ずかしさが込み上げた。いつからいたのですかと尋ねたくなるのを堪えて、ローガンは怯まないようにと気を引き締めた。メアリーが現れたからといって、一対一で語った持論を簡単に引っ込めてしまっては、シェイラを失望させることになると思った。




